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眼下では賭けに興じ、浅ましいほど欲深い者たちで溢れかえっている。
負け札を握り締め目の前の現実に絶望している者もいれば、今度こそと根拠のない自信を持つ者が賭け金を釣り上げる。
声高に運が己に傾いた瞬間を宣言する男の腕に、いつの間にか現れた女がすり寄ってきて、何かを耳元で囁いた。
これから別室に案内されて、そこで特別な賭けを勧められる、きっとあの客はその誘いを断らないだろう。
今、この瞬間は自分を強者か何かと思ってしまう、ここにいる多数がそうだろう。
実に気分が良い。
あの扉の向こうで何が行われているかも知らずに。
運やツキを信じている連中が、それを他人に操られているとも知らずにいる様を眺めていると堪らない気持ちになる。
純粋な運など、この世にいくらあろうか。
「この光景を眺め嗜む酒が何よりも旨い、そう思わないか?」
隣で同じように酒を飲んでいる絵師に言ってみたが、目を合わせようとすらしない。
価値があると言われて手元に置いてはいるものの、所詮は真似するしか能のない男だ。
偽作の出来の良さだけで言えば大したものでも、自分自身の絵がないとかで新たなものを作れもしない。
思っていたより役に立たなかった。
欠片の才能でもあれば後援者になってやってもよかったが、なんの魅力もない。
本来、もう一人手駒にするはずだった絵師が姿を消したことで、ここにきて計画がうまく消化できていない。
どこぞで野垂れ死んだならまだいいものを、その痕跡もなく、忽然と消えたのだ。
思い通りにことが進まない現状に、苛立ちが募っていた。
憂さ晴らしに、こうしてただ酒を飲んでいるのも飽きてきた頃、背後から声をかけられた。
「今日は遊ばないんですか? 坊ちゃん」
この店の管理を任せている男。
そして、別に金貸しとしての顔も持っている。
いつもなにを考えているのかわからない奴で、言動は胡散臭い。
そんな男がなんの用だと疑問を口にするより先に言いたいことがあった。
「その呼び方はやめろと言っただろう、何度言わせる気だ」
「申し訳ありませんね、若」
へらへらと気の抜けた顔の男は、心にもない謝罪を述べて訂正した。
「もういい、なにか問題でもあったのか」
「問題ではないですがね、お耳に入れておいた方がいい気がして」
男は椅子の背もたれから身を乗り出すように顔を寄せ、耳元で囁くように言った。
——勝ち続けている客がいる。
どこにいるのか聞かずとも、店内を見渡せば人集りができている場所がある。
台を挟んで向かい合う男女を中心に、物見客が覗き込むように押し合っていた。
男はこの店の雇われだが、女の方には見覚えがない。
女の装いは派手であり、時折近くの男に視線を流している。
この街の妓女と同じようにも見えるが、彼女たちの男を獲物として見ている捕食者の目とはまた違って見えた。
一瞬間を置いて、どっと歓声が上がった。
盛り上がる群衆を眺めながら、ゆっくりと酒を煽る。
「なぜ別室に連れて行かない」
服の擦れる音がして、男の気配が耳元から離れた。
「どの部屋も埋まってます、今は相手できるやつがいない。それに賭け金が低いんで、いくら勝っても大した金額ではありませんよ」
空とぼけた男は、続けて感心したように言い放つ。
「最初は連れの男の方が賭けてたんですがね、負けが続いたもんだから代わりにあの女が、それからずっと負けなしですよ」
「待て、ずっと? 一度も負けてないのか?」
思わず身を捩り、身体ごと振り返って男に聞き返した。
「はい、一度も」
なんとも思っていない男の口振りに、小さく舌打ちをする。
聞こえていただろうが、気にしている素振りはない。
怒鳴りつけたい衝動をなんとか抑え、腕を組んで突っ立っている男を見据えた。
「ふざけるな、負けない賭けがあるものか、何か細工をしているはずだ。追い出せ」
考えが及ばなかったのならまだ許そう、わかっていて放置しているのなら、ただでは済ませないつもりだ。
言い訳の一つでも聞いてやろうと待っていると、男は例の台を一瞥し、わざとらしいため息を落とした。
「それがなにもしていない……いや、わからないんですよ」
そう言いながら、肩をすくめてみせる。
「俺も店の奴らも、誰一人わからない。どんな仕掛けがあるのかわからないのに追い出すことはできないでしょう。それにやってるのがあれじゃあね……」
人混みができている付近には盤双六の台が並んでいる。
それを見て、妙に納得してしまった。
双六での勝負で勝敗に重要とされているのは、サイコロの出目よりも戦略の方だと言われている。
偶発的なサイコロの出目で、いかに可能性のある勝ち筋を選べるか、相手の手を予測しながらの戦略遊戯。
そして、この遊戯で連続して勝ち続けることは絶対に不可能とは言い切れないのである。
ただ、それも出目の良さと、実力があってこそ。
サイコロの性質上、思い通りの目を出せるわけがない。
たとえ、自身の出目を操ることが可能であったとしても、相手の出目によって状況は常に変化する。
相手の出目を予想でもできない限り、一歩間違えば自滅してしまうだろう。
その時、他の音を掻き消すような、一際大きな歓声が湧き、しばらく余韻を残して消えていった。
またしても、あの女のいる台だった。
そして部屋に店の者が駆け込んでくる。
走ってきたのか、息が上がったまま男に耳打ちすると、表情が明らかに変わった。
「若……」
一瞬、躊躇した男は、言葉を選ぶようにして内容を伝え、それを聞いた途端、手に持っていた杯を叩きつけていた。
その勝負で、上物の妓女一人を身請けしても余りあるほどの額が賭けられ、女が勝った。
その額はこの賭場に置いてある分では到底賄いきれないものであり、今まで勝った分を合わせると、その額はかなりものもになる。
いけない。
このまま続けさせてはいけない。
「今すぐその女を呼べ」
「いや、手が空いてる奴がいないですよ」
吐き捨てるように唸り、立ち上がる。
「僕が相手する、早くしろ!」
男を急きたて、勢い任せに女を部屋に呼んだ。
いきなり連れてこられた戸惑いも、勝ったことへの高揚も見せない不思議な雰囲気の女は部屋に案内されてから一言も発さず、向かいに大人しく座って広間を見ていた。
派手な装いをしているのにどこか陰があり、不思議と目を引かれる。
賭場は客の身元を改める決まりがあり、それは言わば客の情報を得られる仕組みでもある。
女が来るまでに用意させた情報を確認したところ、最近都の花街で身請けされたばかりの妓女で、主人はここ西都でも幅を利かせている商人と交流がある人物ということだ。
もし、知らずに追い出していたら無駄な摩擦を生むところだった。
知っていて放置していたのだとしても、一言あれば別の対応もできたはずだ。
部屋の隅で待機する胡散臭い男を視界に捉えながら、苛立ちが顔に出ないように気を引き締める。
「ここから見ていましたが、随分と盛り上がっていましたね」
「まあ、楽しませて頂いております」
女は広間を見たまま言った。
こちらが何者か察しがついているような口振りで、女の声は少し掠れていた。
広間を一望できる個室を利用しているのだから、立場を隠せるとは思っていない。
「とてもお強いようだ」
今から暴こうとしている相手に対しての心にもない言葉に、自分自身でおかしくなる。
皮肉に歪む口元を隠そうと手を顔まで上げかけて、途中で止まった。
「ええ、とても運がいいですわ」
真っ直ぐこちらを見つめてくる瞳。
薄い紅で彩られた唇が、僅かに弧を描いている。
ただ目が合って、ただ微笑んでいるだけ。
なのにどうしてか、まるで恐ろしいものでも見たかのような、身体の芯が冷たく強張った気がした。




