第4話 クラスメイトを手籠めにする
『本当に、可愛くない子……』
女性の声が聞こえた気がした。
冷たく突き放すようなトーンにもかかわらず、どこか懐かしさを感じさせる。
昔から愛想のない人間と言われてきた。
他人に興味がなく、自分自身にも興味がない。
強いて言えば、興味があったのは飯くらいだろうか。
そんなわけでプライベートや職場では人付き合いは希薄、ついた渾名は「鮫男」だった。
笑うと歯が鮫のようにギザギザしていて不気味だったからか、あるいは「付き合うだけ損」の意味で、触れるものを傷つける「鮫肌」から取ったのかもしれない。
……進んで人を傷つけたことはないんだがな。
少し寂しさを覚えたのは事実だ。
かといって悪意に真っ向から食って掛かるほどの反抗心があるわけはなく、病んでしまうほどの繊細さを持ち合わせていたわけでもない。
ただ、笑うことも、泣くこともできなくなった男が一人、孤独を極めたというだけである。
衰退していくだけの社会、蔓延する貧困、歪んだ正義の衝突、俺の最後の年はそういう年だった気がする。
同僚からは仕事を押し付けられ、ひたすら残業をする毎日。
このときの俺は、ただ「耐える」だけの日々だった。
何かを「甘んじて受け入れる」ことが賢いことだと思っていたのだ。
そんな俺が、異世界に転生……ではなく、未来の日本に転生してしまったなど、一体何の冗談かと思ったものである。
きっかけは何だったか、原因はわからない。
過労死、病死、あるいは交通事故か……体は頑丈だったから正直、どれとも考えづらい。
――――俺が死んだのは2025年の7月10日、三十二歳の誕生日。
それだけは覚えている。
転生したからと言って、何かが劇的に変わるわけではない。
俺の中身はそのままだし、この終末世界での生活は前世以上に過酷だった。
かつての日本はすでに滅び、八十年後の世界が、異形が闊歩するような世界になっていたなんて聞いていない。
……十五年、この世界で過ごしてきた。
俺はこの終末世界で多くの事を学び、それと同じくらい大きなものも……失った。
おそらくその過程で、俺の中で何かが明確に変わってしまった。
耐えるだけではいけない、本当に大事なのはその後、「何をするか」だ。
俺は、行動自体が感情に由来するのだと初めて知った。
唯一、俺が自覚することのできる感情、それは――――。
◇◇◇◇
「知らない天井……」
……というのは嘘だ。目を覚ますと、俺は治療室にいた。
体を動かそうとすると、節々に激痛が走る。
どうやら全身に包帯が巻かれているようだ。
(……あ?)
体の状態を確認していくと、一箇所感覚がない事に気づいた。
動いている気がしない、というかこれは……。
「……あの野郎、容赦ねぇな、くそ」
発声してみて、顎の骨も折られていることに気づく。
おそらくはその一撃で昏倒させられたのだろう。
「あぁぁ! 円城寺くん! よかったぁ、目が覚めたんだね!」
「うごぉぉっ! 死ぬ死ぬぅ〜〜」
馴染み深いハスキーな少女ボイスの少年が、抱きついてくる。
バキバキに折れた肋骨が圧迫され、呼吸困難に陥った。
「あっ、ご、ごめん、病み上がりなのに……」
「あ、ああ」
病み上がりというか、現在進行系で苦しんでるのだが。
「体は大丈夫? いや……大丈夫なわけ、ないよね」
「……まぁ、少し手ひどくやられたが、生きているだけで十分だ」
俺はそう本心で言ったつもりが、高杉くんには強がっているように映ったのだろう。
高杉くんは、みるみるうちに顔を曇らせる。
「ごめん、円城寺くん……僕のせいで、こんなことに……!」
「……いや、高杉くんは何も間違ったことは言ってない。間違っていたのは俺の方だ」
「うぅ……でも円城寺くんは今こんなひどい目にあってるじゃないか。僕のせいだ……僕のせいで、こんな……!」
高杉くんは《《俺の体の一部》》を見て、堰き止めていたものが溢れ出したかのように涙を流し始めた。
(ありゃあ)
俺の胸で泣き出してしまった高杉くんの頭を右手で撫でる。
病院服は、涙と鼻水でズビズビになってしまっている。
どうやら今回のことに相当責任を感じているらしい。
(少し荒療治になるが、試してみるか)
俺の今後を考えれば、ここで「折っておく」のも悪くない。
それに悩める少年を導くのも大人が果たすべき責任だろう。
「高杉くん、もう一度言うが……君の考えは何も間違っていない」
「でも、でもぉ……!」
「ただ、今のままでは君にアナクロの未来を変えることなど不可能だ。――"正しい"だけじゃ何も変えることはできないよ」
「……ッ」
「君がなぜそこまでダーウィンズ=ロウの肩を持つのかはわからない。だが、この世界は九黎家が支配している以上、俺達アナクロが何を訴えたところで今回のように力で潰されて終わりだ」
「ッ、そんなことは……! ……ぅう……円城寺くんの言う通りだ。……僕達には血統者に抗うことなんてできない……。僕達は――――"無力"だ」
高杉くんは力なくうなだれた。
まるでこの世のすべてに対して絶望してしまったかのように。
(ふむ、悪くない……)
俺は、俯いた高杉くんのつむじを眺めながらそう評する。
血統者という強大な存在を目の当たりにし、自分の非力さに絶望し、アナクロという旧人類の悲観的な未来が現実的になり、打ちひしがれてしまったのだろう。
自分ではなく、クラスメイトが犠牲になったというのも大きい。
ただここでしっかりと折れることは、高杉くんにとって必要なことだった。
俺に対し、こうして責任を感じていることもまた、好都合。
だから俺は――ここで一本の糸を垂らしてやる。
「――ただ、アナクロが生き残る方法がないことはない」
「っ……! そ、それは一体……?!」
食いついた……。
正直、荒唐無稽な話であるし、信頼できる人間にしか話せる内容ではない。
今回、高杉くんの考えがしれたことで、俺自身が情報を共有できる相手だと判断することができた。
故に、満を持して俺は尻に挟んでいた禁書を提示することができる。
「――これだよ」
「そ、それって僕の禁書! ……もしかして、ずっとお尻に挟んでたの?!」
「ああ、流石に意識を失ったら力が弱まるから、生尻で挟ませてもらったがな」
「うぇぇ! か、返してよ……! ああもう、汚れとかついてないかなぁ……」
高杉くんは拒絶反応を示しながら俺から禁書を奪い取ると、状態を見てチェックしたり、匂いを嗅いだりしていた。
失敬な、俺だってちゃんと尻くらいきれいにしているというのに。
「……それで、この本が何の役に立つっていうの?」
先程までの陰鬱なムードはなく、高杉くんはムスッと頬を膨らませながら、ぐいっと体を寄せてくる。
きのこ風のショートボブが揺れ、ふわっと、花の香がした。
もう午後の時間だと言うのに、男臭さを微塵も感じさせないとは驚きである。
「その前に一つ聞かせてくれ、この本『種の起源・ダーウィンの進化論』は、高杉くんのものなのか? おばさん教諭は禁書庫にあったって言っていたけど」
「おばさん教諭って、豚宮先生でしょ……。その本は僕の物だよ。ここに連れてこられたときに、奪い取られて禁書庫に入れられちゃったんだ」
「なるほど……それで禁書庫に侵入して取り返したと」
「うん」
禁書庫は俺も侵入したことがあるが、結構厳重だったはずだ。
高杉くんもなかなか根性がある。
「総統府が禁書認定している本はいくつかあるが、特に多いのは――"進化にまつわる本"だ」
「進化?」
「ああ。ところで高杉くん、血統者の始祖『天黎人』についてはどれくらい知ってる?」
「えっ、どうかな。カリオン・ターナー博士が、研究の末に生み出したとしか教えられてないから……」
高杉くんは自信なさそうに答える。
それは俺にとって求めていたリアクションそのものであった。
「そこだよ、高杉くん。天黎人は確かにダンジョンを退けた英雄としてもてはやされているが、実際、どこからどうやって現れ、どうして黎力なんていう超常の力を操れるのか、全く知らされていない。それどころか最近では博士が神の使いだなんていう言説を広めようとしている。おかしいとは思わないか?」
「た、たしかに……!」
高杉くんは、ハッとしたように顔を上げる。
総統府の考えはわからないが、明らかに宗教体系に納め、アナクロがいたという歴史すらなかったことにしようとしている節すらある。
「つまりだ……。禁書認定された本というのは、天黎人や血統者たちにとって何か――――『都合の悪い事実』が隠されているんじゃないか?」
「っ……!」
高杉くんが息を呑む音が聞こえた気がした。
その様子を見て、俺の話を信用してくれたことを悟る。
「……それじゃ禁書を研究すれば、何か糸口がつかめるかもしれないってことだよね! すごいよ円城寺くん! ……で、でも円城寺くんはどうしてこんな大事なことを僕におしえてくれたの?」
「高杉くんの言葉に心を動かされたからだ」
俺はプロポーズのように、高杉くんの右手を取る。
「えっ?」
「俺は諦めていた……おばさん教諭の言う通り、何もかも諦めて生きるのが賢い生き方だって思っていた。……でもそうじゃなかった。高杉くんの言葉を聞いて目が覚めた。俺達だって自分らしく生きていいんじゃないかって」
「う、うん。あと豚宮先生だね」
「アナクロだからって差別されて、絶滅を許容するなんてあり方は間違ってる、そうだろ?」
俺は高杉くんの目をまっすぐに見て、熱量を演出する。
擬似的なそれであっても、高杉くんの顔は紅潮していた。
まるで最後の琴線に触れたかのように、熱に浮かされ、決意の拳を握る。
「そうだよ、円城寺くん! この世界は間違ってるよ!」
「……お、おう」
感極まったように高杉くんが身を乗り出し、クワッと顔を至近距離まで寄せてきた。
思いの外、強いリアクションが帰ってきて俺はたじろぐ。
「アナクロは、異形と戦えないっていう理由で嫌われて、疎まれて、子どもを作ることだって許されない。でもさ! この千菊租界は、アナクロなしじゃなにもできないんだよ! 食料生産や、この都市機能の維持だって、全部アナクロの力で成り立ってる。それなのに血統者たちは、そんなあたり前のことすらわかっていない……。だから、僕達はちゃんと主張しないといけないんだ! 僕達は、何も持たない存在ないじゃない、この世界に必要な存在だって!」
「……」
「アナクロの皆も諦めたように生きる必要はないんだ。アナクロは……僕達だって、
――――普通の幸せを目指して、生きたっていいんだよ」
高杉くんの言葉は、俺の胸にスッと入ってくる。
このまま祈りを捧げたくなるような、聖母のような優しい表情だ。
「……でも、今のままじゃ僕は口だけのただの迷惑者だ。だから円城寺くんの指示に従うことにする」
「いいのか?」
「うん、僕は――円城寺くんの左腕になる。……だからその……こ、これからも側においてくれないかな?」
「……っ」
高杉くんは、俺に向かって上目遣いをした。
その仕草に俺は少し、ドキッとしてしまう。
男の部分が刺激され、カチンと芯が入るのを感じた。
(落ち着け俺……、高杉くんは男だ……、男……だよな?)
高杉くんの眼鏡越しの長いまつ毛に大きな瞳、それと潤んだ唇を見ていると、自分の認知機能が怪しくなってくる。
「んん……! わ、わかった。これからは行き過ぎた言動には気をつけるように……! それと今後は、俺の指示には従ってもらう、いいな?」
「うん!」
高杉くんは全服の信頼を寄せるかのように返事をする。
これで高杉くんを自身の支配下に置くことに成功、これからは俺の手足となって動いてくれるだろう。
(これから俺が為すことを考えれば、人手は必要だからな……)
そんな俺の思惑とは裏腹に、高杉くんは花のような笑みを見せている。
悪い大人に騙されているというのに、純粋なことである。
(というかそれよりも、本当に男、なんだよな……?)
これまでの高杉くんの言動から新たに芽生えた疑念に、俺は頭を悩ませるのだった。
◇◇◇◇
それから何人もクラスメイトが見舞いにやってきた。
どうやら人ごとに感じなかったらしく、皆、心配を口にしていた。
これほど人に囲まれて過ごしたのは、生まれて初めてだったので少し驚いたが、これまで交流がなかったクラスメイトたちとも話せて、いい気分転換になった。
……中には久しく感じたことのない、《《背筋が痺れるような情報》》を提供してくれる者までいて、少し肝が冷える思いもした。
「……なかなかユニークな連中が紛れているようだ」
俺はそいつに手渡された《《一枚のメモ》》を右手でくしゃりと握りつぶす。
再び手を開くと、メモだったものは――《《跡形もなく》》なっていた。
「疲れたな……」
慣れない会話をしたからか、あるいは執行官の男に重症を負わせられたからか。
疲労から睡魔が訪れ、本日の受付は終了、と店じまいをしようとした矢先、治療室に予想外の来客があった。
窓から差し込む西日が、少女のシルエットを形作る。
「月乃か……」
俺のよく知る長い黒髪の少女が、入口近くの壁にもたれかかっていた。
――月乃瑠奈。
クラスのマドンナには、いつものような溌剌とした表情はなく、どこか影を落としながらこちらを睨みつけていた。
「円城寺……あんたさ、頭おかしいんじゃないの?」
貶められて喜ぶような癖はない。
ただ強い意思を宿したその瞳は、どこか俺好みの――"怒り"の色に染まっていた。