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第8話 月乃瑠奈は翻弄される

 なるほど月乃の根底にあるのは"それ"か。

 俺は、着せずして月乃の闇に触れた。


「……両親を恨んでいるのか?」

「恨んでるなんてものじゃないわ……。私は、ある日突然、得体のしれない悪意に晒されたの。どうして? 私は何も悪いことはしていないのに。……聞いたら、ただ親がアナクロだったからっていうそれだけ。顔も知らないどこかの誰かのエゴで勝手に産み落としたからっていう、どうしようもない理由だった。ふふっ……ねぇ、こんなに不幸なことある?」

「月乃……」


 月乃は、感情が振り切ってしまったのか自嘲気味に笑みを浮かべる。

 おそらく多くのアナクロが多かれ少なかれ抱いている普遍的な問題。

 ただ月乃の場合は、親の愛に恵まれなかったということが問題をより複雑にしてしまっているのだろう。


「朝起きて自分の顔が鏡に映る度に、『ああ私ってアナクロなんだ』って絶望させられるの。見た目も、喋る言葉も変わらない、ただ私が天黎人の血が流れていないっていうそれだけで、私は、こんなにも惨めで、孤独で――――救いようがない。だから私は、せめて血統者を産むことにしたの」

「月乃、お前は本当にそれを望んでいるのか?」

「っ……」


 正直、俺から見ればアナクロ男子は、割と気楽なものだ。

 自分一人を養う分さえあれば、自由に生きていける。

 しかし女子は別だ。

 血統者のハーレムに入るか、人工授精で血統者を孕まなければ、今後の生活の保障を受けられない。

 前世ほど女性の権利が充実していないこの世界では、血統者を産めなければ、男よりも悲惨な末路が待っているだろう。


「ええ、そうよ、私は血統者を産むことで、この苦しみから解放される。だから私は必死に勉強して、推薦権を得るところまでやってきたのよ。ふっ、男のあんたにはわからないでしょうね、私がどれほどの努力をしてここまで来たのか、どれほどの屈辱を乗り越えてきたのか」


 月乃はそう言って、ひしゃげた笑みを見せた。

 今にも崩れてしまいそうな、そんな歪さと危うさを抱えながら。

 月乃の問題は奇遇にも、今後、俺が解決すべき課題と共通するところがあった。


(月乃とは、向き合う必要があるだろうな……)


 月乃にとっては更に受け入れがたい事実かもしれない。

 それでも俺は月乃を真っ向から否定しなければならない。

 たとえそれが俺のエゴであろうとも。

 俺にとっての通過儀礼のようなものであり、遅かれ早かれ、月乃に対して介錯することになったはずだ。


「月乃、お前が血の滲むような努力をしてきたことは知っている」

「ふんっ、今更おだてたって……」


 月乃の言葉を遮るようにして、現実を突きつける。



「――――だが、おそらくお前は血統者を産んだとしても、その苦しみから解放されることはないだろう。それどころかより一層醜い血統者に対するコンプレックスに置き換わるだけだ」

「は、はぁ? あ、あんた自分が何を言っているのか分かってるわけ?」


 月乃は一瞬きょとんとし、信じられないものを見るような目で聞き返してくる。

 どうやらまだ現実を理解できていないのだろう。

 それなら仕方がない――



「ああ、分かっているつもりだ。その上で言うがな――――俺はお前みたいな甘ったれが一番キライなんだ」

「っ……」


 ――俺は月乃をここで切り捨てると、そう決めた。



 ◇◇◇◇



 月乃は円城寺の言葉に、一瞬たじろぎ、額に汗が滲み出す。

 今まで優等生としてやってきた月乃にとっては、ぶつけられたことのない言葉だったからだ。


「い、今、私のことを甘ったれって言った? キライって言ったの? あ、あんた、一体何様のつもりよ! ……きゃっ!」


 その瞬間、何か、《《得体のしれない強大な力》》が月乃の全身を突き抜けた。

 血統者が使う咆哮ハウリングのような威圧感に、月乃は尻餅をつく。

 しかし、それよりもずっと昏く、そして深い、まるで光の届かない海の底に突き落とされたような――――静かな恐怖。

 月乃には、目の前の青年が得体のしれない化け物のように見えた。


「月乃……」

「ひっ……!」


 月乃はその青年に名前を呼ばれ、小さく叫び声を上げる。

 その声の主を見上げると、金色の瞳が闇の中で燦然と輝いているように見えた。

 それは、ひどく冷徹で無機質。

 しかしどうしてか、直視できないほど眩しい、確かな信念を感じたのだ。


「……確かにお前が味わった絶望は本物だろう。だが、それに囚われているうちはお前に真の安息の時は訪れない」

「っ……! し、知ったような口を! あんたに何が分かるのよ!」

「お前はアナクロだからとすべてを諦め、九黎家が望んでいるからという理由だけで、理不尽を受容しようとしている」

「そ、そんなの仕方ないじゃない! 私達に未来はない! あんたもその左腕を失って分かったでしょう? 権力者に逆らえば罰せられる! この世界でアナクロは罪を犯した憎まれて当然の存在……私達はね、不要な存在なの!」


 月乃は、全身全霊で反発した。

 諦めることが月乃が選んだ生き方であり、それしか道はないと思っていたから。

 しかし円城寺はそれを真っ向から否定する。


「いや、違う。俺達はアナクロなんて名前じゃない、"人間"だ。かつてそうだったように、俺達は今も自由だ。だから嫌なものは嫌と言っていい。それに、俺達がいくら嫌われていようと関係ない。ほら――『憎まれっ子世に憚る』っていうだろ? 俺は俺のやり方でこの終末世界で幅を利かせて生きていく、それだけだ」


「なら……ならあんたに何ができるって言うのよ! あんたがこの苦しみから私を解放してくれるわけ?!」


 月乃は精一杯の虚勢を張って見せる。

 突然、目の前に現れた圧倒的な存在を前に、どうしていいかわからなかった。

 ただ、心は揺れていた。

 まるで凍りついていた心が、解きほぐされていくように。


「――そんなの知るかよ、自分で考えろ」

「……っ」


 突然突き放され、月乃は動揺する。

 まるでジェットコースターのレールが途中で途切れたかのよう。


「……だが確実に言えるのは、お前が味わった絶望を、苦しみを"薄めてやる"ことはできるってことだ」


 落ちていくだけかと思ったその時、再びレールがつながる。

 その言葉で月乃はすべてを理解した。


(……そっか。円城寺も私と同じなんだ)


 この青年も何かに絶望し、挫折し、苦悩している。

 だからこれほどに、心を揺さぶられる。

 『朱に染まれば赤くなる』ではないが、目の前の冷徹に見える青年のそれは、月乃の悩みを包みこんで余りあるほどに深い"黒"。


(一体どれほどの経験をしてきたらこんなに……)


 青年の大きな闇に溶け込んでいくような感覚に、月乃はこれまで感じたことのない安心感を覚えた。

 それと同時に、この青年が何を考えているのか、ひどく気になり始めたのだった。


「……あんた、これから一体何するつもり?」

「それは……内緒だ」


 円城寺は、人差し指を唇の前に突き立てる。

 どうしてだろうか、その仕草が、月乃の心をざわつかせた。

 教えてくれないのは少し残念だが、それでもいいやと思ってしまう。


「立てるか、月乃?」

「……え、ええ」


 月乃は円城寺が伸ばした手を取る。

 男子にしては、きめ細かい柔らかなその手から確かなぬくもりを感じた。


(殺気は、私にあんなに冷たいことを言ったくせに……)


 月乃はふとそんな事を思う。

 手を離すその瞬間、どうしてか名残惜しい気持ちになった。


「明日の探索実習、生き残れよ?」

「ふ、ふん、誰に言ってるのかしら! あんたこそ、せいぜい死なないように気をつけることね」


 月乃は少し舞い上がったように言葉を返す。

 棘のある言葉になったことに、自己嫌悪に陥ってしまう。


「ははっ、余計なお世話だったな」

「……っ」


 円城寺は何が面白かったのか朗らかに笑った。

 そのはにかんだような笑みを見たら、どうしてか月乃は動機が激しくなる。

 顔が上気し、ゆでダコのように真っ赤に染まる。


「どうした月乃、具合でも悪いのか……?」

「なっ、なんでもないわ!」


 月乃の様子を見て円城寺が心配そうに顔を覗き込む。

 しかし急に恥ずかしくなった月乃は、とっさに近づいてきた円城寺を突き飛ばしてしまう。


「あっ……ち、違うの! 本当に大丈夫だから」

「? そうか。ならもう遅いし、ここらでお開きにしようか」

「……え、ええ、そうね」

「……それじゃ、おやすみ月乃」

「……お、おやすみなさい、円城寺」


 月乃はその場で固まったまま、円城寺を見送る。

 円城寺は、挙動不審な月乃を不思議そうな表情を浮かべながら、男子寮に戻っていった。


「はぁぁ……」


 月乃は円城寺が消えた後、盛大に溜息をつく。

 それは安心感からくるため息だった。

 どうしてか今の状態の月乃をこれ以上、円城寺に見られたくなかったのだ。

 今日一日で、自分の世界がガラッと変わってしまったような感覚に月乃は戸惑う。


 目に見える景色が、鮮やかに色付いたような劇的な変化。

 根拠はないが、この胸の高鳴りは、何か好ましいものだと伝えていた。


(私、一体どうしてしまったの……?)


 月乃は一人夜風に当てられながらも、しばらく体の火照りは治まらなかった。

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