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第7話 アナクロたちの夜

 ◇◇◇◇


 その日の夜。


 男子寮コモンスペースには、クラスの男子が全員集まっていた。

 『アナクロ生殖禁止法』に基づき、男女の生活空間は分けられており、日中の間しか女子と触れ合う機会はない。

 一夜の過ちが起きる心配はないのは難点だが、男同士というのも悪くない。


「それでは俺達の卒業と、この愛すべき馬鹿な同志の生還を祝って乾杯だ〜!」

「「乾杯〜!」」

「……」


 ラガーマンのような青年が乾杯の音頭を取る。

 この場にいた男子生徒全員がそれに続いた。

 俺は、ムサい男共に肩を抱かれながら決起集会に参加していた。


「……これは皆が用意してくれたのか?」


 目の前にはパーティ料理にスナック菓子、エールなんかが置かれている。

 この終末世界では、アナクロに対する法は基本的に存在しないのでお酒も飲めたりする。


「男子全員でカンパしたんだよ。明日のために英気を養うってことでね。円城寺は今回の主役だからな」

「悪いな」

「いいさ。……お互い明日の命がどうなるかわからない身の上だ。今はこの時を存分に楽しもう」


 西三河沖亮にしみかわ おきすけ

 クラスで一番のイケメンは少し寂しそうな笑みを見せる。


「ああ」


 俺は西三河と拳をぶつけ合った。

 クラスの女子からも人気は高いし、何度か告白されたこともあるらしい。

 同じ男として羨ましい限りだが、恋愛すら禁止されているので女性関係は一体どうしているのかは気になる。

 こんな世界だ、すべてを捨てて禁断の愛の逃避行に走るのも一つの手だ。


「円城寺!」

「相変わらず湿気た顔してんなぁ、円城寺!」


 次は、二人のお調子者の凸凹コンビが話しかけてくる。


「お前はもっとつまんないやつだと思ってたが、あの執行官に一歩も引かないなんてな、見直したぜ!」


 男子の中では高杉くんに続いて身長が低く、坊主頭の男子生徒が俺の背中をバシバシと叩く。

 塚田諒太つかだ りょうた、クラスのお調子者だ。


「俺も勇気をもらったぞ円城寺! だから今度の探索ではガッツリ稼いで、伊桜租界に存在する『風俗』とやらに行くことにしたぜ!」


 お調子者の二人目、酒巻健太さかまき けんたが聞き捨てならないことを言う。


「え、風俗あんの?」

「ああ、実は伊桜租界にはあるらしいぜ……まぁ合法じゃない分、結構するらしいけどな」

「その話、詳しく……!」

「ふっ、円城寺お前もいける口か……」


 俺は酒巻の話に耳を傾けた。

 どうやらこの世界にも希望はあるらしい。


 ――アナクロの男は、生殖行為を許されていない。


 その事実を初めて知った時、俺は絶望した。

 セックスは十五歳の男にとっては、最大の関心事である。

 生物の三大欲求の内の一つを封じられてしまったらどうなるか。


 ――男色に目覚める連中が出てくるのだ。


 別に性的マイノリティを悪く言うつもりはないが、問題は、「俺自身」がいつ目覚めてしまってもおかしくない状態にあることである。


「ちょっと酒巻くん、円城寺くんに変なこと吹き込まないでくれる?」

「……」


 俺の右腕を掴んで引き剥がす存在がいた。

 もはや条件反射のように、下半身に血液が凝縮していくのを感じる。

 そう、高杉くんである。


「おいおい、高杉、お前も男ならわかるだろぉ〜」

「だ、だめだよ! 円城寺くんは僕の……お、恩人なんだから!」


 そう言って高杉くんはぎゅっと俺の腕を握りしめる。

 高杉くんの体は、ごつごつしていなくてしなやかで柔らかい。

 それが俺の生物的な感覚を鈍らせる。

 今ではこうして触れ合うだけで、おっ勃つようになってしまった。

 もはや末期である。


(風俗か……)


 高杉を襲ってしまう前に、早くなんとかしないと。

 そんなアホなことを思っていると、別方向から声がかけられる。



「……はっ、執行官に歯向かって負傷したくらいでヒーロー扱いたぁ、めでたい連中だな」



 棘のある言葉を投げかけるのは、ソファーの一つにどっかりと腰掛け、優雅に座ったロン毛の男。

 ――鬼塚時雨おにづか しぐれ

 皮肉屋な性格で、成績自体は中の上くらいだが、どこか達観したような物言いはたまにハッとさせられるところがあり、おそらく地頭が良い。


「鬼塚くん、そんな言い方はないんじゃない? 円城寺くんは僕達アナクロの未来のために立ち向かったんだよ」

「あぁん? 高杉、お前は頭は悪くなかったと思ったが……。お前は、いつからそんな『赤旗の残党』みたいなことを言うようになったんだぁ?」


 鬼塚は胡乱な目つきで様子で突っかかってくる。

 その息は少し酒臭かった。

 おそらく酔って気が大きくなっているのだろう。


 ――赤旗。

 三十年ほど前、「最後の総理大臣」と呼ばれる高椿彦摩呂が発足させた「人類補完軍」の俗称。

 当時、「アンチ血統者ブーム」が起こり、血統者の権威の拡大を阻止しようとする動きが目立ったという。

 高椿は「旧人類の復権」を公約に掲げ、政権を奪取すると、『人類保護法』と称して、当時「対ダンジョン政策」の中核を担っていた九黎家からあらゆる権利を剥ぎ取っていった。

 対立がピークを迎えたときに、誕生したのが「人類補完軍」である。

 この世界で教えられた歴史では九黎家にこっぴどく敗北したらしいが、その残党は今も各地に潜んでいるという噂だ。


「赤旗とは違うよ……。アナクロか血統者か、どちらか一方が滅ぶんじゃなく、僕達は共生する道を模索するべきだ」

「ははっ、おもしれぇ事を言うな。……だがな、俺達アナクロが血統者とわかりあえる未来なんて永遠に来ねぇよ……!」

「……うッ」


 高杉くんはガンッと壁に押し付けられた。

 力では体格の良い鬼塚には敵わない。


「夢見がちなのは一向に構わないが、俺達を巻き込むんじゃねぇぞ。そこのやつみたいに左腕を落とされたらたまらねぇからな。なぁ淡嶋? お前もそう思うだろう?」


 鬼塚はそう言って彼の背後で使用人のように立っている、背の高い気弱そうな青年に視線を向ける。


「う、うん……僕もそう思うよ」


 鬼塚に従うのは淡嶋瑞希あわしま みずき

 体が大きく、成績優秀、運動神経もあるのだがどこか自信がなさそうに見える。

 そのせいかスペックに反して、鈍重なイメージがつきまとう。


「チッ、相変わらず冴えねえやつだな。もう少しシャキッとしろよ」

「あ、ああ。ごめん時雨」


 悪態をつく鬼塚に対し、淡嶋は申し訳無さそうに謝罪する。

 二人はなんだかんだいつも一緒にいるので、仲は悪くないのだろう。


「せいぜい頑張れよ。まぁその様子じゃ、明日生き残れるかどうかも怪しいがな……」


 そう言って鬼塚は、取り巻きを引き連れて自室に戻っていった。

 なかなか見どころがありそうだが、神田同様、何かしら抱えていそうな雰囲気を感じる。


 ◇◇◇◇


 宴もたけなわとなった頃、コモンスペースには同級生が多数酔いつぶれていたので、後始末をしてから、連中を寝室へ放り込んだ。


「むにゃむにゃ……えんじょうじくん……」

「っ……」


 高杉くんの安らかな寝顔を見て再び精神をかき乱された俺は、外の空気を吸いに非常階段に出ることにする。

 普段は施錠されているので、外には出られないのだが、俺はすでにスペアキーを作ってあるので、気分転換をしたいときにはいつもここへ来るのだ。


 ただ、いつもは閉まっているその扉が、今日はなぜか開いていた。

 そしてドアを開けたその先の踊り場で俺は、予想外の人物と遭遇することになる。


「あ?」

「げっ……円城寺!」


 そこにいたのは黒髪の美少女、月乃だった。


「月乃、お前こんなところで何してん……むぐっ!」

「シーっ!」


 俺は月乃に手で口を塞がれ、欄干に背中を打ち付けられる。

 眼下にはまばらな東京の夜景と、遠くに二柱の巨大な摩天楼が見えた。

 視線を月乃に戻せば、唇の前に人差し指を立てている。

 静かにしろ、ということか。


「……なにしてんの?」


 俺は月乃の意向通り、小声で話しかける。

 月乃は逡巡した後、理由を話し始める。


「……私のルームメイトが毎晩、長時間部屋を抜け出していてね、……不思議に思って追いかけたらいつも非常階段に出ている事がわかったのね。それで今日は真相を突き止めようとここで張り込んでいたのよ」

「……なるほど、それで理由はわかったのか?」

「……あれよ」


 月乃が指さした先は下のフロア、そこには二人の男女が身を寄せ合うようにして階段に腰掛けていた。


「……あれは、西三河か? それと……」

「……雛森さんよ」


 階下にいたのは、クラス一のイケメン男子である西三河沖亮と、こちらも顔立ちが整っていて発育の良い少女、雛森麦であった。


「……なるほど、あの二人できていたのか」


 西三河のやつ、ずっと隠していたのだろう。

 やはり隅に置けない男である。


「……アナクロ同士の恋愛は許されない。……別れさせないと」


 月乃はスッと光を失ったような瞳をして立ち上がった。

 俺は、慌てて月乃を引き止める。


「……ちょ、待て、落ち着け月乃」

「……どうして止めるの円城寺? あんた、これがどれほど罪深いのかわかってないの?」

「……お前の言い分はわかるが、そっとしてやれ。明日は探索実習だし、恋人同士積もる話もあるだろう」

「……はぁ? そんなの関係ないわ。これ以上止めるならあんたも同罪よ?」

「……いや、だがなぁ。流石に無粋だぞ月乃」

「……ぶ、無粋……? この私が……無粋……」


 月乃はぺたんとへたり込んで女の子ずわりを決める。

 なにかショックを受けたように「円城寺なんかに、無粋って言われるなんて……」とぶつぶつと怨念のように呟いていた。

 流石に恋人同士を引き裂くような真似をすれば、馬に蹴られて死んでも文句は言えないだろうからな。


「沖亮……私……怖いよ」

「麦……。大丈夫だ、きっと何事もなく終わるさ」


 下の階から二人の声が聞こえてくる。

 怯える彼女を彼氏が背中を擦ってあげている場面だろうか。

 明日が探索実習であることを考えれば、怯えるのも無理はない。


「嘘だよ……! 私のお父さんとお母さんは、私を逃がすために囮になって異形に殺されたのよ……! 思い出すだけで私……私…………っ」


 雛森は、今にも取り乱しそうになっている。

 西三河は、ここぞとばかりに抱きしめた。


「大丈夫だよ、麦は必ず俺が守って見せる」

「うぅ……沖亮……沖亮ぇ……!」


 二人はお互いの胸の穴を埋め合うように抱きしめあった。

 俺達アナクロは、皆何かしら失ってやってくる。

 隣で悲しそうな表情で見つめる月乃も、きっと何か、埋まらない胸の傷を抱えているのだろう。

 そんな事を思っていると、二人の間に甘い空気が流れ始める。


「沖亮……」

「麦……」


 二人はどちらからともなく、キスをした。

 西三河は男子としてリードするように。

 雛森は最初は緊張していたが、恋人のぬくもりに次第に体がほぐれていったのか、やがて西三河にすべてを委ねるように、唇を重ね合わせる。


「んむっ……麦……麦…………んむちゅっ……」

「むちゅっ……沖亮……沖亮っ……!」


 二人のキスは次第にエスカレートしていき、舌を絡み合わせ、糸を引くような濃厚な行為に発展していく。

 それを見ていた俺と月乃はというと……。


「……別れさせないと」


 月乃はまるで夫の不倫を目撃した妻のように、瞳に暗黒を宿して立ち上がる。

 そして階段を降り始めた。


「……待て待て待て!」


 俺は月乃を右腕で羽交い締めにするように止める。


「……離して円城寺! 私は委員長として二人の……むぐっ!」


 月乃の声が大きくなり始めたので、俺はその口を手で塞ぐ。


「……むー!」

「……落ち着け月乃。二人はまだキスしただけだ」

「……キスしたのよ! 超えてはいけない一線を超えたわ!」

「だが、セックスしたわけじゃない」

「セッ……?!」


 月乃の顔が真っ赤に染まった。

 セックスという言葉に反応するあたり、思春期の少女らしい。


「……そうだ、アナクロ生殖禁止法はセックスを禁止する法であって、恋愛自体はグレーゾーン。おそらく二人もそれがわかっているだろう」

「……っ!」


 月乃は悔しそうに顔を歪め、しゅぅぅと湯気が出るかのように真っ赤に染まった顔は鎮火した。

 そして俺の予想通り、階下の二人は一時的に盛り上がりを見せたが、そこから先には発展することはなかった。


「それじゃ……また明日。おやすみ、沖亮」

「ああ、おやすみ麦」

「……沖亮!」


 雛森は立ち去ろうとする西三河を呼び止める。

 どうしても一抹の不安が拭えなかったからだ。


「どうした、麦?」


 ただ、そこからかける言葉が見つからない。

 これ以上西三河に迷惑をかけたくなかったからか、あるいは自分の感じた不安の言語化ができなかったからかもしれない。

 それ故に麦は――――口をつぐんだ。


「……ううん、なんでもない。おやすみ」

「ああ、おやすみ」


 二人は、少ししこりを残したまま別れることになった。

 沖亮が階段を登り始める音が聞こえてくる。


(まずいな、このままじゃ鉢合わせする)


「おい、月乃俺達も行くぞ」

「……円城寺のくせに……円城寺のくせに……円城寺のくせに……」


 月乃はこわれたロボットのように、ブツブツと怨念を唱えている。

 だめだ、正気を失っている。

 俺は、ええい、ままよと、月乃を右腕で抱え込んだ――――


 ◇◇◇◇


 ガチャリ。

 俺は男子寮の更に上の階で、西三河が非常階段から戻っていくのを見送った。


「ふぅ、なんとか見つからずに済んだな」

「……降ろして」

「あ、ああ。すまん」


 俺は右脇に抱えた月乃を下ろす。

 月乃は階段の欄干に手をかけ、東京の街を見下ろした。

 その視線の先は――北東京。

 荒川を挟んで北側は、明かりはなく茫漠とした暗闇が広がっている。



「ねぇ……私達って一体なんなの?」



 月乃はこちらを振り向いて言った。

 その表情はどこか寂しそうで、今にも泣いてしまいそうな幼い少女のように見えた。


「……難しい質問だな」

「……私は生まれてからずっと摩天楼で育ってきたわ。私の両親はふたりともこの千菊租界の出身でね、今は地下の強制労働施設に幽閉されてるみたい」

「そうだったのか」


 千菊家は特にアナクロに厳しい措置を取ることで有名だ。

 アナクロ生殖禁止法に抵触した者は皆、地下労働施設に送られると聞く。


「私は両親の顔を知らない。でも会ったら絶対に言ってやりたい言葉があるのよ」

「……一体、何を言いたいんだ?」


 月乃はこちらを振り返ると、まるで花のように笑っていた。

 それはどこか儚げで、その内側ではどす黒い感情が渦巻いている。



「『――私、血統者に生まれたかった』って」


 それは、月乃が抱えた闇が垣間見えた瞬間だった。




――――

今日は七夕なので二話更新!

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