第3章 あいていますか?
蓮と出会って半年。季節はすっかり逆となり,寒い日が続いていた。街はクリスマス色に染まり,夜になればイルミネーションが輝いている。
この半年,意外にも連絡を取り合うことが続いている2人。蓮が撮影のために海外にいるときもあれば,白川蓮美の出張先と撮影地が重なって,同じ土地にいながら電話していることもあった。たまに時間が合えば食事にも行こうと話しているが,まだそういう機会はこの半年で2回しかなかった。写真家と一読者。たったそれだけの関係だったのに,こうも繋がると不思議なものである。
クリスマスで浮き足立っている街中を車が走っていく。運転しているのは藤代社長である。本来ならば運転手か,もしくは秘書である蓮美が運転するべきなのだが,藤代社長は頑として譲らない。何度頼んでも断られ,ついには蓮美が諦めたのだ。
運転しているのは発売されてすぐに買い換えたレクサス。車体が好きなのかと言えばそうではなく,目新しいのと運転が好きなのである。だから,レクサスを買うときも色や装備はほぼ蓮美が決め,その後藤代社長の手に渡ったのだ。
『クリスマスの予定は?』
7年間も秘書をしていれば,他人の前ではかしこまっていても,2人だけのときはくだけている。藤代社長はハンドルを握って嬉々としている表情で聞いてきた。
『仕事ですよ。』
当たり前のように答えると,藤代社長は笑った。
『今年は平日だったか。』
『そうなんですよ。』
『でも,夜は何かあるだろう?』
ここまで聞いてくる藤代社長も珍しい。蓮美はちらりと横を見て,クスリと笑む。藤代社長は42歳の独身。結婚歴はない。見た目も若々しく,30代半ばに見える。それだけに,社内の女性社員の中には秋波を何度も送る人がいる。だが,仕事は鋭いが,そちら方面の鈍い社長は一向に気付かない。
(社長はどうなのかな?)
『残念ながら,何もありませんよ〜。』
そう思いながら答えると,意味ありげに微笑まれる。
『ここ数ヶ月華やかな感じになったように思えるが,それでもないのか?』
今までの恋愛…真田賢司との不倫…はひた隠しにしてきた。誰1人打ち明けていない。それだけに,社内ではフリーを装い,賢司と会う前後は気持ちを出さないように非常に気を遣っていた。ただ,今は恋愛ではないとはいえ,蓮との連絡の取り合いに心弾んでいた。電話やメールがあればウキウキとし,逆に音沙汰なしの日にちが重なると寂しくなっていた。隠す必要のない関係だから何も気を遣わなかったが,藤代社長にまで気付かれるとはそうとう表情が出ていたと言うことだ。
(誰にも言われなかったから安心していたけど,陰で噂されてたりして。)
蓮美は自然と照れる。
『そんな風に見えました〜?』
『ああ。春が来たのかと思ったんだけど。それで,予定はどうなんだい?』
『夜だって何もありませんよ。からかいがいがないでしょう?』
笑って返すと,藤代社長は声を出して笑った。
『違ったのか。』
『そういう社長はどうなんですか?』
今まで独身で来て,それ相応の恋愛だってしてきていると見られる藤代社長は軽く頭を振った。
『遅れそうだから,スピードを上げる。』
面白くない返事をし,運転に集中した。
家に帰り,ポストから取って来た手紙を見る。請求書と通販のダイレクトメール。その間に分厚い手紙が挟まっていた。宛名の字を見て,蓮美は破顔する。
『蓮さんからだ。』
その他の手紙をテーブルに放り投げ,蓮からの封筒をはさみできれいに切って中身を出す。
『わぁ。』
中のものを見て感嘆の声を上げる。中に入っていたのは,写真であった。写真は全て,街中のイルミネーション。ニュース内でも流れるようなものから,住宅に飾っているものまで。全国のイルミネーションが写されていた。
『綺麗。』
一般の人でもイルミネーションを綺麗に撮るコツなどを知れば,程よく撮れるものだ。だが,それと比べては失礼なくらいくっきりと,それでいて幻想的に写っていた。
(駆け出しの写真家って言うくせに,腕前は若手と思えないわよ。)
写真と一緒に入っていた便箋には,イルミネーション特集のために撮ったことや,それに採用されなかった写真を蓮美にプレゼントすることが書かれていた。
『これが没って言われたの!?』
どこが悪いのかと聞きたいくらいの写真を見る。これらが没ならば,採用された写真はどれほどなのか,気になるものだ。
20枚近くある写真から良いものを2枚選び,写真立ての写真と入れ替えた。今まで昼間の写真だったので,ぐっと雰囲気が変わった。その様変わりに笑みがこぼれる。
『嬉しいわ〜。』
蓮美はバッグを漁って携帯電話を取り出し,早速お礼の電話をかけた。だが,生憎でなかったので,メールでお礼をすることとなった。
(名刺の注意書きは大事ね。)
あの注意書きを思い出しながら,もらった写真の感想を感動したまま打っていった。
次の休みの日。蓮美は思いがけないプレゼントのお返しを買いに行った。何にしようか散々悩んで選んだのは,貝や翡翠などからで出来ている地球儀の置物。6色ある中から,蓮に似合う瑠璃色の地球儀に決めた。前から気になっていたもので,自分にもワンサイズ下の地球儀を買い,ご機嫌で家に帰った。
蓮への手紙を添えて配達してもらい,自分の地球儀はベッド脇のテーブルに置くことにした。回すときらりと光る部分もあったりして,小さいながらも映える。隣にもらったイルミネーションの写真を並べると,同じ濃紺が合って綺麗であった。
クリスマス。仕事を終え,会社で藤代社長を見送ってから退社となった。デパートの地下の惣菜売り場に寄り,今晩のおかずを物色する。クリスマスのせいで,ローストチキンとクリスマスケーキを売る声がけたたましい。そして,人の多さにも嫌気がさし,蓮美は何も買わずに電車に乗った。
(何があったかなぁ?)
冷蔵庫の中を思い出しつつ,何を作ろうかと悩んでいると,ぽんと軽く肩を叩かれた。
『蓮美さん。』
びっくりして振り向くと,そこには蓮が立っていた。
『こんばんは。』
夜なのに疲れた顔などなく,爽やかに挨拶され,なんとなくホッとする蓮美。
『こんばんは。仕事帰り?』
『うん。蓮美さんもでしょ?』
『そ〜よ。』
『これからデート…なわけないか,疲れた顔してるし。大丈夫?』
あっさり否定されたことに複雑な思いを抱くが,顔色を見て心配してくれた方の嬉しさが勝っていた。
『ありがとう。大丈夫よ。』
『そっか。ね,ご飯食べた?』
『まだだけど。』
『じゃあさ,一緒に食べようよ。蓮美さんちの方でさ。だめ?』
(ダメなわけないじゃん。)
蓮美の顔に自然と嬉しさが広がる。
『いいよ,一緒に食べよ。何系がいい?』
『ん〜今日はさ,クリスマスでどこも混んでいるだろうから,空いている所でいーんじゃない?』
蓮美は驚いたような表情を浮かべた。
『どうした?』
『そういえばクリスマスだったね。』
あまりに間の抜けたセリフに,蓮は笑いをこらえるのが苦しかった。電車の中ではなく自室であれば,大きな声で笑っていただろう。
『世間に無関心すぎない?秘書でしょ?』
ずばりツッコミを入れられ,蓮美は言い返せなかった。
『は〜い,すみません〜。』
『まぁいいって。』
そう言いながらも,まだ笑っている蓮であった。
蓮美のマンションの最寄り駅に降り,適当に歩いてみる。飲食店の前には貸し切りの看板や,待ち時間の看板が出されていた。
『どこも混んでるね〜。』
『う〜ん。じゃあさ,うちで食べない?』
この誘いに,蓮は目を丸くした。
(それって…?)
『混んでてうるさい所で食べても嫌じゃない。うちなら静かだし。たいしたもの作れないけどね。』
『本当にいいの?』
『だってご飯だもん。そのくらいいいって。』
蓮は首を小さく傾げつつも,笑ってうなずいた。
『じゃあご馳走になりまーす。』
『はいはい。そうしたら…パンだけ買っていこうかな。』
ちょうど目の前の,閉店間際のパン屋に入った。
蓮美のマンションに着き,蓮は珈琲を入れてもらい,ソファーに座って待っていた。蓮美は大急ぎでありあわせの具材でホワイトシチューを煮込み,サラダとツナのオムレツを作ってプレートに乗せた。食材があったことに感謝しつつ,急ごしらえの簡単な料理が出来たことにも心の中で感謝する。
『疲れてるのにごめんねー。』
『いーのよ。味は保障しないけど。』
『あはは!そりゃ楽しみだね。』
蓮美は大慌てで作ったシチューをよそい,テーブルに持ってくる。
『飲み物,紅茶か珈琲しかないんだけど。シャンパンとか買ってくれば良かったね。』
『いーよ。僕は珈琲残ってるからへーき。』
蓮はソファーから食卓テーブルに来て,メニューを見て嬉しそうに笑った。
『美味しそうじゃん。』
『口に合えばいいけど。どうぞ座って?』
『ありがとう。』
向き合って座り,何とはなしに
『メリークリスマス!』
と言った。もちろんクリスチャンでもないが,なんとなくそう言いたかった2人であった。
『じゃ,いただきまーす。』
『どうぞ召し上がれ。』
蓮はシチューの具材をスプーンいっぱいに載せて頬張った。
『美味しいじゃん。』
『よかった。』
ただ単純に,思ったことを口にしてくれて嬉しい蓮美。自然と笑みがこぼれる。蓮にもそれが伝わり,微笑み返す。
特別なことはないけれど,お互い笑って食事が出来る。この時間と空間に幸せを感じていた2人であった。