第2話 アナクロ
俺のディストピア生活も、今年で十五年目を迎えた。
『摩天楼』と呼ばれるこの巨大な塔での生活にも慣れてきたところである。
不味い固形食、共同のシャワールーム、謎の血液検査、そしてなにより極端に娯楽の少ない味気ない日々。
かつての時代を生きた俺にとっては、生き地獄に等しい。
……が、この程度はまだ許せるレベルであり、ディストピアがディストピアたる所以は別にある。
そしてそれは、『アナクロ』と呼ばれるようになった俺達旧人類が、過去に引き起こした《《過ち》》の代償なのだという。
―――2025年、ダンジョンと呼ばれる時空の穴が出現し、世界は一変した。
原因は不明。
"異形の化け物"がダンジョンから溢れ出し、人々を襲い始めたのである。
強靭な肉体、底なしの凶暴性を備えた"異形"を前に人は選択を迫られた。
――逃げるか、交戦するべきか。
ある者は現代兵器で応戦し、ある者は人里離れた山の中に避難した。
結果的に正解だったのは、後者である。
現代兵器にもある程度殺傷能力が認められたものの、際限なく現れる強力な異形を前に、物量戦は無力だったのだ。
アメリカではダンジョン内で核が使われたというが、破壊することは叶わず、ダンジョン内が放射能まみれになったことで、逆に侵攻を難しくする結果となったという。
人類の生存領域は大きく減少し、十年弱で全人口の約90%が滅亡した。
まさに人類滅亡の瀬戸際。
そんな中、とある生物学者が解決に乗り出すことになる。
その生物学者の名前はカリオン・ターナー。
国籍や性別は不明だが、この終末世界においては、ダンジョンの脅威から人類を救った救世主として神のように崇め奉られている。
ターナー博士の研究は"人間の進化"についての分野だった。
博士の最大の功績は、その経緯がどうであれ、108人の新人類『天黎人』を誕生させたことだろう。
――天黎人
『黎力』と呼ばれる超常的な力を持った存在、血統者の始祖。
全員が、若干十五歳ほどという若さの彼らが現れてからというもの、世界中で活躍し、異形に支配された領土の奪還を次々と成功させ、やがて英雄と呼ばれるようになった存在。
後に"第一世代"と呼ばれる彼らが活躍したのが、およそ六十年ほど前の話である。
それから様々な事件が起こり、結果として現在の日本は、九人の天黎人を始祖とする『九黎家』と呼ばれる華族が日本各地を統治されるようになった。
中でも東京23区は、九黎家のうち『御三家』と呼ばれる『伊桜家』『藤月家』『千菊家』によって実効支配されている。
「……私達が住むこの『千菊租界』は、『伊桜家』『藤月家』を大きく凌駕する勢いで"血の濃縮"が進んでおり、『さいたまダンジョン』の攻略も間近に……」
「んん、そこまでで結構ザマスよ、月乃さん。あなたは本当によく勉強しているザマスね。"十ポイント"を差し上げるザマス」
おばさん教諭は若干引きぎみに咳払いをして、言葉に熱を帯び始めた月乃の解答を中断させた。
「はい、ありがとうございます!」
黒髪の美少女、月乃瑠奈は少し顔を赤らめながらも、誇らしそうにお辞儀をすると自分の席に座った。
月乃はどうやら血統者を相当に信奉しているらしい。
「皆さんもそろそろ卒業の時期ザマスから、しっかり勉強をして"ポイント"を稼ぐザマスよ。上位四名には”推薦権”を進呈するザマスからね。推薦権があれば、『ライフアップ研究所』から配布された《《濃い》》血統者様の子種で孕むか、あるいは血統者様が直々に相手をしてもらう道が選べるザマス。しっかりと励むザマスよ」
「「はい!」」
ここで言う"ポイント"とは、いわゆる成績のようなものである。
成績が良い生徒はポイントが加算されていき、将来良い待遇を受ける事ができる。
女子生徒たちはおばさん教諭の言葉に、元気よく返事をした。
「いいですか皆さん、過去の過ちを償う方法は唯一つ、"血統者を産む"ことザマス! 近々、皆さんと年の近い『第四世代』の血統者様の子種がライフアップ研究所から配布される頃ザマショウから、昔と比べれば遥かにチャンスが増えたザマス。推薦権が取れなかった子も、諦めずに働けば子種を得るチャンスはいくらでもあるザマスから、しっかりと血統者を産むザマスよ!」
まるで「子どもを産むことだけが女の役目だ」と言わんばかりであるが、これがダンジョンのある時代の社会通念である。
さてここでお気づきだろうか、おばさん教諭が男子を一切見ていないことに。
そう、これがディストピアの正体である。
「あの、先生……男子たちはどうなるんですか……?」
おずおずと手を上げたのは、雛森麦。
クラスの中でもおとなしい方の女子で、なかなか豊満な体つきをしているので、俺も一目置いていた。
確かクラスの男子の一人と交流しているのだったか。
その質問内容はタブーのようなもの、クラス全体の空気が凍りつくのを感じた。
「今から約二十年程前の2084年……アナクロに対して総統府からある法案が可決されたザマス。その名も――『アナクロ生殖禁止法』。これはアナクロ同士で子どもを作る行為を一切禁止する法律ザマス。……ですから、その――
――血統者を産めない男子に、一体何を忖度する必要があるザマスか?」
おばさん教諭の冷たい視線が、俺達男子を射抜いていた。
いや、こちらを見ているようで見ていなかったのかもしれない。
「っ……!」
雛森麦は言葉を失った。
血統者というのは優性遺伝らしい。
故にアナクロと血統者の間で生まれた子どもは、血は薄くなるものの、血統者が生まれてくるのだという。
そもそもその祖先である天黎人とは何者なのかという疑問が生じてくるが、どれほど調べても曖昧に濁すばかりでわからなかった。
「先生、質問があります」
「はぁ、なんザマスか。高杉くん」
「それならどうして僕達アナクロの男子は勉強しているんですか? 先生は先程、努力は意味がないと言いました。それなのに、知識をつけさせるようなことをするのは矛盾しているのではありませんか?」
先ほど俺と廊下でぶつかったキノコ頭のメガネの少年、高杉晋咲。
弱々しそうな見た目に反して、先生に疑問をぶつける姿勢はまるで名探偵のよう。
「……それは、大昔の義務教育というものザマス」
「義務教育?」
「ええ、旧時代には子供に教育を受けさせる義務があったザマス。古臭い概念ザマスが、総統府は皆さんを不憫に思ってこの制度を残したザマスよ」
懐かしい言葉を聞いたような思いがしたが、民主主義が崩壊したこの世界ではすでに無用の概念だ。
高杉は腑に落ちない様子で、顔をしかめる。
「そうだとしてもせいぜい女子では? 僕達男子は子孫を残すことを許されていないのだから、こうして一緒に勉強させること自体リスクだと思いますが?」
「っ……!」
高杉の言っていることは尤もであった。
このアナクロの教育機関そのものに対して、俺も違和感を感じていた。
絶対的な強者であるはずの血統者の立場からしたら、アナクロなどプチッと潰してしまってもおかしくないというのに、それをしない。
俺達に人権なんてものは存在しないにも関わらず、行動に起こさないのは。
「それに毎日の健康チェックに血液検査もそうですし……なんというか、アナクロに対する扱い方は不自然じゃないですか? ……まるで僕達を――警戒しているような……?」
「ッ〜〜! だまらっしゃい! そもそもあなた達は、本来産まれるはずのないアナクロだったザマスよ! 違法行為の末に生まれた犯罪者の子どもの分際で、口答えするんじゃないザマス!」
おばさん教諭はヒステリックに切れ散らかした。
「ぼ、僕は口答えしたわけじゃ……」
「いいえ! 総統府に対して疑いを抱くなんて、これは罰則が必要ザマスね……そうだ、そうでしたザマス! そういえば"禁書庫"から禁書を持ち出した者がいると匿名の報告を受けているザマス」
「……!」
高杉の表情に一瞬、動揺が浮かんでいた。
俺は先程高杉が落とした一冊の黄ばんだ本が思い浮かぶ。
「これから持ち物検査をするザマス! 心当たりのある者は名乗り出るのが懸命ザマスよ? かばう者も同罪ザマス!」
そういっておばさん教諭は鋭い視線で周囲を見回す。
こういう場合は、容疑者はある程度絞られていて、確信を得るために揺さぶっていることが多い。
「高杉くん……あーた、何か隠しているんじゃないザマスか?」
「あっ……!」
「中を見せてもらうザマス!」
おばさん教諭は高杉のトートバッグをひったくると、そのままひっくり返す。
すると大量の本が散らばり、高杉は万事休す、といった顔をする。
「んーー? ……この本の山は一体何処で入手したザマスか?」
「……アルバイトしたお金で買いました」
「ふーん……ん、これは……!」
(見つかった……!)
高杉は短い人生の終了を悟った。
禁書庫に侵入して、『ダーウィンの進化論』にまつわる本を入手したのは事実だ。
見つかれば、数年の禁固刑が課せられてしまうこともわかっていたのだが、それでもみすみす総統府の手に渡すわけにはいかなかったのだ。
高杉は目を瞑り、沙汰を待つ。
「なんザマスか? ……このふざけた自己啓発本は?」
「はっ? えっ?」
おばさん教諭が持っていたのは、『種の起源・ダーウィンの進化論』ではなく、ポップな子豚のキャラクターが描かれた表紙の本だった。
高杉は、予想した最悪の展開ではなく、困惑した。
「何が『やればできる』ザマスか。……まぁ、禁書認定はされてないザマスが、アナクロのあーたが、こんな自己啓発本を持っていたらあまり良い印象はないザマスよ」
「え……? あ、はい」
禁書は……見つからなかった。
それどころか手元に存在しないことに疑問符が浮かぶ。
「他の先生に見られてもよろしくないので、これは没収ザマスよ。ぶふふっ!」
高杉の『「やればできる」は落とし穴!それでもアナクロが人生を輝かせる方法(禁書確定!)』は没収されてしまった。
おばさん教諭は高らかに笑いながら、次の生徒の持ち物検査に移っていく。
(禁書、確かに持っていたはずなんだけど……)
高杉は禁書が一体どこへ行ってしまったのか、考え始める。
その後おばさん教諭は全員の持ち物検査を終えたが、《《誰一人》》として所持品から"禁書"が見つかることはなかった――――