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「うぉぉぉおおえっ!!」

 幸田邦夫はトイレで嘔吐していた。

 過剰なストレスによって、彼の胃の粘膜はボロボロだった。

 先日はとうとうバリウムを飲んで検査をしたが、胃潰瘍になるのも時間の問題だと言われた。

 彼はまだ十七歳である。

 しかし、高校には行っていなかった。


 原因は、受験にある。

 まず、滑り止めに私立高校を三高受けた。しかし、三高とも受験当日にストレスで朝嘔吐し、受験することはできなかった。

 そして迎えた本命の公立高校入試当日。

 やはりストレスで嘔吐した。しかも今度は受験会場で、である。

 邦夫の前の席には、今時珍しく髪の毛を三つ編みで二つに結んだ清楚な感じの女の子が座っていた。問題用紙を後ろに回す時、彼女はピリピリと殺気立つ周囲とは裏腹に、一瞬ぽわっと微笑んだ。

(超可愛い絶対合格してこの娘と付き合いたい)

 邦夫はそう思った。

 しかし、試験が始まる前。問題用紙に名前を書いて、ただひたすらチャイムが鳴るのを待っている段階で既に邦夫の緊張はピークに達していた。

 そして試験開始から十分。

 ひたすら邦夫は震えていた。余りに震えているので、試験監督がやって来て「大丈夫かい?」と聞いた。邦夫は首を縦に振った。

 それから十分後。

 とうとう邦夫は嘔吐した。意味もなく立ち上がった。口から吐瀉物が飛び出た。それは酸っぱい臭いを発しながら、放物線を描いて邦夫の前方、実に一メートルの距離を飛んだ。

 もちろん、前の席に座っていたあの可愛らしい女の子の三つ編みにかかった。

 教室中が、阿鼻叫喚の地獄と化した。


 それが切っ掛けで、邦夫は生きる気力を失くした。

 以来約二年間、毎日家から一歩も出ずに、特になにをするでもなく過ごしている。

 何度かアルバイトにも挑戦したが、尽く面接で嘔吐したためそもそも採用に至っていない。

 最近では内科はもちろん、精神科にも通っている。

 少々精神を病んで頭がおかしくなり、最近ではよく窓から全身真っ赤の毛が生えていない人間がこちらを覗いているのが見えたり、部屋に誰も居ないのに「自分は今現在アメリカに住んでいる邦夫の婚約者の生霊である」という声が聞こえたり、異常事態に悩まされている。


 この日。

 いつものように嘔吐した後、邦夫は自室で本を読んでいた。

 友達など片手で数えるほどもいない邦夫であるが、一人だけ中学校時代から付き合いのある知人から先日連絡があったのだ。

 曰く、「いやぁ、趣味で適当に書いてブログにアップしてた話が文庫本になったから、暇だったら読んでみてよ。まあ、厨二病臭い話で別にオリジナリティもなんにもないんだけど多分今までにない話だから」とのこと。

 その台詞自体どこか矛盾しているし、そもそもよく考えたらこいつ別に友人でもなんでもなくて単純に中学校のクラスメイトに宣伝して回ってるだけじゃないかと邦夫は気付いたが、特にやることもなかったので小学校三年生の妹を引っ叩いて近所の本屋でその文庫本を買ってこさせた。

「おにいさまが、しゃかいにでてりっぱにはたらくひを、かえではこころまちにしております」

 そう言って、三指を突いて紙袋に入った文庫本を差し出してくる妹・楓の頭にヤクザキックを放って蹴り飛ばした。この一撃で、楓は首を痛めた。

 これから習い事の茶道教室に行く前だったのだろう、楓は着物を着ていた。自慢の黒い艶のある長い髪の毛に、薄い眉毛がよく似合う。それが無性に気に入らなかった邦夫は、

「今すぐ髪を二十センチに切れ」

 と命令した。生まれてから髪の毛をほとんど切ったことがないし、着物によく似合うと周囲からもよく褒められるのでどうかそれだけは、と懇願する楓を邦夫は再び蹴り飛ばした。

 ついでに、文庫本の代金も踏み倒した。

 邪魔な妹を追い払ったので、邦夫は紙袋を開けようとしてふと気が付いた。この紙袋、一度開封されている。よく見ると、セロハンテープを一度剥がした形跡があった。

 まあ犯人はまず間違いなく楓だから、晩ご飯の時にボディブローをぶち込んでおけばいいとして――邦夫が気を取り直して紙袋を開けると、はらりと一枚の紙切れが出てきた。

『おにいさまへ』

 と書かれている。

 邦夫はその楓の手紙と思しき紙切れを丸めて読みもせずにゴミ箱に放り込んだ。

 どうやら楓への折檻はボディブローでは済まなそうだ。

 問題の文庫本は、やたらアニメ調のイラストが表紙を飾っていた。無駄に長ったらしいタイトルが付いている。

 それに機嫌を悪くした邦夫は、表紙をビリビリに引き裂いて先程の楓の手紙と同じようにゴミ箱にブチ込んだ。

 表紙をめくると、登場人物と思しき少女のあざとい着替えシーンやら入浴シーンやらのカラーイラストがついていたので、それも引きちぎって破り捨てた。

「ふーん……」

 そして、ようやく本文に目を通した。

『あ』

 最初の一文字を読んだだけで、邦夫は立ち上がり自室のドアを勢いよく開け放った。

 ちょうど、髪を自分で切り終えて、ざんばら頭になった楓がドアの前に立っていたので、思い切り額をぶつけて吹き飛んだ。そこへ文庫本を投げ付け、ドアを閉めて鍵を掛けた。

「気に入らねぇ」

 感想は、それだけだった。一文字も――いや、一文字だけ読んで、そんな感想とは書いた方も報われない。

 邦夫はデスクチェアに寄りかかると、スマホをいじり始めた。とりあえず、例の元クラスメイトのペンネームと本のタイトルだけは覚えたので、せめてもの礼儀に大手通販サイトやらに低評価のレビューを書いておこうと思ったからだ。

「えーっと……『ネタバレになりますが、死んだはずのヒロインが実は生きていた、という辺りで読む気が失せました』……っと……」

 そんなシーンは実際には存在しないというのは言うまでもない。

 しかし、邦夫以外にもかなりレビューを書いている人間がいるらしい。そもそもレビュー自体が付いていないということも珍しくないので、それだけ注目が集まっている作品だと言えるが、残念なことに平均評価は五点満点の内二点だった。

「ケッ……」

 本当に鼻で笑う冷たい人間は、そうそういないのではないだろうか。

 それからしばらく、邦夫はスマホでウェブを閲覧していた。自分以外の人間が書いたレビューや、同様のジャンルの人気作品のリンクを辿り、あらすじなどを読む。

「うーむ……『能力』か……」

 邦夫が注目したのは、この辺りの共通点だった。

 おおよそ、『異能力+異世界』か『日常』が流行の大多数を占めているように思われた。『学園』は必須要素である。

 最近は、こんなのが若い連中の間で流行ってるんだな、と年寄りのような感想を抱きながら、今年十七歳になったばかりの邦夫はバッテリーの少なくなったスマホを充電器に繋いだ。

 頭の後ろで手を組んで、部屋の天井を見上げた。

「ひゃあっ!」

 ロフトの影から、目と口の辺りが真っ黒い人間がこちらを覗いていた。

「おにいさまっ!」

 悲鳴を聞きつけた楓が、ドアの鍵を破って部屋に飛び込んできた。邦夫は部屋にいくつも転がっているサッカーボールを蹴って、楓にぶつけた。

 楓は「ごめんなさいごめんなさい」と繰り返しながら出て行った。

 しばらく肩で息をしていたが、呼吸が整ったところで再び天井を見上げると、そこには誰もいなかった。

 どうやら最近悪化してる幻覚らしかった。

 再び、邦夫はデスクチェアにもたれかかった。

(異世界、ねぇ……)

 異世界。自分たちが生きている、当たり前で、だからこそ退屈な世界とは違う場所。

 誰しもが憧れる、『もしも』の世界――。

 自分だったら、邦夫はそう考えた。

 邦夫が望む『もしも』とはなんだろうか。

 さしあたって不満なのは、自分が学校に行けなかったことだ。もう長いこと外出していないが、駅前などで制服姿の女子高生を見ると、違う意味で興奮する。邦夫が行けなかった学校という世界。そこには強い羨望を感じる。

 まあ、それは仕方ないとしたら。せめて、なにかまともな仕事に就きたかった。たまにリビングに放ってある新聞を読むと、今はほとんどの若者が大学に進学するという。だというのに、職にあぶれる若者が多いというのだから、高校にも行っていない自分が真っ当な仕事に就けるわけがないと邦夫は憤っていた。

 無職というのは、無関係な人間からすれば実に面白いものだが、いざ当事者になってみるとなるほど差別的な境遇であるという実感がある。若者からは笑われ、大人からはまるで罪人のように扱われるのだ。

 最近では邦夫のことは近所では物笑いの種になっており、『晒し者だ』と両親は嘆いている。まるで存在そのものを忌み嫌うかのように扱われており、最近では両親は口も利いてくれない。以前中学校に行っていた頃のように接してくるのはあの邦夫にとって生まれた時から存在が忌々しくて仕方のない妹の楓だけだ。

 そうだ、とそこで邦夫は思い出した。

 どうせなら、もっと頼り甲斐があって、優しくて、ついでに巨乳の姉が欲しかった、と思った。あんな鬱陶しいだけでちまっこい妹など要らない。

 舞台が整ったら、自分の役割がなにか欲しい。とりあえず、世界でも救ってみたい。世界の危機、といったらなんであろうか。

 五秒ほど考えて、「魔王だな」と結論づけた。

 世界から領土や資源を巡って戦争がなくならないのも、食料や教育が世界中の子供に行き渡らないのも、よくわからないことは大体魔王のせいである。

 魔王がなんなのかもよくわからないが、よくわからないものはよくわからないもののせいにしておけばとりあえず人類は団結して戦争を止める。

 魔王が敵と決まったら、今度はそれと戦える力が必要である。

 最近だと、あれこれ趣向を凝らした特殊能力があるようだが……そこまで考えて、邦夫は本棚から中学校の理科の教科書を引っ張りだした。特殊能力といっても、漠然と「相手を無条件に殺せる」というのが今日日流行らないことくらい、邦夫にもわかる。なにか、もっと科学的な原理を応用したようなのが魅力的らしいのだ。

 パラパラと懐かしい教科書をめくって、少し頭痛がした邦夫は本を閉じた。

「炎だな」

 シンプルな解答に至った。

 正直、難しいことはわからないし、炎で焼けば大体の敵は倒せるだろう、と考えた。ついでに、炎色反応で紫色に光る炎が格好よかったので、それに決めた。

 ここまで考えてから、ふと邦夫は今まで考えたアイディアをメモしておかないと忘れてしまう、と気付いた。

 早速、シャープペンシルを引っ掴んだ。続いて、机の本棚を探すが、適当なノートが見当たらない。

「あっれー?」

 胸の前にある一番大きな引き出しを引いた。するとその中に、口を開けてこちらを見ている青白い顔の女がいた。

「うわぁ、平べったい人だぁ!」

 久しぶりに見た『平べったい人』が余りに不気味だったので、邦夫は気絶して部屋の床に崩れ落ちた。

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