中編
テラトニクス国ニガル地方リストリ。
数百年前に魔法体系を纏めたとされる魔法使いが生涯を過ごした土地として有名で、魔法使いにとって憧れの土地の一つであり、実際に過去に多くの魔法使いが集った街である。
そんな街の中心部に、ゼレイム魔法学院はある。
高名な魔法使いゼレイムの作った私塾が元で、残念ながら一流とも二流とも違う三流の魔法学院ではあるが、それでもその成り立ちから有名でそれなりに名の通った学院だ。
多くの魔法学院がそうであるが、ゼレイム魔法学院は最短で五年の時間をかけて魔法についてを学ぶ場となっている。
一学年におよそ百人在籍しており、魔法の出来不出来によりクラス分けを行ない、各学年、大体五クラス程度にわかれている。
更に五年の魔法学院を卒業した後、どこかに専属で雇ってもらえるほどの腕には至らないものの、更に魔法に対する知識を深めたい、研究を行いたいと思う者のために研究科が用意されている。こちらは特に年数は決まっていない。
さて、追いかけっこを必死に逃げていたのはイーリカ・パラス。四年に在籍している学生である。
一方、全力で逃げられていた男は、同学院研究科に今年より在籍する青年で、名をシェイン・ゾルと言う。
学院を卒業した暁には国仕えの魔法使いになるなんて大それた事は言わないから、どこかのお屋敷で雇ってもらえないかしら、なんて考えているイーリカとシェインが出会ったのは、一月ほど前、図書室での事だった。
授業は選択性となっているために元々の開いている時間と、教師の都合による休講が連なり、彼女は授業のコマにして三時間ほど暇な時間ができていた。
ここで優雅にアフタヌーンティをすることを選択していれば、今の結果につながっていなかったのだろうが、卒業まで後二年、卒業試験に自分で一つ新しい魔法を生み出すことになっており、下調べをしようと思ってしまったのが運の尽き。
図書室に赴き、簡単に構想をしている魔法の参考になるものは無いかと移動をしていた時に、彼に出会った。
取ってみようと思って右手を伸ばした本に、シェインも偶然左手を伸ばしていたのである。
ここで、あっ、なんて言って双方手を離せば運命的な出会いにでもなっただろうに、彼は何を思ったかがっしりイーリカの手を握った。
そして、中の上にでも分類されるだろう顔ににっこり笑みを浮かべ、さも爽やかそうに言ったのだ。
「はじめまして、俺の名前はシェイン。君の名前は?」
ただのナンパである。
なんだこの馴れ馴れしい男は。
そんなことを思いながらも、名乗られたら名乗り返すまともな習慣を持つイーリカは、手を振りほどきたいと思いつつ、返事をした。
「……イーリカです。あの、手を」
幾ら馴れ馴れしく手を握ってきているとは言え、初対面である。
ついつい言葉を濁した彼女に、彼はにっこり笑みを浮かべたまま握った手を引き、腕の中に引き込んだ。
突然の出来事に唖然とする彼女の事なんて意に介さず、彼は掴んでいたイーリカの右手を離すと、そのままガラ空きの背中に自分の左手を回す。
流れるような極自然な動作に、呆気に取られている彼女はなすがまま。
「イーリカか、名前も、君も可愛いね」
心からそう思っているとでも言うような蕩けるような笑みを浮かべ、そして。
口付けた。
念のため繰り返しておくが、初対面である。
触れるだけの口付けが、イーリカの無抵抗――正しくは展開について行けず、固まっているだけである。無抵抗とはわけが違う――に気を良くしたのか、何度も繰り返され、そして、ついには深いものへと変わっていった。
「ん、んーーーー」
口による息を封じられた彼女が、空気の不足により漸く自我を取り戻した時、シェインの左手は腰に、右手は頭に回っていた。
状況がまだよく掴めていないけれど、酸素が必要な事は分かっている。
イーリカは必死になって彼の胸を叩く。
「ああ、ごめん」
必死な様子の彼女にようやく気付いて唇を離した彼は、そう謝罪の言葉を口に乗せたものの、自分の腕から逃す様子はなく、酸素を求めて深呼吸を繰り返す姿を間近で見てにこにこ笑っていた。
暫くして息の整い立ち直ったイーリカは、彼の腕から逃れようと身を捩り、背をのけぞらせるが、腕の力は全く弱まらず、逆に強まっていくばかり。
「な、なんなの?! はなしてーーー!!」
両手で彼の胸を押し、必死になって逃げようとするが、びくともしない。
「イーリカ、ここ図書室だよ。静かにしなきゃ」
正論ではあるが、この男に言われたくない。
そんなことを思えたかどうかは定かではないが、イーリカは取り敢えず声を潜めた。
「は、な、し、てっ、このっ、痴漢っ。ファーストキスだったのにっ」
大声にならないように気をつけて、それでも怒りの色の滲む口調で言う彼女に、彼は痴漢と言われたことなんて全く気にせず嬉しそうに笑みを深めた。
「ファーストキスか、嬉しいな。責任とるから結婚しよう」
「はぁ?!」
図書室であるということも、正論だが腑に落ちない注意も忘れてイーリカは反射的な速度で叫び、それからしっかりと意味を理解してから、痴漢男シェインの頬を殴った。グーパンチで。
「いたっ」
結構本気で殴りつけたおかげか、イーリカを拘束する腕の力が弱まった。
当然先ほどと違い頭はしっかり働くようになっている。
その隙を逃さず、彼女は彼の腕から脱出し、そのまま逃げた。




