この世界には鬼が一匹いました。
空に突き刺さる角。
大地を鋭く抉る爪。
燃える真っ赤な肌。
この世界に一匹の鬼がいました。
鬼は毎日、人間を食べます。
そうやって、何百年も生きていました。
人間は鬼に怯え、鬼に見つからぬように、ひっそりと生きていました。
ある日のこと。
鬼は人間を一人捕まえました。
大きな口に人間をつまんで、持っていきます。
その時です。
人間は暴れて、暴れて、足に履いていた草履が抜けてしまいました。
草履は真っ直ぐ飛んでいき、鬼の鼻の穴に入っていきます。
ふがふが、はっくしょん。
鬼がくしゃみをし、人間は飛ばされて、見えなくなりました。
鬼は考えてます。
人間がこんな仕返しをしてくるなんて。
これは人間のことをもっと知らなくてはいかん。
何百年も生きてきた鬼は初めて人間に興味を持ちました。
鬼は呪文を唱えます。
低く、重い声が空気を震わせます。
みるみるうちに鬼の体は小さくなり、人間の子供がそこにいました。
鬼は人間の子供に化けたのです。
人間をもっと食べるに。
人間をもっと知るために。
サヨは歌います。
母に教えてもらった歌です。
大きく育てよ。
おいしく育てよ。
きれいな花を咲かせよ。
立派な実をならせよ。
そしたら、食べて。
また種を埋めて。
また芽が出るよ。
おかしな歌だけど、大好きな歌です。
鬼に食べられた母が残してくれたのは畑とおかしな歌。
村で、一人でサヨは暮らしています。
がさがさ。
畑の裏の林で物音がします。
もしかして鬼?
サヨは身構えます。
でも、そこに現れたのは、一人の男の子でした。
男の子は何も言わずに立っています。
じっとサヨを見ていました。
あんた、誰じゃ?
男の子は何も言いません。
あんた、一人か?
男の子は首を縦に振りました。
じゃあ、うちと一緒じゃ。
サヨは男の子の手を握りました。
一人じゃ鬼に食われてしまうといかんで、うちにおいで。
サヨは男の子の手を引いて、村へ連れていきました。
男の子には名前がありませんでした。
だって、鬼が化けた男の子ですから。
鬼が人間を食べるために、もっと知るために人間の村にやってきたのです。
サヨは男の子にりょうへいと名前をつけました。
サヨは何も知らないりょうへいに普通のことを教えます。
畑の耕し方。
洗濯のやり方。
味噌汁の作り方。
お米の研ぎ方。
子供の遊び。
そして、母が教えてくれた、あのおかしな歌も。
りょうへいは人間のことを吸収していきます。
何百年も一人で人間を食べて、生きてきた鬼。
自分で作った野菜を食べて。
お味噌汁とご飯を食べて。
毎日、布団で眠ります。
その晩、りょうへいは夢を見ました。
空に突き刺さる角。
大地を抉る爪。
真っ赤に燃える肌。
そんな鬼がサヨを見て。
よだれを流していました。
村では年に一度の祭りが始まりました。
祭りにはサヨも、りょうへいも行きます。
二人は手をつないでいます。
金魚すくいに。
綿菓子に。
風船釣り。
初めて見るものにりょうへいはワクワクしました。
ワクワクしているりょうへいを見て、サヨは笑いました。
村人達はりょうへいを不思議に思いました。
村に来てから、何年もたつのに、サヨはもう大人になったのに、ずっと子供のままだったからです。
大人にならないなんて、りょうへいはおかしいじゃないか。
サヨに詰め寄ります。
もしかして、鬼じゃないか。
村人達は鬼に怯えていました。
何人もの村人が鬼に食べられました。
人間は鬼の餌。
鬼は人間を食べる。
この世界には一匹の鬼がいて。
そんな不変のルールが消えることはありません。
りょうへいは何も言いませんでした。
いつでも、その角を、その爪を、その肌をあらわにすることができました。
でも、サヨが怒鳴りました。
りょうへいは人間じゃ。
大人にならんのは病気なんじゃ。
その怒気に村人達はびっくりし、去っていきます。
それから、りょうへいのことを誰も何も言わなくなりました。
サヨが言います。
あんな。みんな鬼が怖いんじゃ。悪いんはみんなじゃなくて、鬼なんじゃ。鬼が人間ばかり食うから。鬼も野菜とか、味噌汁とか食べれば、人間を食わんくなるかもしれんのにな。
サヨの言葉がりょうへいに突き刺さります。
もう、そろそろ鬼に戻った方がいいのかな。
でも、毎朝の味噌汁とご飯や温かい布団、そして、サヨをの笑顔をもう少し見ていたい。
そう思い、まだりょうへいのままでいることにしました。
最近、鬼が出ないね。
人間が言います。
鬼が人間を食べないから、人間は増えていきます。
村が町になります。
町が街になります。
街が都市になります。
都市が国になります。
人間に格差が生まれます。
地域に格差が生まれます。
金持ちと貧乏人が生まれます。
世界に一つのルールが生まれました。
お金で買えないものはないって。
村の丘の上に四つの墓があります。
サヨの墓。
サヨの旦那の墓。
サヨの子供のカヨの墓。
カヨの旦那の墓。
カヨの子供のミヨの墓。
ミヨの旦那の墓。
りょうへいはミヨの子供のチヨと墓に花を飾ります。
サヨが教えてくれたことをりょうへいはチヨに教えました。
あのサヨのおかしな歌も。
そして、チヨももう90歳になります。
でも、りょうへいは子供のままです。
りょうへいがチヨの手を引いて、ゆっくりと丘を降りていきます。
毎晩、りょうへいは夢を見ました。
空に突き刺さる角。
大地を鋭く抉る爪。
燃える真っ赤な肌。
そんな鬼がいました。
りょうへいは鬼を見ています。
鬼はりょうへいを見ています。
りょうへいの後ろにはサヨとカヨとミヨがいました。
りょうへいの背中をぎゅっと掴んで、離しません。
ぎゅっと掴まれた背中がなんだか痛くて。
ぎゅっと掴まれた背中がなんだか温かくて。
りょうへいの心の奥が痛くなります。
それでも、鬼は消えません。
ずっとりょうへいを見ています。
ずっと。
ずっと。
世界には人間が溢れていました。
幾つもの国が生まれて、消えていきます。
国が消えた理由は戦争です。
人間は資源を奪い合うために殺し合います。
その結果、強い国が生まれて、弱い国が消えていきます。
それでも、人間の数は増え続けます。
人間を食べる鬼がいないのですから。
その夜、りょうへいは夢を見ました。
空に突き刺さる角。
大地を抉る爪。
真っ赤な肌。
そんな鬼がりょうへいに吠えていました。
怒っているのか。
悲しんでいるのか。
よく分かりません。
でも、りょうへいの背中をサヨとカヨがぎゅっと掴んで、離しません。
掴まれた痛さと。
掴まれた温かさで。
目が覚めました。
空が燃えていました。
鬼の真っ赤な肌のように。
銃声が聞こえます。
鬼の咆哮のように。
世界は人間に溢れています。
人間の欲望はいつまでも満たされません。
人間の憎しみは渇れることはありません。
国と国が資源を奪い合い。
人間と人間が殺し合います。
チヨとりょうへいの小さな村にまで戦争がやってきました。
村人はみんな殺されました。
銃を抱えた兵隊が闊歩します。
りょうへいはチヨを抱えて。
丘へと走ります。
サヨとカヨとミヨが眠る丘まで。
子供のままのりょうへい。
チヨを抱えているから、早く走れません。
鬼に戻れば。
でも、鬼に戻ったら、チヨは。
りょうへいは首を横に振って。
子供のまま、丘を目指します。
丘に着くと、兵隊が待っていました。
みんな無表情でした。
無表情で銃口をりょうへいとチヨに向けます。
りょうへい、ありがとう。
チヨが言いました。
きったねえガキとババアか。
兵隊が言いました。
りょうへいの頬を熱いものが伝います。
それは涙です。
溢れて、止まりません。
りょうへいは、鬼は初めて泣きました。
りょうへいはチヨを守るように抱えます。
兵隊が引き金を引いて。
銃声が響きます。
りょうへいとチヨの体に幾つも穴が開いて。
血が流れます。
そして、兵隊は止めをさすため。
りょうへいとチヨの頭に銃弾を撃ち込みました。
この世界には鬼が一匹いました。
何百年も人間を食べて、生きていました。
もう、この世界には鬼がいません。
人間は減ることはありません。
人間は増え続けています。
そして、増え続けた人間は。
奪い合い。
殺し合い。
戦争が溢れています。




