5 壬生智花③
来ることは無い。そう思ってから十日もしないうちにここへ来るとは、いったい誰が想像しただろうか。多分誰も想像できなかったと思う。そもそも俺自身が自発的に行くことはないと思っていたし、実際そうだった。壬生先輩とのつながりなんてほぼないし、教師や生徒会に目をつけられる行動は基本的に取らない。
なら、なぜ俺は相談室に、それも放送で呼ばれたのか?
いや考えても分からないのだから直接聞いてみよう。呼んだ先輩はこの中に居るのだ。
相談室と書かれたプレートを確認し、扉に目線を落とす。
ノックをして、部屋の中に入る。先輩と机の配置は変わっていない。ただ、以前はなかったパソコンが先輩の机の前に設置されており、その横に紙の束が無造作に積まれていた。
「ごきげんよう、楠君」
「ご、ごきげんよう。先輩」
ごきげんよう、なんて挨拶初めて聞いた。思わず同じ言葉で返してしまったが、先輩はそれに関して何も反応しなかった。
彼女は目の前のパイプ椅子……多分相談者用のであろう椅子を勧めてくれたので、そこに座る。
「来てもらったのはほかでもない。楠君に相談があるんだ」
は? と思わず首をかしげる。記憶が確かならここが相談室のはずで、先輩はそこの主だ。現に先輩は相談者用側からテーブルを挟んだ向かいに座っていた。
であるならば、本来俺のような一般生徒から、先輩が相談を受ける立場である。なぜ俺が相談を聞くことになっているのだろうか。
「僕に相談ですか?」
「ああ、そうだ」
「一緒に荷物を持ってきただけの?」
「うむ。君なら色々と説明が楽だからな」
一体何のことだろう。と思いながら彼女のステータスをながし見する。
不意に先輩は真剣な表情に代わり、じっとこちらを見る。その鋭い眼差しにひるみ、思わず目を背けた。
「来ないんだ」
鋭い瞳とは対照的に、口から出たのは震える声だった。首をかしげながら問う。
「来ない?」
先輩は体をわなわな震わせながら机に身を乗り出す。
「誰一人として、相談に来ないんだっっっ!」
「……は?」
「誰もこないんだ……」
しょんぼりとつぶやく先輩をたしなめながら話を聞くに、どうやら相談室を再開したものの、それから相談しに来る者が一切ないとのことだ。
「君に分かるだろうか。何時間もパーティの準備をしたのに、誘った人が誰も来ない寂しさにそっくりだ」
なんだそれ、寂しすぎる。パーティに呼んだ人と次会うときに、自分はどんな顔すれば良いのか分かりません。大きな人の☆? あれはトラウマ。
「待っている間に過去の相談をパソコンに打ち込んでいるのだが、仕事が進む進む。もういっその事君の相談でも良いと思ってな。何か無いかね? 無ければ作ってくれても構わない」
「いえ先輩、それじゃあ本末転倒してます。ならば悩みのある友人を連れてくれば良いじゃないですか? なぜ俺を?」
なんで悩みを解決するための場所で、悩みを作らなければならないんだ。
「なんだかそれは負けた気がするんだ! 君だったら一度来ているからな。包丁で胸を抉られた気分だが許容範囲だ」
「それ多分即死じゃないですかね?」
俺に相談する時点で負けているような気がするが。まあ人の来ない原因はある程度察しているから、なんとかなるような。
「あの、多分ですけど来ない原因は分かります」
「な、なんだって!」
机の上に両手を突いて、身を乗り出す先輩。興奮した顔が俺の目の前に来て、思わず仰け反りながらも言葉を続ける。
「え、と。そもそもですけど、僕たち一年生は相談室という存在を知りませんでした」
「……では君はこの惨憺たる現状を、知名度の結果というのか?」
「ある程度はそうなんじゃないかと思います。それに相談室の場所も影響しているんじゃないかと」
「場所も、だとっ!」
「相談を受けつけてると言っても皆は相談室の場所を知らないんですよ。そもそも俺がこの場所を知ったのは、荷物を運んだあの日ですよ? まあ仮に相談室の存在を知ったとしても、場所を聞こうにもクラスメイトも知りませんでしたし来られなかったでしょうね」
先輩はゆっくり席に戻ると、腕を組みフム、と頷いた。
「そうだったのか。そこまで知名度がないとは私もおもわなんだ」
「クラスで知っている人は何人居るのか、ってぐらいのレベルですね。ふと思ったんですけど、何かで相談室のことを宣伝したんですか?」
「無論だ。全校集会で簡単に話をしたじゃないか」
どおりで聞いたことがないわけだ。
「それ真面目に聞いている人は少数ですよ、特にバーコードの後だったら」
校長の話は非常に長い上に、ためにならないし、なによりつまらない。睡魔の円舞曲なんて言われるのも仕方が無い。そんな後に話されても、すでに意識が旅立っていたり、聞き流してしまっていることだろう。
先輩はため息をついた。
「楠君、人をそんな風に揶揄してはいけないよ。確かに顔を合わせる度に笑いを堪えなければならない髪型ではあるが、彼は必死になって戦っているんだ。もう生えることはない不毛の地なんだから諦めて剃れば良いのに、と思っても言ってはダメなんだ」
「先輩は俺より残酷なこと言ってますよね」
「まあ、それはおいておくとしよう。確かにハゲの後に話す私の言葉にインパクトが無いことはわかった。そして知名度の無いこともある程度納得した」
「先輩、俺より直接的に校長を貶してますがそれは……」
「ならば、今後どうすれば良いのかだ。まずは『相談室』の知名度を上げるための活動をしなければならないのだろう?」
あの、俺の話はスルーでしょうか。まあいいですけど。
「そうです。具体的な案はパッと思いつかないんすけど……うぅん。そうですね、プリントにして全員に配布するとか」
「プリントなど捨てられておしまいではないか?」
確かにそうだけど、一応表題くらいは見るんじゃないか?
「でも俺はざっと目を通しますよ? まあ興味を惹かれなければ机の中で熟成されて、いつの日かゴミ箱にシュートです。でも逆に表題で興味を持たせれば読んでくれそうな気がします。たとえば表題には面白いこと書いて、さらりと相談室のことをひっそり混ぜておいたりとか」
ステルスマーケティングみたいで良い案だと思う。
「君の言うことも一理あるな。では海老名先生がおつきあいしている相手は、体育の古沢先生で有ることをメイン記事にしよう。すれば皆も読んでくれることは間違いないな」
「えっエビセンって古沢と付き合ってんの? 嘘だ信じられねぇ……って、めっちゃ個人情報垂れ流しじゃないですか! そっとしといてあげてくださいよ!」
「ならば教頭先生は一時期若草先生とできていたことを……」
「うぇぇぇぇぇマジかよ、二十は差があるだろ……ってそれダメじゃないですか! 結局個人情報垂れ流しですよ!? 確かに超気になる内容ですけど!」
男子生徒でもすごく人気のある若草先生はおじさま趣味!? やっべえ、気になって相談室どころじゃない。
「もちろん乗せるのは冗談だ。先生たちは残念ながら事実だ」
「うっわ、俺はなんてことを知ってしまったんだ!」
おもわず両手で頭を抑え、机に突っ伏す。俺が頭痛で苦しんでいるときに、心配そうな顔で保健室まで連れて行ってくれたあの若草先生が?
先生にどんな顔して合えば良いのか分からない。
俺が頭を抱えていると『ふふふっ』と先輩が笑う声が聞こえた。俺はゆっくり顔を上げるとそこには、袖を口元に当てて笑う先輩の姿があった。普段からナイフみたいにするどい表情の先輩が、目尻を下げて本当におかしそうに笑う姿は、やけに可愛らしく見える。
「ふふっ、すまない。久しぶりに面白い反応が見られて、思わず笑ってしまった」
「ええ、俺そんな変な反応しましたか……?」
「ああ、面白かったぞ。私の友人や生徒会は生真面目な子が多くてね、冗談を言っても反応がつまらないんだ、空気が凍ることさえある」
それは、結構簡単に想像できる。先輩は少し神格化されてる節があるから、遠慮というか、敬遠というか、恐れ多いって感じがするのに、急に変なことを言われたらゲシュタルト崩壊するんだろう。
「まあ、気持ちは分かりますね」
「わかるのか? まあいい、そうなんだよ。ああ、すまない何度も脱線して…………プリントは参考にさせて貰おう、ありがとう」
「うまくいくかは分かりませんよ?」
「それでもありがとう、だ。うむ、それにしても君には色々世話になったな……本当に何か相談事はないかい? それとも何か欲しいものがあるなら、私が買える物範囲でおごるし、出来る範囲で何でもするぞ?」
いやいや、欲しいものとかおごって貰わなくても良い。何でもする? 嫌な予感しかしない。
まあ、実を言えば至極残念な悩み事はある。でもそれは解決するのは困難で、それが本当に見えるのを証明すること自体困難で、普通には信じて貰えないであろう。
「欲しいものは無いですよ……ただ、相談事ならあるっちゃあるんですけどね」
「ほう、私に言ってみる気はないか? ……おいおい、そんないやそうな顔をしなくても良いだろう。それに君から言い始めたことじゃないか」
どうやら顔に出ていたらしい。
「ああ、こんな中途半端にされてしまうと、私は気になって夜も眠れない」
「ううん。まあ言っても良いですかね……」
別に言っても良いことではあるか。どうせ今までの彼らみたいに、何言ってんだと笑いながら流してくれるのが落ちだろう。先輩だったら多分そうしてくれるんじゃないだろうか。
「実はですね、俺は他人の『情報』、どんな能力なのか、どんなことをしているのか、自分はステータスと呼んでるんですけど、ソレが見えるんです」
「ふむ……」
先輩は笑わなかった。そして何も言わなかった。ただ何かを考え込むかのように、腕を組みじっと俺の顔をみつめている。
「あの、先輩。ここ笑うところですよ?」
俺は真剣に何かを考える先輩を見て、思わずそう言ってしまった。
冗談ではないけれど、冗談に聞こえるはずだ。そもそも内容が一般的に起こり得るようなことではないから、信じられることはまず無い。
でも目の前の先輩は予想に反して真面目に何かを考えている。
「いや、それだったら私の疑問に説明がつくんだよ」
「疑問ですか?」
「ああ、そうだ。そのおかげで私は君の先ほどの突拍子もない言葉をある程度信じれる」
そう言われても、俺はなんて先輩に言えば良いんだろうか。
「でもステータスですよ? 信じるんですか?」
「いや、私は完全に信じたわけではない。だから一つ試させてくれ」
「試すですか?」
「君が言うステータスが見えるなら、今私のステータスを教えて欲しい。どんな風にでているんだ?」
俺はじっと先輩の姿を見つめる。
彼女の頭上には緑色のバーが存在し、横には半透明の青色のウィンドウが浮かび、白色の文字が書かれている。
名前 壬生智花
性別 女
属性 ドM、生徒会長
戦闘力 260
学力 180
魔力 140
擬態力 720
独占力 1200
変態力 62万20
変態抑制力 62万
「ええと、まず頭の上に緑色のバーが見えます」
「この辺りか?」
彼女は手を上げて頭上へ持って行く。緑色のバーと手が被っても、緑色のバーの表示が優先されている。ただ緑色のバーは透過しているため、後ろの様子がはっきり見える。
「もう少し上ですね」
先輩が手をもう少し上げたのを見て頷く。
「ちなみに、その緑色のバーは何なのだ?」
「えっと、病気の人や大きな怪我をした人を見るとかなり短くなるので、ゲームで言うHPと自分で定義していました」
「ふむ、HPか。ステータスと聞いた時点ではイメージが上手くできなかったが、ゲームと言われればイメージが多少浮かぶな。見えるのは緑色のバーだけか?」
「ええと、そのHPとは別に、スマホでよくあるポップアップのような感じで、名前とか性別とかの文字が横に表示されます」
先輩はあごに手を当てなにかを思案する。
「それがもし本当なら、私には便利な能力に見えるが……」
先輩は、どうなんだと俺に目線で問いかける。口には出していないが、便利な能力なのになぜ私に相談するのだ? と聞いているのだろう。
「僕だって友人の情報を初めて覗いた時は、こいつはすげえ、と思いましたよ。でもねそれ以上に代償がきついんです」
「なに、代償が有るのか?」
「これパッシブなんですよ」
「パッシブ……受け身? 消極的?」
これは俺の言葉が悪かっただろう。イメージ通りではあるが、先輩は普段からゲームをしていないみたいだ。
「すみません、ゲーム用語にパッシブスキルっていう言葉があって、それを略してるんです。どういうのかと言いますと、常時発動しているスキルのことです。たとえば俺が無意識に先輩を見たとしましょう」
俺は先輩を見つめる。もうすでにスキルは発動しており、彼女のステータスウィンドウの文字が、まるで滝のように流れていく。
「すると常時発動しているので、勝手に先輩の頭に緑色のバーが映って、横にはステータスがすごい勢いで映し出されるんです。そのまま隣に人が来たとしましょう。すると目に入るだけでバーとステータスが表示されます」
「ふむ、では君はその光景が目障りで悩んでいるのかな?」
「いえ、実はステータス欄は透過されているんで、なれれば先を見ることはできるんです。黒板も見えますよ、とてつもなく目障りではありますけど。それが…………情報量が多すぎるんです」
「情報量が多い?」
「ええ、大勢の人を見ると情報量が多すぎるせいか堪えきれない頭痛がするんです」
「なるほどな……頭痛か……」
そう、凄まじい頭痛だ。本当にやばかったときはぷっつり意識が途切れ、ベッドの上にいたこともあった。
「あとは……罪悪感ですかね……」
「罪悪感?」
「実はですね……年齢だったり、その、ええと……」
「いいにくいことなのか?」
性癖が見えます、だなんて口にして良いのだろうか。いやダメだろう。
「ええ、ちょっとプライバシーというかモラルというか……見てはいけないというか」
「なに、私は気にしない。是非言ってくれ」
口にするのはためらわれるが先輩は良いと言ってくれている。ならば、失礼を承知でいってしまおうか?
先輩の顔をじっと見つめる。俺が真面目に相談しているからだろうか。真剣な表情でどっしり座る先輩は、非常に頼もしく見える。
…………言ってしまおう。
「実は見ようと思えば、身長とか体重とか…………性癖ぽいのが、その、みえちゃったりもするんです」
長いので区切ります。