42 呼び出し
女装をして従者と仕事をした翌日。
「用があるなら一度に済ましてくれないかな」
いつものように額に浮かんだ汗を拭い、都の外れにある屋敷の門前で、ダンはため息と共にぼやきを漏らした。
今日は起きてからというもの、散々な事が立て続けに起こったせいで、気力、体力ともに既に限界に差し掛かっている。
まず、朝早くに叩き起こされて連れて行かれた裏口で、これでもかと積まれた酒の山を見て愕然とした。
明らか一回分にしては多過ぎる注文数。
最近は発注をホンファに任せていたが、彼女自身は適切な量を注文したと主張し、酒屋は注文通りだと主張する。両者の意見が全く違うことで一悶着。
ダンにしてみればどちらの主張が正しいかはどうでもよく、無理矢理起こされた挙句に他人の揉め事を見守るだけの今の状況に、ただただうんざりしていた。
結果向こうの不手際だとわかり、これで終わったと安堵したのも束の間。
今度はホンファによる値切り交渉が始まり、強く出れない酒屋を言い負かして、ほぼ半値で全部買い取ってしまったのだ。
「持って帰って貰えば、整理するのも楽になりませんか?」
ダンの一言に、ホンファがため息を落とし、何も分かっていないと何故か呆れられた。
なんとか酒を片付けて一通り仕事が終わり、一息入れようと準備していると、今度は客を取られたと怒り狂った女が大暴れして、怪我人まで出る始末。
その手当てやら、片付けやらにダンは引っ張り出された。
かなりの上客だったらしく、横取りした相手を血眼で探し回ってるらしかった。
その惨憺たる形相にある種の恐怖を覚え、昨夜起きたことを思えば、探しているのはおそらく女装したダンだと予想がつく。
ダンが出て行っても事をややこしくするだけなので、巻き込まれた怪我人には申し訳なく思いながらも、特に口出しせずに片付ける手だけを動かした。
極め付けは、いつもの仕事に取り掛かろうとするダンをタンバが呼び止め、昨夜蹴り飛ばした酔っ払いがかなりのお偉方だった話をした。
何より問題だったのが、その客が自分の相手をした華女を探しているということ。
厳密には自分を床に誘い、押し倒した華女。
酒のせいで記憶は朧げだったため、はっきりした容姿は覚えていないらしいが、部屋が違うことで酒の相手をした華女とは別人だと思われたようだった。
昨夜のとこはまだ誰にも話していない、けれど、タンバには当然気付かれているらしかった。
「あの方を前に逃げ出して、せっかくの機会を無駄にするなんて、一体誰なんだろうねえ?」
嘘でもそれらしい状況を演出する、そう教育したはずだ。そう言わんばかりのタンバの視線が刺さって痛い。
確かに、実際覚えている事も不鮮明で、上手くいなせば都合のいい勘違いをしてくれただろう。
だって、相手が何者かなんて知らなかったんだから、仕方ない。
言い訳一つ、口にできずにいると、タンバがため息を落とす。
「今更あんたを出すわけにもいかないしね……ただ」
そこから始まった説教と、ついでと言わんばかりに聞かされた愚痴に付き合った結果、僅かな時間でダンの疲労は溜まりに溜まっていた。
やっと解放されたかと思えば、追い討ちに御隠居からの呼び出しだ。
もともと乗り気じゃない仕事だからか、やる気が全く出てこない。
帰りたい気持ちを抑えて門を叩けば、潜り戸から従者が顔を出しす。
「よう、久しぶり」
白々しい挨拶にダンは軽く会釈で返し、屋敷の中に入った。
昨日のような仕事を請け負っていてなんだが、実のところ、ダンが御隠居について知っている事はごく僅か。
かなりの地位と権力を持っていて、明らかに只者ではない男。所詮その程度の、誰にでも容易に想像できる範囲での認識でしかない。
よくわからない仕事ばかり依頼され、本来なら関わることを避けるべき相手だと思う。
それでも、ダンの意思とは関係なく、御隠居と呼ばれる男に気に入られている現状は決して悪いことではなかった。
御隠居は金で自由に動かせる駒として、ダンは常識外の大金を落とす上客として。見方を変えれば、互いに利用し合える良き関係と言える。
その為に女装して街を歩き、塵のように踏みつけにされようと、結果死ななければ何でもする。
そんなことを考えながら、前を行く従者の背を追っていると、いつもの離れではなく、別の場所に向かっているのだと気が付いた。
「一体、今日はなんの用ですか?」
少しだけ歩く速度を早めて横に並び、表情を確認しながら返事を待つ。
すると、従者は少し頬を緩め、細めた目でこちらを見た。
「さあ? 俺は何も知らない」
言葉と表情が合っていないと、わかっているのだろうか。
もし、わかってやっているのだったら、尚更タチが悪い。
もうどういいやと思っていると、ふと従者が立ち止まる。
軽く握った拳を口に当て、何か考えている様子の従者を、ダンは少し先で待った。
「一つ確認なんだが、お前、馬には乗れたよな?」
ダンは首を傾げた。
「乗れますけど、こっちに来てからはほとんど乗ってませんよ」
昔あの人と色々な国を旅していたときは、馬に乗って移動するのも当たり前だったが、今となっては馬に乗る必要もないため、感覚を覚えているかもわからない。
「よし、問題ない」
確認を終えた従者はまた、すたすたとダンの先を行く。
訳のわからないやり取りに、怪訝な表情を浮かべながらその後を追った。
「ほら着いたぞ」
そこは門から見て屋敷の反対側。
塀の側に馬が一頭繋いであり、その背に荷を乗せていた。
見覚えのある美しい毛艶は、以前心の底から旨そうだと思ったほど。
その時の気持ちを思い出した事が従者にもわかったのか、隣から鋭い視線が向けられた。
「ちょっとしたお使いを頼みたい、この紙に書いてある場所に行って荷物を渡してくれるだけでいい」
渡されたら書き付けに気を取られていると、いつの間にか足が地面から離れていた。
従者は軽々とダンの体を持ち上げて馬に乗せ、そのまま手綱を引いて裏門らしき所に連れていく。
「あの」
「今日中には着かないから途中で宿を取れよ、金と途中で食べる飯は荷物の中に一緒に入ってる」
食用として見ていたのがそんなに気に障ったのか、話す間も与えてくれないらしい。
「こいつは慣れてるから夜道も進めるが、頃合いでちゃんと休め」
話を聞きながら、さっきの確認はこの為かとやっと思考が追いついてきたところで、気になる事が一つ。
「誰の使いですか?」
いつのもやり方でいいのなら別に聞く必要はないが、わざわざダンを行かせることに理由があるとすれば聞いておく方がいい。
少し前に豪商人の屋敷を訪れた時は、案内人がいるならと省いていた。しかし、今回は一人だ。
「チェンの使いと言えば伝わるはずだ」
「わかりました」
そう短く返事をして、ダンは手綱を握った。




