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18 裏子2



 タンバはお辞儀をすると、今きた道を戻っていく。その姿が見えなくなるとトキが戸を閉めた。

 本来ならダンがしなければいけないことだが、今はそんなことに気が回らない。つい先程までタンバに聞かされていた話が、今の状況と関係あることは嫌でもわかる。


 トキが視線をダンに向けたため、目を合わせないように顔を逸らす。


 状況が飲み込めたダンの頭は、まず第一にここから逃げることを考えた。


 この戸はこちら側からなら普通に開閉できるようで、ここから逃げるのは容易だ。しかし、その後はどうしたものか。


 今、ここから逃げれば待っているのは折檻。それ自体は絶えれば済むが、あれだけ乗り気だったタンバが諦めるとも思えない。どうせまたうまい具合にはぐらかされて、同じような状況になる。

 一度だけなら言い訳できそうだが、何度も逃してもらえるはずもない。


 昔、何度も逃げ出していたら豪を付けられ、力で敵わないダンはどうすることもできずされるがままだった。 


 嫌ならこの店から逃げ出せばいいのだけのようにも思えるが、そう簡単にもいかない。


 この店を出るということは、割りのいい仕事とそれなりに快適な生活を捨てる事と同じ。手元に金はない、しかも、まだ年季も残っている。借金を残したまま逃げたりなどすれば、あの店主は黙ってないだろう。


 その後の自分がどうなるかなんて考えたくもない。


 逃げる事は諦めよう。


 ダンは戸の前に立つ役人を見上げた。


 端正な造りの顔を持った男は、物珍しそうに部屋中を見回している。


 性には様々な形がある。この店も一応、普通ではあるが、上客なら時にその特殊な要望も聞き入れる。


 例えば、同性を好む貴婦人が華女と夜を共にすることもあれば、役に立たない自分の代わりに他の男に華女を抱かせて擬似的快楽を得るような客もいる。

 その場合、代役として店の男が使われることも少なくない。


 都の花街ではしていない奉仕をする、それがこの街の華店の売りと言ってもいいくらいだ。


 まさか、そっちの趣味もあったとは。


 客の中には男を要求する男の客もいるが、その場合、近くにそれ専門の店があるためそちらに紹介する。

 そこで働く男は華男と呼ばれ、そちらの道の教育も受けている。何も知らないただの男より、客を喜ばす術を持ち、見た目もよければ客だって喜ぶだろう。


 この部屋にはダンとトキの二人だけで、華女すらいないとなると、代役として呼ばれたわけでも、多数でよろしくやるわけでもないらしい。


 そもそも、この役人には代役など必要ないはずだ。まだ枯れるような歳でもなく、五日に一度マオシャとよろしくやっている。

 あのマオシャが気に入っているところを見ると、かなりのもののはずだ。


 マオシャは夜の方で回数を制限されている分、一夜でも満足出来る相手はそうそうおらず、それ故にこの役人を選ぶ事が多い。それ以外の客と言えば、いつもの大酒飲みと何人もいるうちの誰かさんといった具合に代わりばんこ。


 最近知ったが、あの大酒飲みは中年より少し上くらいの交易商だと言う。妻子がいて、夜の方はなし。酒を片手に家族や仕事の自慢話をするのだとか。


 稼ぎにはなるがマオシャがそんな事で満足出来るわけもなく、トキが宛てがわれていると言った方がいいかもしれない。



 そして、マオシャという一級品がありながら、なぜ男なのか。華男ではなく、なぜ自分がここにいるのか。とダンは扉の前に立つ役人を見た。



 女と勘違いしていた時に買われたなら、まだ納得できたかもしれない。

 なんとも、不愉快極まりないが。


 悶々と考えているダンの横を過ぎ、部屋の中央にある椅子に座った。


「どうした? お前もこっちに来い」


 落ち着かせるように大きなため息をつき、トキの前まで移動する。


 トキは机に肘をつき手の甲に頬をのせて、不思議そうにダンを眺めている。その姿に無性に腹が立ち、殴りたい気持ちになっても、今なら許されるはずだ。


 これは仕事だ、割り切れ。


「……いらっしゃいませ、旦那様」


 そう自分に言い聞かせ、略式で華女のお辞儀をする。正直これでいいかわからないが、華男の所作なんて知らない。


 一呼吸おいて顔を上げると、トキが呆気にとられたような表情をしている。何か話すべきかと迷ったが、そこまで奉仕する気分にはなれず、黙って帯を解く。


「なにしてるんだ?」


 トキの声も耳には入らず、バサバサといだ服を床に放り投げる。


 自分でもやけになっていることはわかっているが、じっくりやる方が堪える。


「おい!」


 服をごうと引っ張る腕を強く掴まれ、その力に少しだけ身体が跳ねた。いい体躯をしているのだから、力が強くて当然である。ただ、痛いくらいに腕を掴まれ、今の状況も相まってか嫌に反応してしまった。


 情けないな、とまるで他人事のように、ダンは今の自分をあざける。


「本当に何してる」


 なにって。


「仕事です」


 なんだよ、自分で脱がせるのがよかったか。


 近くにいると、トキからは上等な香の匂いが漂ってくる。かなりはっきりした香りだが、下品ではない。

 いいものを使っているからなのか、薫き方が上手いのか、どちらにせよここの華女達にも見習って欲しい。


 ああ。


 ダンは自分の二の腕に鼻を擦り付けるように臭いを嗅ぐ。


 今朝は湯浴みしたのでいつもより綺麗だが、それから働いているので当然汗はかいている。着ている服も香など薫かれておらず、時々気分転換に部屋で薫く安物の香の移り香が微かにあるだけ。


 高級な香を薫きめ、毎日風呂に入る御仁にとっては不潔と思われるのも仕方ない。


「湯浴み、してきましょうか?」


 そう言うと綺麗に整った顔が崩れ、そこだけ時間が止まったかのように固まった。





○ーーーーー○ーーーーー○ーーーーー○



「では、私はこれで失礼します」


 店主は頭を下げると、そのまま来た道を戻っていく。


 色々要求した分()ませてはもらったが、ここまでよくしてくれるとは意外だった。


 店主の話では、この部屋は囲い部屋と呼ばれているらしい。意味深な名前だが、部屋の造りからして密談に使われていた部屋のようだ。


 表と裏が繋がった部屋。片方は中からしか開けられず、決まった合図がある。


 何かを隠すた為の場所は、どこにでもあるんだな。


 部屋の中央にある椅子に座るが、ダンは戸の前で突っ立ったままだ。


「どうした? お前もこっちに来い」


 呼べば、当てつけのように大きなため息をついて、ゆっくりと歩いてくる。


 そして、なぜか睨まれた。


「……いらっしゃいませ、旦那様」


 机に肘をついて、その手の甲に乗せた顎がずり落ちる。


 今までの態度はどこへやら、客相手だとここまで態度が変わるのか。あのダンが自分を旦那様と呼び、華女ように頭を下げている。


 ちゃんと接客できたのかと、トキは少し感動したが、顔を上げればやはりいつもの無愛想。そこまで奉仕するつもりはないらしく、そこは期待を裏切らない。


 しかし、ダンは椅子に座る素振りもなく、じっとトキを見つめている。一本線を引いたように閉じた唇に、心なしか力が入っているように見える。


 すると、ダンは黙ったまま帯を解いた。


「なにしてるんだ?」


 暑いから服を脱ごうとしているのかと思ったが、この部屋はそこまで暑いとは言えず、むしろ上着を着て丁度いいくらいの室温だ。


 そんなことを考えている間にも、ダンはバサバサといだ帯を床に放り投げている。


 明らかに様子がおかしい。


「おい!」


 やめさせようとその腕を掴んだ時、ダンの身体がビックっと跳ねる。

 掴んだ腕は、女と違って骨は太く筋肉の厚みはあるが、男にしては細くて筋肉も薄く弱々しい。やはり男なのだと実感するが、同時にこんな鶏ガラみたいな身体で大丈夫かと心配になる。


 当人はというと、掴まれた腕を見て何がおかしいのか小さく鼻で笑った。


「本当に何してる」


 すると、黒々とした二つの大きな瞳がこちらを見上げた。


「仕事です」


 淡々と告げるその声は、いつもと変わらない。


 邪魔するな、とでも言うようなダンの視線に、思わず掴んだ腕を離す。まるで自分の方が間違っていると錯覚してしまいそうになるが、明らかにダンの様子はおかしいかった。


 訳がわからず、どうしたものかと額に手を当てて考える。


 するとダンはいきなり自分の二の腕に鼻を擦り付け、大きく息を吸い込んだ。


 その奇妙な行動に思わず顔が引きつるのが自分でもわかる。


「湯浴みしてきましょうか?」


 ダンの一言で、やっとトキは理解した。


 先程の仕返しに、当て付けのように大きなため息を漏らすと、床に脱ぎ散らかした服を拾い上げ、ダンの胸に押し当てる。

 受け取りはしたが服を着るわけでもなく、大きな黒目が半分閉じた目蓋の奥からこちらを窺っている。鋭いわけではないその視線は最初こそ魅力的に感じたが、今だけは生意気としか思わない。


「俺に男を買う趣味はない」


 大きく目が見開かれ、初めて黒い瞳が姿を現した。そして、すぐに落とされた目蓋の陰に隠れてしまう。


 何をどうすればそんな勘違いができるのか、文句を言っていやりたいが、驚いた表情はいつもより人間味がある。不名誉な勘違いをされたのはお互い様なので、ここは不問とする。


 お互いに見合ったまま、いくらか時間が過ぎる。


「とりあえず、服を着てもよろしいでしょうか」


 先に折れたのはダンだった。


 一度床に落ちた服を振りさばき、手際よく着ていく。普段、人に手伝われながら服を着るトキは、物珍しそうにその様子を眺めていた。


 それが終わると、部屋の隅に歩いて行き、そこにある箪笥の中から茶葉を取り出した。


 いつ見つけたのだろうか。


 店主の話ではこの部屋は一部の者にしか知られておらず、ダンはそれに当てはまらない。この部屋に来たのも初めてで、ましてや箪笥の中身など知らないはずだ。


「まさかお前、物を透視するちか……」


 その先は言わないでおこう。


 顔だけこちらを向いたダンの目は、例えるなら死んだ魚の目だ。


 しかし、何故ここまで過敏に反応するのだろうか。


 最初会った時に何気なく口にした術師の話に、何かを呟いたダンは死んだ魚を思わせるような目をしていた。なにかしらの理由がありそうだが、聞いたところでまたあの目で見られることを思うと恐ろしくて口には出せない。


 大人しく椅子に座って待っていると、湯気のたつ湯飲みが置かれ、向かい側にダンが腰掛ける。



「どこの部屋も、同じような場所にしまってあるんです」


 それは華女の部屋か、と聞きそうになり、茶を口に含む。余計なことを言えば、機嫌を損ねてしまうかもしれない。そこまで短気ではないようだが、これ以上嫌われるのはあまりよろしくない。


 それでも前よりかは親しく慣れているはずだと、根拠のない自信だけはある。



 もう一口茶を飲んだ。初めてここに来た時も思ったが、ダンの淹れるお茶はかなり美味しい。


 最近店で飲むものと同じ茶葉のようだが、マオシャやその姉付きが淹れた味とは少し違う。この茶葉は南東からの交易品のようで、外と都を繋ぐ橋の途中という場所柄、この街に他国のものが流れてくるのも頷ける。


 だったら、商人から教えてもらったのかもな。


 なんとなく察しは付くが、少し気になった。


「誰から習ったんだ?」


「何がですか」


 他人が自分と同じ物を認識していると思うな、とでも言いたげな視線が刺さって痛い。全く持ってその通り。


「茶の淹れ方だ、この茶葉は他国からの交易品だろ? 淹れ方を知ってる者はそういない」


「ああ」


 そう小さく呟いて、こくん、と一口茶を飲んだ。


 両手で湯飲みを啜る仕草は、どこか既視感がある。それがなんだったのか思い出せないが、普段目にしているものであることは確かだ。


「南東にある、この茶葉の原産国には以前行ったことがありまして、その時にいろいろと」


 最後の部分の声が小さくなった気もするが、今の話でマオシャから聞いた話を思い出す。


 ダンは数年前まで育ての師と共に諸国を旅していたらしく、なら比較的近場にあるあの国にも立ち寄ってもおかしくない。


「確か、お前を育てた師は、医者だったな」


 医者と一緒に過ごしていたならば、今朝のような現場にも着いて行っていたはず。それなら、周りの野次馬と見る目が違っていたのも頷ける。


 そう納得しているトキを前に、ダンはキョトンとした表情で見ている。いつもは力なく落ちている目蓋はくいっと持ち上がり、線を引いたように閉じられている唇は薄く開いている。


「違うのか?」


「あ、いや……まあ、はい」


 どっちとも取れないような、歯切れの悪い返事にトキは首を傾げた。


 はっきりしないダンは珍しい。




 この話をトキが知っていることに、ダンはあまり驚いてはいない。話の出所はマオシャかタンバ、おそらく前者だろう。あれはダンとトキの関係を面白がっているきらいがある。


 そして、ダンは悩んでいた。


 周りから勝手に師とされている人物が、医者と呼べるような立派な人ではないことをダンは知っている。高い医術を持っていたことは確かだが、あれはただの変人だった。


 とりあえず濁すような返事はしたが、そもそも、育てられたと言う認識で良いものか、未だに自分でもわからない。


「なら、お前も医術にも詳しいのか?」


 ダンは目を細めて、子供のように目を輝かせるトキを冷めた目で見た。


 医者と一緒にいたから、医術を学んでいるなどとなぜ思うのか。御者の子が親を見て、馬の制し方を学ぶのとは訳が違う。師と呼ばれる医者とダンの関係は親子のそれと似て非なるものであり、だからといって師弟の関係でもなかった。


「いいえ、なにかを学んでいたわけではありませんでしたので」


 習った覚えがないから、詳しいわけではない。


 近くで見ていると、色々と覚えることもあった。それでも、その知識が正しく理解できているとは限らない。良く言って、医者見習いより少し劣っているくらいだろう。


「それでも、少しは関心を持つものだろ?」


 否定も肯定もできない。


 興味がなかったと言えば嘘になるが、その関心は医術とは少し逸れた方向を向いていた。何度も余計なことをするなと怒られたのが、もう随分と昔のようだ。


「時に医者は検死も行うが、お前もそれに着いて行った事はあるのか?」


 何か探られているような感覚に、どこか不快感を覚える。この役人は一体何が知りたいのだろうか。



 

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