2 寝坊はしてはいけない
場面飛びます。
その日は寝坊したのがいけなかったのだろう。本来ならば通勤ラッシュなんて一番避けなければならないものだ。
学生達で賑わうこの駅構内を、一心不乱に歩む。なるべく目線を下げ、人をなるべく視界に入れないようにして前へ前へと足を動かす。数年前から続けているこの『目線を合わせてはいけないゲーム』の難易度は高い。
しかし、これはただのゲームではない。
「おう、陸じゃねぇか」
俺は彼の声を聞いて心の中でやらかしたと悪態をつく。友人がすぐそばにいるというのに顔を下げたままとはいかない。回れ右して逃げ出したい気分でもあるが彼に失礼だ。それに気合いさえ入れれば少しの時間なら大丈夫、なはずだ。
「お、おう竜か。おはよう」
ゆっくりと顔を上げ、竜を視界に入れる。彼の頭を視界に入れた瞬間、勢いよく彼のステータスの詳しい情報が頭の中に入り込む。いや彼だけではない。彼の近くを歩いている女子生徒、その友人らしき生徒、早足のサラリーマン。視界に入ったすべての人から情報があふれ出てくる。
やはり駅では顔を上げるべきではない。まるでハンマーで叩かれたかのように頭が痛い。脳も「もうダメだ、視線を外せ」と俺に訴えている。
「どうしたんだよ、顔色悪いぞ? いつもの貧血か?」
「あ、ああ。そうだ」
実際の所は人が多すぎるせいで、入ってくる情報を処理しきれず頭が痛いだけだ。でも彼に『ステータスが見えるから、人の多い場所で頭痛が起きるんだよ』だなんて言えるわけがない。脳に疾患があるのではないかと疑われるかもしれない。いや、ステータスが見えるのだから本当に疾患があるのかもしれないが。
「そっか、今日は保健室か?」
「そうするよ」
『沢山の人の顔を見てはいけないゲーム』で大きな失敗を犯したときは、三割がた保健室である。数年前はもっと高い確率で保健室だった。まあ、ゲームで死んだら命がなくなるデスゲームでない分、あの世界よりはいくらかマシだろう。
「今日の1コマ目は……数学だったか? ノートとれたらとっとくぜ」
そう彼は言っているけれど、数学の時間に顔を上げているところはめったに見ない。多分今日も机と熱い接吻をしながら、意識をどこかへ飛ばすのだろう。
「ん、起きてられたならよろしく」
にが笑いを浮かべる彼を見る限り、あまり期待はしない方が良さそうだ。
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二時間ほど保健室で至福のひとときを過ごしたおかげか、頭痛はある程度引いた。だるさは未だに残って居るが、治るのは時間の問題だろう。
教室にはすでにたくさんのクラスメイトがいて、各々の友人達と楽しそうに談笑している姿が見えた。俺はいくつも現れるポップアップステータスウィンドウを無視し、軽く挨拶をしながら自分の席へ向かう。駅もこれぐらいの人数だったら頭痛なんて起きないのだが。
荷物を脇につけ椅子に腰を下ろすと、竜に視線を送る。すると彼も俺に気がついたようで笑いながら手を振った。しかし何かを思い出したのか、急に手を止め驚愕の表情を浮かべる。そして両手を合わせると、拝むような仕草をした。
案の定、ノートをとっていないのだろう。
俺は笑顔で親指を立てると、そのまま掲げる。そして彼が安堵した瞬間に、すかさず指の向きを逆にした。
「はっはっは、おい、竜。りっくんはカンカンだぞ? どうする、どうする!」
「これは全裸土下座だな」
と彼の周りで笑いが起こり、ついでにいくつものポップアップステータスが表示された。俺は視線を外すと教科書類を机の中にしまう。二時限目は英語だったようで、黒板にはみんなが習ったであろう英語の構文が残っている。有るぶんだけでもメモを取ろうかとも思ったけれど、日直らしき佐藤君が黒板を消してしまった。ノートをだした後なんだが。
「おはようりっくん。今日はどうしたの?」
声で相手は予想できたけれど、一応顔を上げ相手を確認する。そこには予想通りの女性がいた。
名前 温井明菜
性別 女
職業 学生
属性 ムードメーカー、トラブルメーカー
戦闘力 60
学力 80
包容力 100
……etc
温井は髪を耳にかけながら、顔を三十度くらい傾けて俺をのぞき込んでいた。
「ああ、温井か。いつもの貧血だよ。気にしないでくれ」
そう言っても温井は表情を変えない。
「ほんと? やっぱり……」
そしていつものように彼女がアレをしようとしたので、俺は無理矢理話題を切り替えた。
「そうだ、良ければ二時間分のノートを借してくれない? 竜は多分寝てただろうし」
「あっ。ノートね……ふふふ。実はりっくんはそういうと思って……じゃーん。準備しといたよ!」
俺は差し出された数学と英語の教科書を受け取ると、腕で目を覆い泣くまねをしながら小さく礼をする。
「くっ、いつもすまないね……俺がふがいないばっかりに……ううっ」
「あんた、それは言わない約束だよぉ」
さすがムードメーカー温井。こちらがボケればしっかり返してきてくれる。美人である上に親しみやすいとか、二つも与えるなんてモテるに決まっている。
神様はなんて理不尽なんだ。だから俺にイケメンをあたえてください。
「明日までには返すから」
「いいよいいよ、りっくんなら一生持っててもいいんだよ?」
「俺はそんなに勉強したくない」
そういうと温井は「そうだね」と言って笑った。
何かを話そうとした温井を止めたのは、次の授業の始めるチャイム音だった。
「そろそろ私はもどるね?」
「おう、放課後までには返す」
彼女が席を立つと、視線も同じように彼女を追っていく。俺はため息をつきながらノートを机にしまった。そして横にいるヘンタイに視線を移した。
「何で竜は服を脱ごうとしてるんだよ……土下座しなくて良いから」
昔書いた奴を改変しながらUPしてるので、ネタが古かったりします。