七変化のランタナ 俺が私になるまで
俺はあまり寝起きが良くない方だ。
柔らかな朝の陽光に瞼がくすぐられて、ぼんやりと合わない視界を楽しむこの時間が好きだ。
段々と視点が合ってくると、ここはいつも寝ている部屋でないことに気づく。
「んっ……」
起きたてだからか、掠れた高めの声が喉から漏れた。
入院した時に着るような服は、何だか盛り上がっていて腹が見えない。
右手を動かそうとしたら管がついていたので、左手で胸を触ってみると、柔らかく指が沈む感覚と、中央に何かしこりのようなものがあるのが分かった。
「えっ?」
左手を動かして体を少しずつ確認していく。
顔、触るだけでは分からない。
髪は少し伸びたくらい。
喉仏はなくなっている。
腕は変わらない……と思う。
胸に脂肪がついている、女性みたいだ。
腹は、いつも通りだ。
一番恐ろしかった股間の確認だが、俺は男だろうと覚悟を決めて、一番触れたくない部分に指を向けた。
何も、なかった。
柔らかい何かが少しあるくらいで、俺の棒もタマも、何もかもがなかった。
「あっ……」
俺は泣きそうになったが、そこはぐっと堪えた。
俺は男だから、そんな簡単に涙を見せてなるものか。
まぁ、事ここに至っては男なのかは怪しいのだが。
かくして、俺の密かなアイデンティティであった男性の象徴は、一度も実戦投入されずにどこかへ消えたのであった。
喉が渇いたなと思って机の上を見ると、一枚の絵が置かれていた。
それは、俺の操作キャラのファンアートであった。
俺は仕事が終わった後、夜な夜なVR機具を装着して会話に勤しんでいた。
VRの中の名前は「ランタナ」。
所謂、清楚系という出立にしていた。
長い艶やかな黒髪に、しっとりとした肌、いかにも真面目そうで高嶺の花、そんな姿にしていた。
なぜなら、俺の好みがそれだったから。
VRでは、幼馴染の協力もあって本当の女性のように振る舞えていたと思う。
いつもの自分でない……その感覚が何とも新鮮で楽しかったのだ。
「あら、起きましたか」
「俺は、どうして……どうなったんだ?!」
VRの甘美な思い出も、現実のこのよく分からない状況の前では風の前の塵に同じ。
次第に勝手に俺の体が何者かに変えられた怒りが頭を支配し始めた。
「なるほど、少々お待ちください。担当者を呼んできますね」
看護師は俺の言葉に耳も貸さずに去っていく。
俺は右手を針に刺されたまま、何をすることもないので胸の感触を楽しもうとしてみた。
しかし、自分の胸をいくら揉んだところで、喜ぶ棒はもうない。
ただただ、脂肪の塊が手に合わせて揺れるだけであった。
俺は、どうしてこのような状況になったのか思い出そうとしたが、なかなかうまくいかない。
頭の中がごちゃごちゃとして、思い出の引き出しの中身が全てぶちまけられており、何を拾ったら良いのか分からない状態にある。
一つ思い出したのが、幼馴染の美玲のことだ。
美玲は、落ちぶれていく俺を見捨てないでくれた。
VRの機械を買ってくれたのも、色々と教えてくれたのも他ならぬ美玲だ。
美玲に会いたい。
美玲なら、このよく分からない状況の理由が分かるかもしれない。
俺は机に置いてあったスマホをつけて、顔認証をしたが、なかなかロックが外れない。
仕方ないので、動きづらい右手までスマホを寄せて暗証番号を入れてロックを解除し、美玲に[会いたい]と連絡を入れた。
「あなた、今回の被験者ですよね。何かお困りですか?」
「何かって、何もかもだ! どうして俺は勝手に手術をされて、こんな女性みたいな体になっているんだ! おかしいだろ?!」
「いや、でもあなた、同意書にサインをされたじゃないですか。お金に困っていて、今回の治験の報奨金で何とかしたいって」
俺は医者のその言葉に、俺が金に困った底辺労働者のアルバイターであったことを思い出した。
あまりにも働かなかったので、実家から半ば勘当される形で家を出た後に、俺にできたのは大学時代にやっていたアルバイトくらいだった。
今は好きな時間に好きな種類のバイトを入れられるので、俺はそれで彼女探しも兼ねて職場を転々としていたのだ。
「お金に困っていても、こんな、人の性別まで変えるような手術は許されませんよね?」
「でも、あなた、これ同意書。診断書もあるよ」
そうだ、また一つ思い出した。
俺はある時から、女性に興味がなくなりだした。
いや、女性自体は好きなままだが、次第に性的に興奮することが少なくなっていった。
それと同時に、朝に処理する回数もどんどん減っていき、不安になった俺は美玲に相談してとある病院を紹介してもらったのだった。
しかし、女性に性的な興味がなくなりつつあるとはいえ、俺と同じ野郎……男性に興味があるかと言われればそうではない。
寧ろむさ苦しい筋肉や汚らしい体毛、平たく硬い骨格、下半身に支配された生物として、嫌悪感まである。
いや、どうして俺は女性に興味がなくなったんだ?
あれだけ、雄として雌を求めていたのに。
どうして?
「俺は、男じゃなくなったんですか?」
「そうとも言えるし、そうでないとも言えるね。それはこれからの君の頑張り次第だ」
「それってどういう」
「おっと、呼ばれてしまったから、説明は今度ね」
医者は「その針はもう外していいよ」とだけ告げて、部屋から去っていった。
看護師は手早く針を抜き、「この部屋でしたら動いてどうぞ」と告げて外から部屋の扉に施錠をした。
俺は、水を求めて部屋に備え付けられた水道まで足を運んだ。
両手で水を掬い、しかし大半を溢しながらも口に運ぶ。
ふと、顔を上げると鏡の中の自分と目が合った。
この人間は、男性なのか、女性なのか。
最初に抱いたのがその感想だった。
顔の造型は確かに女性に近い。
ぱっちりした目は長い睫毛で縁取られ、すっとした鼻柱の下には血色の良い唇があった。
ふと、この唇に触れたくなり、自分の顔に手を伸ばした。
予想通りのふっくらとした唇だった。
こんな唇とキスしてみたい?
いや、これは、既に自分のものだ。
また一つ、思い出した。
美玲は、唇にこだわっていた。
俺が会う度に、俺の唇にリップクリームを塗ってくれていた。
それは次第にグロスになり、口紅へと変わっていった。
喉仏はやはり小さくなっており、「あー」と出した声は最早男性のものではない。
しかし、何というか、全体的な肉付きがまだ女性とは呼びきれないような、仕草がどことなく女性になりきれていないような、そんな印象を受けた。
胸の脂肪に触れないように手を当てると、静かな鼓動が感じ取れた。
俺はまだここに生きている。
しかし、それは本当に俺なのか?
俺は、どんな人間なんだ?
コンコンコン、とノックの後にガチャリと扉が開いた。
「おはよう、ランタナ」
俺はその時、私となった。
私は美玲の登場に顔を綻ばせた。
「おはよう、美玲。元気にしてた?」
私はタッと地面を蹴って美玲の下に向かった。
いつものように両手を広げて抱きつくと、お互いの胸が当たって柔らかい感触が広がる。
「えへへ、やっと現実でも美玲とくっつける」
「うん、そうだね。あたしも嬉しい」
美玲も喜んでくれて、私の体をぺたぺたと触ってくる。
「うーん、まだまだ女の子じゃないかも」
「そう? 結構女の子だと思ったんだけど」
そう言って私は鏡を見た。
鏡には可愛らしい女性が映っていた。
ただ少し、女の子を始めたてのようなぎこちなさが全体的に残っていると言われれば、そうかもしれない。
私は「俺」の未練を断ち切るように、両手で頬を叩いた。
「それにしても、現実でランタナと会えて嬉しいよ」
「えー、ずっと会ってたよ?」
「あぁ、ごめんごめん。そうだったね」
美玲はあははと笑い、溢れた髪を耳にかけた。
私は少し考え、そういえば現実で、この体で美玲と会ったのは初めてだと気づいた。
「あっ、でも『俺』の時はノーカウント? じゃあそうだね、初めまして、美玲。私はランタナ」
「初めまして、私は美玲。これからもずっと一緒だよ」
今度は美玲からハグを求めてきたので、私も両手を広げて抱き合った。
美玲は温かくて、彼女の規則正しい鼓動も、甘い女の子の匂いも、柔らかな体も、何もかもが良かった。
きっと「俺」だったら、美玲に硬い体と気味の悪い欲とを押し付けてしまっただろう。
だからずっと、現実の美玲とは体を触れ合わせることはなかった。
だけど、もう大丈夫。
私はまだ女の子になりきれてないかもしれないけど、少なくとも男の人ではないから。
だよね?
鏡の中の「俺」は、苦しげに顔を歪めた。
「それじゃ、VRで教えたことのおさらいをしよう」
美玲は私からパッと離れて「まずは、ここまで歩いてみてよ」と言う。
私は習った通りに、気持ち内股で体のラインを意識しながら歩く。
「うん、合格」
美玲はパチパチと手を鳴らした。
「じゃ、次はここまで来て。一緒に座ろうよ」
美玲はベッドに腰掛けて私を呼んだ。
私は同じように歩き、服の裾をお尻の下に入れるように手で押さえながら足を揃えて座った。
「いいんじゃない? はいご褒美」
美玲は私の手に指を絡めてきた。
私も、VRの時と同じように、指を絡め返した。
圧倒的な現実の情報量に圧倒されて、私は顔を赤らめると、美玲は嬉しそうにころころと笑った。
「こんなんで喜んでくれるなんて、ランタナは可愛いね」
「だって、ずっとこうしてみたかったんだもの」
私がそう告白すると、美玲は「これからはずっと一緒だから、いつでもできるよ」と答えてくれた。
私は嬉しくなってキスをしたいと思ったが、それは「俺」のようだと思って、自己嫌悪で顔を曇らせた。
私は「俺」じゃない。
私は、ランタナなんだもの。
じゃあ、俺は、俺は一体どこへ行く?
「美玲、俺は、俺はずっと……」
「嫌」
美玲は絡めていた指を解いて、立ち上がって俺の前に立った。
「私は君とは話さない。男の人って気持ち悪いんだもの。私はランタナとだけ話したいし、君はお呼びじゃない」
「どうして」
「今までは、確かに君で我慢するしかなかった。でもね、私にとって君はただの容れ物。ランタナの容れ物でしかなかったの。だから、あなたのこと、名前で呼んだこと、ないよね?」
俺は胸に手を当てて考えようとし、あるはずのない胸の脂肪に触れて「嫌っ」と小さく叫んだ。
「どうして嫌なの? だって、あなたはランタナでしょ? ランタナは綺麗で可愛い女の子だから、胸もあるし、私に触れてもいいんだよ?」
「あ、あぁ。そうだったね、私はランタナ……」
「そうよ。あなたはもう男性じゃないの。家族からも見捨てられ、無駄に男性という性に振り回されて何度も女性から逃げられてきた惨めな男はもうどこにもいないの」
美玲はそう言って私の手を取った。
「あなたの名前は?」
「俺は……」
俺の名前は、俺があんな家族から貰った名前は、今どんな価値があるのだろうか。
「……」
温かく俺の手を包み込む美玲の手。
俺は、私として、美玲に愛されるために生まれてきたのではないか。
「私の名前は、ランタナ。美玲、これからもよろしくね?」
「もちろんよ、そうこなくっちゃ!」
涙が溢れた理由は、分からない。
私は、俺の欠片を丁寧に集めて箱に入れた。
最後に俺は、「本当にいいのか」と語りかける。
もしかしたら、美玲は俺を私にするために罠にかけたんじゃないか。
箱の中の俺は、必死になって私にそう語りかける。
証拠はなく、しかし確信だけがあった。
家族仲が悪くなったきっかけは、父がリストラされたからだ。
それは、俺が美玲と出会って少しばかりした頃だ。
美玲の父が手を回せば、俺の父なんて一息で飛ぶ木端のような存在だろう。
VRを勧めてきたのも美玲で、機材を揃えてくれたのも美玲、アバターは俺が設定する前に全てが決められていた。
そこから、美玲の甘美な調教が始まったのだ。
光熱水費の支払いに困り、アルバイトもそろそろ次の仕事を探そうという頃、美玲から声がかかった。
とある治験に参加してみないか、という話だった。
美玲の父の会社で、新薬を開発する子会社を持っているらしい。
そこで、ホルモンバランスの調整をする新薬の投薬実験をしたいと言うのだ。
俺はその時には、骨太で筋肉質な平たくゴツい体、毎日髭を剃らねばならず、他の体毛も濃い気味の悪い体に飽々としていた。
だって、女の子になれば美玲と仲良くできるんだもの。
それに、少しくらい女性の体というものにも興味があり、女性に対するこの欲も何とかしたくて、少しくらい落ち着けばいいなって思いもあった。
一番の理由はお金だったけど。
だって、綺麗なアクセサリーも、可愛いキーホルダーも、何もかもが男だった私には足らなかったから。
それから、毎日病院に通って注射を受けた。
飲み薬ももらって、ちゃんと飲み続けた。
そうしていくと、まずは性欲が薄くなっていった。
これは別に構わなかった。
だって、私の好きな美玲は、男の人が好きじゃないから。
普通に女の子と見れば興奮するのって、正直煩わしかったから。
次に、肌が柔らかくなったり、胸が少し張ってきたり、筋肉も少しずつ減ってきたりもした。
自分が美玲に近づいてきているようで、とても嬉しかった。
しかし、それと同時にどんどんと不安になっていった。
何でもないことでイライラして、美玲に当たることもしばしばだった。
それでも美玲は、辛抱強く私に付き合ってくれた。
「どうします、手術しますか?」
私は躊躇わずに「はい」と答えた。
だって、私にはもう、美玲しか残っていなかったから。
それで、惨めな「俺」から脱皮して、私は「ランタナ」となるんだ。
だから、私は何も後悔していない。
後はゆっくり、ホルモン治療を受けながら、ランタナになっていけばいい。
それなのに。
悔しくて涙が溢れてくる。
なんでだろう。
「なんで、なんで、私……」
「ランタナ。あたしの可愛いランタナ。どうして泣いているの?」
「わからないの……私にも、なんで泣いてるんだろう」
美玲は泣きじゃくる私を抱いて、ぽんぽんと背中を叩いてくれた。
私はずっと、美玲の腕の中で泣き続けた。
私、ちゃんと私になれたかな?
ランタナ(和名シチヘンゲ)
花言葉
「心変わり」「協力」「合意」




