深い地の底で
ピエタの街に雪が降る。
街の住民たちにとって、雪というものはあまり馴染みが無いらしく。
子供は楽しそうに走り回り、大人たちもその幻想的な光景に瞳を奪われていた。
「これじゃあ、霧の都じゃなくて、雪の都って名乗らないといけないわね。」
年代的には、はしゃいでいる子どもたちと、さほど変わらないものの。冒険者であるイーニアは、落ち着いた様子で一線を引いていた。
無論それは、側を歩くミレイも同じである。
彼女の場合、中身が本当に大人なため、はしゃぐほどの気力がないだけかもしれないが。
周囲の様子を見てみると。思ったよりも雪の量が多いのか、住民や冒険者達がせっせと雪かきを行っていた。
視界を完全に塞ぐほどの霧と、この豪雪のどちらがマシなのかは不明だが。
兎にも角にも、街全体の環境を一変させてしまったことは確かである。
ミレイはひしひしと、この現状に対する責任を感じていた。
「ねぇ、フェイト。この街って、もとに戻せるの?」
後ろを追従するフェイトに声をかける。
フェイトだけではなく、小さくなったフェンリルやパンダファイターも実体化し、適当な距離を保って付いて来ていた。
「逆に聞くけど。冷蔵庫に、物を温める機能があると思う?」
「……まじか。」
街を見渡せば、大勢の人間が雪への対処に駆り出されている。
雪だけではなく、寒さなどによる弊害もあるだろう。
(いくら街を守ったとしても。根本的な部分に、かなりのダメージを負わせちゃったような。)
どうにか出来る保証はないが。
RYNOが使えるようになったら、街の上空でぶっ放そうと、ミレイは心の中で決めた。
そんな事を考えていると。
前を先導するイーニアが、ミレイの様子に目を送る。
滅多にお目にかかれない、”同年代”と思われる冒険者の少女。それだけでも、充分に興味をそそられる存在ではあるが。
そんなミレイの後ろには、”特に説明のない”金髪の少女、フェイトと。
よく分からない犬が一匹と、おまけにパンダも付いてきている。
最初に事情を聞かなかったため、どういう関係の仲間なのかは不明だが。
やはり、イーニアはどうしても気になっていた。
「貴女って、何が出来るの? わたしは”物体に命を吹き込んで”、自由に操ることが出来るけど。」
「……えっと。この”魔導書”を使って、色々と魔法を。」
「ふーん。」
色々な魔法という部分に、イーニアは興味を惹かれる。
「空を飛ぶのも?」
「うん、羽根を召喚して。」
「その2匹の獣は?」
「うん。こいつらも魔導書の力で。」
「じゃあ、そっちのお姉さんは?」
「えっと。」
魔獣を召喚したり、操ったりするのは魔導書の機能として説明できそうだが。
ここまで自立した人間に関しては、どう説明するべきかと悩む。
「……この人は、ただの友達、みたいな。」
「そうなの?」
イーニアがフェイトに尋ねる。
「ええ。そういう”設定”、かしら。」
「はぁ?」
「あ、あはは。」
面倒なので、ミレイは笑って誤魔化した。
「それにしても。随分と便利なのね、貴女の魔導書って。」
「まぁ、ね。」
「わたしとどっちが強いか、試してみる?」
「いや、それは流石にちょっと。」
”イリスとの腕試し”が、軽くトラウマになっているため。Sランクの冒険者と戦うのは気が進まなかった。
とは言え、今回は”フェイト”が居るため、無様に負けるとも思わなかったが。
「そう言えば、武蔵から来たあの二人組に聞いたけど。仲間と離れ離れになったとか?」
「うん。イリスっていう人の手伝いで、モノリスの調査に行ってたんだけど。ちょっとトラブルになっちゃって。」
「”イリス”? それって、Sランク冒険者の?」
「うん? そうだけど。」
「なら、大丈夫よ。イリスと言えば、Sランクの中でも更に別格、”七星剣”に数えられる人物よ。」
「七星剣? なにそれ。」
「”帝国最強の7人”ってこと。カードの力抜きでも強くて、わたしでも敵わない連中ばかり。」
「へぇ。やっぱ、イリスさんって凄いんだ。」
「……まぁ、でも。仲間とはぐれてるなら、無理に協力は頼めないか。」
ミレイに、わざわざ会いに来た理由を思い出しながら。
イーニアは浮かない表情をした。
◆
ピエタの街の冒険者ギルド、その建物内にて。
ミレイとイーニアは、ギルドの奥の会議室のような部屋へと入っていき。
ミレイのアビリティカードであるフェイトやフェンリル、パンダたちは、ギルドの空きスペースで待機していた。
しかしながら、ミレイのペット的な感覚の強いフェンリルとパンダはともかくとして。
れっきとした人間であるフェイトは、獣と同じカテゴリーに分けられるのが不服であり。
居心地の悪さから、その場を離れた。
そして、ギルドの会議室では。
ダンジョン攻略について話す面子の中に、ミレイも加わっていた。
「えっ、ミレイちゃん、本当に良いの?」
シュラマルが驚いた表情をする。
「うん。今さっき確認したら、”ギルドが捜索してる最中”だって言ってたから。」
イーニアに連れられ、ギルドにやって来たミレイは。はぐれた仲間の情報を求めて、ギルドの職員を訪ねた。
すると、Sランクであるイリスと連絡が取れないということで、すでにギルド側がモノリス周辺へ捜索隊を送っていることが判明。
ミレイは、その報告を待つことにした。
「ただ待っててもあれだし。それなら、ダンジョンの攻略に協力しようと思って。」
街の機能を停止させてしまった件もあるため。協力の手を惜しむつもりはなかった。
「君の戦闘能力は、昨日見させて貰った。あれ程の魔獣を従わせる力に加え、高度な飛行能力。それ以外にも多数の魔法が使えるのなら、精鋭メンバーとして申し分ない。」
昨日の戦いで、街と仲間を守ろうとしたミレイの姿は、ギルドマスターの目にも焼き付いていた。
「あまり若者に無理をさせるのは、年長者として心苦しいがな。」
「いえ、気にしないでください。この雪のせいで、人手が足りてないんですよね?」
「まぁ、そうだが。別にそれだけが原因ではない。単純に傷の癒えてない者も多いし、消費した魔力も一日やそこらでは戻らん。街の防衛の観点から考えて、ダンジョン攻略に割ける人員が足りんのだ。」
戦いの後における、魔力の消耗。それは、誰にとっても避けられない問題である。
前線で壁を守り続けた魔法使いたちは勿論のこと。
Sランク冒険者として、秀でた才能を持つイーニアでさえ、昨日のゴーレム創造で消費した魔力を回復し切れていなかった。
「君は、昨日あれだけ戦って、消耗は平気なのかね?」
「……えぇ、まぁ。諸事情から、火力も制限されてたので。今までの経験上、魔力はまだ余ってると思います。」
自分の魔力に、どれだけの余力があるのか。未だにミレイはそれを把握できていなかった。
しかしながら、明らかに消費の激しそうなRYNOや聖女殺しを使った時ですら、今まで何の問題が無かったため。
飛行やら爆発魔法を使った程度では、まだ余裕があると判断する。
「そうか。まぁ確かに、見るからにピンピンしとるからな。」
「あはは。」
(いざとなったらフェイトも居るし、多分大丈夫だろ。)
ダンジョンの詳細情報の書かれた資料を見ながら、ミレイはそんな事を考える。
どれだけの個体が居るのかは不明だが。数千体を一瞬で凍結させたフェイトが一緒なら、戦力面で遅れを取ることはないはず。
そういった考えから、ミレイはこのダンジョン攻略をかなり楽観視していた。
「今回のダンジョン攻略。もちろん、君たちに頼みたいのは異界の門への対処だが。ダンジョン内に、どれだけの敵が残っているのかが不明だ。もしも手に負えないような数が確認できたら、迷わずに撤退しろ。その際、”敵を街に呼び込む形になっても構わん”。」
「えっ、でも。またここを戦場にするわけには。」
「大丈夫よ。今回はわたしが居るから。」
イーニアが堂々と胸を張る。
「そもそも昨日の戦いだって。わたしが最初から参加してたら、敵が街に侵入する事自体あり得なかったもの。」
街を防衛することに関しては、かなりの自信を持っていた。
「あれだけの個体を失って、敵もだいぶ戦力を消耗しているはずだ。君たちが少人数で目立たないことも加味すれば、上手く深部へ潜ることも不可能ではないだろう。」
ピエタの冒険者にも余裕はないが、それは敵も同じ事。
”この数日間こそ”、最もダンジョンが手薄になっている時期のはずである。
「君たちの健闘に期待する。」
◇
ダンジョン攻略に関する話し合いを終え。
ミレイ、シュラマル、ユリカの3人は会議室を出る。
「時間が命だし。準備が出来てるなら、早速ダンジョンに向かおうよ。」
シュラマルが提案する。
「フェンリルに乗って行きましょう。」
待たせていた仲間の元へと、ミレイは向かう。
だが、そこに待っていたのは、行儀正しいフェンリルとパンダファイターだけであり。
唯一の人間枠であるフェイトの姿は、どこにも確認できなかった。
「あぅ。どこに消えたんだろ。」
ミレイが周囲を見渡していると。
「あぁ、ようやく終わったのね。待ちくたびれちゃったわ。」
探していたフェイトがやって来る。
ひらひらと、どこか”見覚えのあるカ”ードをその手に持ちながら。
「暇だったから、”冒険者登録”してきたわ。」
「……なるほど。まぁ、出来ないこともないのか。」
自由行動を許可しているとは言え。
これは、流石に予想外であった。
「その子、朝ミレイちゃんの部屋に居た子だよね? やっぱりお友達なんだぁ。」
「お名前は?」
シュラマルとユリカは、フェイトの存在が気になるようだった。
「フェイトよ。ミレイの友達、という設定でやってるわ。」
「そうなんだ。よろしくねぇ。」
特に引っかからずに、ユリカはフェイトと握手をした。
「冒険者ってことは。もしかして君も、一緒にダンジョンに行くの?」
シュラマルがフェイトに問う。
「もちろんよ。ミレイが死んだら、結果的にわたしも死ぬことになっちゃうから。」
「もはや、”愛”だね。」
その実、アビリティカードの主従関係の話だが。
それを知らないシュラマルには、とてつもない友情のように思えた。
「それで、わたしは何を殺せばいいの?」
そうして、緊張感のないまま。
ミレイ達一行は、ダンジョン攻略へと向かった。
◆◇
淡い光を発しながら。美しい”蝶々”が宙を舞う。
そこは、一切の明かりのない洞窟であり。
蝶々の発する光のみが、唯一視界を助ける要因となる。
その、微かな明かりを追いかけるように。
ミレイ一行は、真っ暗闇のダンジョンを進んでいた。
「みんな、ちゃんと付いてきてる?」
先頭を歩くシュラマルが、後に続くメンバーに声をかける。
「今の所、誰も死んでないわ。」
シュラマルの後ろを歩くのは、カードの能力であるフェイトであり。
「思ったよりも暗い。」
「怖いねぇ。」
その更に後方を、怯えた様子のミレイとユリカが続いていた。
最後尾には、盾を装備したパンダファイターがおり。
主達を守るために、周囲に目を配る。
それが、ダンジョンを攻略するミレイ一行の隊列であった。
想像していたよりも、ダンジョン内が暗く、おまけに狭かったため。フェンリルはカードの状態で待機している。
ミレイはダンジョンを、もっと人工的で、迷宮的な場所であると予想していた。
魔獣が闊歩し、行き止まりには宝箱が置いてあるような。
しかし現実は、魔獣が掘り進めた、”単なる大きめの洞窟”に過ぎず。
一切の明かりも無いため。
ユリカの生み出した、”式神・月光蝶”の明かりだけが頼りであった。
そうやって、真っ暗なダンジョンを進んでいると。
「みんな、ストップ!」
”何かの存在”に気づき、シュラマルが皆を制止する。
「――敵を確認。とりあえず、一匹だけだけど。」
月光蝶の明かりが、行く先に居る一匹のオールトの姿を映し出す。
明かりに気づいたのか。
そいつは振り向くと、一行の姿を視認し。
――ガアアアッ!!
狂ったような声を上げながら、彼女たちの方へと向かって来る。
「僕が対処する。」
シュラマルが短刀を構え。
カウンターを決めるために、敵を待ち構える。
だがしかし。
突如、敵は失速し。
シュラマルの元へと辿り着く前に、力なく地面に倒れ込んでしまう。
そして、”口から盛大に血を吐くと”。
そのまま、動かなくなってしまった。
衝撃的な光景に、一同は言葉を失う。
「……誰か、攻撃した?」
シュラマルが問いかけるも。
首を縦に振る者は、誰もおらず。
ただ、敵が血を吐いたという現実だけが、そこに残された。
不審に思いながらも。
恐る恐る、シュラマルが倒れたオールトへと近づいてき。
首元に指で触れ、その生死を確認した。
「……死んでる。」
「元々、瀕死だったんじゃない?」
面倒くさそうに、フェイトがそう推測する。
「いや。その割には、何の外傷も見当たらない。」
倒れたオールトには、目立った外傷はなく。冒険者と争った形跡もない。
それ故に、なぜ血を吐き、死んだのか。
死因がまるで分からなかった。
「……病気の可能性もある。ユリカちゃん、燃やせる?」
「うん、分かった。」
ユリカが1枚の御札をかざすと。
そこから、小さな炎が放射され。
オールトの死骸を燃やし尽くした。
「……先に進もう。」
あの個体の死因は気になるものの。
それを探るのが目的ではないため、一行は先を目指した。
暗い洞窟の奥へと進み。
”驚くほどのハイペース”で、一行はダンジョンを攻略していた。
他の冒険者達が攻略した区画、地図として存在するエリアは”とうに越え”。
誰も足を踏み入れたことのない、ダンジョンの深部へと近づいて行く。
「この静けさ、すっごく不気味じゃない?」
「ええ。遭遇するのは、”野垂れ死んだ化け物”ばかり。最初に出会った、あの動けた奴が懐かしいわね。」
シュラマルとフェイトは、そんな事を口にする。
”およそ数千体”。あれだけの数の個体が、地上へ侵攻してきたにも拘らず。
その本拠地であるダンジョン内は、もはや”もぬけの殻”という有様であった。
出会う魔獣は、そのほとんどが死体であり。
当初の予想に反して、まともな戦闘行為は一度も行われていなかった。
「やっぱり、あの地上での戦いで、ほとんど全滅したのかな。」
状況から見て、シュラマルはそう判断する。
洞窟内で築いてきた、”それまでの生活基盤を放棄してまで”。
彼らが、地上に侵攻してきた理由は不明だが。
そうして、生命の存在しない道を進んでいき。
真っ暗な道の先に、微かな”明かり”を確認する。
「なんだろう、あれ。」
ダンジョンに侵入して、初めて遭遇する”光”に。
シュラマルは驚きをあらわにする。
「みんな注意して。確実に”何か”がある。」
警戒を維持したまま。
一行は、その明るいエリアへと近づいていき。
そこへ、足を踏み入れる。
「……なるほどね。どうやら、”ギルドマスターの予想”は正しかったらしい。」
シュラマルは、それを視認し。
「まさか、本当にあるなんて。」
その驚きから、ユリカは口元を塞ぐ。
「?」
”それ”が何なのか分からずに、フェイトは首を傾げ。
ミレイは無言ながらも、それに関しては”見覚えがあった”。
”此処ではない何処か”へ繋がる、光り輝く輪っか。
”異界の門”が、そこにあった。