モデルハウスにご用心。
格子状に道路で区切られる街。規則正しい連続性のある屋根が色とりどりで可愛らしいフルーツチョコレートを連想させられる。そんな甘ったるい街は首都圏のベッドタウン。地価の高騰とともに高級住宅街として有名になっていった。
セレブの住む街。
そんなキャッチフレーズがTVショーで流れたから、モデルハウスが建てられて、夢を見る人がちょっぴり背伸びをして覗きにくる。
ご自由に見学してください。
高級モデルハウスの前の看板に甘いセリフが書かれている。白い壁には上品な模様が波打ち、生クリームのように甘そうだ。ゴージャスな玄関のドアが半開き。隙間から覗く内装もやはり上物そう。さらに奥へと伸びる通路がセレブ感を煽る。一体、どんだけ広いんじゃと突っ込みを飲み込んだカスミ(28歳)は住宅メーカーの営業がいないことを確認する。こういうモデルハウスを見学してみたいと思うが、どうしても気後れしてしまう。アンケートに個人情報を書かなくてはいけなくて、その個人情報を元にずけずけと営業に来られたりと困ることの方が多い。いや、困るなんてレベルではない。こんなアパートに住んでいる奴がモデルハウスなんて見にくるなよ。こっちは仕事でアンケートを書かれたら、一軒一軒回らなくちゃいけなくなっちまう。どうせ家なんて買えないくせに。営業の目は口ほどに物を云う。後味の悪い惨めさだけが己に残るだけのだ。夢のマイホームなど脆く崩れて、必然的に足が遠退いてしまう。営業の人が図々しくなく、アンケートを書かなくてもよければ、楽に見学できるのに。カスミはため息をついた。
常日頃、マイホームが欲しいとカスミは思っている。小さくてもいい。旦那と子供と小さなマイホームで暮らせたら。こんなセレブ感溢れなくてもいいからって。まだ結婚もしてなくて、彼氏もいない人間の云うセリフではないな。自虐ネタに一人笑う。静かに周りを見回して、営業がいないことをまた確認する。控え目に庭から家庭用蓄電機が覗いている。ということは、太陽光発電の屋根だから最高じゃん。まあ、絶対買えないけどね。また自虐ネタを云って、猫よりもレベルの高い忍び足で玄関に入っていく。おじゃましま~す。小声で挨拶をして、その家に飲み込まれていった。
次に現れたのは中年夫婦。モデルハウスの前でしっかりと立ち止まる。じっくりと半開きの玄関を見据える。今日、二人は友人に招かれて、この高級住宅街にやってきた。セレブな街に住むセレブな友人。それに引き換え、自分達は。口を開ければ、自分達を卑下する言葉を吐いて、その惨めさを正当化するしかなくなる。だから、二人とも口を開けない。この高級住宅街に来るからって、一張羅を羽織った中年夫婦。どんなに着飾っても、この高級住宅街に住むことは一生叶わない。分かっているからこそ、このモデルハウスでセレブ感を味わうのも悪くない。中年夫婦の心は一つだった。都合よく営業の人もいない。少しだけ。少しだけだから。中年夫婦はモデルハウスの中に吸い込まれていった。
クソ重いぞ。父が云う。背中には遊び疲れた息子が揺れる。もうしょうがないわよ。母が云う。背中にはなかなかオムツの取れない娘が揺れる。交通費を節約するため、この高級住宅街をすり抜けて、歩いていこう。そんな考えが甘かった。大人二人なら何とかなったかもしれない。でも、二人には息子と娘がいるのだ。遊び疲れて眠る二人。汗だくで背負う父と母。クーラーの効いた喫茶店でアイスコーヒを飲みだい。父が云い、母が立ち止まる。二人が見上げると、目の前に白いモデルハウスがあった。誰もいない玄関が魅力的に誘う。ちょっとぐらい涼んでもいいか。父が云う。そうね。ちょっとぐらい涼んでも、バチは当たらないわ。母が笑う。息子と娘を背負ったまま、父と母はモデルハウスに消えていった。
夕暮れ時が街を覆う。フルーツチョコレートのような屋根の色がゆっくりと変わる。最初は赤く沈む夕日色へ、そして、深く暗い夜色へと染められて、街はすっかりビターチョコレートに様変わりする。格子状に区切る道路に連なる街灯がドミノのように順番に灯る。そして、最後は住宅街の窓が暖かに灯って、夜が更けていく。
夜は深い闇。街灯の明かりも、窓の明かりも届かない闇から一人の男が現れた。男はゆっくりと歩く。が、足音も聞こえない。足跡も記さない。スーツを羽織り、ネクタイをしっかり巻いて、営業の人間にも見える。白いシャツが肌に密着することなく浮いていた。よく見ると、シャツだけではない。スーツも、ネクタイもしっかり存在しているのに、その中身が薄い。かといって、透明人間というわけでもない。街灯の薄暗い明かりが男をぼんやりと明らかにする。男は肌を通り越して、筋繊維、血管、骨までもが透けていて、科学の人体模型にしか見えない出で立ちをしていた。不気味な男だ。この高級住宅街に似つかわしくない。が、男はそんな空気を気にする素振りは見せない。相変わらず足音も立てず、足跡も記さず、ゆっくりと足を進めて、モデルハウスの前で足を止めた。
男は勝手知ったる風にモデルハウスの庭に向かう。家庭用蓄電機のメーターを確認し、ポケットからスマホを取り出す。スマホでデータを読み取り、どこかに転送した。
「14578-14571=7」
男の声は消え入りそうな小さな声だった。14571は昨日のメーターの数字。14578は今日のメーターの数字。スマホが振動し、メールが届く。男はメールの内容を確認して、家庭用蓄電機の脇にあるレバーを下に下ろした。ういんういんとモデルハウスが唸りを上げて、揺れ始める。そして、色素が抜け落ちて、男のように透けていく。モデルハウスは存在しないかのように闇に解けていってしまった。
そこはもう空き地だった。モデルハウスもなければ、男もいない。夜色に染まった、格子状の規則正しい高級住宅街の中、草がまばらに生える空き地があるだけだった。そして、空に7つの白い光が流れていった。
男は薄暗い部屋でスーツを脱いで、ネクタイを外す。スーツとネクタイをを型くずれしないようハンガーに掛ける。どうやら几帳面な性格らしい。あらわになった科学の人体模型のような体。男はさらに首に手をかけた。するりと脱皮するかのように人体模型のような肌が抜けていく。もちろん、それもハンガーに綺麗に掛ける。肌を脱いだ男の体は人間のものではなかった。蜥蜴の頭を持ち、硬いウロコが体を覆っていた。蜥蜴のように四足歩行ではない。筋肉質な尻尾でバランスを取って、二足で立ち上がり、逞しい胸筋がぱっくりと割れている。
蜥蜴男は真っ赤なソファーに座り、尖った爪でテレビのリモコンを押した。舌がちろりちろりと顔を出す。
「こんばんは、今日の魂相場です。」
蜥蜴の顔をしたキャスターがグラフを差しながら、魂相場の動きを説明してくれる。
蜥蜴男の正体は悪魔だった。そして、ここは魔界。蜥蜴男は人間の魂を狩って、売買する会社に勤務するサラリーマンだった。
営業方法は至って簡単。人間の心の隙を突くようにモデルハウスを設置する。モデルハウスに足を踏み入れた人間の魂を頂戴するというわけだ。
今日の営業成績は奇跡的に7つの魂を頂戴できた。久々の魂ゲットだ。ここ最近の営業成績はゼロ魂記録をずっと更新していた。蜥蜴男だけではない。他の悪魔も営業成績は全く振るわない。それもこれも人間界が昔と変わってしまったせいだ。
昔の人間界は良かったんだ。
昔は人間がたくさんいた。今のように娯楽もないし、暇だからやることは一つしかない。避妊具もないから、すぐに妊娠する。生めよ。殖やせよ。子供がたくさん生まれる。子供がたくさん生まれるということは狩るべき魂がたくさんあるということだ。いくら魂を狩っても困らないほど、人間界には魂が溢れていたのだ。
そして、昔は人間が簡単に死んだ。医学も今ほど進歩していなかったから、寿命通りに人間は死んだ。だが、人間の死の積み重ねで医学は格段に進歩する。医学が格段に進歩したおかげで人間の寿命があてにならないようになった。寿命通りに人間は死なないのだ。たとえ寿命がきても、医学が命を救ってしまう。魂の持つ寿命に絶対がなくなってしまったのだ。今日の子供だってそうだ。本当は生まれると同時に死ぬというのが魂の寿命だった。だが、医学はそれを許さない。命を救うから、魂は寿命を超えてしまう。子供は寿命を無視して、オムツが取れる直前まで生きてしまったのだ。さらにひどいのは、あの中年夫婦。寿命通りであれば、あの二人は結婚することもなかったのだ。本来は出会うことなく、病死するはずだったなのに。こんなコンプレックスばかりの人生ではなく、家族、友人に惜しまれながら、若くに一生を終えるはずだったのに。本当に医学の進歩恐るべしだ。
とにかく、人間界の少子化と医学の進歩のおかげで魔界が散々な目にあっている。魂が狩れないから、日々の生活もままならない。生活苦から自殺を選ぶ悪魔もいる。大体、永遠の命を持っている悪魔が自殺だなんて、人間に笑われてしまう。
最近では悪魔に見切りをつけて、人間に転職する悪魔も出てきた。永遠の命を捨てて、人間に転職するという馬鹿げた話の結末は大体決まっている。人間に転職した悪魔は人間に徹しきれず、悪魔の性質を我慢しきれず、自分を制御できなくなる。結果、凶悪な犯罪を起こしてしまうのだ。これが人間界で凶悪犯罪が増加している理由だ。
まず魔界のトップの魔王様の政策がいけないんだ。人間の魂を効率的に、永久的に狩れる政策をしなかったからだ。人間をきちんと飼育し、家畜として管理する政策を打ち出せば、もっと違っただろう。人間はたくさん生まれるから大丈夫。人間は簡単に死ぬから大丈夫。魂なんて腐るほどあるさ。そんな時代はあっという間に終わってしまった。人間はたくさん生まれない。人間は簡単に死なない。だから、新しい魂の政策を考えねば、いつか魔界も滅んでしまう。
人間界も魔界と一緒だ。人間の数が増えないということは絶滅に向かっているということなのに、誰もそれに気づいていない。少子化とか、超高齢化とか次元の問題ではない。種の存亡という問題だ。種の絶滅を避けるには子供をたくさん残すことが最も効果的だということに気づいていない。自分達が数多くの種を絶滅させているくせに。
子供を生まない原因だって分かっている。まず経済的貧困だ。お金がないから、子供を育てられない。お金がないから、自分も好きなことができない。だから、結婚したって、何もいいことがない。結婚という契約は意味を失っていく。だから、子供もいらない。少子化まっしぐらで、超高齢化真っ只中で、魂が殖えることはないから、そのうち人間など絶滅してしまうだろう。
それじゃあ、困るんだ。魔界には魂が必要だ。魔王様は何もしない。このまま魂を狩るだけで殖やす努力はしない。だから、人間界に考えてもらうしかない。そう、魂を殖やす政策をもっともっと考えてもらわねばいけないんだ。
魂を殖やすには子供を生ませなくてはいけない。子供を生ませるためには結婚という契約が必要だ。結婚という契約を結ばせるための経済的な政策が必要だ。もっと子供を生ませるため、結婚という契約を結ぶことのメリットを作らないと。普通に結婚して、子供を生んで、経済的貧困にたどり着くのなら、結婚という契約もしないし、子供も生まないだろう。子供を生んで、なおかつ経済的に幸せになれるのであれば、誰もが子供を生む。子供が増えれば、種が絶滅する心配もなくなる。そして、悪魔は魂に困らなくなる。人間に転職する悪魔もいなくなるから、人間界の凶悪犯罪も減るだろう。いいことばかりだ。人間界のトップもとにかく魂を殖やす政策を考えてほしいものだ。
いっそ悪魔に見切りをつけて、人間に転職してしまおうか。それとも、悪魔にとって都合の悪い政策を推し進める政治家の魂ばかりを狩ってしまおうか。悩みは尽きないものだ。蜥蜴男はちろりちろりと舌を出して、テレビを切った。
【終】