25 さらし
小柄な武官が屋敷の使用人に事情を説明し、別の使用人が屋敷の中を案内する。
身なりからして上の立場にいる使用人の女らしく、周りの使用人達に客間の準備を指示している。この様子だと事前になんの連絡もなく、武官達がやってきたようだ。
駆け込みの上客が来た時の、華女を見ている気がしてきて、ダンは少し気の毒に思った。
店ではどの客がいつ来るか、ある程度決まっている。
華女達は定期的に文を送っては、催促をしたり駆け引きしたりなどして、客が来る時期を上手く調整する。
どこぞの役人のように五日に一度などと言う、馬鹿げた期間ではないので、大体の目算はつけやすい。
しかし、時々その予定から大きく外れて、上客が来た時の忙しさは普段の比ではない。
例えば、一度客の相手をし終わった華女に別の客が会いに来た場合、その身を清めるために湯殿で世話をする姉付き達がいる。終わった頃、彼女達は水からあげられて放置された魚のように、痙攣しながら転がっている。
死人が出てないのか不思議だよな。
先頭は使用人、それに続いて小柄な武官がトキを先導している。
一人の武官がダンを隠すような位置にいてくれるおかげで、ほとんど見られることはなかった。それでも部外者なので、目立たぬように身を屈める。
小柄な武官と違い、この武官のダンを見る目に他意はない。変な事をしないように見張られているのだろうが、あの鬱陶しい小男よりは全然いい。
案内される間、ダンは屋敷の人間を観察して手紙を渡す相手を探したが、部屋に着くまでには見つからなかった。
わかったことといえば、使用人の男女比が明らかに女の方が多いと言うことだけ。
通された部屋は豪華な調度品に埋め尽くされ、一言で言えば品がない。当主はまだ来ていないようで、使用人が茶の準備をしている。
部屋の中心にある円い形をした卓と、向かい合うようにして置かれた二組の椅子。トキがその椅子に座り、後ろに小柄な武官ともう一人の武官、残りの一人は戸の前に立っている。
この位置だと、三人ともトキの部下なのだとわかるが、小柄な武官以外の二人はトキよりも老けている。
年下の上官に仕えることに不満はないのか?
官職の位は実力で決められると言うが、雰囲気だけで言えば二人の方が上官らしい面持ちだ。これで仔犬のように吠えていた、小柄な武官と同じ立場なのはなぜだろう。
ダンは自然と戸の前にいる部下の隣に立つ。
どことなくウルジと雰囲気が似ているからか、一緒にいて不思議と違和感がない。
その部下は手を三人いる方に向けて、あちらに行けと促す。仕方なく二人の部下の背後に隠れるが、間から伸びてきた腕に引っ張られる。前の二人を割って、ダンの体が飛び出した。
「文を貸してみろ」
「なぜですか?」
「俺が渡してやる」
困ったな。
この手紙はダンが直接渡さないと、上手く事が進まない。
ここで断っても別に変なことじゃないだろう。ただ、隣の小柄な武官の鼻息が発情した雄犬より荒く、視界の端で握った拳が震えているのが見える。下手に断ればその瞬間飛んでくるであろう拳に、ダンが耐えられるわけがない。
「ありがとうございます、ですが」
震える拳が大きく動く。
「これはお客様の大切な手紙、それを任されたのは私です。それにこれ以上、中官様にご迷惑はかけられません」
「そうか」
ゆっくりと拳が解けていく。どうやら合格だったらしい。
「お待たせしてしまい、申し訳ございません」
両の袖に手を入れて、随分と腰の低い男が入ってくる。商人らしい無害そうな笑みを貼り付けて、ゆっくりとトキの向かいに座る。
隣でまた拳が震えているが、無理もない。この男を待っている間、トキのお茶は二度入れ替えられた。飲み干したからではなく、どれも冷え切ってしまったからだ。
連絡なく突然来たのはトキ達だが、それでもこれは遅すぎる。ここまでわかりやすく官が舐められることもないだろう。それだけこの男の持つ権力が強いのか、あるいはただおつむが弱いだけなのか。
「武官様が、私にどのようなご用件でしょうか?」
少し丸みのある顔に、眉尻と目尻が常に下がっている。この男が噂に聞く豪商人であることに、いささか疑問を持つ。ダンの知る商人とは随分と印象が違うのだ。
「この屋敷で働いていた下男が少し前から姿を消しているらしいな」
「はて、誰のことでしょうか? なにぶん多くの者を雇っていましてね、全員の事を把握することは難しく」
「ほう……、私の知り合いにも商人がいるのだが、その者は全て人の顔と名前を記憶している、商人が皆そうではないのだな」
当主の表情はピクリとも動かない。しかし、なぜ最初からこんなに喧嘩腰なのだろう。何を考えているのか、背後からではトキの表情は窺えない。
「武官様がわざわざおいでになるということは、その者が何かしたのでしょうか?」
「いや、先日花街近くで見つかった死体、それがその下男ではないかと言う情報があってな」
「なんてことだ……」
当主の表情が初めて崩れたが、間違いなく演技だった。そのせいで隣で震える拳武官の拳が、ダンの脚に何度も当たる。
鬱陶しい。
「その確認がしたい、協力いただけるか?」
「ええ、ええ、私ができることでしたらなんでもいたします」
随分と協力的のようだ。
男は住み込みで屋敷に仕えていたらしく、使用人に案内されて男が使っていた部屋に向かう。その途中、当主は仕事があるとかで、別の部屋に入っていった。
部下達が部屋の物をひっくり返している間、ダンは邪魔にならない所でじっとするしかない。さっさと手紙を渡したかったが、あの雰囲気では口を挟む隙もなかった。
一通り調べ終わった部下がトキに耳打ちする。小柄な武官の表情からして、特に何も出なかったようだ。
「この屋敷の中も見て回りたいのだが、構わないか?」
「はい、御当主には武官様のご要望には全てこたえるように仰せつかっております」
トキが部下に何かを指示している。その様子を眺めているダンには、今更探しても何か証拠が見つかるとは思えなかった。
実際、証拠を消すのに二日ほどあれば十分だと言える。凶器は捨て、血に染まった物は燃やすか上から色を塗ればいい。
ただ、御隠居の情報は間違うことはない。何しらの証拠があるから、武官達がここに来るように仕組まれているはずだ。
誰もこちらを見ていないことを確認し、ダンは腹部を押さえて使用人に近付いた。
「厠はどこでしょうか?」
使用人は丁寧に厠の場所を説明し、武官達には自分から話しておくと言った。親切にしてもらったところ悪いのだが、尿意などこれっぽっちもない。部屋を出ると説明とは逆の方向に進み、当主が入っていった部屋に向かう。
派手な戸の奥に広がるのは、同じく派手な部屋だった。
「誰だ」
断りもなく部屋に入ってきたダンに、机仕事をしていた当主の顔が一瞬歪んだ。
「君は武官様達と一緒にいた。迷ったのかな?」
穏やかな口調で笑っているが、鋭い視線がダンをとらえている。
ダンは懐から文を取り出し、当主の目の前に差し出す。当主は怪訝な表情を浮かべてその文を手に取ると、差出人の名前を目にし破顔した。
「ついにきたか!」
そう叫ぶと、破らん勢いで文を開け、食いつくように読み始めた。
宛名の書かれた方の文に、何が書いてあるのかダンは知らない。差出人の名前は、御隠居のものでなかった。
これでは本当にただの使いと変わらない。
帳面を取り出そうと視線を外した時、文を開ける当主の手が白かったような気がした。
まさかと思っていると、上等な靴を履いた足が伸びてくる。
腹部が重くなり、身体が後ろに飛んだ。勢い良く部屋の戸にぶつかって、一緒になって外に倒れる。
息が止まって喉の奥が熱い。
なんとか息を吸いながら、ダンは昨日読んだ書き付けの内容を思い出した。
商人で妻と息子が一人。気性が荒く、家族や使用人に手を上げることは日常茶飯事。趣味は鷹狩り。花街には月に一度通う程の女好き。豊満な女体を特に好む。
あのおっさん。
倒れたダンの胸元を、真っ赤な顔の当主が踏みつける。怒りに身体を震わせていても、眉尻と目尻は下がったまま、笑っているのだから気味が悪い。
「この商談を進めるのに私がどれだけ苦労したと思っている! それをこんな一言で破談にしおって!」
激しく踏みつけられるダンは、なんとか顔と首だけは腕で守る。しかし、金持ちらしく肥え太った当主の体重を乗せた蹴りはかなり重たく、正直耐えきれるかわからない。
「なにしてるんだ父さん!」
叫び声の後、近くに何かが落ちるような音がする。腕の隙間から見てみると、若い男が腹を抱えて蹲っていた。
痛みに苦しむ顔はよく似ている。丸みを帯びた顔に、下がった眉尻。胃の残留物を吐き出しながら、当主の息子が手を伸ばす。
「父さん……やめてください」
そんな訴えも虚しく、当主はダンを踏みつけるのをやめない。何度息子が止めようと脚にすがり付いても、それを引き剥がしては蹴り飛ばす。
「何をしている!」
また別の誰かが叫ぶ。頭の近くで大きな音を立てて、何かが転がる。
「うっ……」
唸り声がして、腹部の衝撃がなくなる。腕を退けてみると、当主が部下の一人に押さえつけられていた。
ダンは身体を起こして服についた汚れを払う。綺麗に磨き上げられた靴のお陰で、目立った汚れは付いていない。
下敷きになった壊れた戸を見て、弁償する必要ないな、と確認していると、顔を何かが包む。そのまま無理矢理、上を向かされる。
「大丈夫ですか?」
ウルジにとよく似た方の部下が、高い場所からダンの顔を覗き込んでくる。
力が強く、首が変な方向に向けられて、腹よりもそっちの方が痛かった。その腕を掴んで離そうとするが、家の木材を引っ張っているかのように動かない。
「少し蹴られただけです」
あまりに平然と言ってのけるダンに、部下は表抜けする。大きくため息を吐いて、ダンの顔から手を放す。
「何があったんですか?」
「お客様の手紙を渡したのですが、その後急に」
ダンの視線の先では、暴れ続ける当主が床に倒され、押さえられていた。袖で汚れた口を拭いながら、息子はその様子を見ている。
やっと見つけた。
暴れる当主の両手には、白いさらしが巻かれていた。
「ほら、立って」
当主を押さえている部下の一人、もう一人はダンの身体を引っ張り上げている。残りは一体どこにいったのか。
まあいいか。
立ち上がり、強く打ち付けた尻をさすっていると、足元で何かが動いた。
何かと思えば、腹を抱えて蹲る中官が痙攣しながら倒れている。その側で小柄な武官が今にも泣き出しそうな顔をして、その様子をただ見ている。
なんで助けてやらないんだ?
勢いよく飛んだのさ




