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43 偶然



 馬を走らせてどれくらい経ったか、日が傾いて辺りが暗くなってくると、見える景色も変わってきた。

 進むにつれ道は整備され、畑と田んぼだけだったのが民家や商店、出歩く人々が増えてくる。

 人々の活動は日没が近づくにつれ減っていくが、栄えている場所ほどその時間が遅くなっていくものだ。


 通りすがりの御仁に聞けば、ここを過ぎるとまた畑ばかりの景色が続き、宿はないと言う。

 運良く使われていない納屋を見つけても、人の気配のない場所で、馬も一緒となれば、飢えた獣に襲われる可能性もある。


 宿を探すため、馬を降りて、賑わう人々の間を行く。


 この馬を預けるなら、少し良いところにしよう。


 獣の餌にされることもだが、安い宿屋を選んで馬泥棒にでも狙われたら、あの従者になんて言われるか。

 美味そうと言った時の慌てぶりを見れば、大切にしていると見て取れる。

 人に慣れている分、馬の扱いに心得がある相手には大人しく従ってしまうのではないか。

 そんな不安を消すための見張りの意味でも、厩で寝る理由にはなった。


「疲れたか?」


 鼻梁を撫でると、もっととねだるように頭を下げてくるので、気持ちのいい所を探してやる。

 早く休める所を探そうと、道行く人に聞きながら厩のある宿を探した。


 宿といってもさまざまで、食事や風呂の世話までしてくれるような宿もあれば、寝具だけという貧相な部屋を貸すだけの場所もある。

 馬もいる分、当然それに見合った料金を要求されるが、雨風を凌げればそれでいいダンにとって、馬を預けたついでに厩の隅で休めれば、それでよかった。


 お偉方の使用人も部屋が足りず、厩や納屋で寝泊まりすることも珍しくなく、ならばそれを希望しても問題ないはずだ。

 しかしその考えは、すぐに間違っていたと気付かされた。


 ダンの希望を聞いた宿屋の主人は、呆気にとられたかのように、眉を上げる。


「厩に、かい?」


「はい、ご迷惑でしょうか」


「いや、迷惑ってわけじゃないんだが……」


 困ったように視線を逸らされて、ここも無理そうだと悟る。


 宿を探してから、ここで三軒目。

 どこの宿屋もいい顔をせず、可能かどうかの確認をしただけなのに「部屋を借りないなら他所をあたってくれ」と追い出されていた。


 決して金が足りないと言うわけではなく、むしろ部屋を借りるだけにしては十分すぎる額が荷物と一緒に入っていた。

 それでも、無駄遣いしないに越したことはないと思っていたが、宿に迷惑をかけてまで節約する必要もない。


 それに、馬糞の臭いがする使いが来ても、それこそ向こうは迷惑か。


「では、一番小さい部屋をお願いできますか?」


 困り顔が一瞬で商売人の顔になり、店主は簡単に食事や風呂の有無の確認を始めた。

 その後案内された部屋は、注文通りこの店で一番小さいものだったが、いつも寝起きしている物置のような部屋に慣れているせいか、どこか不安な気持ちになってくる。


「こんなに、立派な部屋をお借りしてよろしいのですか?」


「はい、存分にお寛ぎください」


 重ねた菰に布をかけただけの安宿とは違い、寝具が一式揃っている。

 なんて贅沢な寝床だろう、と、吸い込まれるように寝台へと向かう。

 長時間の乗馬で疲れていたこともあってか、いつも以上に瞼が重く、ふらつきながら重い腰を引きずるようにして歩いた。

 横になると視界が霞み、その後からの記憶がなくなっていた。



 **



 翌朝、宿屋の中に設けられた飯屋に向かえば、すでに何組かの客が食事をしており、ダンもそこに加わって食事をいただく。

 宿泊客以外の利用もできるらしく、随分と盛況だ。

 客同士の距離が近いせいか、後ろの席に座る男たちの会話が勝手に耳に入ってきた。


 その内容は、近くの畑が害獣の被害に遭っているらしく、収穫に影響が出そうだと嘆いていた。

 しかも今までに、何度も荷運び人が獣に襲われているという。

 宿代を惜しんで納屋で寝ていれば、今頃獣たちの腹の中に収まっていたかもしれない。


 そんな話を聞きながら、野菜の湯菜を啜っていると、空いていた隣の席に男が腰掛けた。


「失礼する」


「はあ、どうぞ」


 相席などよくあることなので、返事だけして、気にせず食事を続けるようと匙を持っても、口まで運ぶ事ができない。

 今しがた、隣に座った男のいる方から向けられる視線が気になって、食事に集中できないのだ。


 何か因縁をつけられるようなことをした覚えはないけどな。


 無視が一番だと分かっていても、こんな至近距離で視線を受け続けるのも耐え難い。

 食事も満足にできない状況に、せめて本当に見ているのか確認だけでもしようか迷っていると、男の方から声をかけてきた。


「薄情な奴だ」


 今まで何度言われてきたであろうその言葉に、思わず反応して向きなおると、不機嫌な顔をした男と視線が交わる。


「どちら様ですか、だろ?」


 肘をついた男は、言い当ててやったと言わんばかりに得意げだ。

 そう尋ねるのは至極当然のようにも思えるが、この場合、正解ではないのだろう。


 ダンは少しの間考え、わざとらしく小首を傾げる。


「なぜ、そのような事をおっしゃるんですか?」


 そう返せば男は驚いた様子を見せ、ただでさえ近い距離を縮めてきた。

 顔が歪みそうになるのをなんとか我慢して、精一杯の愛想笑いを張り付ける。


「何度かお会いしておりますよね?」


「そうだ!」


 表情を明るくした男は、跳ねた声を上げる。


 正直なところ、目の前のこの男が何者なのか、全く見当がついない。

 長年の経験から、面識がある()()()相手には、馬鹿正直に素性を尋ねるより、知っている体で話を進めるに限る。


「すまない、薬屋があんなことを言うもんだから、お前のことを誤解していたようだ」


「いいえ、構いません」


 薬屋? なにかあったかな。


 匙で掬った湯菜が流れ込むように、その言葉を自分の中に落とし込む。


 曖昧な内容の会話で、勝手に都合よく解釈してもらう方が面倒にならず、時に相手の方から情報をくれることだってある。

 情報は限定的なほど、思い出す手助けになるもの。

 薬屋となれば、候補はひとつだけ。

 そこで起きた事、薬の買い付け以外の数少ない出来事の中から、目の前の男の事を思い出すのは、そう難しくなかった。


 あの時大量に買っていった、解熱剤や鎮痛剤などの使い道はなんだったのか、少し気になるところではあるが、今はそれどころではない。

 ダンの記憶違いでなければ、男はあの中官の部下だ。

 都から離れたこの場所で、同じ日、同じ宿に泊まるなんて不幸な偶然だろうか。


 お偉方とは、極力関わり合いになりたくないのだ。

 御隠居のように名すら知らず、お互いの利害だけの関係ならまだいいものの、この男もあの中官も、主張が激しく無駄に絡んできて困る。

 特に、あの中官に至っては、窺いながら一歩踏み込んで少し下がりを繰り返し、その煩わしいことといったら、意識的に避けようと思ってしまうほど。

 それは御隠居の比ではない。


「お前はいつも妙な場所に現れる。今はなんだ、里帰りか?」


「いいえ、ただの使いです。そういう武か……」


「シユだ」


 声を顰めて、名を告げる。

 その唇に添えられた人差し指が、武官と呼ぼうとしたダンの言葉を遮った。

 深く考えなくても、ここでその呼び方をされると都合が悪いのだということは明らかだ。


「シユ様はどのようなご用事で?」


「地方の視察だ。実際に行ってみないと、わからないこともある」


 書面では記されていないこと、把握しきれないことはいくらでもある。

 ただシユにしてみれば、なぜ自分が、という疑問と少しの不満はある。

 それでも任務である以上は完璧にこなす、それがあの方の為にもなるのだから。


「仕事熱心なことで」


 いきなり熱意を瞳に宿したシユに、ダンは冷めた一瞥を投げる。


「なに、責務を果たしているだけだ、それに、あの方の為なら俺は死んだって構わない」


 ひくっ、と顔が引き攣った。


 急にどうした。


 死んでもいいと、話すシユの、どこか陶酔した表情を見れば、本心からそう思っているのだとわかった。

 偉く素直で、立派な自己犠牲精神の持ち主だ、と感心すると同時に、哀れに思う。

 死の選択が利となる場合なんて、ほんの僅かだというのに。


 どれだけ役に立ちたいと思っていても、死んでしまえばそこで終わり。

 二度と、その人の為になにもできなくなる事を考えれば、ダンは出来るだけ死なない選択をする。


「シユ様がそう思うなら、本当に素晴らしい方なのですね」


 考え方の違う他人、生き方の違う他人に、わざわざ自身の考えを解こうとは思わない。

 いつ死のうが、本人の勝手だ。


 適当に話を合わせてシユから視線を外し、食事をするから話は終わりだとういう意味を込めて、匙を持ち上げる。


「お前にもすぐわかるさ」


 無邪気に笑うシユを横目に、苦手な相手が出てきたな、とダンは無意識に眉を寄せた。



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