社員の好みを知ることも大事な社長の務めです
「ただいまー」
「あ、おかえりなさい康樹さん」
康樹が家に帰ってくると、そこにいたのは姉の香耶ではなく、黒髪ロングヘア―のかわいらしい女の子だった。
「さっちゃんか。来てたんだ。姉ちゃんは?」
この女の子の名前は霧谷幸子。康樹たちがてけてけのさっちゃんと呼んでいるその人である。しかし、今の彼女は義足をしているため、ほとんど普通の女の子と変わらない外見をしていた。
「それが、まだ帰ってないみたいでいないんですよ。たぶんこの間のアームカバーのことだと思うんですけど」
「あー、そういえばそんなこと言ってたな。ところでアームカバーって何に使うんだ?」
すると、さっちゃんはこともなげに答えた。
「移動の時に腕を怪我しないように……」
「両腕気にしながら移動するてけてけなんて聞いたことないけど!?」
というか、いたらお目にかかりたい。目の前にいるけども。
「いや、最近は不法投棄とかも多くて、ガラスとかで腕を切ることもしばしばなんですよ」
「俺の記憶が正しければ、てけてけって元々足から下をなくした妖怪だったと思ったんだけど。今更腕を切ったくらいで何か起こるってこともないんじゃないの?」
康樹の言葉に、分かってませんね、と得意げな顔をするさっちゃん。
「すでに足をなくして五体不満足だからこそ、これ以上他の部分を怪我したくないんですよ。一応怪我すると痛いので」
「そんなどや顔されても」
さっちゃんの言い分も分からなくはないが、腕の怪我を気にしながら移動するてけてけというだけで怖さが半減してしまう。
「でも、不思議なものですね。まさか私が働くことになるなんて思ってもなかったです」
何かを思い出すさっちゃん。康樹はそれを見て思い出す。
「さっちゃんは、最初姉ちゃんを殺そうとしたんだっけ?」
「はい。そんなこともありましたねえ」
いい話のように思い出しているが、殺しかけた話はそんな笑顔で回想するものではない。
「姉ちゃんを殺さなかったのは何か理由があったわけ?」
「うーん、まあそれは乙女の秘密ということで」
「そこ誤魔化しちゃうの!?」
「ここで話すにはちょっと刺激的な話なんです」
ハートマーク付きのちょっとだけ誘惑するような声で、さっちゃんは笑った。
「ただいまー。さっちゃんいるー?」
「あ、おかえりなさい香耶さん! アームカバーありました?」
そんな話をしていると香耶が帰って来た。さっちゃんは姿を現した香耶に開口一番尋ねる。
「あー、あったあった。あたしの部屋来てよ。今出してあげるからさ」
「はーい♪」
香耶に呼ばれるように、さっちゃんは奥へと吸い込まれていった。康樹は考える。
「いつも思うんだけど、何で毎回姉ちゃんの部屋に行くんださっちゃん……?」
「それで、今回の収穫はどうでした?」
さっちゃんは香耶に身を乗り出しながら聞く。
「ちゃんと買えたよ。ほら見て」
香耶はアームカバーを取り出し、さっちゃんに手渡す。だが、さっちゃんはそのアームカバーはついでだというように、中に包まれていた数冊の本を取り出した。ちなみにいわゆる薄い本と言うやつである。
「きゃー! この間売り子してた時に変えなかったやつだ! ありがとう香耶さん!」
「まあ、このくらいで良ければいつでも買っといてあげるよ。てか、いつも思うんだけど、何で同人誌のことアームカバーって言うの?」
尋常でない喜びように若干引きながら聞く香耶、実は電話での香耶が言っていたアームカバーとダメになったは隠語で、アームカバーを同人誌、ダメになったを新刊が出た、と言い換えることで話が初めて通じるものになっているのだ。もちろんカモフラージュで本物のアームカバーも買うのだが、これは康樹にばれないようにするために他ならない。
「ほら、漫画描くときに腕にはめるじゃないですかこれ」
「それだけ?」
絶対それだけではないだろう、と香耶は訝しむ。
「あと、私自身でもこういうの描いたりするので。姉弟ショタ萌えなんです」
「あー、自分でも描くんだこういうマンガ」
実用性のあるものをカモフラージュに使うのがまた真面目なさっちゃんらしいな、と香耶は思う。
「はい! 香耶さんはどうですか、姉×弟のCP」
「いや、どうですかって言われても……」
リアルに弟がいる分答えにくい質問だ。中身に目は通したものの、正直別に何とも思わないのが香耶の本音であるからだ。
「まあ、さっちゃんが気に入ってくれたなら嬉しいな。また欲しいのあったら買ってあげるから、リクエストよろしくね」
「分かりました♪」
うまくごまかせたな、と香耶は安堵する。毎回この質問をされる度に適当に答えて抜け出すのが彼女の常套手段だ。
「それじゃ、この戦利品を読むので今日は帰りますね。お邪魔しました!」
「はーい。またよろしくねー」
さっちゃんが帰っていくのを見て、香耶は体にどっと疲れが来るのを感じる。
(知り合った時はまさかさっちゃんがここまでオタクだとは思ってなかったんだけどなあ……)
「姉ちゃん、さっちゃんはもういいの?」
さっちゃんが帰っていったのを見た康樹がドアの外から香耶に声をかけてきた。
「うん、とりあえずはね。あ、入っていいよ」
許可すると、康樹はすぐに中に入ってきた。
「なあ、毎回姉ちゃんの部屋から出てくるとさっちゃんの笑顔が半端ないんだけど、何でアームカバーで毎回あんなに喜ぶんだ?」
「うーん、強いて言うなら乙女の秘密かな」
「何だそりゃ?」
さっちゃんと同じ答えに、康樹の謎は深まるばかりだった。