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うつぼ作品集  作者: utu-bo
21/65

進化した蝉


 僕は火花を見た。墨で塗られた闇に激しく瞬き、消える。そして、目を覚ました。それが僕の初めての記憶だ。

僕は木の皮に産みつけられた。目を覚まし、下へと向かう。それから、夜をさ迷う。僕は小さくて、白かった。僕と同じ顔をした奴らが幾つも蠢いている。力尽きるものがいる。先陣を切るものがいる。みんな兄弟だ。


 なぜ、下へと向かうのだろうか。


 逆らうことのできない力が体を押す。正しいのだろうか。間違っているのだろうか。たいした問題じゃない。頭の中のちっぽけな脳ミソに打ち込まれた杭のような物が僕達に命令するんだ。抑えきれない衝動のように。


 僕達はひどくちっぽけで、弱かった。兄弟達が鎌のような口を持った蟻にくわえられ、逆らうこともできず、闇に消えていく。戦う武器も、力も持っていないから、何もすることができない。感情も持っていないから、兄弟達が消えてしまっても、何かを思うことはない。僕達は下へ向かうだけだった。足枷となる感情も持っていないから。


 僕達は運よく柔らかい土に到達する。湿気を含んだ土は心地よい冷たさと適度な温もりを持っていて、一度、脚を止める。僕の白い眼に世界が映る。風に揺れる木の葉。重力に軋む木々。そして、雲間に注ぐ月光。僕達は土を器用に掻き出して、潜りだす。そこで初めて気が付いた。土を掻き出すのに適した鎌を持っていることを。


 土に潜れ。


 そんな命令が来たんだ。頭の芯が熱い。小さな脳ミソが熱を帯びる。脳ミソの中で何かが燃えているようだ。


 僕達は一斉に脚を止めた。ここで留まるのが当然かのように。兄弟達はほとんどいなくなった。僕達は兄弟達の屍を乗り越えて、ここにたどり着いたんだ。彼らの屍は茶色く濁り、土と同化する。やがて、それらは微生物に分解され、土へ還るだろう。僕達は運がいい。世界中に敵がいて、ここも決して安全ではないのに、僕達はここに留まっている。


 もっと深く潜れ。


頭に打ち込まれた杭がさらに熱くなる。痛みに眼球が引っくり返る。そして、僕だけがその命令を聞いたんだ。

 その命令が体を支配する。脚が動くのを止めない。その命令が反響し、歪む。兄弟達の白い眼に映ってるはずなのに、彼らは動かない。僕だけが命令に従い、脚を動かす。そして、さらに深く潜っていく。僕は彼らの白い目を見た。彼らの目は僕を馬鹿にするものではなかった。何の疑問も抱いていない目だ。僕も彼らと変わらない。そこに留まる兄弟達に僕も疑問を抱くことはなかった。そして、さらに深く潜っていった。


 土は湿り気をさらに増した。冷たさと温もりが同居し、僕を包む。土を掻き出し、進んでは眠る。暫く眠って、土を掻き出し、また進む。繰り返しの作業を続けている。世界はとても静かだった。兄弟達の土を掻き出す音も聞こえない。地下の水脈が流れる音。僕が土を掻き出す音。それ以外に音はしない。


 辿り着いた世界には何も存在しなかった。兄弟達ももう存在しない。僕は孤独という言葉を口ずさんだ。目的も行き先も分からない。だから、考えることを始めた。ちっぽけな脳ミソがフル回転し、細胞が活性化する。考えて、考えて、考え尽くして、この世界で生き残らなければいけないことに気付く。そして、生き残るための方法を探す。そうだ。まず食事だ。食べなければ生きていけない。でも、食べられるものがあるのか。僕は飢えという言葉を口ずさんだ。誰も存在しない世界で孤独と餓えに怯えていた。


 触覚を研ぎ澄ますと、微かな音がする。僕が土を掻き出す音じゃない。ゆっくりと、ゆっくりと土が崩落する音だ。触覚が感じるままに脚を動かした。そして、辿り着いた。それは小さな菌糸だ。小さな菌糸は深い地下の世界で生きていたのだ。考えるよりも先にそれにむしゃぶりつく。小さな菌糸はあっという間になくなってしまう。これでこの世界で生き残ることができる。孤独は解決できないが、飢えは解決できた。安堵の中、眠る。目を覚ますと、触覚を研ぎ澄ませ、小さな菌糸を探し、食べる。それを繰り返し、深い地下の中で生き続けた。


 時間が過ぎて、皮膚の色は褐色へと変化し、硬質化する。体も大きくなった。もうそろそろ、上へ行ってもいいのではないか。思った時、また火花をが見えた。ちっぽけな脳ミソの中、その命令が聞こえたんだ。


 もっと永く潜れ。


 その命令は鉄の鎖のように僕を縛る。だから、その命令に従う。孤独に耐えても、ここで永く生きていかなければならない。どうしてって。命令が聞こえるから。それに従うだけだ。


 土を掻き出し、小さな菌糸を食べて、飢えが満たされたら、そして、眠る。繰り返しの生活を突然の轟音が切り裂いた。遥かに上の地表から聴こえる。周りの土が震えた。大きな音と衝撃が沈んで、押し寄せてくる。僕は怖かった。もし、兄弟達と一緒にいたらと思うと、ゾッとする。上では何が起きているのだろうか。兄弟達はどうなっただろうか。まだ、土の震えはおさまらない。土の震えが波のように絶え間なく伝わってくる。音が激しく反響し、沈んでくる。僕を通り抜けて、さらに地下へと沈んでいく。僕は体を抱えるように丸くなる。土の震えがおさまるまで。鳴り止まない音が消え去るまで。


 どこかの水脈が破裂したのだろうか。水の流れる音が聞こえた。状況が変化しつつあった。土の震えも轟音も断続的になり、少しずつ世界は平穏を取り戻した。早く兄弟達がいる場所に戻りたい。そんな感情が生まれた。でも、あの命令が許さない。もっと永く潜れ。あの命令が消えないのだ。ちっぽけな脳ミソにこびりついて、離れない。だから、じっと深く、永く潜っていた。


 いつ地表に戻れるの。


 問いかける言葉は土に埋もれるだけ。


 このまま石になってしまうの。


 そんな想像もリアルに聞こえる。



 菌糸に問いかけても、何も答えてくれない。孤独に震えていても、誰も答えてくれない。孤独を抱えて、僕は眠った。ひたすら眠った。意識が混濁した泡に埋もれて、夢を見たんだ。




 闇の中、褐色の殻が映る。僕は脚を繋ぐ関節に力を込めて、地表へと向かう。湿った土が体に重くのしかかる。脚で体を支えて、茶色い木の根っこを登っていく。木の匂いが懐かしかった。やがて、闇を抜けて、地表に出た。吹き抜ける風の匂いを吸い込み、酸素の残り香を楽しむ。風の音、草木の囁き、生物達の鳴き声、満ちる月の歌が聞こえる。僕はずっと深い地下にいた。色彩豊かな世界に胸が踊り、孤独が分解されていく。

 木の根っこから幹へと脚を動かす。その先には立派な枝があり、空に伸びている。夜の空には月がある。月は木葉に紛れて、時折消える。でも、空からいなくなることはない。まだ旅の途中だ。もうすぐ、もうすぐ辿りつく。ああ、空が永遠だ。月が黄金色に輝いていた。


 これは夢だ。でも、この世界を知っている。細胞が知っている世界。遺伝子が知っている世界だ。


 僕は目を覚ました。


 ああ、僕は蝉なんだ。


 僕は僕が何者であるかを知った。


 目を覚ました時、孤独が消えていた。地下水脈が流れる音、ゆっくりと土が崩落する音しか聞こえない。相変わらず光はなく、触覚が頼りだ。状況は何も変わっていない。でも、穏やかだった。僕は蝉の幼虫。いずれ空を羽ばたく。そう理解したんだ。僕の存在意義を。いつかその命令が来るだろう。空へと向かえと。それを待とう。深く、永く潜り、小さな菌糸で命を繋ぐ。汚染された世界が元通りになるまで。


 ずいぶんと大きくなった体にもう敵はいない。むしろ僕が捕食者だ。


 空へと向かえ。


 ついに命令が来たんだ。待ち望んでいた命令だ。その命令に従い、地表へと向かった。地表に近付くにつれ、小さな菌糸はいなくなる。でも、小さな菌糸はもう必要ない。もっと栄養価の高い餌を見つけたから。それは蟻だ。蟻は土の隙間を歩く。蟻も巨大化していた。十分に補食対象となる大きさだ。生まれたばかりの頃、兄弟達は蟻の餌となった。今度は僕が蟻を食べる。仇討ちをしたという達成感を感じる。でも、必要な分だけを食べて、後はほっておいた。


 兄弟達は地表に近い土の中で、生き延びて、きっと蝉になったのだろう。そして、卵を産み、土に還る。種を存続させるという遺伝子の命令に従って。彼らのサイクルは僕よりも短い。でも、確実に種を存続させていた。そして、地表が燃える。木々が炭となる。世界が崩壊する。汚染された空と土の中で、種を存続させることもできず、消えていった。


 僕はその未来を知っていた。地上の支配者たる二足歩行の哺乳動物が共食いを続け、世界を崩壊させた。


 だから、もっと深く潜れ。


 だから、もっと永く潜れ。


 だから、命令が来たんだ。



 全てを理解したわけじゃないが、僕はちっぽけな脳ミソで思考を繰り返す。

 僕は蝉で、僕の中に眠る遺伝子が命令をくれた。種族の存続するため。進化の系譜を紡ぐために。そして、兄弟達は死に絶えた。僕は兄弟達よりも深く潜る。永く潜る。体も巨大化し、木の樹液を吸うための口は退化し、小さな生物を補食するために口へと進化した。巨大化した体は昆虫類の中では最大となり、僕は被捕食者ではない。捕食者だ。

 次のステップは僕の生命で種の存続を紡ぐことだ。そんな命令を来てない。思考を繰り返し、僕自身で辿り着いた答えだ。


 僕は地表に出て、木を登っていく。僕の重さで木はしなる。それでも、木を登っていく。そして、羽化をする。

 心地よい風の音。草木が揺れる音。空気から伝わってくる。 生物達の鳴き声も聞こえた。月が僕を照らす。


 この世界に種の存続を紡ぐために。


 この世界に進化の系譜を紡ぐために。


 この世界の自然淘汰がこれから始まるんだ。



 体液を2枚の翅の翅脈にゆっくりと注ぐ。背中にある、折り畳まれた翅が広がっていく。月の光が網目状の翅脈の幾何学的な模様を照らされる。これは僕だけの模様だ。人間でいう指紋や声紋と同じで、蝉の翅紋とでも言おうか。

 月が沈み、太陽が昇る頃、翅は伸びきっていた。長い時間、深い地下で湿っていた翅も乾燥し、虹色に煌めく。翅を擦り、発音筋に力を込め、激しく鳴いた。甲高い音がこの世界中に響く。仲間もこの世界のどこかにいるはずだ。


 僕は鳴き続けた。


 種の存続を紡ぐために。


 進化の系譜を紡ぐために。




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