51 偽り
少し変更、加筆しました。
夕闇の中でその門は一際大きく、存在感を放っていた。
人々の視線を遮る高い塀が周囲を巡っているのだが、暗闇に滲む妖しい光と誘うような笑い声は遮れない。
花街は一つの都であり、巨大な鳥籠だ。
粗悪な荷馬車の揺れを尻で感じながら、久々に足を踏み入れたその場所の見慣れた景色を、頭からかぶった布の隙間からうかがい見た。
しばらくしてどこかの店の裏手に馬が止まり、反動で荷馬車が大きく揺れてズレてきた荷物に押し潰されそうになる。
「降りろ」
低い声で短く告げた女衒が、荷物の陰に身を潜めていたダンの腕を掴んで引き摺り下ろす。
ダンは目を細めて、その女衒の背を見上げた。
掴まれた腕を振り払い、今度は正面から見上げる。
冷たく陰りを落とした瞳を前にその女衒は立ち止まり、次の瞬間、後ろにいたもう一人が今度こそ乱暴に腕を掴んで店に引き連れた。
身体を丸めて怯えるふりをしながら、そっと息をついた。
掴まれた腕に痛みは感じない。
裏口では見張りの男衆に止められはしたものの、事前に用意してあった書面を出せば別の男がやってきて、すぐに楼主のもとへ案内されるとことなった。
「少し歳をとり過ぎているよに見えますが」
「なにも問題ない」
開口一番に放たれた言葉は、なんら不思議ではなかった。
頭からかぶった布で顔が見えなくても、背丈や骨格を見てそう判断したのだろう。
そして、女を商品として扱う妓楼の主人が、女物の服を着ただけのダンを男と認識できないわけがない。
今ここで男か女かは、さほど重要な事ではないのだ。
「どれ、顔を見せていただきましょうか」
顔を隠していたものがなくなると、楼主は品定めをするように目を細めた。
「これはこれは……もう買い手がついているとはなんとも惜しい。どうです、こちらで代わりの女を用意しましょう、今ついている値の倍をお支払いしても……」
「ふざける暇があったら、さっさと準備してくれ」
女衒に話を遮られた楼主は肩を落とし心底残念がりながら失言を詫び、にやついた笑みを貼り付けたまま、その女衒と部屋を出る。
扉が完全に閉まるのを見届けると、残った一が堪えていたかのように笑い出した。
「まだまだ現役でもいけるんじゃないか?」
女衒に扮した従者がククと喉を鳴らす。
「あなたもふざける暇があったら、さっさと準備してください」
どうして、いつもこんなやり方しか出来ないのか。
御隠居ならば他のやり方くらいよ容易に考えつくはずなのに、ことあるごとに女装をさせたがるのはなぜなのか。
特殊性壁かと考えたこともあったが、あの方の好みは知っているから違うのはわかっている。
何度も何度も考えて、至った結論は簡潔だった。
その方が面白そう、だ。
何度目かのため息を漏らしながら、準備の手を進める。
買い手が既にいる女をわざわざ一度妓楼に売る商売法は、あまり知られていないが、ない話でもない。
攫われてきた娘、売られた娘を売人から直接買うのと、妓女を買うのでは、明らかに印象が違って見える。
だからこそ、気に入った娘を攫い、一度妓楼に買い取らせた上で自身で買い戻す悪趣味な連中も存在した。
それには妓楼側にも何かしらの理由や利益がなければ実現できないやり方ではあるが、この妓楼には今回ダンを買い取るだげの理由があったらしい。
他人事のように考えていても、ダンがそのネタを提供したようなものなのだが。
この妓楼は、先日水路で見つかった妓女が働いていた店。
あの妓女は足抜けの際の不運な事故として片付けられたが、実際は違っていた。
直接触れて確認していたので、それは間違いない。
聞けばかなりの愛煙家だったらしく、食事と睡眠以外の時間は常に煙管を手放さないほどだったという。
禿の話では、前日には普段ないほどに酷い頭痛を訴えていたとあり、お陰ですぐにわかった。
彼女の死因は、医学の進んだ国で言われるところの自然死ということになる。
そして、無知というのは恐ろしい。
昨日までなに変わらず過ごしていた人間が、その翌日に眠ったように死んでいたら、それを呪いだと決めつける。
おそらく禿が頭痛の話をしても、ままあること、と取り合わなかったのだろう。
そして「妓女が呪われて死んだ」などと言う噂が広がることを恐れた楼主達は、妓女の死自体を偽装するために水路に流した。
そのことを引き合いに出した途端、楼主の態度が一変したと愉快そうに話す御隠居の姿を思い出す。
人からあれこれ聞き出した情報で楼主を脅し、都合よく動く駒を手に入れたわけだ。
しかし、楼主が知らないだけで殺人でないのなら、この場合、役人に言ったところで「動かしただけだ」と罰せられるわけではない。
「よく似合ってるぞ」
重苦しい正装に辟易する。
どうして自分にはこんな役回りばかりなのか。
不満を隠そうとせず、これ見よがしに大きなため息を吐く。
たとえ数日の我慢だと言われても、やはり嫌なものは嫌なのだ。
それであっても、駄々をこねて放棄したところで一銭にもならないのなら、無益な羞恥心など捨てて割り切ってしまった方がいい。
「こちらの準備が整い次第迎えに来る」
一緒に運び込んでいた荷を漁る従者が嫌な角度で口の端を上げていた。
「こちらにも準備しておくことがあるんですけどね」
荷から取り出した化粧道具を掲げる。
いくらマオシャが施した化粧のやり方を見て、それを覚えていたとしても、化粧の腕は所詮人並みでしかない。
あそこまで完璧なものは無理かもしれないが、それでも男と勘付かれてしまうような不安要素は消しておきたかった。
だから、練習くらいしておいた方がいいはずだ。
「これを全部使うのか、女は大変なんだな」
従者は覗き込むようにして言った。
女の化粧を見慣れていても、その道具を見ることはないのか、物珍しそうに手に取っている。
「はい、面倒なので素顔のままでいきましょう」
言っておきながら、全てが台無しになるだろうな、と嘲る。
「……案外、そのままでも騙せるんじゃないか」
ややあって、帰ってきた返答にダンは顔を顰めながらも、喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
この手のことで揶揄われるのはよくあることだった。
数日後、妓楼にやってきた商人が、偶然その日、初めて見世に出た妓女を気に入り持っていた高額な商品と引き換えに妓女を身請けした、という話が花街で噂される。
しかし、そんな話も刹那の関心を引いただけで、すぐに別の噂の陰に消えていった。




