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うつぼ作品集  作者: utu-bo
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鮎【サケ目・アユ科】【体長】10~30cm【生息地】清流【餌】藻類【特長】秋に性成熟すると婚姻色を発現させる  川と海を回遊する 【参考】鮎の友釣り

王さんはいつも笑っていた。


片言な日本語が得意で。


英語がチンプンカンプンで。


昔、足を怪我して。


まっすぐ歩けなくて。


正社員になれない僕のバイトするコンビニに履歴書を持ってやってきた王さん。


店長は片言の日本語と歩き方を馬鹿にしながら、他のバイトの子達の笑いをとっていた。


それでも、王さんは笑っている。



馬鹿にされたら、怒ればいいのに。



僕は居心地の悪さを感じたから、店の裏にタバコを吸いにいく。


所詮はバイトで。


切り捨てられるトカゲの尻尾ほどの価値しかないから。


吐き出した白い煙も空気に溶けてしまう。



マサルゥ~!




店長の声が僕を呼ぶ。


きっと誰かがチクったんだ。


想像はつく。


が、確信はない。


この空みたいな灰色に近いリアル。


きっと僕は誰も信じていない。


だから、僕を誰も信じてくれない。


タバコを靴で踏み消して、居心地の悪い店へと戻っていった。







昔はこうして、ギターを抱えて。


昔はこうして、女の子を口説いて。


昔はこうして、仲間と青春を謳歌して。




店長は結構、単純だ。




バイトの誰かが言っていた。


のせれば、財布の紐も緩む。


のせれば、好き放題に操れる。


いい大人を捕まえて。


いい大人をカモにして。


若者が好きなように言っている。


正社員にもなれないバイト君がいい大人を見下している。




店長の昔はあーだこーだな自慢話に頷くバイト君。


今宵の酒代のために。


店長はずっと女子高生のバイトの女の子の肩を抱いている。


今宵は王さんの歓迎会だというのに。


ああ、そうか。


この子が言っていたんだ。


のせれば、財布の紐も緩む。


のせれば、好き放題に操れる。


ってことはのせたんだ。


僕は納得して、アダルトビデオみたいな店長と女子高生の行為を想像した。


恥ずかしながら、興奮してしまう。


でも、主役は王さんのはずだ。


店長でも。


女子高生でも。


バイト君でも。


正社員になれない僕でもない。


主役は新人バイトの王さんのはずだ。


僕は王さんを探した。


店の座敷の片隅にいる。


真っ赤な顔で。


困ってるんだけど。


やっぱり笑っている。




どうして笑えるんだろう?




片言の日本語を馬鹿にされて。


歩き方をからかわれて。


しまいには歓迎会の主役までも奪われて。




どうして、そんなに笑えるんだろう?



僕は苦いビールを口に含んで。


また王さんを見る。


そしたら、王さんも僕を見ていて、目が合ってしまい、すぐに視線をビールに映す。




何、隠れてるんだ。


堂々とすれば、いいんだから。




僕が再び王さんを見ると、王さんが倒れていた。


飲み疲れて。


酔いつぶれて。


笑い疲れて。


でも、寝顔まで笑ってらぁ。


店長は相変わらず女子高生のバイトの女の子の肩を抱いて。


みんな酔いつぶれている王さんのこと忘れて。


歓迎会はお開き。


二次会の始まり。


僕は自然にフェードアウト。


王さんだけ気になったから。


王さんをおぶって、フェードアウト。


飲み足りない奴らは二次会へフェードイン。


店長と女子高生のバイトの女の子はいつものラブホでベッドイン。







王さんの家を知るわけがない。


だから、まずコンビニに行く。


新人バイト君がレジ打ち中。


僕は奥の休憩室の簡易ベッドに王さんを寝かして。


薄っぺらい毛布をかけて。


僕は外に出る。


タバコに火をつけて。


白い煙が空気に溶けて。


王さんみたいに笑ってみた。


やっぱし笑えない。


あれは才能だな。


僕はもう一本タバコに火をつけた。














アリガトーゴザイマス。アリガトーゴザイマス。




王さんは汗臭い手で僕の手を握り締める。


そして、笑顔で繰り返す。


ただ酔いつぶれた王さんを運んだだけ。


何もしていない。


若い女の子だったら、何かしていただろう。




いいよ。いいよ。気にしなくて。






面倒くさくて。


照れ臭くて。


僕は居心地の悪い場所から逃げ出した。






アリガトーゴザイマス。アリガトーゴザイマス。




王さんが壊れたおもちゃみたいに繰り返していた。


店の裏でタバコに火をつける。


耳に残る王さんの言葉を思い浮かべると、意外に心地よかった。


タバコもよけいにおいしく感じた。








王さんがバイトにきてから、僕を含めたバイト君達は怠け癖がついた。


王さんは働き者過ぎて。


汗だくに動き回って。


でも、僕達のほうが時給がよくて。


王さんは決して正社員にはなれない。


だって、中国人だから。


だって、日本人じゃないから。


おんなじ人間なのに。


かといって、僕は日本人であることにあぐらをかいているから。


そんなことを言ってられない。


日本人だって正社員にもなれないが、バイトまで首になったら、しゃれにならないから。










最近、店長の様子がおかしい。


女子高生もバイト辞めちゃったし。


頬もこけて。


なんか薬飲んでるみたいよ。


女子高生が子供おろしたから。


頭がおかしくなったんよ。





噂はまことしやか。


おひれはひれのキリがなく。


狭いコンビニの店内に澱んだ空気が充満している。


澱んだ空気には澱んだ気持ちが生まれる。


今までどんなに王さんを馬鹿にしても、そこに悪意をさほど感じなかった。


もちろん悪意が全くなかったわけではない。


片言の日本語を馬鹿にして。


変な歩き方をからかって。


確実に悪意が在った。


だが、笑う王さんを追い詰めるようなものではなかった。


王さんがどう感じていたかは分からない。


だって、笑い顔しか見たことなかったから。



そして、澱んだ空気に生まれた澱んだ気持ちは一つの事件を引き起こした。


売上金が足りなかったのだ。



今まで売上金が足らないことなどなかったわけでないし。


今まで金額の大小にも関わるけれど


お人好しな店長が見逃してくれていただけのこと。


それに加えて、金額のケタが違ったこと。


女子高生のバイトの女の子が辞めてしまったこと。


店長が抱え込んだ個人的な事柄が店長を変えてしまっていた。






休憩室にバイトが集められる。


もちろん、王さんがいる。


もちろん、僕もいる。


そして、いつもの笑う王さんはそこにいなかった。



名探偵コナンばりの推理も何もなく王さんは犯人と決めつけられていた。


王さんは必死で弁解した。



ワターシ ナニモヤッテナイヨ。

オネガーイ。ワタシジャナイヨ。



王さん片言の日本語。

懇願する土下座。



実はとったんじゃねえか。


そう思われかねない土下座が王さんを犯人だと決定付けた。




王さんはクビにはならなかった。


でも、安い時給からさらに天引きされるペナルティーを科せられる。


誰よりも安い給料で。


誰よりも一生懸命働いて。


それでも、王さんは笑顔を絶やすことなかった。



どうして笑っていられるのだろうか。


多分、濡れ衣を着せられて。


給料を天引きされて。


それでも、一生懸命働いて。


中国人だから、正社員にもなれないのに。


まだ笑っている。


僕には理解できなかった。





澱んだ空気に生まれた澱んだ気持ちはさらにエスカレートする。


王さんだけが一生懸命働いて。


誰も働くふりしかしなくなった。


都合が悪くなると。


王さんのせいにして、王さんの給料がた天引きされる。






悪循環がさらなる悪循環を引き起こす。


そして、あの日、王さんの笑顔が消えた。


何を言われても、笑顔を絶やすことのなかった王さんの笑顔が消えたのだ。




2010年9月7日


尖閣諸島漁船追突事故が起きたのだ。



日本も中国も国中が大騒ぎで。


日本政府の歯切れの悪い声明。


中国船の船長の釈放。


中国での反日デモ。


レアアースの輸出制限。


YouTubeの映像流出。



そして、王さんへの暴力が始まる。


まず店長が、そして、リーダー、サブリーダーと順番に王さんを殴る。


僕は居心地の悪さから店の裏に逃げ出した。


そう逃げ出したんだ。


王さんを痛めつける暴力が怖くて。


そして、王さんが仕事に来なくなった。




王さんにくわえた暴力は中国で起きている反日デモと変わらない。



王さんを殴って、ガッツポーズを決める店長と釈放されて、英雄となった船長と変わらない。



そして、僕はYouTubeに映像を流出する勇気もなく、暴力を制止する勇気もない。



王さんがもし中国人でなかったら。



僕がもし日本人でなかったら。








清らかな水の流れの中でしか生きられない鮎がいる。


鮎が見ている世界はさぞ清らかで、美しいのだろう。


澱んだ水の中にずっと沈んでいれば、澱んだ世界しか見れなくなる。







王さんがいなくなった後もコンビニは澱んだ空気に満ちていた。


だから、誰もが澱んだ世界しか見れなくなっていた。





TVショーが連日、加熱報道をして。


僕らの敵は中国であると先導して。


民主党の支持率が急落して。


政権交代を歌って。


僕らを洗脳する。





澱んだ世界しかなかった。




でも、コンビニがどんなに澱んだ空気が溢れていても、地理的な好条件のため、つぶれることなく営業を続けられていた。


でも、居心地の悪さは相変わらず変わらない。



店長は毎食後に何種類もの薬を飲んで。


女子高生がお客でやってくると。


休憩室に鍵をかけて、一人引きこもる。


だいたいやってることは想像がつく。


王さんで怠けることを覚えているバイト君達は新人や下っ端にばかりえらいことをやらせて、まるで働く気がない。



僕も店の裏にタバコをやたら吸いにいくようになった。




ここは澱んだ世界そのものだ。




だから。



澱んだ世界に沈んでいかないため。



僕はらしくなく就職活動に勤しんだ。





結果は散々だった。


履歴書を送るたび。

履歴書が返ってくるから。

また履歴書を書いて。

また履歴書を送る。


繰り返し。


繰り返し。


スーツとネクタイを買ったが。

まだつける機会に恵まれない。


流行りのデザインを買ったのに。










スーツのデザインがすたる前に。


ようやく小さな希望が一つ届いた。



小さな会社からで。

一度、面接してくれると。



たった2、3分の電話だったけど、とても嬉しかった。









店長は目にくまを作って、レジを打っていた。


いい加減なバイトばかりでいつもシフトに穴が開くようになっていた。


そして、店長だか、古株の僕だかが駆り出される。


面接が明後日だから。


明日、夜勤明けで爆睡し。


かろうじて流行りっぽく見えるスーツとネクタイで。


面接に間に合えばいい。



そんな軽い気持ちで僕はここにいる。







ありがとうございました。



レジを打ち。


お釣りを渡して。


店長が言う。


そして、自動ドアが開いて、閉まる。



ありがとうございました。


言葉で記せば。


感謝の気持ちが込められている気がする。



でも、聞いていて、そんな気持ちが微塵も込められていないことがよく分かる。


機械的に言っているだけなんだ。




それならば。


アリガトーゴザイマスと。


片言の日本語で繰り返された言葉の方がよっぽど温かかった。





そして、お客さんがいなくなる。


店長は棚をお整理するため、

レジを出る。



再び自動ドアが開く。





いらっしゃいませ。




すでに条件反射ばかりに口から出た言葉。


そして、僕が顔を上げると。


そこには店長が倒れていた。

倒れた店長から。

真っ赤な絨毯が広がっていく。


僕はレジカウンターの中で押さえつけられる。


ほんの2、3秒の出来事だった。




コンビニ強盗だ。




非常時のボタンを押させないほど。


手際がよくて。


監視カメラの死角に僕は連れ出された。





レジカウンターから出された時。


頭を殴られたので。


視界がぼやけて見える。



そして、足音が聞こえた。


全然リズミカルでなくて。


聞いたことのある足音だ。



監視カメラの死角を熟知していて。


死角から死角へと移動しながら。

僕の前までやってきた。




王さん?





僕が言う前に。


堅い金属で僕は殴られた。







2010年9月7日


尖閣諸島漁船追突事故が起きた日。




店長は王さんを殴りつけた。

リーダーが王さんを殴りつけた。

サブリーダーが王さんを殴りつけた。

僕は居心地が悪くなって。

休憩室を逃げ出した。

店の裏でタバコを1本吸い終えた頃。


サブリーダーが僕を呼びにきた。


爪がめり込むぐらい腕を強くつかんで。

僕を連れていく。


店長とリーダーがニヤニヤしていて。

足元にぼろ雑巾みたいに王さんが転がっている。




日本人ならば、この中国人を蹴るんだ。


クビになりたくないなら、この中国人を蹴るんだ。



店長が言う。





僕は王さんと目があった。



僕は王さんから目をそらした。



僕は目をつむり、王さんを蹴り上げた。


そして、王さんはバイトに来なくなった。








王さんは何回も僕を殴りつけて。


王さんは何回も僕を蹴り上げて。


口の中に血が溢れる。


苦くて。





ゴメンナサイ。





僕はそう言おうとしたけれど。


口の中の苦い血が邪魔をして。


うまく言えなかった。




澱んだ水の中にずっといれば。


澱んだ世界しか見えなくなる。


世界が澱んでいることに気付かないままに。


自分が澱んでいることに気付かないままに。



もし許されるなら。


この次は清らかな水の流れの中でしか。



生きられぬ鮎のように。







そんな世界で生きてみたい。







ゴメンナサイ。





僕はもう一度言おうとした。






でも、鈍い音が響いて。


僕の。


機能が停止した。






【おしまい】




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