サバ2『サバ読みアイドルだけど、プロデュースしてくれる?』その1
俺の通う坂雲高校の敷地には、2棟の校舎が建っている。
木造の旧校舎は学校創設からのもので、増改築を繰り返されてきたが、設備の老朽化などを理由に20年ほど前に鉄筋コンクリート造の新校舎ができたらしい。
学校のほぼ全ての機能は新校舎に移されたが、入りきらなかった弱小部の活動拠点として、旧校舎の教室があてがわれている。
その旧校舎の2階。ギシギシと床板を踏み鳴らし、薄暗い廊下を突き抜けた一番奥が、俺たち生活部の部室だった。
俺たち……といっても、俺を除けば1人しかいない。
そのもう1人の部員は、まだ来ていない。
いつものことだから、気にすることもないだろう。
きっとどこかで、友達とダベっているに違いない。
本来、この学校で部として成立するために必要な最低人数は5人。下回れば即廃部。
条件を満たしていない生活部が存続できるのには、からくりがある。
もともと生活部は、生活委員会という委員会活動に属していた。
毎年、各クラスから数名が選ばれて職務に従事するという、あれだ。
しかし、そんなことするくらいなら帰宅組はさっさと帰りたいし、部活組は部活動に専念したい。
ぶっちゃけ、誰も喜んでしたがらない。
中でも、早朝の校門挨拶からはじまり、校則違反の巡回、風紀改善のアンケート作成等、多忙を極める生活委員会は圧倒的に人気がなかった。
誰も立候補しないので、最終的に他薦という形がとられる。
選ばれたやつは贄だ。
そしてついに、贄たちが反乱を起こした。学校全体を巻き込んだデモ行進を始めたのだ。
かといって、学校の風紀を担う生活委員会をなくすことはできない。
学校側が苦肉の策として行ったのが、委員会から、希望者のみが活動する部への変更だったというわけだ。
去年まではかろうじて4人いたのだが、卒業して2人になってしまった。
あれだけ入学式の部活紹介を頑張ったのに、新入生は誰ひとり入ってこなかった……。
俺は睨めっこをしていたノートPCの画面から視線を外し、甘い匂いを漂わせるココアの入ったマグカップに口をつける。
元理科室だけあってガスと水回りの最低限の設備はあるが、お買い得で大容量な業務用ココアパウダーも、牛乳を温めた手鍋やガスコンロも、備品ではない。
我が生活部の顧問にして担任の成海女史が持ち込んだものだ。
「……何とも言えない温度ですね」
ホットで淹れたココアは、とうの昔に冷めていた。
今日は春にしては気温が高いし、窓を締め切った室内は蒸しっとしていて、ホットという根本の選択を間違った感は否めない。
淹れ直そうか迷っていると、扉の向こうから、木の軋む音が近づいてくる。
……ようやく来ましたか。
歩くリズムで判別できるくらいには、長い付き合いだ。
「よっはよっすー!」
奇っ怪な挨拶をして入ってきたのは、予想通りの人物だった。
金色に染まった髪、両耳にいくつも付いたピアス、胸元ギリギリまでボタンを外したシャツに、校則ギリギリまで短くしたスカート。
学校のカースト上位に君臨する俺の幼なじみ、犬星いちかだ。
いちかは中学に上がったあたりからギャルファッションに興味を持つようになり、今ではすっかりギャルそのものだ。
「あ~あづ~。なんかここ、暑くない?」
ネイルチップをつけた指先でシャツをつまみ、パタパタと扇いでいる。
そのたびに隙間から、ピンクのレースがチラチラと見え隠れして……。
「おい」
「いいじゃーん。晶磨しかいないんだしぃー」
いくら幼なじみとは言え、目のやり場に困る。
ただでさえ、いちかのバストは、同年代の女子に比べて豊かなのだ。
「あ、いいなーココア。あたしも欲しい」
「わかった。ちょっと待ってろ。アイスでいいか?」
「うん! よろ~!」
立ち上がり、戸棚からいちか専用のグラスを取り出す。
ホットを作るときより少し多めのココアパウダーと砂糖を投入し、少量の牛乳を加えて、弱火でじっくりと練っていく。
ペースト状になったところでさらに牛乳を入れて混ぜて、氷でいっぱいにしたグラスに注ぎ、ストローを差せば完成だ。
ちなみに、この氷や牛乳が入っていた冷蔵庫も、成海女史の私物だ。
そのうち、ここに住み始めるんじゃないかと危惧している。
「ほら、できたぞ」
「んま~! 晶磨が作ると、なんでこんなに美味しいんだろ~! マジ、いい嫁になれるよ!」
「そいつはありがとう」
受け取って速攻で飲み干す勢いのいちかに、適当に相槌を打つ。
――敬語で話すのは、今の俺のポリシーだ。
だが両親以外で、唯一それが適用されないのがいちかだった。
まあ最初にこの話し方をしたとき、「キモいからやめろ」と一蹴されたのだが……。
そういうわけで、いちかと喋るときだけは、普通の言葉遣いにしている。
「それ、標語?」
残り少なくなったココアをすすりながら、ノートPCを覗き込んでいる。
開きっぱなしのファイルには、単語が羅列されていた。
「そろそろ、来月の風紀標語を考えないとだろ? いつも俺ばっかでネタ切れなんだぞ? いい加減いちかも考えてくれよ」
「ええ~……。あたし、そういうの向いてないんだけどなぁ……」
悩ましげに唸っていたいちかだったが、はっと閃いたように口を開く。
「『やめよう ながらスマホと ディープキス』ってのはどう? あ、思いつきだったけどわりとよくない? 自画自賛、みたいな?」
「全然よくないだろ……。ながらスマホはわかるけど、ディープキスって何だよ?」
「ここ来る途中の廊下で男テニの部長と美術部の部長がヤッてたよ。むちゅ~~~~~って」
「ブゴボオオォッ!?」
いちかがその様子を再現するように、唇を突き出して抱擁の真似事をする真横で、俺は盛大に嘔吐く。
部長とは、他の生徒の模範となるべきリーダーシップを持った人間……!
それが学校で、なんと不埒なことを……!
「難儀だよねぇ。混沌恐怖症」
「わかってるなら、俺の前でそういうネタ振ってくるなよ……」
「荒療治で、直るかもしれないじゃん。それにさぁ、ソフトだろうかディープだろうが、キスってそんなにイヤらしくなくない?」
そういえば、菜々月さんもそのようなことを言っていたと思い出す。
あの後、菜々月さんとはラインの連絡先を交換して、すぐに別れた。
そのラインも、現時点では無反応だ。
別に期待しているわけじゃない。
付き合うことになったとはいえ、菜々月さんは俺に恋愛感情などないだろう。
いわば、契約みたいなものだ。
「晶磨、晶磨。誰かお客さんきた」
いちかが言う通り、静かな足音が聞こえてくる。
成海女史のものではない。
コンコンコン
慎ましやかなノックのあと、扉から覗き込むように顔を出したのは……。
「あの~、ここが生活部の部室――……あ、神園くん!」
「な、菜々月さん!? どうしてこんなところに……!?」
「生活部だって言ってたでしょ? 突然現れて、驚かせてあげようって思ったんだけど、ここちょっとわかりにくすぎじゃない? なんかジメってしててお化け屋敷っぽいし」
「ねぇ、晶磨、その人って……」
「……晶磨?」
いちかの呟きに、菜々月さんがピクリと反応する。
そして、値踏みするようにいちかを見て、その視線が胸をロックオンした。
「ま、まあ? 私もそこそこあるし?」
何やらブツブツ呟きながら、自分の胸に手を当てている。
やがていちかを凝視していた瞳が、グルリと目玉だけ動いて、俺を捉えた。怖い……。
「こんな奥まった怪しげなところで、可愛い子とお楽しみだったとは。悪いことをしちゃったね」
「怪しげと言われましても、ここが部室ですし、部員と活動するのは当たり前だと思いますが……」
「ほほう、神園くんは部員の子と、いつもそんなにひっついて活動してるんだ? こんなに広い部室で!」
気づけば、並んでPCを覗き込んでいたせいで、いちかと身を寄せ合うような形になっていた。
たしかにこれは誤解を招く近さかもしれませんが……。
そもそも、どうして菜々月さんは怒ってるんでしょう……?
年齢詐称の秘密を守りたくて、俺と付き合っただけのはずなのに。
「ずいぶん親し……馴れ馴れしくしてるけど、その子、だれ?」
なぜわざわざ言い直したんですか、菜々月さーーーーーん!!?
「まさか、付き合ってるの?」
ニッコリとはにかむ菜々月さんは、公式チャンネルの動画でたびたび見る、アイドルスマイルだ。
だが、その目はちっとも笑っていなかった……。