第5話 美少女委員長に襲われる
放課後、夕焼けに照らされた保健室で、同級生の女子に詰められる。
なんとも憧れるようなシチュエーションであるが、どこか殺伐とした空気が流れていた。
「おかしいって何がだ?」
「ねぇ、なんで……? 頭を下げれば済んだ話だったはずでしょ……?」
月乃は前世で言うところの美少女委員長である。
品行方正、眉目秀麗、成績優秀と全生徒が憧れるような模範的な女子だった。
しかし今はメンヘラ女よろしく、首をこくんと傾けている。
そして、その手にはなぜか『カッターナイフ』が握られていた。
「……そう言われても、俺はただ罰を受けただけだ」
「……チッ」
月乃は舌打ちをすると、まっすぐに俺の方に向かって歩いてくる。
右手に持ったカッターナイフの刃を出したり、引っ込めたりしながら。
「……えっ、ちょ、何するつもり?」
月乃は俺のベッドに飛び乗った。
俺を見下ろすように、ベッドの上、俺にまたがるように仁王立ちしている。
スカートの間から、白の下着がちらりと見えていた。
「あの、月乃さん?」
「あんたさ、何様のつもり?」
そう問いかけた月乃の瞳には深い闇が広がっていた。
一度覗き込めば、吸い込まれてしまいそうな深い闇だ。
「何様って……俺は俺だが?」
「アナクロが、血統者に逆らうなんて間違っているわ」
「別に逆らったわけじゃ……」
俺は月乃に弁解しようとしたが、叶わなかった。
月乃は突然ぷっつんと堪忍袋の緒が切れたかのように、表情が豹変し、カッターナイフを逆手に持ち替え、その切っ先を俺に向ける。
そして――
「ん"ぇぇいッ……!」
月乃は本当に、突如として凶行に及んだ。
カッターナイフを、俺の左腕に突き刺したのだ。
「ちょ……」
あまりの思い切りの良さに、血の気が引く思いがした。
しかし奇妙なことに痛みは感じないし、血が溢れる様子もない。
俺は無言で月乃の瞳を見つめる。
「あんた――――左腕を落とされたのよ? どうしてそんなに平然としていられるの?」
「……」
月乃はスカスカの俺の左袖から、カッターナイフを引き抜きながら言った。
血が出ないのはそういうことだ。
俺の左腕はすでに根本から――断ち切られてしまっていたのだ。
「あんたさ、頭、イカれてるんじゃない?」
「……」
月乃の言葉に思わず苦笑いが漏れる。
内心「どっちがだ」とつっこみたくなったが、今度こそ肉を断ち切られてしまう気がしたので口には出さない。
俺は、先程の粛清での出来事を思い出していた――――。
◇◇◇◇
『ハァ……ハァ……、かフッ……』
刀の柄で殴られ始めてから十分以上が経過した頃。
最初はせいぜい十回程度打たれるだけだろうと眺めていた生徒たちも、だんだんと様子のおかしさに気づき始めていた。
俺は口に血の塊をペッと吐き出す。
『ハハッ、どうしたアナクロのガキ、もう限界か?』
『ガフっ!……ぐぁっ……!』
菊川はどこか楽しそうに刀を振り続けている。
血統者というのはその強さゆえか、アナクロとは比較にならないほど凶暴性が増す。
ダンジョンの異形と戦う以上力こそ正義であり、それ自体は好ましいことと考えられている。
血統者の打撃を何度も受ければ、普通であれば骨は砕け、立っていることすらままならなくなる。
故に、菊川は立ち続けている俺を見て違和感を覚え始めていた。
『お前、なぜ倒れない……?』
執行官菊川は、訝しそうに俺を眺めて言った。
『……ハァ……今にも倒れそうですよ。執行官殿が意識を刈り取ってくれれば、話は早いんですけどね。ハァ……ハァ』
『……』
菊川は俺の言葉に目を細めた。
俺はさっさと終わらせてくれと言外に告げたのだが、どうやら挑発しているように思われてしまったらしい。
「お前……ムカつくな」
「……」
菊川の雰囲気が変わった。
先程から、俺を痛めつけるためだけに刀の柄で殴りつけているのはわかっていた。
俺の意識を刈り取らないようにじわじわと痛めつけているのだ。
『その目だ……。お前のその目はひどく癪に障る。なぜやめてくれと懇願しない? なぜ絶望しない? なぜ諦めようとしない?』
『……さぁ、なんででしょう』
俺自身、自分がなぜここまで耐えているのかわからない。
血統者の性質上、膝をついて許しを請えばそれで済む話だろう。
しかし、どうしてかここで退くのはためらわれた。
おそらく高杉くんの言葉を聞いたからだろうな。
『もういい――――土下座して靴を舐めろ。そうしたら許してやる』
『……わかり、ました』
俺の頭にはそれほどの価値はない。
頭を下げる程度で済むのならば、いくらでも下げてやればいい。
『ハハッ、恨むなら貴様の馬鹿な親を恨むことだ。せっかく我らが善意で『アナクロ生殖禁止法』を制定してやったというのに、その深遠なる意図を理解せず、愚かにも貴様を産み落とした淫売をな――!』
『……』
男の言葉に、俺はピタリと止まる。
瞬間的に頭が沸騰するような怒りを覚えたが、どうにか抑える。
『ん、どうした? なぜ跪かない?』
『俺、やっぱりやめます』
俺は、にっこりと笑って見せた。
菊川はそれを不気味なものを見るような目で見ている。
心から笑ったことのない人間が笑う時、それは大層不自然に見えるらしい。
『……何?』
『どうやら俺はどうしても嫌なことはできないみたいです。なので菊川殿に頭を下げることはできません』
俺は菊川に淡々と告げた。
菊川はみるみるうちに眉間にシワを寄せ始める。
周囲にいたクラスメイトたちは皆一様に、顔が真っ青になっていた。
特に月乃は苦虫を噛み潰したようにこちらを睨んでいる。
『貴様……執行官である俺に逆らうつもりか?』
『逆らっているつもりはないのですが……まぁとにかく、俺の意思で菊川殿に頭を下げることは金輪際ありません。どうしてもそうしてほしいというのなら、――――力ずくでやってみては?』
ピキリと、菊川の額に青筋が浮かんだのが見えた。
『いいだろう、貴様のその腐った性根を叩きのめしてやる……! "頭を下げろォォ"!』
菊川から"咆哮"が飛んできた。
黎力を乗せた特殊な周波数帯で空気を震わせ、筋肉を硬直させる血統者の技。
ダンジョン内で、雑魚敵の動きを一時的に封じるのに有効なのだとか。
強烈な波動が突き抜け、周囲のクラスメイトたちは恐慌状態に陥る。
(なるほど、これが一級の咆哮か……)
体が少しピリッとするような感覚がするが、そこまでである。
『貴様……俺の咆哮を耐えたな?』
『……』
菊川は表情にさらなる怒りをにじませる。
その目は充血し、瞳孔が開ききっていた。
(不味いな、血統者を本気で怒らせてしまったようだ)
こうなると、少し《《工夫》》をしなければ止まらない。
『上からは、貴様らを殺すなと言われている……。だがそんなのはもういい――粛清だ』
『……まじかよ』
菊川はついに刀を抜いた。
これには、流石に冷や汗が流れる。
刀の刀身は、普段から《《血を吸い慣れて》》いるようで、怪しい赤々と輝いていた。
――赫刀。
ダンジョン由来の現物か、あるいは職人による模造品か。
いずれにせよあの刀は、異形を断ち切る事ができるほどの業物である。
『千菊流一ノ閃――――『鬼鎮め』』
菊川の姿が一瞬にして消えた。
ぎゅるんと眼球が回り、視界の端でわずかに影が動くのを捕捉した。
(……上か)
菊川は俺の真上の天井を足場に、脳天に向けて突き技を放とうとしていた。
千菊の刀術は、『鬼』を殺すために特化している。
自由自在に壁や天井を足場にしながら大物刈る、というまるで忍者か、暗殺者のような動き。
刀の切っ先が、迫っていた。
(これが一級か……まだ少し《《遠い》》な)
俺は半身をずらし、脳天へ直撃することだけは避ける。
腕の一本はくれてやることにした。
ザンッ!
俺の左腕は切断され、焼けるような痛みが走る。
左腕の断面から血が吹き出し、菊川の白の軍服を赤く染めた。
血を浴びた菊川は徐々に、正気を取り戻してゆく。
『ふぅ……ん? 腕だけで済んだのか、どうやら運が良いらしいな』
『くっ……』
菊川はすっとぼけたようにそんな事を言った。
これは血統者の性質のようなもの。
血統者が頭に血が上ると理性を忘れ、血を浴びるまで、バーサーカーのように暴れまわるという。
俺の血を浴びた今では先程とは別人のように、スッキリとした表情をしている。
『もう飽きた……、粛清もいい』
『……』
菊川はつまらなそうにそう言って、刀を柄にしまった。
そしておびただしい血を流す俺を見る。
『腕が痛むようだな。出血だけでも止めてやろうか?』
菊川から先程の殺意が綺麗サッパリ消えていることに、違和感を感じる。
『……いえ、結構です』
『なぜだ?』
菊川は心底不思議そうな顔をする。
アナクロの俺が、腕を切断されて正気を保っているのが不思議なのだろう。
『――痛みや苦しみは……時間が経てば大抵消えてなくなるものですから。消えずに残るものをこそ、私は愛でたいと思っています』
『ほう、では消えずに残るものは何だ?』
菊川は俺の言葉の裏の意図を探ろうとする。
『――怒りですよ』
凪の海のように穏やかトーンとは正反対に、物騒なワードを言う。
これまでの事を受けてきた仕打ちを考えれば、殺気を隠すことくらい訳もない。
『ふん……やはりお前のその目はムカつくな。……まぁいい。せいぜい血統者のために尽くすことだ。尤も、その体でまともに生きていけるとは思えないがな……』
そう言って執行官は、柄に収まった刀を振りかぶった。
俺を昏倒させようというのだろう。
(……菊川伝二、お前は近い内に後悔することになる)
――ここで俺を殺さなかったこと。
――俺の母を「淫売」と罵ったこと。
そして――この俺の名前を聞かなかったことを……。
俺は、菊川が持つ刀が自分の顎を打ち付けるその瞬間まで、その男の顔を目に焼き付けるように眺め続けたのだった。
◇◇◇◇
「……月乃には関係ないことだ」
「……どうしてそう思うの?」
「俺の自業自得だからだ。勝手に喧嘩を売って勝手に負傷した、それだけだ」
月乃とこれ以上関わるつもりはない。
いきなりカッターナイフで切りつけてくるような女だ、できる限り距離をおいておきたい。
「それは、あんた達を報告したのが――――私だとしても?」
月乃は自分が密告者だとカミングアウトしてきた。
予想したとおりだったが、俺は月乃の言葉の意図を考える。
「……月乃は当然のことをしただけだ。体制批判は密告するのが正しい」
「ええそうよ、間違ってるのはあなた達で、私は常に正しい。でも、怒りをぶつける権利くらいはあるわ」
もしかして罪悪感を感じているのだろうか。
月乃は少ししおらしい表情を見せる。
「……いや、俺がその感情を向けるのは……月乃、お前じゃない」
どちらにせよ月乃を罵ったところで何かが良くなることでもない。
そう思って責めることはしなかったのだが、何か期待外れだったようで月乃は、「はぁ」とため息をつく。
「あっそ……ならこれに懲りたら、これ以上余計なことしないで。あんた達のせいで私の将来に傷が付いたら……絶対に許さないから!」
月乃はそう捨て台詞を吐く。
――強い執着、何がそこまで月乃を駆り立てるのか興味が湧いた。
とはいえ踵を返した月乃の背中は、どこか危うく見える。
少し小言を言うべく、俺は、月乃を呼び止める。
「月乃、血統者をあまり過信しないほうがいい。見た目は俺達と変わらないが、中身は別物。その本性は凶暴にして――陰湿だ」
「ふん、嫉妬は見苦しいわよ円城寺、私が血統者様に気に入られるのがそんなに嫌なのかしら?」
「いや、お前が心配なんだ」
「なっ……!」
月乃は顔を真赤にして固まった。
「血統者のハーレムに入るのはやめておいたほうがいい、奴らは何をするかわからないからな」
「ふ、ふん、余計なお世話よ。私ほどに危機管理意識が高い人はいないし、危ない血統者様には近づいたりしないわ」
「……本当に気をつけてくれよ」
総統府が定めている『血の濃縮』という施策では、血統者がハーレムを作ることが推奨されている。
しかし、ハーレムに入ったアナクロの女が失踪したり、ひどい状態になって戻ってくることが頻繁に起こっている。
故に、血統者とも接点がありそうな月乃は、割と危険な状態にあると踏んでいた。
「円城寺、あんたこそ気をつけることね! 今度の『探索実習』の参加は必須よ。どれほど負傷していても参加義務があると要項に書いてあるから、あんたも強制参加させられるわ」
「そうか、教えてくれてありがとう。月乃は案外優しいんだな」
「〜〜ッ! そういうのマジでうざい!」
月乃は反抗期の娘のように、俺にそう吐き捨てると足早に治療室を出ていった。
「……うざい、かぁ。やっぱり年頃の女の子は難しいな……」
治療室に一人残された俺は、力なくそう呟くのだった。