社員とのコミュニケーションは欠かしません
「あずきちゃん、こんにちは」
ある日曜の昼下がり。香耶と康樹は出張という名目でcafé豆鉄砲に来ていた。ここで勤務しているのはもののけカンパニー最後の社員である小豆洗いのあずきちゃんである。彼女のおかげでこの会社の採算が取れているところも大きい。一部層にはあずきちゃんのルックスが好みで通い詰めている客もいるとかいないとか。あずきちゃんがフリーなのかどうかの噂で店がもちきりになったこともあるくらいだ。
「あら、社長。副社長もいらしていただいたんですか」
カウンターで仕事をしていたあずきちゃんは、2人の姿を確認して嬉しそうな顔をする。
「ああ。あずきちゃんのあずきコーヒーが飲みたくて」
あずきコーヒーというのはこのカフェの名物であり、このカフェを有名店舗にまで押し上げたあずきちゃん自慢の一品だ。小豆とコーヒー、合わないようで同じ豆同士とても相性がいいとお客様にも好評だ。
「あらあら。それじゃ、今ご用意しますね」
あずきちゃんは肩ほどの暗い紫色の髪をかき上げ、笑顔で注文を取った。
「はい、どうぞ」
出てきたあずきコーヒーはほんのり甘い香りを放ちながら、康樹の前に運ばれてきた。
「アイスクリームとかお砂糖はどうします?」
「今日はブラックで飲みたいからこれだけでいいかな」
「何がブラックなんだか。あずきが入ってるんだからブラックも何もないでしょ」
香耶がツッコミを入れるが、そんなツッコミをまるで気にしないかのように康樹はコーヒーの香りを楽しみ、一口口に入れる。
「あっつ!」
「優雅に飲むなら最後まで貫きなさいよ。台無し」
「うるさいなあもう。猫舌なんだから仕方ないじゃないか。それに、コーヒー飲めない姉ちゃんに言われたって何の説得力もないだろ」
香耶はコーヒーが飲めないことを知っている康樹は痛いところを突いたとばかりにしたり顔をする。
「あ、あずきちゃん。あたしはあずきミルクで」
「おい無視するなよ」
自分で同じことをしておきながら、康樹は露骨に不満そうな顔をした。何だかんだ言いつつこの2人も仲良しの姉弟なので、反応がないとちょっとだけ寂しい気持ちになるのだ。
「まあまあ落ち着いて社長も副社長も。はい、どうぞ。もう準備できてますよ」
注文メニューはいつもの、で通るくらいには注文しているのだが、あえてきちんとメニューのまま注文するのは2人のあずきちゃんに対する敬意そのものでもある。
「ありがとう。ところで、今月の売り上げはどう?」
「結構いい感じです。小豆の通信販売もさっちゃんにお願いしたおかげで迅速に配達できてますし。民間の配達会社を使うよりも低コストで評判も上々ですね」
「そっか。あずきちゃんが一番の稼ぎ頭だからね。いつもここに来るときが一番緊張するの」
「またまたー。ヨウコちゃんの家庭教師とかさっちゃんの配達便とか、いろんなところでお客様からの好評の声をいただいてますよ」
褒められても他をけなすことなくむしろ褒めるのはあずきちゃんの人当たりの良さを示している。もっとも、このくらい愛想がよくなければカフェの店主など務まらないのだが。
「でも、このおいしい小豆ってどうやって作ってるの?」
「教えてすぐできるものかは分かりませんけど、今度お手伝いにでも来ていただければお教えしますよ」
ニコッと微笑んだあずきちゃんは、何かを思い出したかのようにハッとする。
「ああ、そういえば、神隠しさんが最近入社されたそうですけど、その小豆のことでちょっとお願いしたいことがあって」
「音無ちゃんに?」
「ええ。ちょっと土地探しを依頼したいんです。小豆の栽培場所を増やしたいんですが、この近くにいい場所がなくて」
「なるほど。確かに音無ちゃんならそういう場所も知ってるかも。今度聞いてみるね」
香耶はメモすると、あずきミルクをグイっと飲み干した。
「あと何かあるかな?」
「さっちゃんにいつもの通り配達をお願いするくらいなので用事の方は特に大丈夫ですね。あとはわらしちゃんにぜひ一度うちのメニューを試していただきたいので、ご来店お待ちしていますとだけ」
「そだね。まだわらしちゃんだけここに来たことないんだもんなあ」
「でも、座敷わらしが家を離れるとそこは衰退するっていうし、逆にあずきちゃんがわらしちゃんのところに行った方がいいんじゃないか?」
康樹はふとそんなことを思い出す。座敷童は当然その家の場所から離れると効力をなくしてしまうためだ。それに加えてわらしちゃんは外出することがあまり好きではないため、むしろ来てもらう方が好都合なのではないか、と康樹は提案している。
「ああ、そういえばそうでしたね。では、今度のお休みにでも社長のお宅にお伺いしてみましょう」
「わーい、出張café豆鉄砲だね!」
香耶は自宅でもあずきミルクが飲めるとあって大はしゃぎである。
「ところで社長。そろそろ帰らないと業務の方もあるのではないですか?」
「そうでした」
時計を確認した香耶は、康樹と目くばせする。
「それじゃ、また来るねあずきちゃん。お代はこれで」
1枚1000円札をあずきちゃんに渡す香耶。
「別に社長なんですからお支払いただかなくてもいいんですよ?」
「そうはいかないよ。お客さんとして飲みに来てるんだから、お金は払わないと」
この辺りの金銭感覚もまた香耶が経営者として信頼される所以の1つかもしれない。
「いつもありがとうございます。それじゃ、次に行くときは連絡しますから」
「うん、それじゃね!」
「あ、待ってよ姉ちゃん!」
まだあずきコーヒーを飲み終えていない康樹が一気飲みしようとカップに手をかける。
「無理しなくていいよ。康樹は少し休んでから来て」
「でも……」
「あんただって社員探し大変でしょ。たまには休みなさい」
「……分かったよ。それじゃ、俺はもう少しここで休んでから帰る」
こうなった香耶が話を聞かないのは既に分かり切っているので、康樹は諦めた。
「それでいいの。じゃあまたねあずきちゃん」
ドアのベルがカランカランと鳴り、香耶の姿が消える。
「本当にいい社長さんですよね」
「そう言ってもらえると副社長冥利に尽きるよ」
粋な社長の計らいで、康樹の安らかな時間はもう少しだけ続きそうだった。