27 当主と息子
短い。
「そう言えば、あの靴は一体なんだったんだろな」
部下達に当主が連れて行かれた後、トキが小さく漏らした。
ダンは視線がこちらに向けられていることに気づいているが、知らないふりをしている。
ただ、ダンも同じで気になっていた。だから、機会を見て理由を聞きたいのだが、トキが話しかけてくるせいで話す機会がない。
ここまであからさまな無視をされても、トキは気にする様子はない。犯人が捕まった今、それほど重視するものでもなくなった。
部屋にはトキとダン、当主の息子の三人だけ。目の前で父親が捕まったというのに、息子はこれと言った動揺も見せず、どこか安心しているようにも見える。
調査書類には、当主が家の者に手を上げていると書かれていた。耐え兼ねた嫁は実家に逃げ、息子はこの屋敷に残った。
青白い顔をした息子は、細長い身体を器用に丸めて当主の暴力に耐えていた。そのせいなのかはわからないが、彼の背中は猫背というよりも老人のように曲がっている。
トキも同じ痛みを味わい、あれが日常的に行われていたと思うと、少しばかり同情もした。
そんな中、ダンは先ほどからずっと息子の足元を気にしている。裾に隠れてよく見えないが、動きからして足でふくらはぎをかいているように思えた。
「兵が来ました」
証拠の絨毯や陶器の破片を兵達が持ち帰っている間、ダンと息子は部屋の外に移動する。
ダンは背後から息子の耳元に顔を寄せる。
「足、随分と痒そうですね」
至近距離で息がかかったのか、耳を押さえて大袈裟に振り返る。
「え? ああ、五日ほど前から急に」
「あの草は人によって触れるとかぶれますからね、良い薬屋、ご紹介しましょうか?」
「……」
父親とは違い、不器用な愛想笑いを浮かべていた息子の表情が一瞬で曇る。
「花街近くの通りに生えている草です、都ではあそこにしか生えていない」
それだけ言えば、なにを聞かれているのかわかったらしく、着いてこいと視線で訴えてくる。
ここで話せばいいのに。
わざわざ場所を変える話でもないと思うのだが、既に息子は回路の先にいる。諦めて後を追い、二人は少し離れた息子の部屋に移動した。
当主に踏みつけにされた際、妙に足を気にするので見てみたら、息子の足首からふくらはぎにかけて酷くかぶれていた。
最初こそ気にしていなかったが、花街近く住む知り合いの飾り師が、よくかぶれていたことをなんとなく思い出した。
極端に肌の弱い人は、ある植物に触れただけでかぶれや炎症を起こすことがあると、師も言っていた。
その飾り師から聞いた話では、花街近くのあの路地に生えている植物が、かぶれの原因であった。触れたら少なくても五日は痒みが治らないと、飾り師はよく嘆いている。
飾り師と同じ場所に同じ症状が出ていれば、その理由はなんだろうか。
「実はあの日、私は父を追いかけてあの路地に行ったんだ」
そして植物に触れ、足がかぶれた。そんなことは分かっている、知りたいのはそこではない。その足を見た時は息子が犯人の可能性があったが、すぐに違うと思い直した。
肥え太った当主とは違い、息子の方は枯れ枝のように細く、そして青白い。もしかしたら何か患っているのかもしれない。
この男には、死んだ成人男性を運ぶ事は難しいように思えた。
ダンが口を開こうとすると、その前に息子が話し始める。
「あの夜、私は出来上がった品を父の届けようと部屋に行ったんだ、その時に、父が血塗れの下男を絨毯に包んでいるところを見てしまった……」
聞いてもいないことを、自分から話してくるのはなぜだろう。
唇を指で弾きながら、ダンは不思議に思った。そして、息子が次の言葉を発する前になんとか質問する。
「靴を履き替えさせた理由はなんですか?」
やっと聞けた。
ずっと喉のあたりで止まっていたものがなくなり、少しすっきりする。
最初から最後まで、あの靴の存在ははっきりしなかった。当主にはあの靴を死体に履かせる意味がなく、尋問の際も、その存在すら知らない様子だった。
だとすると、話を聞く相手は決まってくる。
ダンの質問に対し、少し間を開けてまた語り始めた。
「父を追ってあそこに着くと、父が路地の入り口で馬車を停めた。夜明けも近いあの時間、遠くからはなにをしているのかわからなかったが、その後馬車が方向を変えて屋敷に戻って行ったんだ。私はどうしてか、その路地が気になって見に行ったら、そこに……」
ダンは求めた以上の事を話されるのは、あまり好まない。一応は耳に入れながら、無意識に下唇を指で弄る。
「もしかしたら助けられると思ってたんだ、けど彼は死んでいた、抉られた彼の顔を見て思ったよ、このまま見つかれば誰ともわからない死体として処理されてしまう、だから出来上がったばかりの商品を彼に履かせた、そうすれば少しは身元を探してくれるんじゃないかって」
つまり、その品から当主の存在が浮かべば、調査の手が回る。男が使用人である事も明らかになり、疑いはより一層深まるというわけだ。
実際、手には傷があり、血が染み込んだ絨毯も見つかった。これ以上ないくらい、殺人の証拠が出てきているのだから言い逃れもできまい。
しかし、なぜそんな回りくどいことをしたのか。またしてもダンが聞く前に、息子はその答えを口にする。
「私には、父を武官や兵に突き出す度胸はない」
息子は困ったように目尻を下げる。父親とはまるで似ていないその笑い方は、自身がなく弱々しい。
罪を犯していないとしても、罪悪感はある。それを人に話すことで、いくらか楽になるのも知っている。
だったら、あの場にいた武官にでも話せばよかっただろうに。
「私も罪に問われるのだろうか?」
ダンは知ったことかと、猫背の息子を見下ろしていた。
結果的に犯人が捕まったが、武官達が当主に行き着く事がなかったら、どうするつもりだったのか。
そこまで気にはならないし、時間もないので聞くのはやめておく。今頃は、ダン達が消えたことに、武官が気づいているはずだ。
助けようとした事が事実であれば、武官達はそこまで厳しく見ないだろう。しかし、照明する術はなく、そのまま置き去りにしにした事も事実だ。
「どの道、御当主は捕まります」
随分と話が逸れたが、これでやっと当初の目的が果たせそうだと、ダンは肩の力を抜く。
途中、息子のかぶれた跡を見た時は、正直どうしようかと少し焦った。息子が捕まった場合、当主にもう一つの方の手紙を渡さないといけなくなってしまう。そうなれば、また踏みつけにされていただろう。
結果的に当主が捕まったのは、こちらとしても都合が良かった。
「そうなれば家督を継ぐのは貴方だ」
項垂れていた息子がゆっくりと顔を上げる。青白い彼の顔は今気が付いたと言わんばかりに、困惑に歪んでいた。
わかっていたはずだ。当主を務める者がいなくなれば、その後を継ぐ者が必要であると、それが自分であるということも。
「その前に、先代の遺恨は晴らしておいた方がよろしいのではないでしょうか」
いかにも御隠居が使いそうな言葉を選んでみたが、自分が使うとやはり合わない。少しだけ眉を寄せ、違和感を感じながら、ダンは宛名のない文を息子に渡す。
文にはこれまで当主が行なってきた事が詳細に記されている。加えて、その被害者についてや、証拠の存在を匂わせる内容もある。もしこれを然るべきところに渡せば、一族郎党皆殺しとまではいかなくとも、無事ではいられない。
知らなかった、関係ないで、済まされるほど世の中甘くはないらしい。
「何をどうするか、決めるのは貴方ですので」
そう言ってダンは懐から帳面を取り出すと、白紙の頁を開いて息子の前に差し出した。
「精算しますか? それとも牢屋の中に逃げますか?」
何かを失った直後の人は脆い。判断力は鈍り、また失う恐怖に呑まれていく。
僅かな光さえなければ、途端に闇の中に溶けていく。
だから縋ってしまう、求めてしまう。
目の前の光が妖光であっても、その一瞬だけは救われたいと思ってしまう。
ゆっくりと帳面をめくる息子の横顔を眺めながら、やはり御隠居だけは敵に回したくないなと、改めてダンは思っていた。
短い。




