不意にエタった小説のことを思い出すことってあるよね。
感情で書いた文なので支離滅裂なところがあったりしますが、変えたくなかったので許してほしい。
たまに、ごくたまに、間違えてブックマーク欄を下の方までスクロールしてしまう事がある。
別にそれがどうしたという訳でもないけど、そのときふと長らく更新されていない小説が目に留まることがある。
「ああ、そう言えばこんな小説もあったなあ。割と面白かったんだけど残念だなぁ」
話数を見ると十数話で止まってしまっているものもあれば数百話もあってから止まってしまっているものもある。
他の人がどうかは分からないが、私の場合、ほとんどの小説はエタるまでの内容をぼんやりとではあるが覚えている。それで、何故エタってしまったのだろうと考えてみたりする。
「この小説はちょうど新天地に行った当たりで止まってるから、もしかするとその先のストーリーで行き詰まってしまったのかな」
「この小説はエタるちょっと前に壮大な背景が明かされていたから、もしかしたら風呂敷を広げすぎて収集がつかなくなってしまったのかもしれない」
「この作者さんは忙しいらしくて更新がまばらになっていってから止まっていったので、忙しくて小説を書くことをやめてしまったのかもしれない」
他にも色々な理由を考えてみたりするけど、大抵の場合最後に思うことは「私は好きだったんだけど、残念だ」
まあ、わざわざブックマークをしているので当然といえば当然なのだけど。
実際どのくらいの作品がエタっているのだろう。例えば、ある意味なろうの代名詞とも言える(?)、「チート」を含む小説を検索すると、およそ三万件。これが長期連載休止作品を除くと、一万件まで減る。二ヶ月以上間を空けて更新する作者様もいるだろうが、そこまで多くないだろうし、今表示されている中の何作が半年後エタっているのかを考えるとやはりエタらないのは三分の一程度だろうか。
エタに関して書いている短編エッセイをいくつか読むところによると、やはりエタらずに完結できる作品のほうが少数であるという現状のようだ。
実際、今はバリバリに更新している作品もいつかエタる可能性は十分にある。月間ランキングにも載っていた、なんだかんだ一年以上更新している、200話以上続いている、書籍化もしている、この作者さんの過去作品は皆完結している。それでもエタるときはエタる。
実は私自身、他のアカウントで、一年以上、百話以上更新していた作品をエタらせたことがある。
はじめから設定に無理があったり、途中で出したキャラの過去に無理があったり、そのせいで頭の中にあった物語の結末がまとまらなくなってしまったり、そうしている内にやる気が摩耗していって、また生活の方も忙しくなってしまって、最終的に途中で更新を止めてしまった。
執筆用アカウントのパスワードも忘れてしまい、今はその後作った読み専アカウントのみが残っている。ただ、ログイン出来たとしても私はきっと続きを書くとは思えないし、書けるとも思えない。別に小説を書いていたことが恥ずかしい黒歴史だったとは思わないけど、それでもやはり書けないものは書けないのだ。
先日、自分のブクマからエタった作品を外したり、「希望がなくてもまだ待ち続けたい」と思うものを読み返してみたり、「せめてこの人が他の作品を今書いていれば……」と作者さんのマイページを覗いてみたりしていて、ふと
「昔の自分の作品をこうやって待っていてくれている人は居るのだろうか」
と思ってしまった。エタらせてから約二年経って、初めてそう思った。
私は作品をエタらせてからずっと感想を見ていなかった。もう書く気のなかった私の小説を望んでいる人のコメントを見るのが申しわけなく、怖かったからだ。それどころか、自分の小説のページすら開こうとしなかった。
私の小説を探そうと、googleで小説のタイトルを打つと、一番上に私の小説が出てきた。私は検索結果に出てきた自分の小説のタイトルを見ている内に、感想を見るのが恐ろしくなってブラウザを閉じてしまった。正直、自分でも何をそんなに恐れているのかわからなかった。
再びgoogle検索。また一番上に出てくる私の小説。マウスカーソルをタイトルに合わせるがそこから先に進めない。そのすぐ下に見えるあらすじの一部やサブタイトルが目に入ると動悸がして、冷や汗が出てくる。
今度はウィンドウを閉じずにパソコンの前を一旦離れ、家の中をうなりながらぐるぐると歩き回る。
ウジウジすること五分か十分か、意を決してリンクをポチリ。表示されるのは自分の作品のタイトルと、
「この連載小説は未完結のまま約1年以上の間、更新されていません。
今後、次話投稿されない可能性が極めて高いです。予めご了承下さい。」
正直すぐにでもウィンドウを閉じたかった。とても感想なんて見ようと思えなかった。けど、ちょっとだけ、ちょっとだけ勇気を振り絞って、小説情報のページまで行った。
自分の小説のあらすじを目で追う内に、ちょっとだけ落ち着いていた冷や汗と動悸がまた戻ってくる。自分の書いていた生の文章を見て色々と思い出してしまう。ノリノリで小説を書いていたこと、キャラや世界設定の雑さを読者に指摘され凹んでいたこと、「エタる気なんてありませんよ、ハッハッハ」なんて前書きで豪語していた頃のこと。
結局、難のあった小説を続けることから逃げ、読者からも逃げてしまった。そう思うと、申し訳無さと恐怖で感想が見れない。
自分の書いたあらすじから目を背けたくて、右側のガンダムヒーローズの広告に視線を向けながら下にスクロール。そこからもう一度視線を画面真ん中に戻すと小説情報が載っている。
私は、そこの数字を読んでいる方が気が楽だと思ったけど、それは大変な間違いだった。
掲載日と最新部分掲載日、つまり初めて小説を書いた日とエタった日が書かれている下を見ると、感想の件数が。流石に当時の感想の件数までは覚えていないけど、なんとなく増えている気がした。
その下、レビュー件数。これはエタ前から変わっていない。そうそう書かれるものでもないし当然だろう。
その下、ブックマーク件数、その数字を見て私は頭が真っ白になった。なんと、一万を超えていた。
流石に、エタる前から増えているというわけではなかった。が、私はずっと少ないと思っていた。多くて千件くらいだろうと、当時の読者は殆どブックマークを外してしまっただろうと思っていた。
しかし、やはりそこには確かに五桁数字が並んでいる。その数字を凝視してまた冷や汗が出た。
一度深呼吸し、再び画面を見る。その横には二次元バーコードとアクセス解析のリンクがある。私は恐る恐るアクセス解析のリンクをクリックしてPV数を見た。
本日のアクセス解析、と書かれたしたの小計PVはおよそ3000だった。二年間何の投稿も、更新も、活動報告も無い小説が一日に3000回も見られている。私が逃げたこの小説を、未だに期待している人がいるという事実に、申し訳無さと恐ろしさでいっぱいになった。
アクセス解析のページを閉じると再び小説情報のページに戻る。この時点で誰かしらが感想を残しているだろうと容易に想像できた。
「かえってきてほしい」「更新してほしい」という期待のコメントが書かれているだろうか。それとも「逃げたのか」なんて書いてあるのだろうか。「エタらない」なんて自信満々に言っていた私を怒る声が書かれているだろうか。そんな考えで頭の中が一杯になった。
その結果、感想を見ないでブラウザを閉じた。結局、期待や叱責を正面から受けることが怖くて逃げた。多分これからは自分の作品とこれ以上向き合うことは無いだろうと思った。臆病な作者が逃げた。それだけの話。
そして、何をとち狂ったのかそのエピソードを短編エッセイにして投稿しようかと考えた。私はきっと懺悔のつもりで書いているんだと思う。
ただ、言葉で表そうと試みたおかげか、これだけではあんまりにあんまりなので、もうちょっとだけ向き合ってみようという気分が湧いてきた。
これを書いてる途中、ちょうどブクマが一万を超えていた話を書いているときに、いきなり履歴から自分の小説のページに飛び、感想をクリック。そのまま息を止めながら感想を見ていった。
その結果、感想ページの二つが丸々更新を求める声で埋まっていた。一番新しい感想に至っては2018年のものだった。2016年から一切の音信がないのに、未だに待ってくれている人がいた。
エタってからの感想を全て読んで、息を吐いたときには見る前までに感じていた恐ろしさは大分薄れ、代わりに申し訳無さでいっぱいになった。それからは記憶が怪しいが、ベッドに飛び込んで、枕で自分の頭を叩いてみたり、家の中を歩き回ってみたり、とにかく奇行を繰り返した記憶がある。もしかしたら涙を流したかもしれない。
その日はそのまま寝て、一晩経ってからPV数を見るくだりからここまでをかくに至っている。
結局、ログインは出来ないのでその小説を更新することは出来ない。仮にログイン出来たとしても更新はしないと思うし、続きを書くことができないとも思う。読み専をしている間にエタった作品を幾つもみて、読者の悲しみを当時よりずっと深く感じているが、それでもやはり私には再開できると思えない。
でも、もしエタろうとしている過去の自分になにか声を掛けられるとしたら、それは書くことをやめさせる言葉ではなく、書くことを続けさせる言葉だったんじゃないかな、なんて思っている自分もいる。
まともな人が見ればくだらなく、情けない話だと思うだろうけど、私にこの場で懺悔することを許していただきたい。
最後に、最近エタったエタりそうな作者さんへ
エタることが悪い事だとは言わないし、当然非難もしません。そもそもできる立場にないです。でも、エタってしまう前に少しだけ、ほんの少しだけ考えてほしいことが三つあります。
貴方の作品をブックマークしている方は、思っている以上にその作品の事を好きだったりします。どのくらい好きかと言うと、ちょっと展開や設定に無理があろうが気にしない程度に好きだったりします。読者の中にはそんな人達が結構な数います。
「設定や展開に行き詰まったので、この話を完結ということにして設定を練り直した改訂版を新たに書く」という選択肢もあります。エタる前にちょっとだけ考慮してみてください。
それでもやっぱり書けない。そんな時は逃げたって良いと思います。但し、エタったこと過度に気にしすぎるのはおすすめしません。私のように苦しい思いをして謎エッセイを書くことに成るかもしれません。
「お前それ何も解決してねーじゃん」と。その通り。ただエタ作品の作者がエタ中に書かれた感想を読んだ、それだけ。でも私は懺悔がしたかった。
わざわざこんな時間にシコシコとエッセイを書いただけの価値はあったと自分では勝手に思っています。
無いとは思いますが、これ読んで、「さてはあの作品の作者だなオメー」と気づいてしまっても感想とかに書かないで心の中にとどめてくれるとありがたい。