季節を買うということ
コンビニの棚の一角に、淡いピンク色が並び始めると、
ああまたこの季節が来たのだと気付く。
特別好きな味というわけではない。
冷静に考えれば、
わざわざ選ばなくてもいいはずの味だと思うことすらある。
それでも、気付けば手に取っている。
理由は説明できない。
何かがそこにある気がするのだ。
家に帰って袋を開け、一口食べる。
やはり、想像通りの味がする。
特別に驚きはない。
ただ、ほんの少しだけ、
柔らかい空気が舌の上に広がる。
そのとき思う。
これは味ではないのかもしれない。
例えば、高い店で食べる料理は、
明確に美味しさを追求している。
けれど、鉄板焼きのフランベは違う。
あれは料理というより、体験だ。
桜味は、きっとそれに近い。
味だけで完結するものではなく、
その前後にあるものすべてを含んでいる。
棚に並ぶ色、少しだけ暖かくなった夜の空気、レジ袋の軽さ。
そういったものが、一緒になっている。
だから、平凡な味のはずなのに、どこか満たされる。
帰り道、コンビニの袋をぶら下げながら歩く。
夜風はまだ少し冷たい。
街路樹の花は咲き始めている。
部屋に着いて、袋から桜味を取り出す。
その動作すら、少しだけゆっくりになる。
たった一つ、余計に買っただけなのに。
そのとき思う。
ああ、これでよかったのかもしれないと。
理由もなく手に取って、理由もなく少し満たされる。
それくらいでいいのだと思う。
窓の外の街灯が、ぼんやりと滲んでいる。
春はまだ途中だ。
手元の桜味は、もう半分くらいになっている。
また来年も、同じことをするのだろう。
それでいい。
残るのは、味ではなく、そのときの空気だけでいい。




