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恋愛もの短編集

ヴィクトルへの手紙

 親愛なるヴィクトル様


 ヴィクトル=ユーラウト様、いえ、ヴィー兄様が騎士見習いとして騎士団に入られてもう一年が経とうとしております。お変わりはありませんでしょうか?

 私、ユリアナ=ランドベルクは健やかに過ごしております。


 本日はお伝えしたいことがありペンを取りました。少々長くなってしまうかもしれませんが、おつきあいいただければ幸いです。


 さて、入団より一年経ち、いよいよヴィー兄様も一人前の騎士ですね。おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。兄様なら誰よりも高潔で凜々しい騎士として名を馳せることと確信しております。何しろ幼い頃から一緒にいたこの私が言うのですから確かです。


 覚えていらっしゃいますか? ヴィー兄様に初めてお目にかかったのはまだ私が五歳の頃でした。ヴィー兄様は九歳、私の兄アーサーの友人として我が家においでになりました。まだほんの幼児であった私の前に大人の男性がするように跪き「どうぞよろしく」と優しく微笑んでくださったヴィー兄様。私は幼かったですが、その記憶は昨日のことのように浮かんで参ります。黄金色の髪、柔らかな春の野原のような緑の瞳。私は自分を一人のレディとして扱って下さった兄様にそれ以来くっついて回るようになりました。


 アーサー兄上とヴィー兄様が遊んでいるところにはいつもくっついて回り、いろいろわがままを申し上げましたね。さすがに剣のお稽古のときは家の者に「怪我をしたらいけない」と止められましたが、それ以外の時間は容赦なく邪魔して回っていたような気がします。

 やれ花を摘んでこいだの、やれままごとにつきあえだの、とにかく会えたときはわがまましか言っていなかったような気すらします。あら、どんどん昔の自分が恥ずかしくなって参りました。

 なのにヴィー兄様は私がどんなわがままを言っても「うん、いいよ」とあの穏やかなほほえみを浮かべては一つ一つかなえて下さいました。


 そう、私が子猫を拾ったときもそうでした。

 庭に迷い込んできたよれよれの子猫を私が気に入り拾ってきたのに、両親に飼ってはだめだと叱られてしまったときです。実の兄であるアーサー兄上はどちらかというとやんちゃなお方で子猫にはさほど興味がなかったらしく、どうしても捨てに行くのが嫌だった私に「仕方ないだろ、捨ててこいよ」の一点張り。

 庭の片隅で泣きながら子猫を抱きしめる私に、ヴィー兄様はそっと隣に座って下さいました。ただ何も言わず、髪を撫でて下さったのです。それも、私が泣き止むまで。しばらくしてやっと泣き止んだ私にヴィー兄様は言いました。


「さあ、この子猫のこれからを二人で一緒に考えよう」


 その言葉がどれだけ心強かったことか。誰も味方がいないと悲しくなっていた私には、まるで嵐のあと、雲の切れ間から差し込んでくる清らかな光のようにありがたく、そして頼もしかったのです。

 あの子猫はハリーと名をつけ、庭師が育ててくれることになりましたね。今ではすっかり成猫になってしまいましたが、庭師の小屋で毎日のんびり日向ぼっこをしています。


 そんなヴィー兄様も大人になり、学校を卒業し騎士となるべく騎士団へ入られました。さすがに「行っちゃ嫌だ」とごねるほど私も子供ではありませんでしたが、笑顔で見送れるほど大人でもありませんでした。

 ヴィー兄様とアーサー兄上が騎士団へと旅立たれる日、具合が悪くお見送りができないといったのは嘘です。ヴィー兄様が遠くへ行ってしまうことが耐えられなかったのです。けれど今ではそれを後悔しております。きちんとお見送りをすれば良かった、まさか騎士見習いである一年間は寮暮らしで、慶弔などよほどの事態がなければ帰省すら許されないとは知らなかったのです。


 そしてその一年の間で私も少し成長いたしました。


 私とて貴族の娘、成人と見なされる十七歳になれば社交界へデビューし、結婚しなければなりません。ヴィー兄様達がいなくなったあと、両親に言われてそのための勉強を始めました。特に婚約者も持たない身、社交界デビューは貴族として必須なのです。勉強することはそれはたくさんあって、忙しさでヴィー兄様のいらっしゃらない寂しさを紛らわすことはできました。


 そんな折です。噂話が耳に飛び込んできたのは。


 ヴィー兄様に結婚を考えるほど恋する女性がいると。


 雷に打たれたような衝撃でした。私にとってヴィー兄様はいつまでも私の横にいて穏やかな笑顔で私のわがままをかなえて下さると思い込んでいたのですから。

 そんな未来はもう訪れないのだと、人はいつか別れていくものなのだと、遅ればせながら気づかされたのです。


 もう幼い子供のように無邪気でいられる時間は終わってしまっていたのですね。私とヴィー兄様とアーサー兄上。三人だけの小さな小さな箱庭のような世界にいつまでも囚われていたかった。蝶を追い、星を数え、朝の雪に驚きの声をあげる純粋な世界に。

 けれど時間は無情にも過ぎ、私たちは大人にならなければいけないのです。


 この手紙をしたためている今日、私は十七歳になります。

 その一月後に催されるパーティーが社交界デビューとなります。おそらくその場で未来の夫となる男性に引き合わされるのでしょう。両親の頭の中にはすでに私の夫候補が決まっているはずですので。

 以降はもうヴィー兄様にお会いできるチャンスもなくなるでしょう。未婚の男女が、いくら幼なじみとはいえ気軽に会うわけにはまいりませんから。


 ですので、最後にヴィー兄様にひとつだけわがままを言わせて下さい。



 ヴィー兄様。いえ、ヴィクトル様。


 いつか私はヴィクトル様の妻となる未来を勝手に想像しておりました。ヴィクトル様と私となら身分的にも問題がなく、また幼なじみとして近くにいたことで気心も知れております故。

 いえ、そんな条件などどうでもいいのです。ただ私がヴィクトル様のおそばにいたかった。ヴィクトル様の一番でいたかった。あの子猫を拾って泣いていたときのようにただ横に座り、おだやかに時を重ねていきたかった。


 けれど貴方にはほかに想う女性がいらっしゃるのですね。

 ですから、私はこの手紙をしたためました。

 私の思いをただお伝えしたくて。知っていただきたくて。

 決して私の気持ちに応えて欲しいと申し上げるつもりはありません。ですからお返事は必要ありません。


 私の心を聞いて、ひょっとしたらお気を悪くされるかもしれませんね。それでも私は伝えたい。

 これを私の最後のわがままとして聞いていただきたいのです。



 ヴィクトル様。ずっとお慕いしておりました。

 貴方を愛しています。




 愛を込めて、ユリアナ


 *******


 ぽたり。


 頬を伝った涙が便せんに落ちて、一番最後に書いたヴィクトル様のお名前をにじませた。


「――――いけない」


 そっとそれを拭き取ったけれど、にじんだところは修正はせずにそのままにすることにした。

 この手紙に込めた想いと一緒に涙も封じてしまおう。

 もう一度文面を読み返し、便せんを広げた。まだ少し湿っている涙のあとを乾かそうと思ったからだ。


 この手紙には私のヴィクトル様への恋心をしたためた。けれど思いの丈のつまったこの手紙をヴィクトル様が読むことはないだろう。

 私はこの手紙を出すつもりはないからだ。

 ただこの恋に決着をつけるために心を吐き出すように書き綴ったのだ。そして完成したこの手紙を出さずに燃やしてしまおうと思っている。

 あんなことを最後に書いたけれど、私の気持ちを知ってヴィクトル様が苦しんだり、嫌な思いをすることは耐えられない。

 だからこの手紙にすべてをぶつけて燃やして、私は私の初恋を殺すのだ。


 手紙がほぼ乾いたので便せんを二つ折りにした。出すつもりのない手紙だから、ページの順番を直すこともしなかった。それを机の上に置いたまま、ふと立ち上がって窓の外を見た。

 窓の外はすっかり真っ暗。今夜は私の誕生日なので、両親は夕食の時にお祝いをしようと言ってくれていた。そろそろ夕食の時間だろうか。

 夜空を眺めるといくつか現れた星が見えた。秋の空は華やかに光る星がなくて少し寂しいが、今の私の心にはぴったりかもしれない。



 ――――コンコン。


 そのときノックの音がした。

 侍女が夕食の時間を告げに来たのかと入室の許可を出すと、開いたドアの向こうは一面のピンク。

 いや、巨大なピンクの花束だ。


「ユリアナ」


 ピンクの花が口をきいた。わけではなく、花束と一緒に入ってきたのは――――


「ヴィ、ヴィー兄様……」

「驚いたかい? 実は今昨日で見習いの一年が終わったので今日やっと家へ戻ってきたんだよ。アーサーも一緒に帰ってきたけど、一刻も早くこれを渡したくて先に君の所へ来てしまった――――はい、誕生日のプレゼント。十七歳おめでとう」


 ヴィクトル様だった。ヴィクトル様はそのまま部屋へ入り、机の脇で立ち尽くしていた私に花束を手渡してくれた。ピンクのバラ、ピンクのガーベラ、ピンクの百合。濃淡様々なピンクばかりを集めた大きな花束は正直かなり重い。


「あ、ありがとうございます」


 必死に笑顔を作ってお礼を言い、侍女を呼んで花を活けてくるように指示を出した。そして改めてヴィクトル様を振り返ると――――


「――――ユリアナ? 手紙を書いていたのかい?」


 振り返ったときには机の上をヴィクトル様が見ていた。背筋をざあっと音を立てて冷気が流れ落ちる。ヴィクトル様もいつもの穏やかな笑みが消え去り、私が初めて見る冷ややかな瞳をしている。


「『愛しています』……? ユリアナ、これは恋文?」

「あ、え、いえ……その……」

「誰宛の手紙? それとも僕が宛先を見ていい?」

「だめっ、だめです、それだけは」

「じゃあ自分の口でちゃんと言って。誰がユリアナの心を射止めたのか」


 ヴィクトル様は便せんに触れることなくただみおろしている。礼儀として許可なく手紙に触れるつもりはないようだ。

 けれど便せんは半分に折ってあって、彼に見えるのは手紙の最後ほんの数行だけ。辛うじて見える「ヴィクトル様」の文字は涙でにじんで読み取ることが出来ない。私は胸をなで下ろした。――――が、ほっとしたのもつかの間、ヴィクトル様の冷たい視線が私を射貫く。


「誰?」

「え、ええっと――――何でヴィー兄様がそんなに怒っていらっしゃるのかわからないわ」

「怒ってないよ。ちゃんと話して」


 怒ってらっしゃるでしょう! 体全体から怒気が感じられ、私は思わず後じさってしまった。それが気に障ったのだろう、さらに冷たい声が私を責め立てる。


「ユリアナ?」


 怖い。こんな怖いヴィクトル様は初めてだ。ついに壁際に追い詰められ、私はほとんど涙目だ。

 するとヴィクトル様ははっとしたように目を見張り、みるみるうなだれてしまった。


「すまない、怖がらせるつもりはなかったんだ。ただ、ユリアナの心を掴んだ憎たらしい男は誰かと」

「憎たらしい、って」


ヴィクトル様はぎり、と眉根をよせ、胸の前で拳骨を作って不快感を露わにしている。


「そいつに決闘を申し込まなきゃ。ぎたぎたに切り刻んでやらなきゃ気が済まない」

「そんな物騒な」

「物騒にもなるよ。何のために僕がここまで君に手を出さず気持ちも伝えず堪え忍んできたと思ってるんだい? 君が立派に成人するまでは見守らなくちゃと紳士として振る舞っていたというのに。このたった一年の間に他の男に奪われるなんて、我慢できるはずないだろう! 今日、君の誕生日に君にプロポーズするつもりで戻ってきたというのに」


 声を荒げる彼にぎゅっと両肩を掴まれて苦しい。けれどそれを感じられないほどに私は混乱していた。

 え? 今、ヴィクトル様は何と?


「どんどん美しく成長していく君の横にいて、どれだけ君を自分のものにしてしまいたい衝動と戦ったことか。君が僕に向けてくれる視線が甘いから、僕は安心していたんだ。君は僕以外に振り向く事なんてないと。――――頼む、ユリアナ。他の男の事なんて忘れてくれ。僕だけのものでいてくれ。君を手放すなんて、初めて会ったときから考えられない。君を……愛しているんだ」


 私はこの情熱的な告白に硬直してしまって身動きが出来ない。やがて肩の手がゆるみ、ヴィクトル様の頭が私の肩にこつん、と乗せられた。

 とたんにへなへなと座り込んでしまった。


「ゆ、ユリアナ?! どうした、大丈夫か?!」


 私はただただ真っ赤になって首を左右に振るばかり。ヴィクトル様は心配そうに膝をついて私を覗き込みおたおたしている。

 それを見ているうちにすこしだけ緊張がほどけてきた。


 では、噂で聞いた「結婚を考えるほど恋する女性」って……



「て、手紙」

「え?」

「手紙、を」


 机の上からヴィクトル様が二つ折りのまま手紙を取り上げ、私に渡して下さった。それを一度胸の前でぎゅっと抱いて、それから震える手でページを並べ替え、ヴィクトル様に差し出した。


「――――いいのか、読んで」


 私はこくりと頷いた。











 それからしばらく後、夕食の支度が調ったと侍女が呼びに来るまで、私は椅子に座ったヴィクトル様の膝の上でひたすら唇を貪り続けられていた。おかげで化粧は崩れ、髪も撫で続けられたためにぐしゃぐしゃ。

 侍女長に叱られながら身だしなみを整え、ヴィクトル様と一緒に少しだけ遅めに出席した夕食は、私の誕生祝い兼婚約祝いの席になったのだった。








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― 新着の感想 ―
すごく良かったです! 最初はユリアナの切ない気持ちが手紙に綴られていて、初恋は実らないのかと私も非常に切なくなったのですけれども。 ヴィクトルの本心を知ったとき、きっとユリアナと同じように天に舞い上が…
[良い点] 良かったよぉ(>_<。)♡
[良い点] ほどよく切なく、ぎりぎりすれ違わない。 短編というボリュームでこじれすぎずに丸く収まって大満足です
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