54 取り引き
適当に分けた絵札の半分を女に渡し、お互いに手前から一枚づつ並べていく。
その過程で裏面の模様を見ながら、確実に高得点になる組の位置を確認した。
顔を上げると、先に並べ終えていた女が自分を見ている。
派手な化粧の奥で、奇妙なくらい静かな瞳。
一瞬息が詰まり、無意識に押し出すような声が漏れる。
「退屈しませんか……」
一呼吸おいて、女がこてんと首を傾ける。
「いつも同じ条件での勝負ばかり、そんなもの、慣れてしまえばつまらない」
咄嗟に出た言葉は、次の言葉を引き出した。
自分でも何を言っているのか、自分の声を聞いてから理解した。
後悔と緊張で唇が震える。
本当ならもっと完璧な形で切り出す話題のはずだった。
こんな言い訳じみた言葉を考えていたわけじゃないのに、どうして。
「素敵なお考えですね」
手のひらを、顔の前で合わせながら女は言った。
表情は変わらないのに、仕草や反応はどこか少女のようで、それが一つの可能性を生む。
見た目を派手に取り繕っていても、幼さが見え隠れしているように思える。
人を欺くことに長けている妓女だからと警戒していた。
妓女とはそうあるべきものだからこそ、垣間見える不慣れさからして、出方次第ではこちらが優位に立つことは簡単かもしれない。
「お受けになりますか?」
女は思案するように頬に手を当てて低く唸った。
「もちろん拒否していただいても構いません」
広間の様子を確認するように顔を背けた女の視線の先には、きっと主人がいるのだろう。
向き直った女はある提案をする。
「では公平に、お互い条件を出し合いませんか?」
その真意は知らないが、どんな条件にしろ自分は既に勝ちを手にしていると言っても過言ではない。
先程のような失敗はもう二度と起こらないのだから。
肯定するように微笑んだ顔を見て、女が控えめに口角を上げた。
「私はこの勝負に、今日あなたが勝った分を同じ額を賭けましょう」
女の表情が僅かに強ばったのを見逃さなかった。
驚くのも当然だ。
規定外の賭け金の上、負けた場合は常識では考えられないような金を支払わなければならなくなる。
普通の人間なら尻尾を巻いて逃げ出すところだが、女が乗ってこないはずがないのだ。
賭けは負けても面白い、そう言う者もいるが負け続けて、それでも楽しめるのはただの変態だけだろう。
記録によると、この女の主人は商才はあっても賭け事は不得意のようで、負けて支払った額は相当なものだった。
賭けとはそういうものと割り切ればいいものを、取り返そうとでも思ったのか、この女を買い連れてきたと見ていいだろう。
妓女の売りは千差万別。
中には賭けが得意な女もいて当然だ。
「お受けします。では、私からは『隠し』を」
女の言う『隠し』は、選んだ札の絵を確認ぜずに持ち札とする遊び方だ。
組を覚えられない子供がする遊び方だが、賭けでもよく用いられることがある。
所要時間が短く、なにより見えないことで選んだ札が良いものか悪いものか、最後までわからない。
非常に運任せな遊びは、今の自分にとってこの上ないほどに都合が良かった。
なにせ表を見なくても、どこに点の高い組があるのかわかっているのだから。
この絵札は所有している賭場以外では、ごく一部の限られた者にしかその存在を知られていない。
連中の意地汚さと言ったら、簡単に細工の存在を教えることはないという、確信が持てるほどだ。
「始めましょうか」
女から視線を外すように並んだ絵札を見た。
隠しをするならば、相手の表情を確認する必要もなく、女がどんな絵札を選ぶのかを見ていればいい。
女は手前の絵札を一枚選び、二枚目はこちら側の札を選び取る。
その二枚目は自分が当たりをつけていたものだったが、組として成立していないことに静かに安堵し、女が手元に選んだ札を伏せる気配を感じてすかさず手を伸ばした。
広間は変わらず、歓喜し落胆する人々の声で騒々しい。
重なり合ういくつもの音は意識の外ではいっそ心地よく思え、余計な情報が遮断されるおかげで集中できる。
女が選んだ組を確認し、そして残ったものの中で一番良い組を選んでいった。
作業のように札を取り、一言も交わすことのないまま最後の確認に移る。
最初に取ったものから一組ずつ表を向けていくのだが、これも単なる作業として終わる、はずだった。
それに気が付いた時には、最後の組に女の指が触れようとしていた。
「ちょっと待て」
身を乗り出したせいで台が揺れ、物が落ちるのも構わずに女の腕を掴む。
「なにか?」
掴まれた腕を振り払おうとすらしない女は、視線を落とし反対の手で最後の組を裏返した。
そこに並んだ絵札は、ことごとく女が選び取ったはずの組とは別物になっていた。
札をめくる女の手元を見ていなかったわけじゃないが、おかしな行動はなかったように思える。
しかしだ。
「これは……」
——明らかなイカサマだ。
その先の言葉をなんとか飲み込んだ。
掴んでいた腕を離し、力が抜けていくように椅子に身体を落とす。
一つだけなら見間違いだと納得もできただろう、たが、全てが変わっていることは否定のしようがない事実だ。
しかし、それを口に出して指摘することは、同時に見えないはずの表の絵を理解していると白状したのと同じ。
いかさまを否定する根拠として、自分の手の内を晒してしまっては意味がない。
そこでふと疑問が生まれる。
この女はどうやって絵札を入れ替えた。
正面に見える女の顔から、絵札に視線を落とす。
闇雲にしたとして、ここまで完璧な手札になるはずがない。
つまり伏せた状態でもどんな絵柄か知っていて、自分に気づかれないように入れ替えたと言うことになる。
しかし隠しである以上、この女は札を裏返すまで、どんな絵柄か知り得ることなどできないはずだ。
あと少しで確信に触れそうな気がする。
そんな時、耳にかかる吐息と側にいてようやく聞き取れるほどの低い小声が意識を引き戻した。
「坊ちゃん。差し出がましいようですが、即金で全額支払うことなんて不可能です」
呑み込んだ舌打ちが酷く長く感じた。
「下がれ、言われなくてもわかっている」
顔の脇で手を振って、鬱陶しい男の気配を遠ざける。
指を組み、唇を押し当てながら考えた。
こちらから勝負を持ちかけた以上、無効も何もない。
さらに言えば、追加した条件のせいで自らの首を絞める結果となったわけだ。
相手が提案を受け入れてくれれば良いのだが。
「申し訳ありませんが、即金で用意できるのは半分だけでして……、残りは後日とできませんか?」
「それでも構いませんが、なんでしたらお金は本日いただける分でだけでも結構です。代わりにあちらの方を譲っていただけません?」
「彼を? なぜ?」
思わず聞き返した。
「先日、あの方が新しい絵師が欲しいと仰っていたので、あなたの元にいた方なら喜んでいただけると思うのです」
思わずごくりと喉が鳴る。
支払額は半分になり、邪魔だと思っていた絵師は消える。
願ってもない申し出だった。
たとえ自分の手を離れたとしても、この絵師に全てを打ち明けるだけの度胸はない。
むしろ監視していなければ、罪悪感で自死を選ぼうとするような奴だ。
この条件では、こちらに都合良すぎるように聞こえるが、女にもうまみがあるのである。
おそらく自分が手元に置いていたことがなにより重要であり、それを賭けで奪ってきた事実が主人を喜ばせる。
常識外の掛け金について、ここにいる者以外に誰も知らない。
知られなければ、それはなかったのと同じこと。
もし、この女が本当のことではなく、賭けをして絵師を勝ち取ったと言えば、それが真実となるのだ。
ただそれでも。
サイコロにでもなった気分だ。
己では動けず、誰かの手で投じられ、角が当たって不規則に転がりながらどこかで止まる。
受けるべきだとわかっているが、他人の意志で動かされる不快感は拭いきれない。
「おい」
声を上げると、後ろに控えていた男が隅でうずくまる絵師を引っ張ってきた。
「これでよろしいか?」
「ええ」
返事を聞くと同時に立ち上がり、情けない背中を押し出した。
前のめりにつっかえながら振り返った絵師は上目づかいに、何か言いたげな表情でこちらを窺ってくる。
観察するようなこの視線が心底嫌いだ。
崩れる表情を取り繕う余裕すらなく、半ば逃げ出すように部屋を出た。
後の処理は、図体だけの大男に任せておけばいい。
乱暴に振り離された扉は、勢いを殺しながら最後は小さな音をたてて閉まった。
「やってくれたな」
一瞬の静寂の後、ため息混じりに大男が言った。
ダンは扉の外に人の気配がないことを確認してから、凝り固まった身体をほぐすように天を仰いだ。
「それはこちらの台詞です。細工の二種類あることを伏せていましたね? おかげで余計に手間も時間がかかりました、結果的に手荒な手段を選ばざるを得なかったのもそのせいです」
自分では珍しく饒舌に、最後は独り言のように漏らす。
誤算もあったが、とても気分が良かったのだ。
「それに、成功報酬は賭けに勝った分の倍額を支払うと、あなたが言ったんですよ」
言われた条件内で最大限できることをする、当然だろう。
おかげで、今までにないくらいの報酬が期待できた。
「あ、あのう」
それまで静かに話を聞いていたヨハンが、たまらずといったように声を上げる。
こんな気弱そうな人が、一人で坊ちゃんの元に乗り込んだというのだから、どれだけ追い込まれていたのやら。
「これは一体……」
「お前はもう自由だ、だから何も気にするな」
人相は悪いまま、しかし、どこか朗らかな雰囲気を大男は纏っている。
違和感がないのは、その本質が善人だからだろう。
今回の依頼人は全員で三人。
一人目のリコウの依頼は、弟子であるヨハンの救出。
二人目は坊ちゃんのお目付役である大男。
その依頼は、坊ちゃんに痛い目を見せて、自然な形でヨハンを手放させることだった。
仕掛け扉から出てきた大男を確認したときは、また御隠居が自分を頼るように手を回したのだとわかり、嫌気がさしたものだ。
人相の悪い、熊のような雰囲気が薬屋の先生とよく似ていてその姿は記憶に残っていた。
三人目に関しては誰なのかは明かされていないが、不正操作および上限を越えた規定外の賭けを斡旋する賭場の調査、証拠の収集。
内容からして役人なのは想像に容易い。
「こんな手荒なやり方を選ばなくても、お目付役なんだから、あなたがおっしゃればよかったじゃないですか」
「俺が言ったところで聞くような人に見えるか?」
大男は肩を竦めてみせる。
「臆病なくせにそれをひた隠して、自分でなんとかしようとやたらと策に走りたがる、こうでもしないとあの坊ちゃんは辞めないさ。俺の力不足でこうなったが……これで奴らと縁が切れるなら、安いもんだと思わないとな」
安いものか。
と内心で呟いた。
「今回のことで許可証が剥奪されるんですよ」
御隠居の描く終結図では、ヨハンについて表沙汰にしないだけで、他すべてのことに関しては三人目の依頼者に報告し、その結果、坊ちゃん含め関係者は罰せられることとなるだろう。
それが大男が望む“痛い目“ならかなりの大怪我のようにも思えた。
「なに、営業ができなくなるのは坊ちゃんが任されていたごく一部、お父上も了承している。引き際はちゃんと見極めないといけねえ」
目にあまる息子の行動を諌めようとしたのか、嫌なところから睨まれたのか。
いささか厳しすぎるようだが、今のままでは次を任せるに値しなかったのだろう。
「俺はお目付役だ。それが仕事、どこにだって着いていくさ」
くしゃりとした男の笑い顔。
「難儀ですね」
不思議とこの男の考え方は好きだと思った。




