第4章 意外なところで
クリスマス後は何事もなく過ぎ,仕事に追われながら年が締めくくられた。新たな年第1日目は,晴れ晴れとした気持ちの良い,しかしキーンと冷えた日であった。凍える手をさすりながら,白川蓮美は郵便ポストまで歩いた。近年遅れがちな年賀状は,例年にないくらい早く着ており,すっかり冷えていた。
束になっている年賀状を大事に持ち,暖かい部屋に戻る。用意していた珈琲はすっかり出来上がって湯気が漂っていた。マグカップにたっぷりと入れ,ソファーに座ってまずひと口飲む。その後,年賀状を1枚ずつ丁寧に見る。学校の友達や会社の同期から,会社の上司や取引先の会社で知り合った人から来ていた。取引先の会社として,真田賢司からも来ていた。もちろん,会社で作った年賀状だから決まり文句が書かれているのだが,最後に手書きで,元気に過ごしているようで安心している,とだけ書かれていた。その心配りに,やはり好意を消すことは出来ないと思っていた。ただ,その好意が徐々に恋人としてよりも,尊敬する人として変わっていた。蓮美も賢司に送っていた。会社にも送ったが,プライベートとして,内容が読み取れないように異例の封書で年賀の挨拶を出していた。
友達の中にはすでに結婚をして子どももいる人もいるので,家族写真の年賀状もあった。抱っこされている子どもは本当に幸せそうに笑っている。笑い声まで聞こえてきそうなその笑顔に,羨ましさを感じた。
手書きやプリント,色々な年賀状を見て楽しみ,最後の1枚となった。それは,蓮からであった。年賀状にはクリスマスプレゼントとして贈ったあの地球儀の写真があった。部屋に飾って眺めていることが追記されている。
(良かったぁ。)
もちろん,蓮美も年賀状を送っていた。めでたい,と言うことで,手書きの富士山の年賀状にしていた。それをどう見られているのかと思うと,ドキドキしていた。
珍しく土曜日に休みをもらえ,久しぶりに友達と会ってご飯を食べることにした。その友達・柚華は高校からの友達であるが,高校のときよりも社会人になってからの方が打ち明けて話せる友達であった。それでも,賢司とのことは一切話していないが。
『で,何があったのよ?』
柚華はお通しをひと口食べて,イキナリ聞いてきた。まどろっこしいことをあまりしない性格ではあるが,あまりに急なので蓮美は驚いてむせてしまった。
『何がって何よ?』
むせが収まってから聞くと,柚華はにやりと笑んだ。
『久々にご飯食べに行こーなんて言われたら,何かあったからに決まっていると思うわよ。で,どうしたの?』
蓮美はどうしようかと思いつつも,結局蓮との出会いからクリスマスの出来事まで洗いざらいしゃべる羽目になった。もちろん,自分からと言うよりも柚華が引っ張り出したようなものだが。
『うちに来て何もなし!?』
あけすけな言い方に,蓮美の方が照れた。言った本人はあっけらかんとして,それから首を振った。
『それってまさに脈なしよ。』
ズバリと言われ,蓮美はため息をつく。
『そうかもしれないけど…。』
『ま,諦めて次の恋に進みなさいよ。』
『あ,まだ好きだとは…!』
今度は柚華がため息をついた。
『あのね,話口調とか表情見てれば,蓮美がその蓮って人を好きなのばればれよ。自覚なし?』
蓮美の頬が徐々に赤くなる。蓮との関係に浮かれているときがあるけれど,好きという恋愛感情に踏み込んでいるとは思っていなかった。だが,他人に言われると妙に照れくさく,そうなのかもしれないと思ってしまう。
(私は蓮さんが好き…?)
1月下旬。お正月はすっかり薄れ,世間ではバレンタインデーの雰囲気に包まれていた。そんな頃,真田賢司の会社グループの新年会が開かれた。パーティーなどは藤代社長だけが行くのだが,どうしてか賢司の会社グループからは蓮美にも招待状が毎年きている。毎回衣装代がかさむと思っていたのだが,今回は藤代社長がプレゼントしてくれることとなった。今までないことであり,またこういう馴れ合いになるのはどうかと思ったのだが,ボーナスが弾まなかった分のプレゼントとして買うと言われ,あまりにも乗り気だったので甘えてしまうこととなった。プレゼントといえども藤代社長はサイズも好みもよく分かっていないので2人で買いに行き,決めたのであった。
オフホワイトが基調の,金糸の刺繍が入ったドレスは,年齢とも相まって華やかであった。それを着て藤代社長を出迎え,例によって藤代社長の運転する車でホテルに出かけたのだ。
『似合うね。』
試着した際も言ったのだが,藤代社長は改めて褒めた。それに照れつつも頭を下げる。
『ありがとうございます。』
『そろそろ結婚したいとかいう年齢じゃないのか?』
この問いかけには笑みがこぼれてしまう。
『独身の社長からそう言われるとは思いませんでしたけど?』
今度は藤代社長も笑った。
『そうかもな。まぁ最近ね,独身もいいけど,家庭を持つのも悪くないなって友達を見ていて思ったんだよ。』
仕事をバリバリこなして,家に帰るなら会社でぎりぎりまで仕事をするのが好きだと言っていただけに,意外な言葉だ。
『そうですね。でも,まだ分かりませんよ。今は自分だけで手一杯なんですから。』
『それは私もだな。』
苦笑まじりにうなずきながら同意した。
ホテルの正面で車から降り,あとはボーイに頼んで2人で入る。出来て間もないホテルのフロントは吹き抜けで,古風なエレベーターが昇降するのが見えた。まだ入ったことのないホテルだったのできょろきょろと見回したくなるが,それをなんとか抑えて落ち着いた表情で歩いた。
『35階のダイアモンドの間ですよ。』
そう案内してエレベーターに入る。スタッフが35階までノンストップで連れて行き,扉が開くと明るい照明が目に入った。すでに何人か関係者は来ており,受付を済ませている。2人も並んで受付をし,控えの間に案内された。
控えの間にも30人ほど来ており,中には知り合いの社長や役員がいたので挨拶に回る。その間,蓮美はずっと藤代社長の後に付き,必要とあれば藤代社長の名刺を差し出していた。新年会といえども,企業との顔の繋がりを作る場でもある。粗相のないよう,そつのない態度で微笑んでいた。
20分ほど経った頃,ダイアモンドの間へ誘導された。名前の如く,煌びやかなホールで,とても広い。それでいて,テーブルのセンターフラワーなど,細やかな点まできちんと気配りがされていた。秘書としての立場でいるパーティーはとかく面倒で,必要以上に気を遣い,試練のようなひと時であるが,この場はそれを忘れさせるような雰囲気があった。
新年会が始まり,真田社長や会長,役員の挨拶が済み,ようやく乾杯となった。シュワシュワと軽やかな粒の舞うシャンパンを手にし,掲げる。これだけ多い人数がいるのに,乾杯の声は穏やかに響いた。
『白川君,はぐれないようにね。』
『そこまで子どもじゃないはずですけど?』
小さな声で返すと,藤代社長は軽く笑った。
『そうだね。じゃあ少し食べてから挨拶に行こう。』
テーブルに載っているのはどれも見た目がよいものばかり。もちろん,ひと口食べれば味も美味だと分かる。あまり食べるのも良くないが,ほかの客を縫うようにめぼしいものを口に入れ,取引先の社長には挨拶をして回った。秘書を連れている社長はおらず,ほとんどが妻を付き添いにしていた。それだけに蓮美は好奇な目でも見られたが,気にしていないというそぶりをしていた。
(社長が独身だから,わざわざ私にまで招待をくれたのね。)
今更ながらそれに気付き,自分の立場がおかしく思えた。社長と秘書,という関係だけだと分かっているのは何人いるだろうか。
パーティーが始まって40分もした頃,藤代社長がネクタイを正した。
『そろそろ挨拶に行こう。』
ボーイに使っていたお皿とグラスを渡し,真田社長の方に足を向けた。
今まで色々な人に囲まれていたが,ようやく空いてきた頃の真田社長に声を掛けて,挨拶をする。年明けて,初の顔合わせだ。
『明けましておめでとうございます。』
お互いに口にして頭を下げる。
『去年はお世話になりました。今年もどうぞ,よろしくお願い致します。』
藤代社長と共にお辞儀をすると,賢司はもう頭を上げるように笑いながら藤代社長の肩に手をかけた。
『堅苦しいのはいいですよ。お互い手を組んで仕事することが,ベストですから。お互い様ですよ。ところで,また今日は素敵な美女振りですね。』
賢司が蓮美に微笑みかけて褒める。
『いつもはスーツだけど,こうしてドレスを着ると一段と美しいですね。』
『ありがとうございます。』
関係があったときにはあまり褒め言葉を公式な場で言われたことがないからか,顔が火照ってしまう。
『真田社長,褒めても我が秘書は譲りませんよ。』
笑って藤代社長が返すと,賢司はしみじみとうなずいた。
『お若い方同士ほうがお似合いだから,私にはね……。あ,君,写真を頼むよ。』
新年会の記録としている写真係に声を掛け,3人で写真を撮ってもらう。今までも何度か撮ってもらったが,別れてから初めて撮る写真に蓮美は緊張した。もちろん,装いの態度でいるのだが,それがきちんと出ているかちょっと不安になったのだ。
(別れてからずいぶん経っているから,大丈夫だよね。)
心中を隠し,にこやかに微笑みを浮かべる。
『ありがとうございます。』
『後日,写真を送らせてもらうよ。そうそう,私のあとはついでいないが,息子が来ていてね。』
賢司が視線を彷徨わせて息子の姿を探す。
『専属のカメラマンがインフルエンザになったから,急遽来てもらったんだ。ああ,あそこにいる。』
指差す方には,この新年会の客を撮っているカメラマンがいた。
(え!?)
蓮美はその背中に見覚えがあった。
(嘘。)
思わず表情が崩れるが,それを慌てて直して微笑を浮かべる。
『プロのカメラマンとして駆け出していてね。RENっていう名前でやっているんだ。』
この説明に,そしてちらりと見える横顔に確信を持った。賢司の息子は,確実に蓮美が知っている,あの蓮だ。