三題噺「星座、虫眼鏡、五十音」
『星座 虫眼鏡 五十音』
高校3年生となると、塾の時間も増え、帰りが遅くなった。塾周辺は街灯が多くて明るいので、安全に自転車を走らせることができるが、自宅に近づくにつれて街灯は減って暗くなり危険だ。
以前、自宅に近い川べりを走っているとき、地面に転がっていたこぶし大の石に気が付かずに車輪がそれを踏み、派手に転んだ。骨折とまでは行かなかったが、受け身を取ろうとしてついた手が思いっきり地面にこすれて大量の血を流した。某探偵ドラマの殉職シーンのように「なんじゃこりゃー」とネタではなく素で叫んでしまった。自分で発したセリフの可笑しさでその時は冷静になれた。自宅に帰って応急処置を行い、大事には至らなかった。
それ以来、塾の帰りに川べりを通るときは、自転車降りて歩くようにしている。民家も街灯もほとんどないので、たくさんの星を見ることができた。一時期、友人が天体観測にはまって俺も付き合わされていたので、星を観たらこれはおおぐま座だ、こぐま座だとわかる。各星座のエピソードも嫌ってほど聞かされたが、さすがにそれは忘れた。彼女に知られたら、怒られるだろう。それだけ彼女は星が好きだった。だど、馬鹿だったため、色々間違った方向に頑張って星を愛そうしていた。
彼女と一緒に星を観に行くようになった理由は単純で、俺の席が彼女の前に位置していたからだ。彼女は中学校の入学にあわせて引っ越してきたため、小学校からの友人はいなかった。しかも、彼女の名前は渡辺で、五十音で決まる名簿順のラスト。クラスの人数が奇数であったので、彼女の隣は空席だった。彼女が席を立たずに喋りかけることができるのは、前の席の俺だけだった。
彼女と初めてした会話は、この町で星を見るのに適したスポットはないかについて。適当にいくつか星の見えそうな場所を教えたら、いつの間にか俺も一緒に行く事になっていた。この時必死に断って置かなかったことを俺は後々後悔することになった。
彼女とは数え切れないほど星を観に行った。
星を見ること自体は好きなのでよかった。問題は彼女の暴走のみ。都会育ちの彼女は、じっくりと星を観たことがなかったため、引越し時点では星についての知識がゼロの状態だった。俺と星を観に行くようになって星の名前や星座の名前と物語、そして天体観測の方法を勉強しだした。覚えた知識を自慢するように俺に話すだけだったら、俺が我慢するだけでよかったのだが、彼女は無駄にアクティブだった。それは俺を連れ回していることでわかりきっている事実だった。
ある日、
「星を綺麗に観るには明かりが邪魔だわ」
と言い出して、自動販売機のコンセントを抜こうとしたので、ドロップキックを決めて阻止した。自動販売機の電源を勝手に切ったら営業妨害だろうと、懇切丁寧に説教した。
またある日は、
「星を拡大して観たいわ」
と言い出して、虫眼鏡を取り出し、それを夜空にかざして覗いた。どうやら、望遠鏡は高くて買えないから、代わりに虫眼鏡で星を拡大させようとしたらしい。俺は、習ったばかりの実像と虚像の違い、焦点距離の説明をおこなった。それでもわかっていなかったので、チョップを頭に決めて、怯んだ隙に虫眼鏡を回収した。いつ手に入れたかわからないが、その虫眼鏡は俺のだった。
面倒だけど、楽しい日々。始まりが突然だったのと同様に、終わりも突然訪れた。3年生の春に彼女は父親の仕事の都合で転校していった。
彼女との騒がしい日々が日常ではなくなり、思い出として記憶のタンスの隅に追いやったのいつだったろうか。掘り返されることなく、3年経った時、彼女からの連絡が突然とどいた。内容は簡潔で、筑波大学で宇宙工学を学ぶために受験するから、あんたも一緒に受けなさい、というものだった。いや、お前馬鹿だし無理だろ、と返信すると、余裕のA判定だと返ってきた。学力が足りないのは俺の方らしい。
現実的に考えて、彼女の提案に乗る必要はないし、学力的にも厳しい。そう否定的な考えを走らせていたのに、俺の口はニヤついていた。そのことに気づいて、自分に素直になろうと思った。また、彼女と一緒に過ごす生活が面白そうで仕方ないのだ。問題は成績だけだ。今から進学塾に通わせてもらえるよう母親に頼むために、居間に降りた。