第2話 見るだけの力
人の才能が光に見える。
それだけで、使いこなせるわけじゃない。
私はそれを、痛いほど知っている。
「顔色、悪いわね」
執務室。祖母がカップを置きながら、私を見た。
「……昨日、見すぎました」
「怖い?」
「怖いです」
高校の記憶が、勝手によみがえる。
祖母の側近の光が、灰色に濁っていったとき。見ていたのに、何もできなかった。
「見えても、変えられなかったら——」
「真白」
祖母が静かに遮る。
「怖いなら、なおさら見なさい。逃げたら、一生、目を使えなくなるわ」
私は唇を噛んだ。
「……分かりました」
第3営業部のフロアは、想像以上にひどかった。
「申し訳ございません! すぐに、必ず!」
受話器に頭を擦りつける勢いで謝っているのは、高瀬亮。
背後で、橙色の光が小刻みに揺れている。
共感型の交渉屋に、ひたすらクレーム処理をやらせている。
「あー……はいはい。あとでやっときますんで」
領収書の束を前に、イスをガタガタ揺らしているのは、久我悠斗。
白い閃光がイライラしたようにスパークしている。突破型に経費精算。
「ですから規約第4条に——いえ、だから感情ではなくですね……」
低い声で電話しているのは、坂井美月。
背後の青白い光は、氷の板みたいに固まっている。
戦略屋に、感情的な顧客の相手。
(これで売上最下位じゃなかったら、奇跡だよ)
「おい、インターン」
声をかけてきたのは久我だった。苛立った目つき。
「そんなに珍しいか? 負け組部署の見学は」
「久我さん」
私は彼の机の上を見た。領収書の山。入力途中のエクセル。
「それ、終わらせるのに何時間かかりそうですか」
「半日は飛ぶな」
「今のあなたの集中力なら、2日かかります」
久我が眉をひそめる。
「細かい文字見るたびに、視線そらしてますよ。
3分に1回、スマホ触ってる。事務作業って、苦痛ですよね」
図星だ。久我の白い光が、一瞬だけしぼむ。
今度は、坂井を見る。
「坂井さん。さっきの電話、25分でした」
「細かいわね」
「相手、最後に『分かってくれないんですね』って言って切りました」
坂井の指がピタッと止まる。
「規約の説明は正しかった。でも、相手が欲しかったのは『感情の同意』です。
高瀬さんなら、3分で終わってました」
「……言いたい放題ね。何も知らない学生が」
冷気が走る。
いい。嫌われるくらいで、ちょうどいい。
私は視線を奥の一角に向けた。スポーツ新聞を広げている男。
「田所部長」
「ん?」
「社長から、第3営業部の現場権限は私に移したと聞いています」
「まあ、そうらしいな」
「じゃあ、1つだけ確認させてください」
私ははっきりと言った。
「邪魔、しないでください」
一瞬、空気が止まった。
田所は、しばらく私の顔を見てから——薄く笑った。
「いい度胸だな。……好きにやれよ。どうせ沈没船だ」
私はホワイトボードを引き寄せ、マーカーで大きく3つの言葉を書いた。
突破
戦略
交渉
振り向く。
「1人営業はやめます。今日から3分業です」
「は?」
まずは高瀬。
「高瀬さん。新規電話とクレーム処理、今日限りで禁止です。
代わりに、『決まりかけている案件の最後のひと押し』だけやってください」
次に久我。
「久我さん。領収書から離れてください。今日からずっと外です。
売らなくていい。『話を聞いてくれる人』を見つけてきてください」
最後に坂井。
「坂井さん。電話禁止です。フロントから上がってきた情報を全部あなたに集めます。
それを見て、『勝てる筋書き』を作ってください」
静まり返るフロア。
でも、光が反応しているのが、私には見える。
私は目を閉じた。眉間の奥が、じくじくと痛む。
長時間、光を見続けると、こうなる。
この目には限界がある。
見すぎれば、いつか見えなくなる。
だから、見るべき人を選ばなければならない。
全員は、救えない。
「1週間だけ。成果がゼロなら、この話はなかったことにしていい」
坂井が、じっと私を見る。
「……責任は?」
「失敗したら、私が全部かぶります」
「ふうん」
坂井は少しだけ笑った。今度は冷笑じゃない。
「じゃあ、見せてもらいましょうか。学生さんの机上の空論を」
翌日。
「おい、インターン」
部長が気だるそうに声をかけてきた。
「専務から連絡だ。『余計な実験で既存業務を停滞させるな』って」
早速の妨害。
「無視してください」
「はあ? お前、専務に逆らうのか」
私は鞄から1枚の書面を取り出した。社長印が押された、プロジェクト承認書。
「社長直轄プロジェクトの正式承認です。専務に指揮権はありません」
部長は舌打ちして新聞に戻った。だが、フロアの空気は重くなった。
2日後。
最初の「結果」が出た。
「すみませんでした!」
私はエレベーターホールで、高瀬と一緒に頭を下げていた。
初回のクロージング。見事に、失敗した。
坂井のプランは完璧だった。なのに、高瀬が途中で飲まれた。
相手の圧に負け、価格を下げすぎて、赤字ラインを割った。
帰社してから、田所部長に思いきり笑われた。
「ほら見ろ。素人がいじるから、こうなる」
(このまま引いたら、終わる)
その夜、私は高瀬を会議室に呼んだ。
「すみませんでした」
椅子に座るなり、彼は深く頭を下げた。
「高瀬さん」
私は能力を使った。
視界が歪み、橙色の光が見える。
……消えてはいない。揺れているけれど、昨日より「大きく」なっている。
「今日のは、失敗じゃないです」
「え?」
「やりすぎただけです。『譲歩』のラインを自分で決めていなかったから」
私はホワイトボードに1本線を引いた。
「ここが、会社として出せる限界ラインです。
ここを越えて譲歩しそうになったら——その場で『会社に怒られるんで』って笑ってください」
高瀬が、苦笑した。
「そんなので、通じますかね」
「通じるようにするのが、交渉屋の仕事です」
私はじっと彼を見た。
「高瀬さん。あなた、今日楽しかったですよね?」
「……え?」
「相手と話してるとき。怖かったけど、途中から、ちょっと楽しかったはずです」
橙の光が、わずかに跳ねた。
「……はい。相手の人の本音が、ふと見えた気がして。そのときだけは、少しだけ」
「それが、あなたの場所です」
「もう1回、行きましょう」
3日後。
2回目のクロージングは、別の中小企業の社長。
久我が「面白い人がいる」と連れてきた相手だ。
坂井が作った資料は、相手の事業計画にぴったり噛み合っていた。
会議室に入る前、高瀬の手が震えている。
「真白さん」
「はい」
「……俺、また失敗したらどうすれば」
「失敗したら、一緒に怒られましょう」
私は即答した。
「だから、そのときは私のせいにしていいです」
高瀬が、ふっと笑った。
「……それ、いいですね」
会議室のドアが閉まる。
私は外で待つ。中の会話は聞こえない。だから、私は「光」だけを見る。
薄いドアの向こう。高瀬の橙色の光が、最初は小さく揺れている。
途中で、大きくブレた。譲歩しそうになった。でも——線の手前で、踏みとどまった。
揺れがおさまり、光が太さを増す。
ドアが開く。
「取れました」
高瀬が、信じられないものを見るような顔で立っていた。
「さっきのライン、守れました。相手も納得してくれました」
私は再び能力を使った。
こめかみが熱を持つ。
橙色の光が——安定している。
前みたいな、今にも消えそうな揺らぎはない。
弱くても、はっきりと「自分の形」を持った光だった。
「これが、あなたの本来の場所です」
高瀬の目に、涙が滲む。
「俺……まだ、やれるんですね」
「はい」
その夜。
私が報告書をまとめていると、オフィスの扉が開いた。
専務だった。
「柊さん」
彼は穏やかに言った。
「第3営業部で、何か動いているようですね」
「……はい」
「小さな成功、おめでとうございます」
専務は笑っていた。だが、目は笑っていない。
「ただ、1つだけ」
彼は私の目を見た。
「1人成功しても、部署全体の評価は変わりません。
3ヶ月後の判断基準は、『全体の数字』です。お忘れなく」
専務は去った。
私は拳を握った。
視界を歪ませる。
専務の背中に、銀色の光。
その光の縁が——わずかに、黒く滲んでいた。
(来る気だ)
フロアに戻ると、第3営業部の空気が、ほんの少しだけ変わっていた。
誰も拍手なんてしない。でも、全員がチラッと高瀬を見た。
久我の白い光が揺れ、坂井の青い光が鋭くなる。
光は、信じられたときに強くなる。
1人、灯った。
まだ足りない。まだ弱い。
でも——もう戻れない。
全員を救うつもりはない。
だが、勝てる形には必ずする。
次は、久我だ。爆発型の白い光を、どこで爆破させるか。
私は静かに、次の一手を組み立て始めた。
最下位部署の逆転劇は、もう「偶然」では終わらない。
全8話。完結まで毎日投稿します。
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