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49 出会い

まず一話。



 眠っていると気がついたら息苦しく、意識はあるのに身体が動かず、時には幻聴やなにかに触れられていると感じる人が時々いる。


 原因を知らない人々は霊や呪いの仕業だと騒ぎ立てるが、その現象事態はそこまで珍しいものではない。

 原因としてあげられるのは、睡眠不足や精神的疲労の蓄積、眠りの質の悪さなどさまざまだ。

 それが起きる条件や原因を知らないと、未知の体験と錯覚してしまっても仕方ないだろう。

 現象と原因、それらを知っていれば、なんてことはない。


 最近は野宿や安宿ばかり使っていたし、移動ばかりで疲れている。

 だから大丈夫だ、とまだ眠気のある頭で、固まったように動かない身体の状況を整理した。


 初めての感覚に、最初こそ戸惑いはしたものの、ゆっくりを呼吸をする。

 多少の息苦しさと拘束感、試しにもう一度動いてみようとした時に、違和感を感じた。

 普通なら意識しても動かないものなのに、今はどちらかと言うと動きを制限されている感覚に近い。

 その証拠にまぶたは動いた。


 ゆっくりと目を開けるが、この部屋に窓はなくそこにあるのはただの暗闇だ。

 そもそも、ここがダンがいた部屋なのか、別の場所なのかもわからない。

 しばらくして暗さに目が慣れてきたので、闇に滲むような輪郭を頼りにしながら、周囲を確認する。

 それぞれの位置関係をみれば、部屋自体は変わっていないらしい。

 部屋と言っても、木箱や行李などが山積みになった物置だ。

 ただ不思議なことに、並べた木箱の上に寝ていたはずなのに、それは目の前にあって、ダンは床に転がっている状態だった。

 そこまで寝相が悪かった自覚はなく、もし寝返りして落ちたのだとしたら、衝撃で目覚めそうなのに、それもなかった。

 そして、やはり身体が動かないのだ。

 その原因はすぐにわかった。


 肩から、おそらく足首まで何かに巻かれ、身じろぎすら出来ないほどきつく縛られている。

 言わば簀巻すまき状態にされているわけだが、それに気が付かずのうのうと眠りこけていた自分に、まず驚いた。

 そこまで眠りが深い方ではないので、普段は物音や人の気配があれば目が覚めていた。

 身体に触れられていたなら、尚更目覚めないなんてことはありえないのである。


 なにより、冷静になって考えようとしても、うまく思考がまとまらない。

 暗闇のせいで視界がはっきりしないと思っていたが、どうやら違うらしい。

 この感覚は、薬で誘発された眠気とよく似ていた。


 このまま転がっていても仕方ないので、なにかできることはないか。


 とりあえずもう一度動いてみようとしてみたが、かなりしっかりと拘束されているおかげで、惨めに首を振り回すだけにとどまっている。

 いったん息を整えて、もう一度考える。

 この拘束を自力で解くのはおそらく無理だろう。

 人の手を借りようにも、唯一心当たりがある相手には頼りたくない。

 そもそも、その唯一の人物のせいでこんなことになっているとしか思えなかった。

 きっと、自分ではどうしようもない状況に置かれて困っている姿を見て、面白がるのが目的なのだ。


 昨夜は華女との時間を邪魔するなと部屋を追い出され、目が覚めれば手の込んだ嫌がらせ。

 薬も無料タダではあるい。

 ダンが爆睡するほどとなると、かなり効き目の強い代物のはずだ。

 無駄遣いもほどほどにして欲しい。


 今は頭側に隣の部屋に続く扉があるため、無理な体制になっても構わずに、首を捻ってそちらを向く。

 文句を言ってやろうと口を開くが、吸い込んだ息が音になる前に扉が開かれた。

 しかし、そこに立っていたのは、ダンが文句を言おうとした人物ではなかった。


 逆光の中に重なり合う人影。

 それは次第にそれぞれ輪郭を持ちながら、三つに分かれた。


「これはまた乱暴な。確かこの子は彼と一緒にいたはずじゃないか、一人で逃げるなんて、彼は白状だね」


 眠気を誘うような穏やかな声で語られた言葉に、頭の中にかかっていたかすみが消えていく気がした。


 逃げた? 一人で?


 あの人が問題を起こすなんて今となっては当たり前で、逃げることだっていつものこと。

 それに付き合わされるのにも慣れている。

 しかし、今までに一度として、置いて行かれたことはなかった。

 問題を起こしては、睡眠中でも食事中でも関係なく追手を引き連れてきて、一緒に逃げるのだ。


 彼らが隣の部屋からやってきたということは、あの人はもうそこにはいない。


 今度は何をしたんだろうか。

 女、金、酒、原因なんていくらでもあるんだ。

 どうせどれかだろう。


 目の前の現実を見ないようにと別のことを考えても、事実は変わらない。

 そして何よりも、自分が思いの外、動揺していることが嫌になる。


「まだこんなに幼い」


 扉の向こう側の光によって影になったその姿はゆっくりと近づくと、そのままの高さからダンを見下ろす。


「最初からその子を置いて行くつもりだったみたいですよ、店の店主から、ちゃっかり金だけは受け取っていやがる。今ならまだ遠くには行っていないはずです」


 入り口に立つ二人の人影のうち、どちらかが気だるそうに言った。


「まあまあ、そんなに急がなくてもいい。それよりもこの子を解いてあげよう」


「あなたって人は……」


 呆れる男をよそに、ダンを縛る縄を解いた後、華奢な子供の身体をいたわるように抱き上げた。

 顔の左半分を覆うように近づく手が触れ、そのまま髪を梳くように撫でていく。


「もう大丈夫だよ」


 普通の子供だったなら、その優しい手に安心して少しは心を許していただろう。

 しかしその時、向けられた穏やかな笑みを見て、幼いダンの本能が強く警告した。

 捕まってはいけない、と。



 一体誰が最初に、御隠居などと呼んだのか。

 外部から見れば、門を閉ざしたこの屋敷の主人をそのように思っても不思議はないだろう。

 ある意味、典型的とも言えるその姿からは想像できないほど、やっていることはかけ離れているのだが。


 あの人が逃げた気持ちもわかる気がする。

 それなのに数年経った今、向かい合って仕事の話をしているなんて、当時の自分が知れば驚くことだろう。

 今だって関わりたくない気持ちは変わらないし、できることなら見つからない遠くまで逃げてしまいたい。

 それでも実際に何もしないのは、今の生活が結局のところ一番安定しているからだ。


 たとえ逃げ出したとしても、国内にいては簡単に見つかってしまうだろう。

 だからといって、ダンの身の上では国境を越えることは難しく、運よく隣国に逃げたとしても、そこで一から生活基盤を築き、生きていけるとも限らない。


 文字が読めて、言葉が理解でき、金の価値と勘定ができれば死にはしない、だが。

 これでいて、世間についてダンが知り得る知識には偏りがある。

 自分の無知を自覚しているからこそ、食事と寝床のついた仕事を捨ててまで、危険なことはしないのだ。


 それに、御隠居との関係も、考え方によっては悪くないのである。

 一回の依頼で、下働きの給金を遥かに越える報酬が、一番安全なかたちで手に入る。

 金が必要な身としては、背に腹はかえられない。


 依頼人を連れてくるのは初めてだけど、紹介料ってどれくらいだろ。


 御隠居は先客があるとかで、いつもの部屋にリコウと二人で待機していた。

 客人ということもあって、リコウにはいつもダンが使っている椅子に座ってもらい、その後ろで待機している。

 見えないように後ろで手を組み、簡単な金勘定をしているダンの側では、リコウが落ち着きのない様子で部屋を見回していた。

 時折、その視線がダンを捉えるので、正直なところ少し鬱陶しい。


「落ち着いてください、もうすぐいらしゃいますから」


「違う、そうじゃないんだ。ただ……ずっと見られている気がして」


 ダンも同じように室内を見回してみる。

 離れの造りは至って簡素で、ダン達がいる部屋をぐるりと回路が囲っているだけだ。

 入り口とその隣の面に窓が一つだけあり、その側に向かい合った椅子と卓が置かれている。

 光を取り込む部分が少ないので、昼間であっても室内は薄暗かった。

 飾り気はあまりないが、置かれている調度品はどれも一級の職人が手がけたものだと聞いている。

 どれも恐れ多くて近づきたくもない。

 特に、入り口と対面するように壁にかかっているあの絵なんかは、この中でも一番価値があるのだと従者が言ってた。


 良し悪しがわからないダンには、ただの枯れ木の絵でしかないそれをじっと見つめながら言った。


「見られている気がする、なんて時は、大抵が気のせいですが、今はどちらでしょうね」


 隙間風でも吹いたのか、絵が揺れて音が鳴る。


 職人の感覚は鋭いと聞くしな。


 ダンの言葉を冗談と受け取ったのか、リコウは複雑そうに頬を緩めた。


 バシャバシャと激しい水音に、人の気配を感じ取る。

 背後の扉が開いて振り返ると、逆光の中に現れた大きな人影が横に避け、その陰からまた一人、姿を現す。

 微笑んでいるわけでもないのに、どうしてか穏やかに見える御隠居は、椅子に座るリコウに目を細めた。


「君との付き合いは短くないはずなのに、初めましてというのも不思議なものだ」



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