ブレード 誕生
カンカンカン、踏み切りの音。電車の車輪が大地を削るように回る。一部断線したネオンがバチバチと消えては点いて。街はいつも賑やかだけど、キミタカの世界は深い闇に沈んでいた。どうしてって。それは
ミリオンベイビーだから。闇が心に侵蝕していく。そんな時だ。キミタカの手を握って、誰かが言った。
「子供の国へようこそ。新しい家族だね。」
キミタカはこそばゆい気持ちになった。ずっと一人ぼっちだった。誰とも話さず、誰にも触れられず、街の中、ビルの合間を縫うように歩いて、たどり着いた世界で、初めて聞いた、優しい言葉。すがるようにしがみつくことしか考えられなかった。
国が少子化対策のために打ち出した政策はとてもエキセントリックだった。子供を二人生んだ家庭に1,000万の助成を行うというもの。もちろん非課税対象だ。この法律の効果は覿面で、加速する少子化に歯止めの楔を打った。実際、1,000万目当てに幾つものカップルが子供を二人生んだ。一カップルから二人、二カップルから四人と倍々に増えていく。その1,000万の資金は子育て助成という名目であるが、領収書等々の提出の義務はない。したがって、自分の趣味に使用しても法律違反にならない。ここで発生する問題は育児放棄だ。家計を圧迫する教育費用の1,000万だが、子供がいなくなれば、二人の遊行費に1,000万を使うことができる。至極当然の結果だった。ねずみ算式に増えた家のない子供達が街に溢れて、国の少子化は改善した。そして、そんな子供達はミリオンベイビーと呼ばれた。
キミタカもその一人だった。小学校にも行かせてもらえず、孤独に街をさ迷う。数字や文字は誰も教えてくれないから、お店の看板で覚えた。いつもお腹を空かせていた。動物愛護協会が守ってくれるから、野良犬や野良猫の方がいい暮らしをしている。人間の子供は動物じゃないから、動物愛護協会は守ってくれない。どこにも行く場所もなく、身を休めて住む場所もなく、ただ街をさ迷い、たどり着いた。そこは子供の国だった。
「君は運がいいよ。」キミタカより年上の少年が言う。声変わり寸前の中途半端なキーの高さが耳に響いた。でも、家族と言ってくれたから、嬉しくて疑うこともなく、ついていく。街の路地裏の裏の裏、右左左右と曲がっていく。薄暗い通路を照らすのはきらびやかなネオンと発狂するような雄叫び。
「子供の国には子供しか行けないんだ。」
「友達がいっぱいいるんだよ。」
「おいしいお菓子もあるしね。」
「僕達を捨てた親はいないし。」
少年は夢のような話をする、路地裏の裏の裏は長いトンネルみたいに続く。入り口も狭かったが、先に進むと、さらに路地裏は狭くなっていく。歩を進める度に左右の壁が迫ってきて、両肘が左右の壁に触れる。とても冷たくて、ヌルっとしてた。
「さあ、ここだよ。」
少年がいうと、トンネルが一気に開けて、光が溢れる。他の子供達の声が響く。楽しそうな笑い声だ。キミタカは嬉しくなって駆け出した。きっと嬉しいことがある。きっと楽しいことがある。そう信じて。
街に隙間なく広がるビル、人間の経済生活の礎だ。決して届くことのない空に向かって、さらなる高い頂を求めているようだ。キミタカの職場はその一つの最下層にある。キミタカの仕事には知識や技術を必要としない。難しい仕事は全てオートマータがやってくれる。オートマータではできない仕事、例えばオートマータの作業切り替えのボタンを押すだけの仕事、それがキミタカの仕事だ。やりがいを感じることもなく、生きるためにただ働く。安い給料で夢も希望も抱くことはできないが、とりあえず生きていける。人間に必要なのは衣食住だ。服がなければ外も歩けない。家がなければ、寒さを凌げない。食べるものがなければ、痩せこけて野良猫のように死んでしまう。安い給料でも、夢も希望もなくても、生きることができる。衣食住を貰えるから、キミタカはそこで働く。つまりは生きる手段だ。人が住まなくなった廃墟で暮らす野良猫との方がカッコいい生き方だと思ったりもする。ずっと昔の野良猫みたいな暮らしをしていた頃を思い出す。そして、そこから抜け出した子供の国の暮らし。時を積み重ねることで色々なことを忘れてしまう。欠落した記憶はきっと都合よく再構築され改竄されたものだ。それでも、キミタカは記憶を探る。心が深い闇に沈んでいく。白く細い一本の糸を紡いでいくように。最近、仕事が忙しくて、生きるのに疲れはてて、忘れていた記憶。それは昼休みにテレビで流れたニュースで強制的に思い出させられた。
労働基準法に守られた一時間の昼休憩、職場のみんなが黙って飯を食う。弁当持ちも割安な食堂の飯も変わらない。キミタカはA定食を食べていた。多分外国産の鶏肉の唐揚げに味噌汁とご飯、あと、千切りキャベツ、値段も会社の補助があって、安い。おいしいとは思わないが、貧乏なキミタカにとってありがたい制度だ。
「そんな贅沢は言えないな。」キミタカは唐揚げを口にいれて、手を止める。いや、止まってしまった。テレビに緊急ニュースが流れたのだ。
【総理大臣を人質にした引きこもり事件。】
まるで漫画でありそうだけど、現実には決して起こりえないニュースだ。総理大臣と言えば、この国で一番偉い人だ。キミタカだけでなく、食堂にいる誰もが手を止めた。でも、キミタカが驚いたのはそれだけではなかった。引きこもっている犯人の名前を知っていたからだ。尾関マモル。よく知っている。あの日、子供の国まで路地裏の裏の裏を一緒に歩いた少年の名前だ。
キミタカが幼い頃暮らした子供の国はもうない。国が定めた1,000万の助成金で生まれたミリオンベイビーは加速する少子化にブレーキをかけた。1,000万のためだけに生まれた子供達は1,000万のためだけに両親に捨てられた。それでも、捨てられて不幸な末路の子供より普通に育った子供の方が絶対的に多く、その子供達からねずみ算式に人口が増加し、少子化問題は解決することとなった。マクロ的に評価すれば成功だろう。でも、ミクロ的に評価すれば失敗だと思う。親に捨てられた子供の傷は深く抉れたままだからだ。キミタカも遊び呆ける親だった。そして、親に捨てられ、街をさ迷い、子供の国にたどり着いた。
子供の国はおいしいお菓子も甘いジュースもたくさんあって、おかわりもできる。そんな優しい国。いやいや違うよ。何も知らない子供達を誘拐して、洗脳する国だ。そんな噂が昔流れていたらしい。当時、そんな噂は知らなかった。たとえ噂を知っていても、一人ぼっち街をさ迷うよりは幸せだったと思う。
子供の国には一人のお母さんがいて、40人の捨てられた子供達がいた。お母さんが毎日、ご飯を作ってくれて、洗濯もしてくれた。お風呂だってみんなで入って楽しかった。漢字も英語も算数も教えてくれた。学校に行かせてもらえなかった子供ばかりだったから、子供の国でたくさん勉強できた。みんな家族だった。
お母さんもいつも言う。みんな家族だから、みんなが一人を守るために、一人ぼっちにならないようにしないといけない。そのためには誰にも負けない強い心が必要なの。だから、みんなが強い心を持てるようにもっと強くならなくちゃいけない。お母さんはとても優しかった。マモルと二人でたくさんのことを教えてもらった。ナイフの使い方も最初は怖かった。うまくできなくて悲しかった。そんな時はお母さんがキミタカを、マモルを、二人まとめて抱き締めてくれた。
「ここはどこなの?」
「あばらヶ丘というのよ。」お母さんが教えてくれる。痩せこけた大地で作物も育たないから、ここに住んでいた人達もこのあばらヶ丘を捨てて出てってしまった。お母さんが誰もいない、この場所を耕して、必死に土地を耕して、こんなに野菜や果物がなるようになって、家族で生きられるようになったのだ。あばらヶ丘の名前の由来はあばらが浮きでてしまうほど作物も何も育たない土地というものだった。
自給自足の生活。あばらヶ丘で過ごした子供の国の生活。記憶の糸を紡いで、深い闇の中に眠っていたものは幸せの記憶だった。親に捨てられたミリオンベイビーは孤独に殺されるか、他所の国に売られるしかない。それは不幸な未来だ。子供の国で暮らしたからこそ今のキミタカがある。強い心を持つこと。子供の国のお母さんの言葉を思い出す。強い心で子供の国が失くなっても、お母さんがいなくなっても、こうして生きることができている。子供の国で暮らして、4年過ぎた頃だ。子供の国が失くなってしまったのは。
1,000万のために生まれたミリオンベイビー達。肩を寄せあって、支えあって、暮らした子供の国。ある夜明け頃、彼等は突然、やってきた。お母さんにペラペラと風に揺れる、薄っぺらな紙切れを見せる。
「逮捕状だ。分かるか。未成年者拐取罪
だ。」その頃の子供の国には80人近い数の子供がいた。みんなミリオンベイビーだ。キミタカは14歳になっていた。10歳の頃にここに連れてきてもらって、生きる術を教えてもらって、みんなお母さんに愛してもらって、そんな暮らしが終わる。薄っぺらな紙切れにはこの国の法的な効力があるとみんな理解した。それを見せるのは紺色のスーツに身を固めた警察官だろうか。キミタカは手を握る。汗がじわりと流れてくる。今じゃないか。ナイフの使い方を見せる時じゃないか。家族を、お母さんを守るために。
お母さんは手を上げた。そして、80人のミリオンベイビーを制す。今ではない。そう背中が訴えていた。そして、キミタカ達の方を向いて、優しく笑う。いつもいつも笑ってくれた。悲しい時は抱き締めてくれた。いつものお母さんの笑顔だ。みんなの前でお母さんは突然はぜるように跳ねた。身体中から細く、鋭い、黒い刃が現れ、体を回転させて、紺色のスーツの間に潜り込んでいく。虚をつかれた紺色のスーツ達はバタバタと倒れていく。お母さんの刃はキミタカに教えてくれた通り、頸動脈を確実に切り裂いていく。無駄な動きは何一つない。一人、また、一人、紺色のスーツが倒れていく。ただ一人のお母さんを取り抑えることができない紺色のスーツ達は増殖するアメーバみたいにお母さんに向かっていく。そして、動きを制限するかのようにフォーメーションを組んで囲む。その隙間を器用に抜けて、すれ違いざまにまた、紺色のスーツが倒れる。血まみれの大地、あばらヶ丘が美味しそうにその血を吸う。血が蒸発し、湯気を立てる。キミタカ達を守るために戦うお母さんの姿にキミタカは感情が高揚した。人殺しのショーなのに。あらかた紺色のスーツが倒れて、あばらヶ丘が真っ赤に染まる。刃から滴る血を隠さないお母さんがキミタカ達を見た。そして、笑った。人殺しのショーが終わったのだと誰もが思った。でも、そこには白いコートを羽織った男が立っていた。
お母さんの笑顔が曇る。白いコートの男もお母さんと同じく体から刃が幾つも生えていた。お母さんと違うのは刃が白いことだった。
「こんばんわ。」男は静かに屈む。瞬間、放たれる体。お母さんと男の刃が火花を上げた。火花は星が降るように落ちて消える。どっちが有利なのか、一目瞭然だった。お母さんの体からお母さんの血が流れて、飛び散る。
斬。
男は体を竜巻みたいに回転させた。竜巻に巻き込まれてお母さんの体ががはぜた。目の前で起きていることが理解できていない。でも、お母さんが負けたことは理解できた。それでも、お母さんは戦いを止めない。キミタカ達を守るために。子供の国を守るために。
テレビに映るマモル。昔と変わっていない。あれからキミタカは一人施設に入れられた。幾つものテストを受けさせられた。つまらないものばかりだ。マモルは別の施設に入れられて、あれから会っていない。緊急ニュースに周りがざわついていた。この国の総理大臣を拉致し、引きこもるなんて、馬鹿げたニュースだ。きっとたくさんの警備がついているから無理だと誰もが諦めるのに。マモルはその道を作って、成し遂げた。何のために。きっとそれはお母さんのためだ。
血に染まったあばらヶ丘。紺色のスーツ達がたくさん袋に入れられていた。白いコートの男がキミタカの前に来る。見下ろしてにやける。コートについているのはお母さんの血。お母さんも一緒くたに袋に入れられた。体から現れた刃はヒビが入って、折れていた。キミタカ達を守るために戦ったお母さん。目の前に敵の男がいる。心が、体が熱を帯びる。体の中で異常に増殖する何かを感じた。白いコートの男がキミタカの目の前で屈む。右腕から突出する白い刃が震えていた。
「いいぞ。殺し会おう。」
ゆっくりと、滑らかに空気を切るように刃がキミタカの首元めがけて唸る。まるで映画のような流れる映像だ。その隙間からお母さんを入れた袋が見えた。折れた刃が袋を裂いて、白い優しい腕がこぼれる。優しく抱き締めくれた腕だ。内から声が溢れそうなのに出てこない。代わりに出てきたのはお母さんと同じ黒い刃だった。
男の白い刃とキミタカの黒い刃がぶつかって、キミタカは簡単に弾き飛ばされる。男はゆっくりとキミタカに近づいてくる。地面を転がった痛みよりも刃が出てきた痛みの方が痛い。動けない。殺される。そう思った時、空を裂くようにヘリコプターが降り立ち、白衣を着た大人達が現れた。白いコートの男を揉み合うように制している。体の中で増殖した何かがゆっくりといなくなっていく。おとな達の声、家族の泣き声、ヘリコプターの音、とにかく五月蝿かった。それでも、眠るように意識を失ってしまった。
ブレードとは体の中にある金属因子を精製し、刃として発現させたものだ。施設の人はキミタカに優しかった。白いコートの男みたいに殺し会おうとも言わない。むしろブレードというものを発現させるキミタカを誉めてくれる。ブレードを発現できるのは特殊な人間だ。空から降ってきた隕石に付着する金属性微生物を体に共生させることで能力が発現する。お母さんが媒体となって、キミタカに金属性微生物が体内で共生するようになった。もちろん適性もあり、キミタカ以外もミリオンベイビーには発現しなかったそうだ。。
施設は普通の建物だった。色々な機械があって、キミタカの体を調べる。施設の人にお母さんのことを聞いた。お母さんも昔、ここにいて、ここで実験に実験を重ねたブレードで、とても優秀だった。大人になって施設を出て、国の機関で働いていたけれど、それ以上は分からないと言う。実験を重ねるにつれ、キミタカのブレードは発現しなくなっていく。理由は分からない。そもそも施設の人もなぜブレードが発現するのか、確実なことは分かっていなかった。でも、人類の好奇心と向上心が分からないという答えを許さない。だから、ブレードを発現させ、データを回収するため、キミタカに刺激を与え続けた。しかし、ブレードを発現しないキミタカにどんどん興味が薄れていく。
「もうここにいる必要はないんだよ。」
眼鏡をかけた、白衣に身を包む科学者が決断をして、キミタカは施設から放り出された。18歳の頃だった。
マモルの決意はブレードよりも固く、鋭かった。キミタカは白いコートの男を探すため、そして、お母さんの敵を殺すためにこんな馬鹿げた事件を起こしている。施設を放り出された後、施設が用意してくれた仕事をして、ただ生きているキミタカとは違う。生きる目的を、お母さんの敵を取るという目的を固く持って生きてきた。多分、あの男が来る。マモルのところへ。総理大臣を守るために。お母さんも施設で実験に実験を重ねて、国の機関で、国のために働いて、殺された。キミタカの頭の中でマモルのことが駆け回る。手が無意識に握られる。もし白いコートの男が現れたら、マモルは殺される。ブレードは特殊な人間。普通の人間のマモルが敵うはずもない。キミタカがマモルを助けにいけば、きっと殺し合いが始まる。ブレード同士。ブレードがそれを求めている。でも、マモルを助けにいかなくては。お母さんの敵を取らなくては。ただ生きていたキミタカは自分の心の深いところに火が灯るのを感じた。火はあっという間に業火となる。業火の中で鍛冶屋の親父が鋼をうつ。ひたすらに。汗だくに。火花が飛び散り、熱が汗を蒸発させる。そして、キミタカは再びブレードを発現させた。
ブレードと呼ばれる人間がこの国に偶発的に生まれた。金属質の刃を体から発現できる能力を持つ人間だ。その特殊能力は人を切り裂くことに長け、その運動能力も通常の人間を越えていた。そのブレードと呼ばれる人間に黒い母と呼ばれるものがいた。黒いドレスに身を包み、闇から闇へ姿を隠し、ターゲットの頸動脈を音も立てず、切り裂く。要は国お抱えの殺し屋だ。国にとって不都合な真実を隠蔽するためにターゲットを殺す。そんな暮らしをするしかなかった。黒い母はブレードという能力が発現した時、研究施設に保護された。最初のブレードの被害者は優しく抱き締めてくれた母だった。そんな母を意識とは関係なく発現するブレードが切り裂いてしまう。そして、それを助けようとした父もだ。ブレードが発現した日、黒い母は母と父を失い、一人ぼっちになった。
研究施設で保護された黒い母は体中を調べられる。ブレードを発現させる原因因子の調査に始まり、その能力の根幹因子を求め、黒い母を弄ぶようにいじくり回す。結果、ブレードを発現させるのは体内に共生する金属性微生物だと判明した。また、その金属性微生物は空から降ってきた隕石に付着する地球外因子であることも分かった。幾つかの実験の結果、黒い母に残ったのは子供を作れない体だった。
幾つも人を切り刻んだ。助けを求める者も、抗う者も区別なく、ブレードの錆となった。黒い母は病んでいく。母を殺し、父を殺し、国にとって不都合な者を切り刻み、心が壊れていく。そんな時に出会ったのがミリオンベイビー達だ。1,000万という補助金のため、生まれ、捨てられたミリオンベイビー、子供を作れない黒い母と出会ったのは必然だったかもしれない。黒い母は研究施設を抜け出し、ミリオンベイビーのために生きよう。そう決意した。
ブレードを失った研究施設は補助金も削減され、潰れる寸前だった。しかし、もう一人のブレードを偶然に発見した。すでにブレードの発現を意のままに操るスキルを持った男だった。男は白いコートを好んだ。理由はブレードで切り裂いた鮮血で綺麗に染まるのを好んだからだ。新しいブレードは研究施設に来る前からブレードによる殺人を楽しんでいた。能力の絶対値は黒い母と遜色なく、白い刃と呼ばれ、裏の世界で恐れられる男となった。だが、圧倒的な殺傷能力を持つブレードによる殺人は白い刃にとって次第につまらなくなっていく。白い刃と呼ばれる前は警察やら軍隊という巨大な国家権力との戦いが楽しかった。だが、国に雇われることで、合法的な殺し合いはとてつもなくつまらん。そんな時、黒い母というもう一人のブレードを知った。
「そいつは俺より強いのか。」白い刃は殺し合いたい。純粋な欲求を抱く。
「戦ってみないと分からないな。」科学者のの答えに血が躍る。ブレード同士、楽しい殺し合いができる。白い刃は単純にそれを喜んだ。
「未成年者拐取罪」黒い母に出された逮捕令状だ。あばらヶ丘という土地でひっそりとミリオンベイビーと暮らしているという情報。簡単な情報操作で逮捕令状など発行できる。ミリオンベイビーを誘拐したことは事実。間違いはない。正義は国にあった。完全な布陣で黒い母と呼ばれる犯罪者と誘拐されたミリオンベイビーを救うため、公安部隊が動き、あばらヶ丘を取り囲む。ただ一つの誤算は黒い母がまだブレードを発現できたことだった。その事実を軽視した結果があの夜の出来事だった。もし、あの場に白い刃がいなかったら、黒い母を取り逃がしていただろう。それほどまでにブレードは特殊で強い存在だった。白い刃には公安部隊がどれだけ死体になろうが、関係なかった。興味があるのは、黒い母との、ブレード同士の殺し合いだけだった。命を切り刻む戦いは黒い母が死に、白い刃の勝利で終わった。あばらヶ丘で渇いた欲望と血で満たされ、次の欲望が生まれる。あのミリオンベイビーのブレードと戦うこと。白い刃のブレードを止めた、あのミリオンベイビーを。まだだ。まだあいつは強くなる。白い刃は黒い母に感謝した。もう一度、あの緊張した殺し合いができることを。
マモルとキミタカはいつも一緒にいた。もちろんお母さんもだ。でも、お母さんと同じようにブレードを発現させたのはキミタカだけだった。これまでの施設での実験でブレードの根幹となる金属性微生物の移植は失敗続きだった。では、なぜキミタカだけがブレードを発現させたのか。謎は解明できぬままだ。そんな謎のことも、ブレードのことも知らず、マモルは普通の人間のまま、這いつくばって、生きてきた。ミリオンベイビーである以上、いく場所もなく、お母さんに教えてもらった生きる術を存分に磨き、あの日、何が起こったのかを調べ続ける。真実を知るため、その手を汚し続けた。血で染まった両の手はもうお母さんに誇れる手ではない。でも、仕方がない。マモルにとってお母さんは路地裏の裏の裏で野良猫のように生きていたマモルに手を差しのべてくれた、唯一の人間だ。
世界に流布されたニュースはとても奇妙だった。お母さんは未成年者拐取罪で逮捕される時に抵抗したため、拘束した時に心臓発作を起こし、被疑者死亡処理が終わっている。真実は違うよ。マモルがその目で見たのはお母さんがミリオンベイビーであるマモル達を守るために戦う姿だ。その事実だけがマモルにとって真実だった。そして、お母さんを殺した白いコートの男が何者なのか。それだけを求めて、情報を集める。情報はすでにシュレッダーにかけられたかのように粉々で完成不可能なパズルのようだった。だが、這いつくばって、這いつくばって、ピースを探す。そして、お母さんが育った施設に辿り着いた。
お母さんがブレードと呼ばれ、黒い母と呼ばれた殺し屋であった過去と国という国家権力がお母さんの命を奪ったこと。未成年者拐取罪という大義名分的な正義をふりかざし、あばらヶ丘での幸せな時間が奪ったこと。全てが分かったわけではない。むしろパズルの断片しかわかっていない。それでも、敵がどこにいるのか。それだけは確実だった。
敵が分かれば、道が決まる。道が分かれば、その手段を考える。そのためにマモルはどんなこともした。国家権力の長たるもの、総理大臣に復讐することが必然となり、そんな必然を実行するために、手を汚すことも、汚いお金を使うこともいとわなかった。
辿り着いたのは、総理大臣の密やかな逢瀬の場。お母さんのことも何も知らない総理大臣。でも、国家権力のトップ。この喉元をかっ切れば全てが報われるとは思えない。それでも、かっ切らなければ、お母さんの復讐が終わらない。国家権力の長である総理大臣は言葉を吐き捨てる。
「何も知らない。」
「記憶にない。」
「こんなことをしてどうする。」
「このテロリストが。」
ただお母さんと一緒に暮らしていたかった。ミリオンベイビーとして捨てられた子供を、家族として育ててくれたお母さん。とても優しかった。家族だった。とても大切な家族だった。溢れてくる感情がアクセルとなり、思考が加速する。
「なあ、もういいだろう。」
「俺にも家族がいるんだ。」
「ここで引いてくれるなら、俺が警察とか裁判所にもうまく口を聞いてやる。」
総理大臣は何とか生き残ろうと、詭弁を語る。その口がいうマモルの家族を奪ったのは目の前の総理大臣他ならなかった。何一つ心に響かない言葉。むしろ、虫酸が走る。床に転がる2つの亡骸を見た。総理大臣を拉致するために利用しただけの亡骸だ。総理大臣の愛人と秘書はポージングに失敗したマネキンモデルにしか見えない。すでに総理大臣の愛人と秘書を殺し、消えない罪に体と心が絡め取られていた。もう、すでに二人殺しているのだから。どうせミリオンベイビーなんだから。もうお母さんはいないのだから、目の前にある着地点にもう手が届いている。後は、この総理大臣の首をかっ切るだけ。それで終わるんだ。もう、終わるんだ。もう家族はいないのだから。加速し続ける思考は同じことを繰り返していた。お母さんがいて、キミタカがいて、家族がいて、一緒に芋掘りをして、流れていく映像の中、胸に痛みを感じた。ゆっくりと、背部から、ブレードが突き刺さっていた。
ブレードから滴る血で白いコートが染まる。白い刃はゆっくりと胸を貫いた時とは逆に一瞬でブレードを引き抜いた。この国で一番偉いとされる人間は白い刃のブレードを見て、小便を漏らしていた。
「みっともねえな。まあテレビ中継も操作されて、別の映像が流れているからいいがな。」
白いコートの男は下品な笑みを浮かべる。今起きていることに総理大臣の思考が追いつけなかった。さっきまでは目の前にいたテロリストを何とか懐柔する知恵を尽くしていたが、今は違う。目の前にいる白いコートの男、その目は氷でできているようで冷たく心を凍らしていく。
「わしは総理大臣だから。」この国で一番偉いんだと言いたかったが、言葉が続かない。小便を漏らしたことも忘れ、餌を待つ鯉のように口をパクパクさせた。
「全く、これが俺の守るべきものか。」白い刃はいらっとした。このまま、こいつを殺すのも面白い。どうせ、次の総理大臣候補が金太郎飴のように同じ顔で現れるんだ。この国は、世界はこうやって回っている。
斬。
白い刃のブレードが振動し、甲高い音を発した。この感覚を知っている。あの黒いブレードだ。ブレード同士が共鳴し、空気を震わせている。だが、黒いブレードは、あの日、殺したはず。いや、あのガキか。そうだ。あのガキとようやく殺し合える。男の喜びに金属微生物が異常に増殖を始める。刹那に共鳴が終わり、黒いブレードが視界に現れる。ブレードは通常の人間の能力を凌駕している。動体視力も当然のように通常の人間のものではない。その眼が捉えたのはあのガキだった。あばらヶ丘で白いコートを血に染めた黒いブレードを携えて、目の前ではぜる。ブレードは形を変形しながら、確実に男の首元を狙っていた。風が唸り、切り裂かれる。空気を蒸発させるほどの熱を帯び、ブレードが伸びてくる。
一瞬だった。コンマ何秒の判断の結果、ギリギリの線で黒いブレードと白いブレードが交差する。鼓膜が破れるほど激しく、音を奏でる。時に目を閉じたくなる程の衝撃が体を芯から震えさせる。キミタカは考えるより先に体が動くのが分かった。白いブレードから伝わる感情。殺し合おうぜと言っている。そんなこと言われなくてもわかっている。殺し合っている。小便を漏らした総理大臣も、マネキンみたいな愛人も秘書も、親に捨てられたミリオンベイビーんも関係ない。マモルを殺した、お母さんを殺した白いブレードを殺す。感情が心を支配する。ブレードを作り続ける金属微生物が体の中で増殖する。
斬。
キミタカのブレードは幾つもに分岐し、黒いブレードをかいくぐる。そして、白いコートの心臓を貫いた。
その瞬間、空気が動くのを止めた。光が煌めくのを止めた。ブレードに滴る血だけがゆっくりと流れ動く。マモルを殺した、お母さんを殺した、家族を奪った、あの男を殺した。増殖した金属微生物が心まで侵食する。生きるために殺す。ただそれだけの当たり前の現実を金属微生物は教えてくれた。お母さんもそんな衝動を持っていたのだろうか。重い体を動かし、最後の仕事をした。ミリオンベイビーを生んだ、お母さんを殺した、マモルを殺した、家族を殺した、この国で一番偉い人間、総理大臣の首元にブレードを当てる。ブレードはその血を吸うように滑らかにかっきった。
足音と奇声、パトカーのサイレンと骨太な指示をする声。もうここは取り囲まれていた。あばらヶ丘と同じだ。違うのは生き残ったのがキミタカ一人で、逃げることを止める人間がもういないこと。キミタカはビルの窓から空を飛んだ。ブレードが翼のように広がり、広い空へと消えていった。
ブレードはこの世界のどこかにいる。
今もなおこの世界で生きている。
その刃は誰にも支配されない。
どこの国にも属さないブレードで。
自由に生きている。
今もこの国と戦っている。