40 本題と問題
内容変わりました
坊ちゃんが合流したことで、部屋には華女三人を含めた六人が集まった。
あの部屋にいる華女達は見るからに新米で、見ていて心配になるほど手つきが辿々しい。
ただ、不慣れというよりは、あの中の雰囲気に気圧されているようにみえる。
坊ちゃんが来てからというもの、会話すらなく向かい合っている。先程まで強面の大男が一人で騒いでいただけだとしても、酌もできない今の状況に比べたらまだましだっただろう。
そんなことより、あの怯えようはなんだ?
やはり、ダンが気になるのは軟弱男。
最初から何かに怯えてる様子はあったものの、強面の男と二人の時よりも坊ちゃんが来てからの方が怯えぶりが酷い。
『いや流石だな、酒も料理も美味い。あんたも澄ましてないで一杯いったらどうだ?』
かなりの酒を煽っていたにしては様子の変わらない大男が華女に酌をするように促し、やっと仕事ができると他の華女達も動き始めた。
酒を煽り、大声で騒ぎ立てる。
軟弱男も巻き込まれて、首まで真っ赤に染めていた。
好き勝手やっているようでいて、ダンにはあの大男が自ら道化を演じているように思えてならない。
見た目で判断したつもりはないが、意外と気の回る男らしい。
軟弱男に酒をすすめていたのも、いささか強引だったが、緊張をほぐそうとしたのだろうか。
その向かいにいる澄まし顔の坊ちゃんはというと、酒の注がれた杯に口を付けることなく、隣で相手をしている華女を突き飛ばした。
『離れろ、不愉快だ』
顔を上げた華女は困惑の表情を浮かべ、いまいち状況が理解できていない。
当たり前だろう。真面目に仕事をしていただけで、彼女は何一つ粗相はしていなかった。
問題があるとしたら、それは坊ちゃんの方にある。
『まだいい方だと聞いていたのにな、品性のかけらもない。所詮は塵溜め、この程度か』
倒れた華女を見下ろしてそう言い放ち、他の華女達も一緒に部屋を追い出した。
坊ちゃんがこの店にどんな印象を持とうが勝手だ。それでも、数年この街に身を置いた者としては見ていて気分のいい会話ではない。
「そんなに強く掴むなよ、痛いだろ」
無意識のうちに従者の腕に爪を立てていたようだ。
「お前が来る前の話だ、気にするなって」
整えた髪が乱れないように、従者の手のひらが後頭部を上下する。
まるで女を宥めるような手付きのせいで、また爪を立てそうになるが我慢しよう。
「気にしてません、不愉快なだけです」
「十分気にしてるだろ……」
頭上からまだ何か聞こえてくるが、気にせず自分の仕事に集中する。
向かいの部屋では、今までの澄ました顔がどこへ行ったのか、悪い笑みを浮かべた坊ちゃんが杯を掲げていた。
『これで邪魔者はいなくなった、さあ、楽しもうじゃないか』
言いがかりをつけて追い出すくらいなら、最初からこんな所に来なければいい。
『別に追い出さなくても、男だけで飲んで何が楽しんだか』
不満を漏らした大男に坊ちゃんが酒を差し出す。
『そう言わないでくれ、僕が来るまで楽しんだだろ』
『人目があるからってんで花街は諦めたのに、ここでもお預けなんて酷えもんだ』
人目を気にしていながら、人の集まる店を選んでいるのはどうしてか。
内緒話をするのにこういう場所を選ぶのは間違っていないが、それは伝手があればの話。
余所者というだけでも目立つのに、さっきのこともある、全てが裏目に出ているではないか。
既に目を付けられていれば、隠すこと自体に意味はない。
少し前まで受けていた扱いはまだ記憶に新しく、過去の辛酸を忘れていない。とは言え、必要最低限以上の生活ができるようになった今では、大都市のお零れに預かっていることもあり、この街も都とは友好的な関係を保っている。
だからこうして、協力をしているわけだが。
店側は部屋を貸しただけで、表向きそれ以上は何もしない。
仕事として依頼を受けたのはダン個人であって、あくまで店は無関係なのだ。
それにしても、他人の会話を盗み見ることにも飽きてきた。
興味のない話を延々と代弁していくのにも、かなりの労力を要する。
このまま従者が望むものが得られなければ、ただの骨折り損。そうなることだけは、どうかやめて欲しい。
『今日は遊ぶ為に呼んだんじゃない、彼と仕事の話をする為だ』
いきなり話を振られて、それまでずっと下を向いていた軟弱男が大きく肩を震わせる。
『僕は感謝しているんだ、君は本当にいい仕事をしてくれた。文句のつけようもないくらい完璧』
やっと本題に移ったらしく、ダン伝手に話を聞いていた従者が前のめりになる。
『俺は、別に、何も』
さっきは強い酒に首まで赤く色付いていたのに、一瞬で病人かと勘違いしそうな程に蒼白くなり、より弱々しく見える男。
坊ちゃんとは決して目を合わせずに、ずっと下を向いているせいで口元がよく見えない。
そもそも、向かいの部屋からではなく、隣の部屋で聞き耳を立てれば簡単だっただろうに。
こんな回りくどいことやり方を選ぶなんて、嫌がらせなのではないだろうか。
『あそこまで精巧なものを作るためなら、手間も時間もいくらでも費やせる』
『いえ、すいません』
あの二人の様子の違いようはなんだろう。
会話も噛み合っているようには見えないし、絶賛しているようでどこか含みのある言い回しも気になる。
それに気付いているのか、軟弱男も謝るばかりだ。
『ただ今のままでは生産に余裕がない、それにあの細工を覚えるのはかなり厄介だ、そうだろ?』
『はい、ですが』
『そこで提案なんだが、もう少し精度を落とすか、作業工程を減らせないだろうか。あるいは誰でも一定基準のものを作れるようにする、そうすれば君に別の仕事を頼めるんだ』
『待ってください』
それまで俯くだけだった軟弱男が、身を乗り出す勢いで立ち上がった。
『前にも言いましたが、俺にできるのは……っ』
その続きは彼の口から出てこない。
一気に血の気が引いた彼の顔を見れば、何かが坊ちゃんの逆鱗に触れたらしい。
『どうやら君は完璧を求めているようだが、我々が求めているものは安定だ。一定の条件さえ満たしていれば』
『けどよう』
それまで静かだった大男が、蕩蕩と語る坊ちゃんを遮った。
『あれを真似するなんてこと、こいつ以外にできんのか?』
『それをできるようにするんだよ』
さっきまでまったく興味ないと言った態度だったのに、急に態度が変わった。
まるで軟弱男を庇っているかのようだ。
『あの絵札だから意味があるって、あんたも言ってたじゃねえか、もし他にやらせるとして、なんの技術も持たねえ奴等にどこまでできる』
人というのは、自分の意見を正論で否定される不快な気分になる。
素直に聞き入れられる人もそういないだろう。
あの坊ちゃんは自分の思い通りにならないことが大層お気に召さないらしい。
表情は言うなれば無だった。
顔の筋肉が全て麻痺したかのように動きを止め、まるで目は死んだ魚のよう。
昔、同じような言い回しをされたことがあったが、あの坊ちゃんのような不気味な顔だったのだと思うと、ものすごく嫌だ。
それから同じような会話が続き、結局のところ大男の主張が正しいことは傍目にもわかる。
口では勝てないと悟ったのか、乱暴に杯を置いた坊ちゃんは立ち上がり軟弱男の眼前まで詰め寄った。
『何を言おうとやってもらう、君も恩人には迷惑かけたくないだろ?』
その続きはよく見えない。
ただ、少しずつ戻りかけていた顔色が、また病人のように青白く変わっていた。
今までの会話で出た、『厄介な細工』や『絵札』という言葉に、ダンには思い当たるものが一つある。
御隠居の屋敷で見た、細工の施された絵札だ。
話から察するに、その絵札を作ったのがあの軟弱男なのだろう。
軟弱男が細工絵札をつくり、それを大男が所有している賭博店に卸す。それを指示しているのが坊ちゃんだと言うことにすると、三人の関係性がしっくりくる。
しかし、大男は真似と言ったが、あの軟弱男は御隠居が贔屓にしている絵師ではないのか。
別人が描いていたとは思わなかったダンは、あれが偽作だったことに少し驚いていた。
そして、それも気になるが、もう一つ気になることがある。
会話が知りたいなら隣の部屋で盗み聞きすればいいというのに、こんな面倒なやり方を選んでまで知りたかったことが他にあるのではないか。
わざわざ向かいの部屋を用意した理由はなんだ。
会話を知るだけでは不十分だということ。聞くではなく、見る。
ん? 見る?
「顔を確認するため……」
案外、単純な事なのかもしれない。
「ああ、あいつらも馬鹿じゃないのか、囮を何人も用意している」
知りたかったのは会話の内容もだろうが、そこに誰がいるのかが知りたかったわけだ。
店側も協力できることに限りがあるため、客の詳細情報を教えるわけにもいかない。
普段しない事をすると粗が出る。協力者を危険に晒さないためにも、実際に動くのは従者やダンのようなごく一部。
「まあ、あの様子じゃ本命だろ、この店だったのは幸運だ」
一つ疑問が消えたと思えば、また別の疑問が生まれてきた。
馬鹿ではないというが、ならなぜここを選び、不用意にも華女達を追い出して目立つような事をする。
囮まで用意しておきながら、その行動には危機感も慎重さもない。
あの坊ちゃんがそこまで考えているようにも思えないし、あの大男が考えた可能性もあるが、だとしたらあのまま放っておくのはおかしい。
残る可能性は、別の誰かがあの坊ちゃん達に知恵を授けた。
「本命でも、結局のところ、変えのきく道具でしょう」
言うなれば、あの坊ちゃん達は餌なのだ。
別の誰かについての情報はなかった。
その人物に一つ誤算があったとしたら、軟弱男を簡単に表に出したあの坊ちゃんの浅はかさだろう。
「流石だな、あの人が欲しがるわけだ」
嬉しくない褒め言葉に顔を歪めながら、従者の胸から抜け出す。
気分を悪くした坊ちゃんが部屋を出た後、残る二人も別々に部屋を後にした。
つまりこれ以上続ける意味がない。
精神的な疲労は別の何かで相殺してしまえば気にならないタチなので、さっさと自分の部屋に戻り、読書作業に勤しみたいのだ。
「もっとゆっくりしていけばいいだろ」
あの役人もこの従者も、どうしてみんな仕事をさせてくれない。
「仕事がありますから」
「せっかく、席の料理を用意してやったのにな」
出入り口に向かっていたダンの足がぴたりと止まる。
欲望のほとんどが食欲に傾いているダンにとって、質より量であることに変わりない。それでも味覚は人並みにあるので、旨いものにはそそられる。
数年前、不幸なことにそれを口にする機会は訪れず、華女達の話を聞いて興味だけが募る日々。
そして今日、ダンの目の前に並んだ料理たち。
空腹だったダンの胃袋に、一瞬にして全てが収まった。
「ごちそうさまでした」
量はいささか物足りないが、聞いていた通りの旨さに満足感は充分だった。




