第4話 最初の開花
120%。
それは、常識的に考えれば不可能な数字だ。
「無理ね」
坂井美月が、電卓を叩きながら冷たく言い放った。
深夜のオフィス。私たちは残された時間を計算していた。
「現在の達成率は78%。残り2週間で、120%まで持っていく。
差は42ポイント。今の平均単価だと——」
「45件必要ですね」
私が答える。
「1日3件ペース。物理的に不可能です」
高瀬が青ざめた顔で震えている。久我は壁に背中を預けて、白い光を不規則にスパークさせている。
「だから」
私が立ち上がった。
「件数は追いません。狙うのは——『特大』の1本釣りです」
私はホワイトボードの中央に、1つの社名を書いた。
『帝都建設』
その瞬間、部屋の空気が凍りついた。
「……マジかよ」
久我が呆れた声を出す。
「あそこは『焼野原』だぞ。うちの営業が何度行っても、提案書すら受け取ってもらえねえ」
帝都建設。業界最大手。
そして、我が社が過去に何度も営業をかけ、そのたびに手酷く断られてきた相手。
営業部の間では「行くだけ無駄」と言われている鬼門中の鬼門だ。
「焼野原だからこそ、チャンスがあります」
私は全員を見渡した。
「他の営業はもう近づかない。競合も諦めている。つまり——誰も通っていない道です」
久我の目が、ギラリと光った。
「それに、帝都建設の案件規模は桁違いです。これ1本取れば、1発で120%に届く」
坂井が眉をひそめる。
「理屈は分かるわ。でも、勝算は? 過去のデータでは——」
「勝算は、あります」
私は久我を見た。
「久我さん。昨日、どこで飲んでました?」
久我がギクリとする。
「……新橋の、立ち飲み屋だけど」
「そこで、誰と話しました?」
「たまたま隣にいた作業着のオッサンと意気投合してさ。
現場の愚痴を聞いてやったんだよ。『最近の資材は脆い』とか『本社は現場を知らない』とか」
私は坂井に向き直る。
「そのオッサン、帝都建設の現場監督です」
「は?」
坂井が目を見開く。
「久我さんの『突破力』は、会議室の外でも発揮されます。
彼は無意識に、一番情報の濃い場所に潜り込んでいた」
私は久我のポケットから、昨日の飲み会のレシートの裏紙を取り出した。
そこには、現場の生々しい声が殴り書きされていた。
『本社指定の資材A、湿気に弱すぎ』
『現場は納期より耐久性を求めてる』
『部長の剛田は実は現場上がり』
坂井がメモを覗き込む。青い光が、急速に輝きを増していく。
「……なるほど。
本社の購買部が選んでいる資材と、現場が求めているスペックにズレがある。そこを突くのね」
「その通りです。コストダウン提案じゃない。『現場の安全』を売るんです」
坂井の指が、空中でピアノを弾くように動いた。
「いけるわ。剛田部長は現場上がり。なら、数字よりも『職人の命』という言葉に響くはず」
「高瀬さん」
私は震えている男を見た。
「最後は、あなたの出番です。剛田部長は『鬼』と呼ばれています。
でも、元は職人です。彼が本当に守りたいものが何か——あなたなら、読めるはずです」
高瀬の背後で、橙色の光が小さく、しかし強く灯った。
「……やります。やるしか、ないんですよね」
決戦当日。
帝都建設の本社ビル。通されたのは、威圧感のある大会議室だった。
現れた剛田部長は、噂通りの人物だった。身長180センチ超。鋭い眼光。スーツの上からでも分かる分厚い胸板。
「うちは間に合ってるって言っただろうが」
開口一番、怒声が飛んだ。
「お宅の営業はしつこいな。出禁にされたいのか?」
空気が重い。通常の営業なら、ここで萎縮して帰る。
だが——。
「間に合っているなら、現場からあんな悲鳴は上がりませんよ」
久我が、不敵に笑って切り出した。
「なんだと?」
「新橋で聞きましたよ。湿気で資材が反り返ってるって。あれ、あんたの指示じゃないでしょ?」
剛田の目が険しくなる。
「……若造が。知った口を」
「知ってますよ。あんたが誰より現場を大事にしてることもな」
久我の白い光が、剛田の威圧感を正面から受け止め、弾き返す。
その瞬間、私には見えた。
久我の白い光が、四方へのスパークから——一点を貫く鋭い光へと収束していくのを。
場が温まった。
すかさず、坂井が資料を広げる。
「現在の資材Aの耐久データと、弊社の新素材の比較です。初期コストは弊社が高い。
ですが、交換頻度と工期遅延のリスクを計算すれば——3年でコストは逆転します」
坂井の青い光が、脆い氷のような揺らぎから、硬く研ぎ澄まされた輝きに変わっていく。
「現場の事故率も、理論上は40%下がります。職人さんの安全を買うのに、この差額は高いですか?」
剛田が資料を睨みつける。反論の余地がない完璧なデータ。
だが、剛田は首を縦に振らない。
「……机上の空論だ。データ通りに現場が回れば苦労はしねえ」
最後の壁。
理屈じゃない。「信用できない」という感情の壁。
私は高瀬を見た。
彼は膝の上で拳を握りしめ、深呼吸を1つした。
そして、顔を上げた。
「剛田様」
高瀬の声は、震えていなかった。
「私は、営業成績が最下位の人間です。偉そうなことは言えません」
剛田が怪訝な顔をする。
「ただ、1つだけ分かります。あなたは、怖いんですね」
「……あ?」
「新しい資材を入れて、もし失敗したら。もし、職人さんに怪我をさせたら。
……その責任を負うのが、怖い。だから、慣れ親しんだ資材を変えられない」
剛田の顔色が変わった。図星だ。
「私たちが提案しているのは、資材ではありません。『安心』です」
高瀬の背後で、橙色の光が膨れ上がった。
もう、焚き火ではなかった。
「何かあったら——逃げません」
高瀬はまっすぐ剛田を見た。
「だから、現場の職人さんを、守らせてください」
沈黙。
剛田は高瀬を睨み続け——やがて、大きく息を吐いた。
「……お前、名前は」
「高瀬、です」
「いい目をしてやがる」
剛田はボールペンを取り出した。
「責任、取れるんだろうな」
「はい!」
契約書に、サインが走った。
帰り道。
私たちは並木道を歩いていた。夕日が長い影を落としている。
高瀬の手には、帝都建設との契約書。金額は——目標を大幅に上回る規模。
「……やった」
久我が空を見上げて呟いた。
「マジで取れちまった」
「当然よ。あれだけの準備をしたんだから」
坂井が髪をかき上げる。その手は少し震えていた。
高瀬は、契約書を抱きしめたまま泣いていた。
私は、後ろから3人を見た。
視界が歪む。
光が、完全に変わっていた。
久我の白い光は、もう四方に散らばらない。
坂井の青い光は、もう揺らがない。
高瀬の橙色の光は、もう消えそうにない。
(美しい……)
私は初めて、能力を使っていて「美しい」と思った。
これが、開花だ。
誰かに信じられ、正しい場所に置かれ、自分の力で壁を越えたとき。
人の才能は、ここまで美しく変わる。
「真白さん!」
高瀬が振り返った。涙でぐしゃぐしゃの笑顔。
「ありがとうございました!」
私は頷いた。
達成率:128%。
専務の要求を、上回った。
その夜。
私が報告書をまとめていると、オフィスの扉が開いた。
専務だった。
「柊さん」
彼は穏やかに言った。
「帝都建設の件、聞きましたよ。長年の懸案事項でしたからね」
「……はい」
「素晴らしい成果です。128%。予想を上回りました」
専務は微笑んでいる。だが、目は笑っていない。
私は、専務を凝視した。
銀色の光。相変わらず硬く、完成されている。
——けれど。
ほんの一瞬だけ、その光の縁が「わずかに揺れた」。
彼の中の何かが、きしむように。
「来週の全社定例会議で、発表してもらいます」
専務は背を向けた。
「楽しみにしていますよ。第三営業部の『光』が、どこまで本物なのか」
扉が閉まる。
私は拳を握った。
128%。数字は作った。
光は、確実に開花した。
あとは——あの会議室で、全社の前で証明するだけだ。
全員を救うつもりはない。
だが、勝てる形には必ずする。
次は、全社会議。
そこが、私たちの真の舞台になる。
最下位部署の逆転劇は、もう誰にも止められない。
全8話。完結まで毎日投稿します。
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