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26 絨毯と破片

一応中華風。



 シユは目の前で苦しんでいる上官の姿を、ただ見ていることしかできないでいる。


 人に比べれば小柄な自分の身体が、武官には向かないと言われ続け、それを見返すために鍛錬にも教官のしごきにも耐えてきた。


 今では自分を認め、必要としてくれる素晴らしい上官の元で働き、一層気を引き締めて鍛錬を行ってきた。


 なのに今の自分ときたらなんだ。いざというときに守れないのなら、それはただの無能と同じだ。


 トキは腹部と口元を押さえて、地べたに蹲ったまま震えている。


 背中をさすればいいのか、身体を起こせばいいのかもわからない。こうして上官が苦しんでいる時に、何もできない自分が不甲斐なくてしょうがない。


 今ここに、頼れる相手はいない。他の武官のうち一人は暴れる当主を押さえつけ、もう一人は部外者と当主の息子についている。


 ただシユは、その光景に少し違和感を感じた。


 自分の見ていたものが正しければ、倒れているのは上官を含めて三人のはず、なのに倒れて苦しんでいるのは二人だけ。


 どう言うわけだか、一度蹴り飛ばされただけの上官や、投げ飛ばされていたただけの当主の息子より、何度も踏みつけにされていた部外者の方が平気な顔をしている。


 部外者は当主の息子の身体を起こし、武官に何かを伝えてどこかに行かせた。持っていた手拭いで息子の汚れた口元を拭い、手際よく手当てをしている。


 息子は捻ったのか、ずっと足首をさすっている。それを見るためか部外者が裾をめくると、顔を真っ赤に染めていた。


 その二人にふつふつと怒りがこみ上げてくる。


 なぜ上官よりも、その息子が優先されているのか、上官の方が苦しんでいるというのに。


 結局はただの八つ当たりだと、自分でも分かっている。


 それでも、最初から名も知らぬ、あの部外者のことは気に入らなかった。文句を言ってやろうと口を開きかけた時、部外者がこちらにやってきて、上官に触れようとする。


 その腕を掴んだ。


 正直自分一人では、何をすればいいのかなどわからない。この部外者に怪我人を手当てするための知識がある事は確かで、任せるのが一番だと言うこともわかっている。


「なんでしょうか?」


 感情の起伏を見せず、声色も変わらない。瞼に隠れた黒々しい瞳が、何を見ているのかわからないのが不気味で仕方ない。


 何より、その目で上から見下ろされるのが、一番気に入らなかった。


「な、何をすればいい」


 腕を掴む手に力が入る。


「とりあえず、水をくれ」


 その声に足元を見れば、青い顔をした上官が起き上がろうとしていた。


 シユは身体を支え、ちょうど他の武官が持ってきた水を奪い取り、トキに与える。


「大丈夫ですか?」


 見た目の体躯からは想像できないほど、戦闘力の低い上官を守るのが、シユに与えられた任であった。







「あの日、夜中にお前が一人で馬車に乗って屋敷を出る姿を、この屋敷の何人もの使用人が見ている」


「その日は商品を届けに行っておりましたので」


 先程まで乱心していたとは思えないほど落ち着いた声色の当主は、後ろ手に腕を縛られながら胡座をかいている。


「従者もつけずに、一人でか?」


「ええ、お得意様ですので、私が直々にお届けいたしました」


「その相手の名は」


「お客様についてはお答えできかねます」


 のらりくらりと躱されて、次第にトキの表情も険しくなってくる。


 その様子を後ろで眺めながら、ダンは隣に立つ部下に聞いてみた。


「屋敷全てを探し終わったんですか?」


「いえ、下男の部屋の後は倉庫のような場所といくつかの客間を、次にこの部屋を調べようとして」


 乱心した当主を見つけ、止めようと飛び出したトキは無残に蹴り飛ばされたのち、別の部下が取り押さえて今に至る。


 部下はそう説明し、腹をさすりながら当主を問い詰める上官を見た。


 当たりどころが悪かったのか、蹴られた腹がまだ痛むらしい。


「その手のさらしはなんだ」


「いえなに、野良猫に爪を立てられただけですよ」


 飄々と言ってのける当主の顔は、また無害そうな笑みが張り付いている。


 トキは当主を拘束している部下に視線を向けた。


 拘束はそのままに、手に巻かれたさらしを解き、頭を押さえ込む。少々手荒い気もするが、容疑がかかった相手に気など使わないのだろう。


 後ろ手に縛られた手が天を仰ぐ。その掌と指の関節あたりには、抉れた傷がはっきりと残っている。


「随分と大きな野良猫だったようだな」


 以前トキに話したように、手に傷のある人物が犯人の可能性がある。しかし、ただそれだけであることに変わりない。


 確たる証拠というものが一つも見つかっていない今、証拠は手の傷と使用人の証言、死んだ男が下男である可能性。


 それにダンには少し引っかかる部分がある。


 複数人の使用人に姿を見られていながら、どうやって死体を運んだのだろう。大の男一人を運んでいて、その間それを誰にも見られない事などないはずだ。


 この屋敷ではない別の場所で殺されているのであれば、可能かも知れないが、あの下男は住み込みで働き、夜中にわざわざ屋敷の外に出ることもない。


 ダンはとりあえず、部屋の中を見渡してみたが、派手な調度品が飾られているだけだ。その一つひとつの価値ある物なのだろうが、こうも所狭しと並べられていては見ている方も疲れてくる。


 何かを見落としているような気がして、どこか確信が持てないでいると、部屋の一角が目に入った。


 そこにある棚には、壺や皿、茶器などが飾られいて、その多くは陶器製のものだった。そして、その棚に一箇所だけ隙間スペースが開いている。この部屋で何も置かれていない隙間がるのは、少しおかしく思えた。


「まるで私を犯人扱いですね、証拠すらないというのに」


 押さえつけられて頭を垂れたまま、眼球がぐるりと動いてトキを見上げた。


 余裕があるようで、どこか焦っているようにも見える。ダンはもう少しだけ部屋を観察した。


 壁、棚、天井、床。その全てを眺め、そして気付く。


 床に少しだけ日焼けの跡が残っている。それは気にしなければ、わからないほど薄く、しかし確かに形を持っている。ダンが寝転んでも、余裕で入り切る大きさだ。


 そんな中、全く進展しない尋問は、同じところを行ったり来たり。


 証拠を消すのに二日あれば十分だと言える。凶器は捨て、血に染まったものは燃やすか上から色を塗れば良い。


 しかし、それは時間と機会チャンスがあればの話だ。


 皆が当主とトキのやり取りに意識を向けているのを確認して、ダンは部屋の外で人払いのために立っている、使用人の女に近づいた。


「すいません、御当主は五日前の夜中以来、どこかに出掛けていませんでしたか?」


 意味のわからないこの質問に、不思議そうな表情を浮かべる。ただの下人が武官の真似事をしていると思われても仕方なかったが、使用人は親切に答えてくれた。


「いいえ、その日以来、御当主様は屋敷から出ておられません、仕事が忙しいとお部屋にこもられて、私共も入室を控えるようにと」


「夜も仕事部屋に?」


「それはわかりませんが、寝室とこの部屋はあの扉で繋がっておりますので、お休みになる際はそちらから」


 使用人が差した場所には、この国では見慣れない造りの扉があった。鉄製の取手が付いていて、派手な装飾が施されている。


 ダンの記憶の中にうっすらと残っている、以前どこかの国に連れて行かれた時に見たものと、同じような扉のように見えた。


 豪華な調度品で埋め尽くされたこの部屋から、当主は大事なものをそばに置いておきたい性分らしい。


 だったら、人に見られたくないものは、常に目の届くところに置いておきたい、かな。


 睨み合う当主とトキの前をわざと通り、寝室に繋がっているという扉を開ける。その瞬間、重たく濃い香の匂いが部屋から溢れ出る。


 かなり香りの濃い香のようで、ダンは一呼吸しただけで胸のあたりが気持ち悪くなる。


 扉一つ挟んだ隣の寝室には、大きく寝心地の良さそうな寝台と大きな箪笥、卓と椅子に本棚だけが備えられている。


 仕事部屋と比べると随分素朴な内装だが、煌びやかすぎるのも寝づらいのだな、とダンは思った。


「下人如きが私の物に触れるな!」


 急に声を荒げた当主を無視して、箪笥を一つひとつ開けて中を見ると、今度は少し動かして裏を見る。本棚に並んだ本を引き抜き、奥の板を押した。


 急に始まったダンの奇行に、皆言葉を失っている。その中で一人、当主だけが声を荒げていた。


 床に顔を押しつけて、僅かな隙間を覗く。


 見つかるもんだな。


 隠す側だと見つからないと思うのに、見つける側だとこうも簡単にわかってしまう。まさか、ここまでわかりやすい証拠が残っているとは思わなかったが、これだけあれば十分だ。


 寝台の下にある隙間に手を差し込み、それを引っ張り出す。


 この距離になると、さすがに臭いがしてくるのはしかない。しかもそれが寝台の下にあるのだから、眠る時、臭いは気にならなかったのだろうか。


 引っ張り出して、皆の前に持って出る。


 トキの部下に渡し、折り畳まれたそれを広げていく様子を眺める。手触りの良い毛足の長い絨毯には、この国のものではない独特の模様が描かれている。その中に何かを包んだ油紙が入っていた。


 当主の顔が見る見るうちに青褪める。


「殺した証拠があるのかと言っていたな、では、この血はなんだ?」


 異国の絨毯に赤黒いしみが広範囲で広がって、それだけで、かなりの血が流れていたことがわかる。


 部下が油紙をトキに渡す。中には陶器の破片が、絨毯と同じ赤黒い血で染まっていた。


「あそこに飾られていた陶器の破片で斬りつけて殺し、絨毯に包んで運んだ」


 ダンが部屋の棚の開いた隙間スペースを指差して、足元に視線を落とすと、皆が同じように床を見る。


「死んだ人間の身体はより重くなる、しかし、貴方も一端の商人でしょうから、引き摺りながらであれば運べるでしょうね」


 絨毯に死体を包めば、堂々と運んでいても怪しまれない。絨毯はもともと重たいものだが、血のついた絨毯は毛足が長いだけで、そこまで厚さはなく、見た目の割に随分と軽かった。それを死体を包んで重くなり、引き摺っていても不思議には思わないだろう。


 少なくともダンを戸口まで蹴り飛ばすくらいの、力や筋力は残っているのは間違いない。


「殺すつもりは……」


「あれだけ顔を抉っておきながらか?」

 

 トキのその一言に、当主はまた顔を真っ赤にした。餌をねだる魚が水面に口を出した時のように、口を開けては閉めてを繰り返している。


 常に周りに人がいるのであれば、証拠を処理する時間がない。これほど特徴のある絨毯を、外に捨てるわけにはいかないだろう。部屋にこもったのも、使用人の入室を拒んだのも、これらを見つけられないため。


 だからといって寝台の下はどうなのだろうか、とダンは自分のことを棚に上げて考えていた。




中華風……一応。


扉の描写変えました

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