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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

時を止める少年~フリーダム・フリーズ~

作者: くろげぶた

道を行く少年。

彼の名前は、朱鷺トキ


ごく平凡で健全な男子高校生。

ただし、つい先日までは。だ。


「おい! 兄ちゃん危ねえ!」


叫び声に見上げる、遥か頭上。

ビルの上階で工事する作業員。

その手元から滑り落ちた工具が、トキの頭上に迫っていた。


避ける暇もない。

まごうことなき直撃コース。


たかが重量200グラムの工具だとしても。

地上15メートルからの重力加速度を加えた衝撃は、70キロを超えるという。


頭部に直撃したのなら、死は免れない。


工具を落とした作業員の人生は終わり、建設会社は賠償金により破綻。

多くの作業員が路頭に迷う、悲惨な未来が決定する。


「ひっ!」

「オワタ……」


目をつむる作業員。

天を仰ぐ現場監督。


誰もが絶望に打ちひしがれる。

その瞬間。


ドカーン


地面に衝突。

盛大にはね飛ぶ工具の音が響くかたわら。

何事もなく突っ立ったトキの姿があった。


「やっべ。兄ちゃん大丈夫か?」


慌てて駆け寄る大勢の作業員に囲まれる。

その身体に、一切の傷はない。


「……運よく当たらなかったのか?」

「ひゅー。てっきり死んだと思ったぜ」

「アホ! はよ謝らんか! この馬鹿!」


いや。

先ほどまでなら、間違いなく直撃コース。

トキが避けなければ、大惨事。

田舎であれば、三面記事へ掲載される程度に大事故である。


「すまん! 缶コーヒーおごるから勘弁してくれ」

「しかし……兄ちゃん。よく避けたなあ」

「すげー運動神経やで」


残念ながら、帰宅部であるトキに運動神経は存在しない。


いや。仮に運動部であったとしても。だ。

工具が地面に到達するまでの猶予は、わずかに2秒弱。

秒速60キロを超える飛来物。

オリンピック選手でもなければ、とっさに回避できようはずがない。


その奇跡を思えば、缶コーヒーとは安すぎる迷惑料。


「いや。運が良かっただけですから。気にしないでください。それじゃ」


心配する作業員の缶コーヒーを断り、トキは工事現場を歩き離れる。


運が良かったのは事実。

そして、奇跡ではあるが……奇跡ではないからだ。


先ほどの事故。

工具が直撃するその寸前。


世界は色を失い。

流れる時は凍り付き。

トキの周囲で、全ての時間が止まっていた。


目前に迫る工具は動きを止め。

空を飛ぶ鳥は羽ばたきを止め。

叫び声を上げる作業員はピクリとも動かない。


静寂に染まる白の世界。

その中で、トキはただ一歩。

工具の落下地点から足を踏みだし、脇へと身を避ける。


その1秒後。

工具は大きな音で地面を打ちつけ。

色を取り戻した世界が動き始める。


時間。


それは、老いも若きも。

富める者も餓える者も。

誰にも平等に過ぎ去るものである。


そんな世界の理を、トキは打ち破っていた。


時間を止める。

まさに奇跡である。


が、時間の止まった世界で。

飛来物を避けること自体は、奇跡でも何でもない。


トキに、なぜそのような真似ができるのか?

それはトキ本人にも分からない。

つい先日まで、そのような事は出来なかったにもかかわらず。

なんとはなしに、唐突に時間を止めることができていた。


呼吸するように。

身体を動かすように。

なぜか時を止めることができていた。


それは感覚的なもので、けして他人に説明できるものではない。


そもそもが時間を止めること。

それ自体が非常識なのだから、深く考えても仕方がない。


しかし……時間を止められるといってもな。

どうしたものか……


人間。いくら能力があろうとも。

有効活用できなれば意味はない。


ノーベル賞を受賞する天才であろうとも。

肉体労働を行わせては、浮浪者に劣る仕事だったりもする。


ボクシング世界チャンピオンであろうとも。

事務仕事に従事したのでは、能力を有効活用しているとは言い難い。


ならば、トキのこの能力は?

時を止める。

この能力で何をすれば良いのか?


いや……最も大事なことは。

どう活用すれば一番、お金を稼げるのか? である。


勉強して良い大学へ進むのも、一流企業に就職するのも。

全てはお金を稼ぐためなのだから。

いや。全ては言いすぎだが、おおむねそのはずである。


ならば一流大学。一流企業に進むにはどうするか?


答えは単純。試験で良い点数を取れば良い。

時間を止める。隣の人の解答を覗き見る。

それだけで、一流大学も一流企業も決定する。


だが、不正で一流企業に就職してどうするのか?

時間を止めようとも、仕事の成果は上がらない。

そして、役立たずに支払う給料など存在しない。


ただ成果を上げるには、自身の成長。

地道な勉強。それが正解なのである。


時を止めようとも、勉強でお金を稼ぐのは無理そうである。


ならば……スポーツはどうなのか?


例えばプロ野球選手。

一流選手ともなれば、その年収は軽く億を超えると聞く。


街行くトキの足先は、バッティングセンターへ向いていた。


トキが向かうケージは、野球選手用。

140キロの剛速球が体験できると話題の最新マシーン。


「マジかよ?」

「あんなヒョロガキが?」

「おい。ガキ。無謀だぜ?」

「甲子園常連の俺らでもキツイっつーに」

「小遣いをドブに捨てるたーもったいない」


チャリーン


からかう野球部員を無視して、硬貨を投入。

トキは、軍手をはめてバットを握りしめる。


「来い」


一声発したトキは視線の先。

スクリーンに映し出されるピッチャーの姿を睨み見る。


ズバシュ


スクリーンのピッチャーが腕を振り下ろすと同時。

マシーンから剛速球が放たれた。


プロ野球選手が億を稼ぐのも。

剛速球を打ち返せるからである。


常人であれば。帰宅部のトキであれば。

ボールに触れるどころか、悲鳴を上げてのけぞるのが精いっぱい。


だが、いか程の剛速球であろうが──


「止まれ! 自由なる世界を縛る楔。自由の凍結フリーダム・フリーズ!」


トキの目の前。

ピタリ30センチの位置で、白球が凍り付く。


「ふんぬっ!」


気合一閃。

振り抜くバットが白球を捉えていた。


解放リリース!」


カキーン


時が動き出し、トキの打球もまた動き出す。


ボテッ コロコロ


しかし、捉えたはずの打球は力なく転がるだけ。


「あちゃー。坊やのお小遣いが」

「ぜんぜん駄目やん」

「いやいや。当てただけスゲーって」

「ぶははっ」


それも当然。

いくら時間を止めようとも。いくらボールが止まろうとも。

運動音痴のトキが白球をホームランすることは無理なのだ。


どうやら、野球でお金を稼ぐのは諦めるほかにない。


「無念……」


バットを置き去り、トキはバッティングケージを後にする。


「おいおい。まだボールは残ってるのに」

「もったいない」

「もしかして……金持ちの坊主か?」


バッティングセンターを後にする。

トキの後ろに続くのは、先ほどトキをからかう5人の野球部員。


「へへっ」

「金あまってるならさー。俺らに融資してくんない?」


ならば、陸上競技はどうだろう?


連中を振り払うべく、トキは走り出す。


「待てやー」

「俺ら野球部を相手に」

「運動音痴のおめーが逃げられるかよ」


確かにそのとおり。

普段の練習で走り込む連中を相手に。

帰宅部のトキが走りで敵うはずもない。


だが、いかに相手の足が速くとも──


「止まれ! 自由なる世界を縛る楔。自由の凍結フリーダム・フリーズ!」


時間を止めてしまえば関係ない。


トキを追う連中の動きが時を止める中。


「ぜーはーぜーはー」


トキただ1人が、前へと逃げ進む。


陸上競技。

有名どころでは100メートル走。


時を止めてから、1秒が経過。


1秒どころか、コンマ1秒を競う競技において。

1秒を止めるというのは、とてつもないアドバンテージ。


時を止めてから、2秒が経過。


「むぐぐ……」


脳裏を苦痛が占めていくなか、3秒が経過。


「ぶはあっ! 開放リリース


吐き出す空気と同時。

止まっていた時が動き出す。


「おお? どこ行った?」

「って。いつの間にあんな場所に?」


1秒を止めるだけなら何ということはない。

だが、1秒を超えて時を止める。

それは、苦痛を伴う体験。


例えば、息を止めるにも似た行為。


1分なら楽に息を止められても。

2分もの間、息を止めるのは至難の業。


現在のトキが止められる限界は、わずか3秒でしかない。


「でもよー」

「ほーら。もう追いついた」

「俺らから逃げよーったて」

「そうはいくかよ」


100メートル走において、1秒を止めるのはとてつもないアドバンテージ。

だが、元が100メートルを18秒でしか走れない人間が。

わずか1秒から3秒を止めたところで、何の意味もない。


どうやら陸上競技でお金を稼ぐのは無理そうである。


「死ねー」


追いかける男が宙を飛ぶ。

その体勢は、空中飛び蹴り。


ならば……格闘技。

ボクシングならどうなのか?


「止まれ! 自由なる世界を縛る楔。自由の凍結フリーダム・フリーズ!」


飛び蹴りの態勢のまま、男は空中で動きを止める。

相手の蹴り足。

その進路を外れ、トキは相手の顎先へと拳を添える。


解放リリース!」


ドカーン


「ぴぎゃー」


時が動き出すと同時。

その加速のまま、相手の身体がトキの拳に衝突する。


カウンターパンチ。


戦いにおいて、1秒を失うのはとてつもない損失。

時を止める限り。

トキは100発100中の確立で。

カウンターを決めることが可能である。


が、現実はそう上手くは進まない。


「ああ。てっちゃんが?」

「や、やろう!」

「囲んでぼこるんや」


カウンターを決めたトキの腕が痛い。


鍛えていない身体では。

いくら正確に打ち込もうが、その反動だけで砕け散る。


捻挫。もはや右拳は使えない。


「死ねー」

「やったれー」

「ボコボコやー」


いっせいに迫る野球部学生。


「止まれ! 自由なる……」


ズキン!


突如。

トキの脳裏に走る激痛。

それは警告。


時を止めるといえど、無制限に使えるわけではない。


休息が、インターバルが必要。


この警告がおさまらないまま。

時を止めては、きっと取り返しのつかないことになる。


何故だか、それだけは分かるのだ。


ボカリ


野球部の拳がトキの顔を打つ。


ボカリ


野球部の足がトキの腹を蹴る。


無念。

トキはボコボコにされていた。

どうやら格闘家としてお金を稼ぐのは無理そうである。


「へっ。ざまあねえ」

「そろそろ。お金をいただこうぜ」


地面に倒れ、丸くなるトキを容赦なく踏みつける野球部員。

トキの懐に手を伸ばそうとする野球部員だが。


「きゃあああ! 誰か。喧嘩よー」


絹を裂くような悲鳴。

驚き周囲の建物から人々が飛び出していた。


「なんや? なんや?」

「うわー。こりゃ110番やー」

「俺は警察だ。喧嘩はどこやー?」


危機一髪。


「やっべ。こりゃ逃げの一手や」

「捕まったら甲子園がパーやん」

「ちくしょー。財布はあきらめるしかねー」

「とんずらやー」


女性の悲鳴。

それにより集まった第三者の通報により、危ういところでトキの財布は守られた。


「すみません。助かりました」


起き上がるトキ。

悲鳴を上げ、野次馬を集めてくれた女性に感謝の礼を述べる。


「いえいえ。それより大丈夫?」


なんと心優しい女性であろうか。

大和撫子はここに実在したのだ。


「ぷーくすくす。お兄ちゃんよわーい」

「ダサ坊ね。貴方の将来は暗黒よ」


反面。どこからか聞こえる罵倒の声。


見れば大和撫子の腰の位置。

小学校の低学年といった年頃だろうか。

2人の幼女がトキを見上げていた。


「お母さん。こんなの放っておけば良いのに」

「時間の無駄よ。急ぎましょう」


なんということでしょう。

おそらく子供であろう2人がこの様だとは。

やはり大和撫子は絶滅危惧種というわけだ。


「こら。駄目でしょ。それじゃ。気を付けてね」


子供2人に急かされた大和撫子は、トキに手を振り歩き去る。


「はい。ありがとうございます」


頭を下げるトキ。

大和撫子が見えなくなったところで頭を上げ、身体を確かめる。

幸い骨に達する怪我はない。

しばらくすれば治るだろう。


しかし……今の騒ぎを見ても分かるとおり。

衆目の視線があるなかで。

特にカメラという目が存在する現代の世の中で。

誰に見咎められることなく行動するのは難しい。


仮にオリンピックに出場したとしても。だ。

その一挙手一投足の全ては、カメラに録画される。


時を止めようものなら、一発で露見。

反則行為で失格の上、お縄になるのはトキの方である。


素人の遊びならともかく。

一流選手としてお金を稼ぐのは、どだい無理というわけだ。


無念である。


しかし……勉強も駄目。スポーツも駄目。

となれば……やはりお金を稼ぐには非合法な手段。

それしか方法はないといえる。


例えば、窃盗。


店頭に飾りつけられた魅力的な商品。

防犯カメラといえど死角はある。

3秒もあれば、楽に持ち帰ることは可能だろう。


例えば、賭博。


非合法なカジノにおけるブラックジャック。

3秒の間にディーラーの手札を覗き見ることができれば。

素人のトキであっても勝利は可能だろう。


しかし……なんということか。

ここ日本においては、全てが犯罪行為。


トキは正義を愛する男。


せっかく天から与えられた能力。

それが犯罪にしか生かせないとなれば、何の意味もない。


ガックリ。


せめてカジノ法案が通ってくれれば……

失意のままに歩くトキ。


その目の前。

青に変わる横断歩道を渡るのは、先ほどトキを助けた大和撫子ほか2名。


ブブー


その3人を目がけて、猛速度で大型トラックが迫っていた。


車道の信号は赤。

にもかかわらず、一切の勢いを落とさない大型トラック。

見ればドライバーは目を閉じ、鼻から提灯を膨らませていた。


居眠り運転。


現代日本における死因において、交通事故は第5位である。

ガンに比べれば少ないが、やはり危険なことに変わりない。


「きゃあっ!?」


トラックに気づき、悲鳴を上げる大和撫子。


だが、時すでに手遅れ。

今さら回避の猶予はない。

1秒後には踏みつぶされ、のしイカとなる未来が待つのみである。


──通常であれば。


「止まれ! 自由なる世界を縛る楔。自由の凍結フリーダム・フリーズ!」


瞬時にトキの口をつくのは、静止の言葉。


野球部連中にボコられてから時間も経過した。

頭痛は治まり、時を止めるに何の支障もない。


悲鳴を上げる口のまま。

動きを止める大和撫子の元までトキは駆け寄った。


しかし、とっさに止めたは良いが……


トラックが目前に迫る中。

幼女2人を庇うよう、凍り固まる大和撫子の姿。


大和撫子は1人ではない。

幼女を2人。連れているのだ。


ただの学生でしかない。

その運動音痴ぶりは、これまでにも明らかなトキ。


時を止めてから、すでに1秒が経過した今。

残る2秒で3人もの人間を助けることは、不可能である。


かといって、今さらトラックを止めることもまた不可能。

ブレーキを踏もうがハンドルを操作しようが。

約30センチの至近からトラックを制動することは叶わない。


となれば、トキのとるべき選択肢は3つ。


その1。何もしない。


目の前の事故。

そもそも付近で目撃しているのはトキだけではない。

歩道を歩く人。車道を走る車。大勢の人が存在する。


その誰にも、どうしようも出来ない事態。

大和撫子たちは、元々が車に跳ねられる運命。


トキが何もしなくとも、誰も責めようはずがない。


だが──他の誰もが責めなくとも。

この俺が。自身が自身を一生許さない。


何の因果か、今のトキには時を止める能力がある。


トキの脳裏に蘇るのは、大和撫子のあふれる笑顔。

野球部連中にボコられるトキを助けてくれたのだ。

受けた恩を返さずして、道理がとおろうはずがない。


ならば、残る選択肢は2つ。


その2。大和撫子を助ける。

大の大人である大和撫子を運ぶとなれば、1人が限界。

幼女2人は見捨てざるをえない。


その3。幼女2人を助ける。

反面。幼女であれば2人を同時に運ぶことが可能。

その場合、大和撫子は見捨てざるをえない。


葛藤。時を止めるとはいえ、限界がある。

どちらにせよ、全員を助けるのは不可能。


ガーン


フロントガラスに拳を叩きつける。


そういえば、心理学の話題。

5人を助ける為に他の1人を見殺してもよいのか?

そういった話題を聞いた覚えがある。


瞬時の判断。


トキは、幼女2人を両脇に担ぎ走り出す。


功利的に考えれば、単純な数学の問題。

1と2のどちらを選ぶのか。

単純に数字の大きい方を選ぶだけである。


もちろん、それだけではない。


危機が迫るその時。

親は命に代えても子供を守るという。

もちろん学生の俺に子供はいない。

本当なのかどうかは分からない。


それでも、目の前の大和撫子は。

トラックを目前にして。

我が身をていして子供を守ろうとしているのだ。


であれば、道徳的に考えても、幼女を選ぶしか道はない。


時を止めてから、ちょうど3秒が経過。

トキは何とか車道を越え、歩道まで到達する。


「ハア……ハア……リ、解」


解放リリース

そう口にする寸前。


トキの目に映るのは、脇に抱える2人の幼女の顔。

迫る危機を目前に。

大和撫子に、母親にすがりつこうとする2人の悲痛な顔。


ここで時を解放しては、無情にも母親は跳ね飛ばされ死亡する。

幼女2人は、母親を失い路頭に迷うこととなるだろう。


……それは仕方のない結末。


脳裏に響く苦痛。胸が焼け落ちるような苦しみ。

いくら時間を止めるといっても、万能ではない。

トキの能力は限界に到達しようとしているのだ。


それでも……まだ限界じゃあない!


時を止める行為は、息を止めるにも似た行為。

3秒もの時を止める行為。

それは3分もの時間、息を止めるに等しい苦しみである。


だが、世界には22分もの長い時間にわたり、息を止める者もいるという。


ならば、まだ時間はある。


トキは幼女2人を歩道に置き去り。

再び大和撫子を目指し駆けだした。


4秒が経過。


どちらを救うかだって?

功利的だ? 道徳的だ?


そんなもの……

一般人の考える戯言であって、時を止める俺には関係のない話!


時を止めたのち。

そのどちらも、救えば良いだけだ。


時を止めるなど、およそ人間には不可能な事象。

引き起こせるのであれば、俺は神に選ばれし人間。

人を超え、神の領域に足を踏み入れた人間なのだ。


そうであれば──

たかが3人を救う程度のことが。

実戦できずに、どうするという。


5秒が経過。


再び車道に走り込み、目指す大和撫子まで後少し。


ぐっ……イタイ……頭が……


選ばれたなんて……そんなもの……

思い上がりも甚だしい思い込み。

それは、トキにも分かっている。


クルシイ……胸が……だけど!


ブタもおだてれば木に登るという。

今。トキが助けずに誰が助けるという?


だから……嘘だろうが思い込みだろうが。

俺は超人なんだ!

自分を騙してでも、行かねばならない時が……ある!


6秒が経過。


到達。母親の腕に触れようという。

その瞬間。トキの脳裏に耐えようのない激痛が走りだす。


「ぐぐ……ぷはあっ」


同時。思わず吐き出す息にあわせて。

世界は色を、音を取り戻し、動き始める。


ブブー


「きゃあああ!」


しまった!

時が……動き出したか?!


22分もの時間。息を止めるというのは、訓練されし人間。

それも静止状態の話である。

息を止めたまま運動するのであれば、その限界時間が早まるのも当然。


「くっ。止ま──」


ズキン


突如。頭に走る激しい痛み。


「ごほっ……」


吐き気と同時に漏れ出す呼気。


素人であるトキが、息を止め6分もの時間を動き回ったに等しいのだ。

息継ぎもなしに。

連続して時を止めるのは……不可能である。


いくらおだてようが。すかそうが。

人間である限り限界は限界であり。

不可能なものは不可能なのである。


ブブー


「きゃあああ!」


トキと大和撫子の目前に迫り来るトラックの巨体。

もはや2人が跳ね飛ばされ即死するのは必至。


トラック運転手は、過失運転致傷罪により刑務所行き。

残された幼女2人は、孤児院に収容。

いじめを受け、孤児院の先生に乱暴されるのが落ちである。


トキが死を覚悟する。その瞬間。

世界が、再び色を失い凍り付く。


!?


マジで跳ね飛ばされる5センチ手前の位置で。

トラックは動きを止め。

大和撫子の悲鳴が音を失う。


いったい何が起きたのか?

再び時が止まっているが、トキではない。

もはや今のトキに、その余力はない。


だが……今がトラックから逃げ出す千載一遇の好機。

それだけは分かるから。

大和撫子の腕を取り、トキは一目散に走り出す。


ズキリ


抱える右腕に力が入らない。

野球部員を殴った際の捻挫。


今。ここで足を引っ張るというのか。

もう少し運動をしておくべきだったが……

嘆くよりも、今は足を動かすのが先。


その瞬間。トキの脳に予感が走っていた。


時が……動き出そうとしている?!


それは時を止めるトキだけが知る感覚。

徐々に色づく世界。

止まっていた時が動き出そうとする。その予兆。


どうする?


この腕の痛み。

大和撫子を抱えて逃げ出すだけの時間は存在しない。


反面。

トキ1人であれば。

大和撫子を置き去りに逃げ出すのなら十分な時間。


……今ならば。

トキだけであれば、逃げ出すことは可能である。


それならば──トキのこの能力は?


時を止める。この能力は何のための力なのか?

ただ、犯罪を犯して小銭を稼ぐだけの能力なのか?


「止まれ! 自由なる世界を縛る楔!」


それは、きっと今。この時のため。

自分のためではない。

優しくしてくれた人を守るための能力。


脳裏に走る警告の痛み。

この頭痛がおさまらないまま。

時を止めては、きっと取り返しのつかないことになる。


それでも──


最期の凍結ラストエンド・フリーズ!」


幸い。なぜか時間が止まったおかげで。

一瞬ではあるが、息継ぎをしたおかげで最期の猶予が出来たのだ。


キーン


脳に響く甲高い音と同時。

動き出そうとしていた分子が、原子が凍り付き、全ての時間が停止する。


一面に広がるは白に染まる世界。

全てが凍り付いた、白銀の世界。

その只中で、トキは大和撫子を抱えて走りだす。


2秒が経過。


キンコン キンコン


脳裏に響く警報。

締め付けるような苦しみ。

それでも、まだ限界ではない。


4秒が経過。


トキの視界に光が走っていた。

それは分子の光。原子が動き始める光。

その光が色を取り戻すその寸前。

どうにかこうにか、トキは歩道まで辿り着いていた。


ブブー


突然。開放リリースの合図もなく。

世界は色を、音を取り戻し、動き始めていた。


「!? っとと。やべーやべー」


フロントガラスの音で目を覚ましたドライバーは、何事もないかのように走り去り。


「きゃああああ……って、あ、あれ? 私どうしたのかしら?」


大和撫子はキョトンとした顔で歩道に立ち尽くす。


辺りに戻るは通常の時間。

正常な日常。平和な風景。


トキの活躍にも。

周囲の誰も気がつかない。


そもそもが時が止まる中での行為。

賛辞の言葉を贈ろうにも、誰も気づかないのだから仕方がない。


「もう。どうしたの? 2人とも」


大和撫子にしがみつく2人の幼女。

トキは抱き合う3人の元を、黙って歩き去っていた。


……何故かは分からない。

だが、もう2度と時を止めることは叶わない。

何故だか、それだけは分かる。


元々が、何故かは分からないまま手に入れた能力。

ならば、何故かは分からないまま失うのも道理である。


持って生まれた才能を生かせず、終わる者も多い中。

限界まで能力を使い切ったのであれば、後悔はない。


最後の時に。

彼女たちを助けることができた。

恩を返すことができたのだから。



──あれから10年。

平凡な学生であったトキは、今やコンビニの店長となっていた。


「いらっしゃいませー」


最も店長といっても雇われの身。

オーナーと店員の板挟みとなるだけである。


「店長。この店の売り上げ良くないよー。しっかりやってよ?」

「てんちょー。あたし疲れたー。帰っていい?」

「すんません。急っすけど俺、今日で辞めるっす」

「オー。オツリ間違エマシター。日本語ムズカシーネ」


なんてこった。

いきなりシフトに穴が……


しかし、労働時間を考えるとトキはもう働けない。

となると……サービス残業あるのみである。


カランコロン


「いらっしゃいませー」


憂鬱な気分をひた隠し、トキは声を張り上げる。

来店したのは1人の女学生。


服装からお嬢様学校で有名な女子高校だろうが。

頼むから、万引きだけは止めてくれよ……


そんなトキの願いが通じたのか。

少女は商品棚に目もくれず。

まっすぐトキの立つカウンターまで歩み寄っていた。


「アルバイト。応募します」


天の助けとはこのことだ。


「ありがとうございます! 採用です!」


今どき日本人のアルバイトは貴重である。

しかも、見目麗しい女子高校生となれば、なおさらだ。


「……は? 何? 面接も何もなしなの?」


日本語が不自由なく話せるのであれば、何の文句もない。


「はい。その、急で申し訳ないのですが……明日から入れます?」


「とんだ駄目店長ね。シフト管理も出来ないなんて」


なかなかに鼻っ柱の強そうな少女だが、反論は出来ない。

何故なら、その通りなのだから。


「いいわよ。時給。ちゃんと出るんでしょうね?」


「はい。もちろんです。よろしくお願いします」


アルバイト応募の少女にペコペコ頭を下げる店長。

威厳もへったくれもないが、中間管理職とは非情なものである。


ガシャーン


その時。

2人の立つカウンター目がけて。

1台の車が音を立てて突っ込んでいた。


「逃げろー! ドライバーがブレーキとアクセルを踏み間違えたぞー」


なんという説明台詞か。

などと感心している場合ではない。

せっかくの店舗が無茶苦茶である。


いや。

店舗の心配をするその前に。

このままでは、トキも。

アルバイト応募の少女も。


2人。共に車に押し潰されミンチである。


だが、逃げるにも時間がない。

瞬きをするその間に、車は突っ込み全てが終わる。


トキはまだ26歳。

死ぬには早い年齢であり、まだ死にたくはない。


いや。それを言うなら、目の前の少女。

16歳かそこらか。

死ぬには早すぎる。


しかも、せっかくアルバイトに応募してくれた貴重な少女。

ここで死なせては。

店員を守れないようでは、店長の面目が丸つぶれである。


……そういえば、過去にも。

このような場面に遭遇した記憶がある。


あの時は、何故か時を止めることが出来たのだ。

もはや、そのような不思議な能力を失って久しいトキであるが……


もしも奇跡があるのなら。

この身に今一度の奇跡を!


「止まれ! 自由なる世界を縛る楔。自由の凍結フリーダム・フリーズ!」


瞬間。

世界が色を失い凍り付く。


店舗のガラスが宙を舞い。

今。まさに2人の眼前へと迫る車が。

全ての物が、ピタリその動きを止めていた。


まさに奇跡。

全ての時が止まったのだ。


「いいえ。奇跡じゃないわ」


聞こえる声に顔を向けようとして。

トキは自身の身体がピクリとも動かないことに気がついた。


確かに時間は止まっている。

が、トキ自身の身体までもが止まっていたのでは、どうにもならない。

逃げようがないのだ。


それでも必死で目線を向ける。

白一色に染まる世界の中。

ただ一人色づく少女の姿。


少女はトキの手を掴み、引きずり、店舗の外へと移動する。


解放リリース


少女の声と同時。

世界に色が戻り、止まっていた時が動き出す。


ドガシャーン


暴走した車が盛大な音を上げて。

先ほどまで2人が立っていたカウンターは、粉みじんに砕け散っていた。


「いったい……何が……?」


思わず漏れ出すトキの疑問に。


「? 私が時間を止めただけじゃない」


あっさり少女は言い放つ。


「君は……いったい?」


「何を言っているの? あの時も。私が時間を止めたじゃない」


あの時?


「ま、私だけじゃ時間が足りなくて、お母さんを助けるのは無理だったけど」


そういえば……過去に1度だけ。

トキが止めた覚えがないにも関わらず、時間が止まった事があった。


確か……トキが最期に時を止めたあの時。

幼女2人とその母親を交通事故から救ったあの時。


お母さん。

もしかして……


「その……君は……あの時の少女なのか?」


「当たり前じゃない。あんた。あの後すぐにいなくなるし。探したのよ?」


そうなのか。

あの時のお礼をと。そういうわけなのか。

だとするなら、ありがたい話。


誰に褒められようとしたわけではない行為。

お礼をもらうための行為ではなかったが……

それでも。

お礼を言われるのは、嬉しい気分である。


「は? 私はね。あんたと会ったあの時から。この変な能力を身に着けたの」


思えばトキもいつの間にか能力を身に着けていた。

そういうものなのだろう。


「勝手に人を変な身体にした、その責任。とってくれるんでしょうね?」


いや……そんなことを言われましても。

別にトキが原因というわけではない。はずだ。


「あんたが原因に決まってるじゃない」


違う。はずだ。


「そもそも自由の凍結フリーダム・フリーズって何よ? アホな台詞いわなくても時間、止まるじゃない」


そんなことは過去の俺に言ってくれ。


「ふん。ま、明日から覚悟しておくことね」


別に時を止める能力を手に入れたのだ。

感謝されこそすれ恨まれるのは理不尽である。


が、その前に。


「いや。その。すまない……店舗が無茶苦茶なので……明日のシフトはお休みで」


「は? はあああ!?」


車のドライバーは大丈夫だろうか?

とりあえず救急車と警察と。

あと……オーナーへの連絡だな。

おそらく俺が怒られるのだろう……車の暴走なんて俺。関係ないのになあ……

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