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うつぼ作品集  作者: utu-bo
53/65

写真の染み

俺の名前は桜井大介。実のことを言うと、俺は丸々2日間寝ていない。とっとと寝ればいい。仕事も休んで、携帯の電源も落として、と言われるだけ。でも、仕事も、携帯も関係なく、そんな理由でなくて、眠れないんだ。多分、あの洗い立てのシーツに寝転がって、干したての枕に顔を埋めれば、数秒を待たずに眠ってしまうほど、緊迫した睡魔が身体の一部を支配して、徐々に身体全体を麻痺させて、最後に僕の意識を奪おうと狙っている。油断をすれば、寝首をかかれるのは必死だ。



それでも、眠っては駄目なんだ。



俺は声を出す。一人暮らしの部屋には俺以外の人もいない。ペット禁止のマンションだから、犬猫の類もいない。いるのは俺一人。そう、仮に声を荒げて、気が狂ったように走り回り、壁にぶつかっても、誰にも迷惑をかけない状況だ。そう、仮に僕の首をごつい鉈のような刃物でかっきって、鮮血を噴出しても怒られないどころか、気付かれない。



全く、なんて妄想をするんだ。



頬をヒヤリと冷たい汗が一筋流れる。絶望的な恐怖が脳みそを侵食し、食い尽くそうとしている。負けるなよ。ガッツを見せろ。俺自身に送るエールは薄ぺらな紙飛行機のように風に凪がれて、簡単に墜落する。だから、恐怖の侵食は止まらない。頭をかきむしり、恐怖を削り出す。物理的に脳みそを侵食する恐怖を頭皮の表面をかきむしったところで、削り出せるわけがない。頭がすでにおかしくなっている。でも、爪の間に皮膚が詰まるほど、かきむしったおかげで恐怖の侵食が奇跡的に止まる。



全く。



言葉が浮かばなかった。以上も以下もなく、零である。全てがこの写真から始まったんだ。俺は机に置かれた1枚の写真を手に取った。



そう、全てがここから始まって、全てがもうすぐ終わるんだ。



写真の中の俺は3ヶ月前の自分。笑ってやがる。俺の未来にこんなことが起こるなんて知る由もなく、笑ってやがる。呑気に。こん畜生め。俺は写真を指で弾いて、軽く目を閉じた。













3ヶ月前のことだ。




何だ?こりゃ?



会社の同僚の林に撮ってもらった写真に俺は声を出した。もちろんだが、一人暮らしの俺に返事をするものなどいない。一人暮らしになると独り言が増えるってのは本当のようだ。まあ、独り言だか、心の言葉だが、どっちでもいいし、どうでもいいし。これももちろん独り言であるが、それよりもプリンターから排出された、この写真は何だ?俺の動きが止まった。



染み?



点?



虫?



鳥?



影?



で、何?



俺が呑気に笑って、その数メートル後方に何か気になる染みが映っているのだ。しかも、普段なら気にもならないほど小さな染みだ。この時だけは何故か気になって、気になって、どうしようもなかった。でも、どんな方向から、どんな角度からみても、ただの染みであることは明らかすぎて。全く下手な写真を撮りやがってとか。もうあいつの撮影技術は信用しないとか。一通り呟いて、まあいいやと俺はその写真をプリンターの脇に置いて、次の写真を確認する。次はうまく撮れてるやん。次は、次はと写真の整理は深夜に及んで、そんな写真のことなど忘れていた。


プリンターの脇に置かれた写真を思い出したのは1週間後の休みの日だった。一人暮らしの切なさか、自分で自分の部屋を掃除しなくてはならない。自分で散らかした部屋を自分で片付ける。まあ、当たり前のことだ。掃除機が唸りを上げて、埃を吸い取っていく。床だけじゃない。棚回り、パソコン回りもアタッチメントを付け替えて、埃を吸い込もう。って、あの写真が掃除機の吸引力に引きずられ、ヒラヒラと落ちてきた。



何じゃ?こりゃ?



そういえば、あの下手くそな染みのある写真か。俺は写真を拾う。写真を見る。心臓が一瞬止まり、部屋全体の空気が硬直する。でも、掃除機は相変わらず唸りを上げて、空気を吸い込んでいた。



掃除機をオフし、掃除を中断した俺。パソコンを起動する。写真フォルダを開く。あの染みのある写真をダブルクリックする。画面に全表示された写真。呑気に笑う俺。そして、前よりも大きくなった染み。そう、染みが大きくなっているのだ。確実に成長している。写真の染みも。パソコンのデータも。どちらも大きくなっているのだ。おかしい。写真とは一瞬の輝きを記録するもの。その一瞬の輝きを保存したのがパソコンのデータ。どちらも変化があってはいけないはず。なのに、染みは確実に大きくなっている。



アトム・ハート・ファーザー?



まさか、吉良吉影の父、吉良吉廣のスタンド【アトム・ハート・ファーザー】が発現したのか?なわけない。石仮面もなければ、スタンドだって、俺にはない。矢で打ち抜かれた記憶もない。第一、ここは杜王町ではない。



じゃあ、何?



マウスを右手で操作する。この成長する染みを拡大。拡大。拡大。クリック。クリック。クリック。拡大された染みは人の顔だった。顔の上半分、髪から鼻の辺りまでが地面に突き刺さっている。いや、地面から突き出てきているのか。性別はおそらく女性。何年も洗ってないような粘着質な髪の質感が触らなくても伝わってくる。2つの眼は深い黒色で、その奥は必ず闇に繋がっている。



って言うか、誰?



見覚えもないし、記憶もない。でも、悪霊にしか見えない。ちょっとヤバい感じだ。写真と画面を見直すと、同じように確実に成長している。明日、寺に持っていこう。とりあえず塩だ。塩を盛ろう。そうすれば、明日には消えているかもしれない。よし。俺は小皿に塩を盛って、写真を傍らに置いた。ついでに染みの上にも塩を盛って。さすがに壊れると嫌だから、パソコンには塩を盛らなかった。まあ、これでよし。明日になれば・・・。


って、朝一番に写真を見ると口まで出てきてるし。歯のない口が不気味に笑っていた。やっぱ、パソコンにも塩を盛らなくちゃいけなかったのか。マジか。ヤバい。寺に行こう。タウンページで近くて、大きな寺を選んで、塩だらけの写真を持って、俺は寺に向かった。





寺の住職に写真を見せて。


これは悪霊です。除霊しましょう。キエ~ッ。チョア~ッ。パンパパン。アサダパン。モッチリ~。テイッ。これは強力な悪霊ですね。殺意ありありで。私のような未熟者には除霊できません。私の師匠の自称霊媒師に紹介状を書きましょう。除霊料とは別料金になりますが。はっはっはっはっ。


自称霊媒師が写真を見せて。


これはこれは強力な悪霊ですね。なあに、安心ください。かれこれ自称霊媒師を45年程やっております私にかかれば。はっはっはっはっ。キエ~ッ。チョア~。パンパパン。アサダパン。モッチリ~。はあっ。はあっ。はあっ。これは最悪で強力な悪霊ですね。私には除霊は無理です。残念ですが。でも、このお札を貼りましょう。悪霊にこれを貼れば。少しは悪霊を抑えられるかも。トリャ~ッ。モッチリ~。ほら、これで大丈夫。お札の料金は除霊料とは別になりますので。はっはっはっはっはっ。



俺は詐欺に引っかかったのだろうか。全くもって、染みは消えるどころか、もう手まで見えている。右手には鉈っぽいごつい刃物を握り、呑気に笑う俺に近づいてくる。あのお札など次の日に灰になってしまっていた。寺の住職も、自称霊媒師も役に立たない。最悪で強力で殺意ありありな悪霊。俺が眠っている隙に次第に近づいてくる。その鉈っぽいごつい刃物で俺の首をかっきる為に。


そして、3ヶ月後、悪霊は俺の真後ろに立っていた。変わらずに呑気に笑う俺と真逆に不気味に笑う。粘着質な髪。深い黒色の2つの眼。歯の見えない口が笑う。痩せこけた肢体を薄汚れた一枚布の服で隠して。右手に握った鉈っぽいごつい刃物ならば、俺の首など簡単に落ちてしまいそうだ。



もう眠らない。



眠らなければ、奴は動けない。俺が眠れば、奴が動ける。要は悪霊とだるまさんが転んだをしてるわけだ。眠らなければ、俺の勝ち。奴は動けない。眠ってしまえば、俺の負け。首をかっきられる。ここに来て、ようやく俺は決意した。己の力で悪霊に打ち勝とうと。そう、2日前の出来事だ。









zzzこの洗い立てのシーツに、干したての枕最高なのねん。って、俺は跳ね起きた。俺は確実に寝ていた。それは悪霊が確実に動いていることを意味する。時計を見ると、確実に1時間進んでいる。あの写真の染みを見つけてから、今までのことが走馬灯のように流れていた。奴に打ち勝とうと決意した2日前から俺はずっと起きていたのに。シーツの上に寝にいった記憶も、枕にしがみついた記憶もない。あるのは俺が眠ってしまった現実。冷たい汗が頬を伝い、すぐに蒸発する。ああ、眠ってしまった。もう、おしまいだ。恐る恐る、首筋を触る。うん、切れてない。繋がってる。そして、ゆっくりと写真を手に取った。薄目で悪霊の位置を確認する。そこには呑気に笑う俺だけがいた。写真の染みはもういない。悪霊はもういない。




って、いないやん。はは、驚かせやがって。



とんだ悪霊だ。最悪で強力で殺意ありありな悪霊だって。俺を通り過ぎただけじゃないか。寺の住職も、自称霊媒師も、みんなインチキだわ。はっはっはっはっ。渇いた笑い声とともに視界が傾斜し、ぼやけていく。ああ、ようやく安心して、眠れる。睡魔が俺を完全に支配した。俺はそのまま、倒れ込み、眠る。眠る。深く眠る。あの写真の中で俺が今も呑気に笑っていた。










出ないな。




白井は何回も桜井大介の携帯をリダイヤルした。いくら携帯を鳴らしても、あいつは出ない。留守電にも切り替わらないからメッセージも残せない。



全く爆睡してんな。



さっき会社から電話があった。現場で林が亡くなったと鉄板を支えていたロープが切れて、林の首めがけて、落ちてきたそうだ。避ける暇もなく、林は絶命した。その首が鉄板の横に転がっていたらしい。何故、鉄板が落ちてきたのか。何故、ロープが切れてしまったのか。現場の安全確認もきちんとしたずなのに。まずは桜井に電話をかけなくては。それで連絡しているのに、一向に携帯にでる気配がない。しょうがない。一人で行くしかないか。白井は携帯をポケットにしまう。窓の鍵とコンセント、ガスの元栓、電気、順番に確認する。そして、机の上の写真を手に取った。こないだ桜井に撮ってもらった写真だ。年甲斐もなく、ピースをする白井の後ろに小さな染みが見える。鳥?影?虫?ようく見たけれど、何か分からなかった。偶然に虫か何かを捉えたのだろう。きっとどうでもいいことだし、林のことの方が大事なはずなのに、異常にその写真の染みが気になった。いかん。いかん。まず病院に行かなくては。俺は写真を机に置いた。玄関で靴を履いて、鍵を締めて、ガタンガタンとノブを引いた。うん、この不安神経症め、閉まってる。よし、行こう。そして、

白井は会社へと車を走らせた。









誰もいない部屋で。


風もないのに。


染みのついた写真が。


ピースする白井の写真が。


ゆっくりと動き出す。


そして、テレビとDVDレコーダーの隙間。


数ミリの隙間に滑り込んで。


その姿を隠す。


まるで意思があるかのように。





【おしまい】





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