47 貸し借り
人の文を盗み見るつもりはなく、すぐに視線を逸らしたが、見てしまったものを忘れるのは難しい。
記憶に焼きついた光景は、次第に全体の文章まで鮮明になり、ダンの頭は勝手に内容を理解してしまう。
文には、絵札がリコウの名で世に出ていることから始まり、そこに施された細工の詳細についてと、それを作った人物の過去のようなものが記されていた。
模写することだけに秀でた才能を持ったが故に、欲深い連中の餌食となってしまった哀れな男。
逃亡の末、出会った絵師の元で厄介になるが運悪く連中と再会し、絵師を巻き込んでしまった自責の念から連中の要求を呑んだ。
理解できない選択、とも言い難い。
彼にとっては、それが自分の持てる選択の中で最善のものであったのだろう。
そして、おのずと先日の男達の会話が結びついていく。
あの軟弱男。
怯えた様子からも、何かあるのではと思っていたが、やはり脅されているらしい。
まさか、元々リコウと関係があった人物だったとは思わなかったが。
二人を追い回していた連中もいうのも、あの坊ちゃん達と関係がありそうだ。
新しい情報を整理していくと、時系列におかしな点がいくつかあることに気がついた。
使いを頼まれたのは、店で男達の会話と顔を確認した翌日。
そんな短時間で人ひとりの情報を調べられるはずもなく、ましてや、逃げ回っているリコウの居場所まで調べ上げることなど不可能だろう。
御隠居と絵合わせをして、絵札の細工について従者に話したのがひと月ほど前のこと。
もし、その時既に調べを進めていたと仮定すれば、あの御隠居なら十分可能だ。
先日の仕事の時には、ある程度の検討はついていて、あれは最終確認だったと思えば腑に落ちる。
「全部知ってて、こんな面倒なことを……」
わざわざ、この事実をリコウに伝えて何がしたいのか。
おおかたの事情を理解し、思考を巡らせるダンの隣で、俯くリコウは酷く混乱して表情を曇らせていた。
「その様子だと、本当にご存知なかったのですね」
ダンの言葉にリコウは押し黙り、文ごと強く拳を握り締めた。
「俺の名を語って偽作を流すなんて、そんなことできるのか……?」
押し出されるような潰れた声で、リコウは言う。
拾い集めた絵札を指先で弄っていたダンは、その出来栄えを確かめるように一枚を目線の高さまで持ち上げた。
塒巻く深緑の蛇。
その縁を指先でなぞってみるが、以前、いかさまするために付けた印がない。
あの時使ったものとは、また別で用意された絵札のようだ。
しかし、深緑の蛇は、あの時の蛇と全く同じだった。
色の濃淡、僅かな滲み、曲線のうねり方、筆の掠れ具合まで同じとなると、驚きを超えて不気味に思えてくる。
以前使った絵札と、今回届けた絵札は、どちらも一つの真作を真似て描かれたものだとして、どれだけ同じように描いたとしても、多少の差異はあるものではないのか。
違いを探す方が難しいほど、そっくりなものを作ってしまう才能。
絵札をリコウに渡す。
「貴方でさえ、ご自身の絵だと言うほどです。それだけ精巧に真似されては、疑う者すらいませんよ」
ダン自身、店で男達の会話を知る前は、作者が違うなどとは微塵も考えなかった。
それだけじゃない。
今だって、いかさまで印をつけていなかったら、別物とも気づかなかっただろう。
「それに今は追っ手から逃げている状態、例えば、仲介人と偽って絵を卸したとしても、それを否定する本人いないのです。……実際、今まで贋作が出回っていることすら、貴方は知らなかったようですしね」
軟弱男を手に入れてもなお、リコウの居場所を探している連中の目的は、二つ考えられる。
一つは、リコウに偽作の存在を知られないため。
本人が出てきて、自分のものではないと否定されれば、全てが明るみになってしまう、それを危惧してのことだ。
もう一つは、リコウ本人も手に入れようとしているのだろう。
偽作ばかり出回れば、そのうち不審に思われる。
そうならないためにも、新たな真作の存在は必要不可欠だ。
文によれば、軟弱男は模写はできても新しく何かを描き出すことはできないらしく、連中にとってリコウ本人にも描いてもらうしかない。
本人は借金があると言っていたし、軟弱男の事だって、脅す材料になる。
軟弱男を手に入れた時のように、リコウを言いなりにすれば連中は全てを手に入れられる事だろう。
ただし、結局どちらも想像の域を出ないもの。
リコウに言っても、余計に不安を煽るだけだろう。
その本人はというと、先程からずっと何かを考え込んでいる。
「贋作……。一度だけ無理矢理あいつに描かせたことがあったが、子供のいたずら描きのような絵だったぞ」
子供のいたずら書き、ね。
「それ自体が偽作だったということでしょう」
近所の子供の絵でも真似すればいいことだ。
そうまでして、リコウにも能力を隠したがったのは、おそらく彼を巻き込みたくなかったかも知れない。
だから一緒に逃げ続けるより、自分ひとりで背負うことを選んだ。
とは言え、リコウの現状を知れば、後悔することだろう。
結局どちらをとっても、同じような結果にしかならない、遅いか早いかだけの違いだ。
リコウは、絵札の裏面に触れて凹凸を確かめている。
「本当に、これを人の手で描いたってのかよ」
常識的に考えればそうかも知れないが、偽作自体が常識外の代物なのだから、異常としか言えないこの細工もなんら不思議には思わない。
「一枚一枚に模様か……こりゃ一苦労だ」
リコウは子供のような笑みを浮かべ、偽作のことなど忘れたかのように細工の出来に賞賛している。
「そうか、あいつ、こんな凄いことができたんだな」
ぽつりと落とされた声色は、なぜか嬉しそうだった。
しばらく絵札を見つめたあと、飛びかかる勢いで立ち上がり、驚いて上体を退け反らせるダンの肩を引き寄せる。
「頼む、俺をチェン様に会わせてくれ」
「会わせろって……まさか、お会いになった事がないのですか?」
「ない」
知っていたが、あの御隠居の交流関係は本当によくわからない。
華店の下働きは屋敷に呼びつけ付けるのに、長い付き合いの絵師には使いを送るだけ。
「会ってどうするというのです」
ダンの問いに、リコウは間髪入れずに答える。
「頼みたいことがある」
真っ直ぐ訴えてくる視線を受け、ダンは目を細めた。
「私は一時的に金で雇われている身です、指示されていないことはできかねます」
書き付けの場所に行き、荷物を渡す。
それが今回の仕事内容であり、仕事中に勝手な行動をしてはいけない。
と、理屈っぽい言い訳をしてみたダンだが、肩を落とすリコウに提案をする。
「ですが、貴方が私を案内人として雇ってくださるのなら話は別です」
御隠居とダンの間に、何か決まった約束事はない。
ただ説明のつかない相手なだけに、普段は誤魔化すことの方が多いが、こうした申し出があった場合はまた別だ。
依頼人を連れてくることに関しても、御隠居の許可も出ているので、新たに雇い主と雇い人の関係になる必要は全くなかったりする。
「雇うったって、今の俺に払えるもんは……」
「はあ……そんな外道に見えますか?」
心外だと、ため息を吐く。
取り立てに追われ、家も財産も失った相手から、なにも今すぐ対価を要求したりしない。
「難しく考えないでください、貸しとでも思ってもらえれば」
とても便利で、そして恐ろしい言葉だと思う。
「なるほど、借りは返さないとな。俺に出来ることならなんでも言ってくれ」
いそいそと少ない荷物をまとめ始めたリコウの姿を、戸口の柱にもたれ掛かりながら眺める。
「期待していますよ」
不用意に言質を与えるリコウに、多少呆れるものの、本心としては思いがけない幸運に満悦していた。
道案内の駄賃代わりなんて、本来ならもったいない申し出だ。
ダンは外道ではないが、だからといって、善良なお人好しなどでもなかった。
「では行きましょうか、貴方を追っている連中に出会す前にこの町を出ます」
基本的に仕事は真面目にこなすダンなので、その辺のことも忘れない。
「馬、なのか」
「どうされました?」
「あまり経験がない……」
言葉の通り、慣れていないようで、馬の背に乗るのにも一苦労だった。
聞けば軟弱男と一緒に逃げていた間は馬を使っていたが、逸れてからは己の足だけで逃げおおせていたと言う。
そして、揺れるたびに身体を落としそうになるものだから、屋敷に着くまでかなり時間がかかるかもしれない。




