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猫の手貸します  作者: 雨咲はな
case10.説得
33/58

once upon a time(1)



「……ヒマだよねー」

 と、鈴鹿が自分のデスクに頬杖を突きながら言った。

 ここはスズカ便利屋の事務所内、しかも現在はちゃんとした営業時間内で、なにより鈴鹿はこの事務所の所長という立場にある。他の誰がそのセリフを言っても、鈴鹿だけは口にしてはいけないんじゃないか、と環は思ったが、内容自体はその通りなので肯定するしかない。

「そうですね」

「どうして午前中はいっつも、こうお客さんが来ないのかなー」

「トキがいないからです」

 あっさり回答を口にすると、鈴鹿は一瞬口を噤んで、それから溜め息と共に 「だよねー」 と同意した。

 スズカ便利屋を訪れて、仕事を依頼していく客は、その半数ほどがリピーターである。つまり、一度はここを利用したことのある客が、「もう一度あそこに頼んでみようかな」 とか 「ヨソを探すのも面倒だよね」 とかいう理由で、この事務所を再訪するわけだ。

 そのうちの何割かは固定客になって、川又老人のように常連さんになってくれる場合もあるので、事務所にとっては大変ありがたいことなのだが、そういう人々は、決して午前中には仕事を依頼してこない。なぜかって、その時間帯のこの事務所には、貧相なおっさんと、無愛想な所員しかいないということを、彼らは知っているからである。

 そりゃあ誰だって、同じように仕事を頼むにしても、鈴鹿のような冴えない中年男に相手をされるより、時子のように若くて可愛い女の子に、「いらっしゃいませー」 と明るい笑顔で出迎えられて、テキパキと話を聞いてもらったほうがいいと思うに決まっている。そういう次第で、時子のいない午前中は、大体いつも、鈴鹿と環は暇を持て余して茶を挽くことになるのだ。

 この状況を改善するためには、新規客を開拓する努力をしてみたり、鈴鹿自身が客の心を引き寄せられる人間になってみる必要があると思われるのだが、たとえば新規客がやってきても、環と時子に仕事をさせて結局は同じ経路を辿るだけなのだろうし、後者は一度死んで生まれ変わりでもしない限り難しいだろう。

 つまり身も蓋もない言い方をすれば、この現状は、思いっきり鈴鹿の自業自得なのだった。

「時子君、早く来ないかなー」

 鈴鹿はそれを反省するわけでもなく、ましてや自分の所長としての存在意義や資質を自問するわけでもなく、非常に他力本願なことを呟いている。時子がこの場にいたら、きっと痛烈な皮肉の一つでも投げつけていただろうが、環は少し顔を顰めて、忠告するだけにした。

「……所長、あんまりトキをアテにしないほうがいいです」

「うん?」

 鈴鹿が、頬杖を突きながら、環の机の方向に顔を向けた。

「なんで?」

 なんでって、そんな風に何の疑問もなく子供みたいに問い返すところからして、いろいろと問題があるのだが。

「トキは、ただのバイトなんで」

「え。そんなこと、判ってるよ?」

 ちっとも判っていないことが明らかな、怪訝そうな顔と口調だった。

「ずっと、ここにいるわけじゃないんです」

「…………」

 鈴鹿はきょとんとした表情で環を見返した後、「えっ」 と驚いたような声を上げた。いきなり焦ったように、おろおろと座っていた椅子から腰を上げる。

「え、え、なに、時子君、もしかして、他のバイト先でも見つけちゃった?!」

「いえ……」

 と環は言いかけたが、鈴鹿の耳には届かなかったらしい。

「時子君、ここやめちゃうの? ええー、困るよー、この事務所の一体何が不満なんだろ!」

「…………」

 あんな低い時給で、「何が不満」 もへったくれもないような気がするのだが、問題はそこではない。

「別に、今すぐってことじゃないですが」

「だよね! やだなあもう、びっくりするじゃないか」

 あからさまにホッとした顔になって、鈴鹿はまた椅子に座り直した。その様子を見て、「だから……」 と環は溜め息を押し殺す。考えていた以上に、鈴鹿は何も判っていない。

「それはそうやって、困ったり、驚いたりするようなことじゃない、って話です。トキは大学生で、ここに来ているのはただのアルバイトなんです。いつやめたって、極端なことを言うと、明日からいきなり来なくなったって、まったく不思議はないでしょう」

「えー、でもさあ」

 鈴鹿は不満げに、ぷっと頬を丸くした。可愛くない。ていうより、相当に不気味だからやめて欲しい。

「不破君がいる限り、時子君がここに来なくなるってことは、ないと思うんだけどな。大体、時子君は半分以上、君に会うためにこの事務所に来てるみたいだしさ。……あ、そうか」

 何を思いついたのか、ぽんと両手を打ち合わせる。

「じゃあ、不破君と別れたら、このバイトもやめるってことか。確かに、そのケースは大いにあり得るね」

「…………」

 ものすごくデリカシーのないことをずけっと言い切って、鈴鹿は納得したように頷いた。それから、窺うように環の顔を覗き込む。

「……なるほど。不破君は、そういうことを考えているわけだ」

 ははーん、とでも言いたげな目が、少しイラッとさせられたが、環は我慢した。

「そういう、ことって」

「自分と別れたら、時子君はここには来なくなる。不破君は、それを判ってる。だからなるべく、この事務所や仕事に深く関わらせたくない。それで君は、何かにつけて時子君に対して 『バイトだから』 とか 『一人で便利屋の仕事はさせない』 とか言い張っている、と」

「…………」

 環は、ちょっと黙った。

「……それだけが理由じゃないですよ」

「けど、全然ないわけじゃないんだね」

「…………」

 無言で机の上に置いてあった煙草の紙箱に手を伸ばした環を見て、鈴鹿は口をへの字にした。

「不破君は、いつもそうなのかな」

「…………。何がです」

「いつも、『続ける』 ことより、『終わる』 ことを念頭に置いて、時子君と付き合っているのかな」

「…………」

 環は今度こそ本当に黙り込んだ。指に挟んだ煙草を口に持っていって火を点ける。環のその行動は、「もう何も話さない」 という合図だ。

 鈴鹿はやれやれというように口から大きな息を吐き出した。普段は子供みたいな言動ばかりの鈴鹿だが、こういう時は年齢相応に厭味ったらしい。

「だとしたら、時子君は可哀想だよね」

「…………」

 環は口の端に煙草を咥え、否定も肯定もしない。


(──可哀想、か……)


 ただ、心の中で、ぽつりとそう呟いた。



          ***



 コンコン、という控えめなノックの音が響いたのは、それからしばらく経ってからのことだ。

「えっ、お客さん?」

 と、鈴鹿が目を丸くして椅子から飛び上がる。しかし営業時間内に客が来て、その反応もいかがなものか。

「あ、どうぞどうぞ、お入りください」

 慌ててドアに駆け寄りながら声をかけると、キ、というかすかな音を立ててドアが開いた。

「──こんにちは」

 そう言って姿を見せたのは、一人の女性だ。

 なかなかの美人だし若くも見えるが、おそらく四十は超えている。長い髪を後ろでまとめてバレッタで留め、全体的に趣味のいい大人の女性、という感じ。

 職業を持っているのだろうな、というのは、きっちりした化粧と、仕立ての良さそうなスーツがまったく違和感なく似合っていることからも判る。しゃんとした態度は、いかにもそつのない、社会に場慣れしたものだった。

「はい、いらっしゃいませ」

 挨拶を返し、鈴鹿が少し当惑したような表情をしたのは、きっと、その女性の持つ雰囲気が、便利屋というこの事務所にそぐわないものであったからなのだろう。もちろん一概には言えないが、経験から言って、こういうやり手女史のようなタイプは、こんな商売とそれに関わる人間を胡散臭い目で見がちだ。鈴鹿と環に限って言えば、胡散臭いと思われたとしても、あんまり否定できたものではないのだが。

「どうぞ、お入りください」

 鈴鹿が促すと、女性は事務所内をそろそろと窺うように見回しながら、足を踏み入れた。ほんの一瞬、環と目を合わせ、すぐに素っ気なく視線を外してしまう。

 お掛けください、という鈴鹿の声に頷いて、女性はソファに腰を下ろしたが、目線はまだ室内を彷徨うように動いていた。環の机、鈴鹿の机、と移動して、今は空いている時子の机でぴたりと止まる。

 時子はあまり私物をバイト先に持ち込むようなことはしないが、それでも 「あまりにも殺伐としてる」 ということで、机上には、電卓とか、卓上カレンダーとか、メモを挟む動物の形をしたクリップだとか、自分が買った可愛らしい外観の事務用品を置いている。そこだけほんわかとしたパステルカラーな空間を、女性はじっと見つめていた。

「……あの、それで、今日はご依頼で?」

 もしかして何かのセールスなのかな、と少々警戒混じりなのか、鈴鹿の問いかけ方はいつものような歓迎一色ではない。女性はようやく顔を戻して、正面に座った鈴鹿と真っ直ぐ目を合わせた。

 ああ、そうか、と環はその顔を見て思った。

 女性が手に持っているのが、どう見ても仕事用のものではない、小さなバッグだけなのにも関わらず、鈴鹿が、セールスなのかな、なんていう疑いを持ってしまうのは、彼女の目や顔つきが、まったく便利屋にやって来る客のそれではないからだ。

 便利屋のドアを叩く人は、大なり小なり、「困ったこと」 を抱えている。買い物でも、掃除でも、何かの修理でも、問題を解決するため、誰かに頼りたくてわざわざ足を運ぶのだ。

 けれど目の前にいる女性からは、まるでそういうものが感じられない。彼女の瞳に浮かんでいるのは、「助けてほしい」 というものじゃない。敢えて表現するなら、それは──

 「怒り」、とでもいうような。

「……咲月、と申します」

 女性は鈴鹿を見据えたまま、穏やかだがきびきびとした口調で名乗った。やっぱり、何らかの職業を持っている人だな、と納得させられる話し方だ。しかも多分、上から命じたり、人を使うことにも慣れている。普段なら、これと同時に自分の名刺でもすっと差し出すのだろう。

「あ、はい。さつき、さんですね」

 鈴鹿は呑まれたように繰り返したが、環はそれを聞いて、自分の机でひそかに眉を寄せた。「さつき」?

 ──どこかで、聞いた。

 今までの客の顔などはろくろく覚えていない環だが、それは興味がないから見ていない、というだけの理由で、実を言えば記憶力は時子に負けないくらいかなり良いほうだ。客の名前だったら、大体頭の引き出しに入っている。名前を聞けば、いつ頃、どんな仕事内容だったか、ということもほとんど思い出せる。

 しかし、咲月、という名は環のその引き出しには入っていなかった。きっと、客として関わった相手ではないのだろう。ちらりと耳にしただけの、でも、そのまま不必要な情報として放り出すことも出来なかった種類のもの。

 ……なんだっけ?

「夫が輸入業の仕事をしておりますので、その関係で、今は米国に在住しております。夫もそうですが、私も彼の仕事を手伝っておりまして、日本とあちらを行ったり来たりという感じですね」

「はあ」

 そうですか、と返事をしようとした鈴鹿は、そこで突然、環が立ち上がったことに驚いて振り返った。

 環が目を見開いて女性を凝視している様子に、やや狼狽した顔になる。

「え? 不破君、どうし」

「咲月──」

 茫然と呟く環を、女性が黙って見返している。

 思い出した。環はその名前を、確かに聞いていた。

 時子の祖母からだ。

 彼女の悲しい思い出話の一部として、出てきた名前だった。


 咲月。

 ──時子の、旧姓だ。


「咲月桐子、と申します。夫は、咲月聡一」

「…………」

 咲月聡一、は時子の父親の名前。逢坂は、時子の母方の姓なのである。

 桐子、という名は時子の母親の遺書に、一番数多く書かれていたと聞いた。怒りと恨みの言葉と共に。

 自分の夫を奪った、憎い親友の名前。

「……時子さんが、こちらで働いているそうですね」

 桐子は環を見ながら、静かに言った。

「私と夫は、あの子をアメリカに呼び寄せて、一緒に暮らしたいと思っています。ですが、何度そう申し出ても、決して首を縦に振ってはもらえません。まったく、聞く耳を持ちません。私はもちろん、あの子の実の父親である聡一が、なにを言っても」



 許さない許さない許さない、と、まるで呪詛のように。

 遺書には、夫の名と、自分を裏切った親友の名とが、連ねて書いてあったそうだ。何度も何度も。いくつもいくつも。

 娘である時子の名前はひとつもなくても。

 ──時子は、それをどんな気持ちで読んだのでしょうね、と時子の祖母はうな垂れて言った。



「不破さん、あなたに、時子さんを説得していただきたくて参りました」

 桐子の視線はじっと環に据えられている。環は強張った顔のまま、それを外せない。

「恋人として。……いいえ、それが無理なら」

 言いながら、桐子は自分のバッグから白い封筒を取り出し、机の上に置いた。中身を見なくても判る、その厚みからして、入っているのは、百万、という単位の紙幣だ。

「仕事として」

 環を見るその瞳に、強い光が宿った。

「なんでもする、『便利屋』 としての不破さんに依頼します。どうか、あの子を説得してください。日本を出て渡米し、私と夫と新しい家族を築いていくように、と」

 お願いします、と桐子は上体を折り曲げるようにして、深く頭を下げた。




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