足りない者同士が補い合う世界、お人好しの国が在ると言う。この世界の片隅にお人好しの国が在って、きっと権三はお人好しの国で笑っている。そう信じている。
権三は独りぼっちだった。
権三の家は貧乏で。
権三は父親を知らなくて。
権三は誰よりも醜くて。
転落すべき星の下に生まれた権三。
貧乏なのは権三のせいじゃない。
父親を知らないのは権三のせいじゃない。
誰よりも醜い顔なのは権三のせいじゃない。
でも、先生も、友達も権三を馬鹿にした。
だから、権三は先生も、友達も殴り倒した。
あいにく誰よりもイカツイ体をしていたから、先生も、友達も怪我をして、何人か病院へ運ばれた。
ただ、それだけのこと。
先生も、友達の親も、警察官も権三の小さくて、汚い家に土足で乗り込んで、権三の母親を攻め倒す。
権三が悪いんじゃない。
権三は母親にそう言って欲しかった。
でも、そう言わなかった。
頭を地べたにこすりつけて、すいません、すいませんと繰り返した。
権三が悪いんじゃない。
嘘でもいいから、そう言って欲しかったのに。
全て終わった後、母親は言う。
あんたなんか生むんじゃなかった。
それは権三が一番聞きたくない言葉だった。
権三が悪さをするたび、すいません、すいませんと母親が頭を下げて。
権三が悪いんじゃない。
一番聞きたい言葉を吐かないで。
あんたなんか生むんじゃなかった。
一番聞きたくない言葉を吐いた。
そして、母親は権三を残して、とうとう消えてしまった。
場末のスナックで見たとか。
ホームレスの配給の列に並んでいたとか。
新興宗教の信者の団体にいたとか。
権三の耳には悪意のこもった噂ばかりこびりつく。
それでも、生きていられたのはこの世界のシステムが弱者に優しいから。
母親がいなくなったことを申請すれば、誰よりも醜い権三でも生活費が支給された。
学費も免除されて、なんとか1人でも生きられると思った頃、権三の家に見知らぬ大人がやってきた。
母親が残した借金とか。
0の数がとても多い金額で。
権三には理解できなかった。
この世界のシステムは弱者に優しいけれど、この世界の人は弱者に優しくなかった。
家にある全ての物が奪われた。
そして、権三は眠る場所も失った。
全てを失った権三は転落する一途だった。
でも、それを救ってくれたのは街のギャング。
権三に仕事をくれた。
誰よりも醜い顔。
誰よりもイカツイ体。
権三はそれを生かして、弱者からお金を奪う仕事をした。
権三だって奪われたのだから、仕方がない。
涙を流す老人に蹴りを入れる。
老人をかばう孫を放り投げる。
また死にかけた老人を蹴り倒す。
権三は容赦なかった。
全てを奪われたのだから、権三は全てを奪う。
権三は残りかすの残らない完璧な仕事をした。
別に仕事が楽しいわけじゃなかった。
別に誰かを蹴り倒して、殴り倒したいわけじゃなかった。
でも、仕事をこなせば、ギャングが喜んでくれる。
権三の肩を叩いて、ファミリーと呼んでくれる。
権三の肩を抱いて、女の子のいる店にも連れてってくれる。
権三の顔を露骨に嫌がる女の子には一生消えない傷をつけてくれる。
ギャングは貧乏なことを馬鹿にしない。
ギャングは父親を知らないのを馬鹿にしない。
ギャングは誰よりも醜いのを馬鹿にしない。
ギャングは暴力に生きて。
薬を売りさばいて。
弱者から奪うばかり。
でも、権三をファミリーと呼んでくれる。
だから、権三はギャングのために仕事をした。
そして、汚い仕事に手を染めて。
醜い顔がより醜くなっていく。
でも、ファミリーだから。
権三はそんな言葉にすがるように生きていた。
ここは廃屋で。
硝子の割れた天窓から。
星が見えて。
権三は冷たい風に目を覚ました。
なんで?
記憶が定かでなくて。
この廃屋にいる自分が分からない。
酒を飲んで。
ギャングのファミリーと。
女の子のいる店に行って。
こんな醜い顔の権三に女の子がチューしてくれて。
途切れ途切れに蘇る記憶は千切れ千切れに消えていく。
権三は声が出ないことに気が付いた。
喉がやたら熱くて、焦げ臭い味がする。
言葉を発しようにも、喉に何かがへばりついて。
蓋のようにかぶさって。
声が出せない。
イラつく感情で。
周りの物に当たると。
ベットリと生臭い血が手に絡みつく。
天窓から注ぐ夜光に浮かぶのは死体で。
多分、警察の偉いさんで。
権三はすでに砂糖に群がる働き蟻のようなちっこい警察官の群れに囲まれていた。
誰に頼まれた?
本当はお前じゃないんだろう?
お前に罪をなすりつけた奴がいるんだぞ。
なあ、損な生き方をするな。
警視総監を殺したんだ。
死刑は免れんわな。
でも、お前が殺していないなら。
誰が殺したんだ?
お前は誰を庇っているんだ?
刑事ドラマチックなセリフ回し。
机を叩いて、威嚇して。
カツ丼の匂いで、懐柔して。
権三の心の隙を突いても。
権三は揺るがない。
ギャングはファミリーだから。
ファミリーのためなら、どんなことでもする。
権三の堅い意志でファミリーを守り続けた。
連日の取り調べに心が疲れ果てていくけれど、権三はファミリーのために口を堅く閉ざしていた。
でも、あのちっこい働き蟻の警察官が1人やってきたんだ。
他の警察官は外に出されて、ちっこい働き蟻のような警察官と権三が取り調べ室で2人きり。
ギャングがお前を殺せと。
つまりは口封じだな。
可哀想な奴だな。
まあ醜いお前にはお似合いだよ。
誰もファミリーなんて思ってないしな。
そう言って、笑って、銃口を権三の頭につける。
ファミリーじゃない。
ギャングはそんなことは言わない。
何で?
そんなことを言う?
ギャングはファミリーと呼んでくれたのに。
千切れ千切れになった記憶が途切れ途切れになって、蘇る。
あの夜。
あの廃屋で。
ギャングが警察の偉いさんを殺した。
ギャングが権三に灼けるように熱い薬品を飲ませて。
ギャングは静かに笑って。
廃屋から消えていく。
権三は天窓から注ぐ夜光をずっと眺めていた。
権三に声は出せない。
喉が薬品で灼かれているから。
ファミリーだと呼んでくれたのに。
何で?
みんな僕を捨てるの?
誰よりも醜い顔をしてるから。
権三はちっこい警察官のちっこい拳銃を握る。
ちっこい警察官の手の骨が砕ける音。
ちっこい警察官の呻き声。
権三が手錠を引きちぎる音。
権三が取り調べ室の窓から飛び降りる音。
音とリンクして、駒送りに流れる映像。
窓ガラスが粉々に砕けて、太陽光線を乱反射して、雪のように見える
権三はパトカーの上に着地した。
音を立てて、パトカーが潰れた。
そして、権三は走り出す。
逃げなくては。
ここじゃないどこかへ。
それっきり権三は街から姿を消した。
次の日の新聞には殺人犯権三が取り調べ中に警察官を殴り倒して、逃亡したと記事が載って。
権三を知っている学校の先生も、友達もみんな頑丈な鍵を新しくつけて、雨戸をしっかり閉めて、セコムと契約して、権三が帰ってきた時の為に備えた。
もちろんギャングも世界最高峰のボディーガードを雇って、権三が復讐に来るのに備えた。
でも、権三はその日以来、この街に戻ることはなかった。
権三は走り続けた。
灼かれた喉のせいで呼吸がしずらくて、心臓が弾けそうになる
取り調べ室から飛び降りた時に脚を怪我して、脚が千切れそうになる。
そして、動けなくなる。
そして、大地に倒れていく。
もういいんだ。
権三は独りぼっち。
街から遠く離れた世界で。
土に埋もれていく。
水が飲みたいとか。
腹が減ったとか。
眠りたいとか。
欲望が絶望に消えていく。
独りぼっちで。
涙も枯れて。
声も失って。
脚も動かなくて。
権三はそのまま眠りについた。
灼けるように熱い喉に心地よさが流れて、権三は目を覚ます。
ぼんやりとした人影が見えたけれど、ぼんやりし過ぎて、よく分からない。
喉を通る心地よさがとても優しくて、そんな心地よさに再び目をつむる。
そして、そのまま、眠って、夢を見た。
母親が権三を抱いて、笑う夢。
ギャングと女の子のいる店ではしゃぐ夢。
夢は夢のまま。
また目を覚ましたら、終わってしまう。
そこには父親も知らなくて、貧乏で、誰よりも醜い顔の権三がいる。
そこにはギャングをファミリーだと信じて、裏切られた権三がいる。
あんたなんか生むんじゃなかった。
母親の言葉で権三は目を覚ました。
目の前にはおかっぱ頭の小さな女の子がいた。
小さなおかっぱの女の子は権三の口元にスプーンですくった液体を入れる。
権三の灼けただれた喉の痛みが消えていく。
声は相変わらず出ない。
でも、喉は心地よかった。
小さなおかっぱの女の子は夏と言った。
権三は動けなくなって、倒れていた。
薬草を探しに歩いていた夏が権三を発見して、権三は此処にいる。
夏は毎日、権三の眠るベッドにやってきた。
とても心地よく、優しい薬を持ってきて、権三に飲ませてくれる。
誰よりも醜い顔の権三にだ。
薬が終わると、しばらく権三を眺めて、何も言わずに消えてしまう。
夏は捨てられたんだ。
権三を世話するじいさんが言う。
雪が世界を覆い尽くした夜。
夏は1人歩いていた。
言葉を発することもできず。
寒さに震えて。
夏って名前なのに、冬に捨てられたんだ。
夏は今もしゃべることができない。
しゃべることができないから、捨てられたのか。
捨てられたショックでしゃべれなくなったのか。
どちらか分からないが、今も夏はしゃべらない。
じいさんは自分の目を指で差す。
白く濁った目だった。
この目には何も映らないんだよ。
そして、語り始める。
春の花も。
夏の雲も。
秋の落ち葉も。
冬の雪も。
何も映らない。
白く濁った目をした少年。
生まれた時から真っ暗な世界にいた。
そして、目の見えないから。
役に立たないから。
両親に捨てられた。
ここはずっと昔、何もない荒野で。
木の根っこをかじりながら。
雨水をすすりながら。
目の見えない少年はなんとか生き残って。
ここに家を作った。
いや、家と言うより小屋に近いだろう。
這いつくばって、拾った木々の破片でできているのだから。
目の見えない少年が1人で暮らして。
目の見えない少年が1人で遊んでいると。
そこに手のない男の子が捨てられて、やってきた。
そこに脚のない女の子が這いずって、やってきた。
そこに無音の世界しか知らない青年がやってきた。
そこに息子に家から追い出された老婆がやってきた。
そして、しゃべれない夏がやってきた。
そして、みんなみんな捨てられて、やってきた。
そして、国ができた。
お人好しの国と言う。
そこは足りない者同士が補い合う世界だった。
目が見える者は目の見えない者の杖になって。
耳の聞こえない者の為、ギュッと抱き締めて、気持ちを伝えて。
手がないのなら、体を寄せて、一晩中笑いあって。
足がない者を肩に乗せて、真っ赤な夕日を一緒に眺めて。
権三の眠る部屋の窓から。
笑い声と足音が聞こえる。
捨てられたんだろ。
お前らは。
みじめなはずなのに。
なんで笑えるんだ?
権三には分からなかった。
薬品で灼かれた喉でしゃべることはできないが、夏の薬のおかげか、痛みは治まった。
取り調べ室から飛び降りた時の脚は完全に治らないが、ビッコを引けば、歩けるようになった。
権三は不自由な脚で部屋を回って。
深く息を吐いて、喉を確かめた。
ここで眠る必要がなくなったのだ。
さあ、どうするか?
母親は消えた。
父親は知らない。
警察に追われて。
ギャングに追われて。
どこにも行く道などない。
権三は途方に暮れる。
あのまま、土に埋もれて。
あのまま、死んでしまった方がよかったもしれない。
権三は行き場のない足取りで部屋を出て、このお人好しの国を歩く。
捨てられた人の寄せ集めで、みじめであるはずの国。
でも、笑顔があった。
だから、うらやましかった。
だから、切なくなった。
ふと権三は手を握られる。
それはしゃべれない夏の手。
そこは足りない者同士が補い合う世界。
夏はしゃべれないから、権三の手を握って、離さない。
誰よりも醜い顔の権三に怯えることなく、まっすぐ権三の目を見据える。
此処にいればいい。
此処にいればいい。
このお人好しの国にいればいい。
そう聞こえる気がした。
夏の後からもう1人の男の子が頭を出した。
肘から下の手がないけれど、ゴム式エンジンのおもちゃの飛行機を上手に持って、権三に飛ばしてと言う。
手のない男の子にはおもちゃの飛行機も飛ばせないから。
足りない者同士が補い合う世界で、お人好しの国と言う。
権三はおもちゃの飛行機を空高く飛ばして、夏と男の子を両肩に乗せる。
青い空を横切っていくおもちゃの飛行機。
権三の足りない部分が満たされた気がした。
車が急ブレーキをかけて。
砂埃が舞った。
扉がバタンと開いて。
バタンと閉じられる。
そして、車は急発進して。
地平線の彼方に消えていった。
砂埃がおさまって、平穏が訪れる。
そこにはタオルにくるまれた赤ちゃんがいた。
赤ちゃんはすやすや眠っている。
捨てられたことも知らずに。
安らかに母の夢を見て。
権三はそっと赤ちゃんを抱き上げた。
優しく笑って。
ビッコを引いて。
お人好しの国へ帰っていった。
【おしまい】