終わりの夢
何かに、揺られるような、懐かしい感覚に包まれて。
イリスはゆっくりと目を覚ます。
(……なんだ?)
普通に寝ているわけではない。何かに運ばれているような、そんな感覚で。
身体を起こすと、そこは馬の背中の上だった。
「なんで、馬?」
見知らぬ、”黒い馬”に戸惑っていると。
「目が覚めたようだな。」
馬と共に歩く、眼帯の男に声をかけられる。
「会って話すのは初めてか。」
男の顔に見覚えはなかったが。
左目に着けられた眼帯と、この世界には無さそうな”特徴的な鎧”を見て。
イリスは彼が誰かを予想する。
「……アンタが、エドワードか?」
「ああ、その通り。」
自身のアビリティカードである黒馬、マツカゼにイリスを乗せて。
エドワードは荒野を歩いていた。
イリスは姿勢を正そうとして、ようやく体の違和感に気づく。
全身が包帯まみれで、おまけに感覚も鈍いことに。
(魔力で編まれた包帯か?)
その包帯の出来栄えは、イリスから見ても見事であった。
だが、何故自分が怪我をしているのかが思い出せない。
「一体、何があったんだ?」
「さあ、な。わたしも、なんて説明したら良いのか分からん。ただ、キララ曰く。ミレイは酒を飲むと、ああいう”暴走状態”になるらしい。」
「……ああ。思い出した。」
イリスは、包帯の巻かれた額に触れる。
「オレは、アイツにデコピンされたんだ。」
「デコピン? それで、そこまでの怪我を負ったのか?」
「まぁ、地上まで吹き飛ばされたからな。死ぬほど痛てぇ。」
それでも、よく生きていたものだと。
イリスは自らの丈夫さに感謝した。
「それで、オレのアマルガムはどうなった? 中に、色々と家具とか積んでたんだが。」
最後の記憶が、ミレイに真っ二つにされた光景だったため。あまり期待はしていないが。
イリスは己の船の顛末を尋ねた。
「それが知りたいなら、ぜひ後ろを見てみるといい。」
「後ろ?」
エドワードに促されて、イリスは後ろに振り向くと。
そこにあった光景に言葉を失う。
そこには、モノリスがあった。
かなり距離が離れているが、あの長方形のシルエットは何も変わっていない。
だが、そこにあったのはモノリス”だけ”。
それ以外の物は、何一つとして存在していなかった。
広大な森も、そこに生息していた異界の魔獣たちも。何一つとして存在しない。
モノリスの周辺には、まっさらな更地が広がっていた。
「君の船は、真っ二つになって地上に落ちたんだが。ミレイはその後、モノリス周辺への攻撃を始めてな。多分、よほど魔獣たちに腹が立ってたんだろう。見ての通り、あらゆる存在が破壊された。君の船の残骸もろとも。」
「……ハッ。」
イリスの口からは、乾いた笑いしか出なかった。
アマルガムは、所詮はアビリティカードであるため。時が経てば修復が終わり、再び召喚することが可能である。
しかし、中に積んであった”家財道具一式”は別である。お気に入りのベッドや、食料品。その他、思い出の品々。大量の金貨が入っている金庫など。文字通り、彼女の全財産が積まれていた。
それが、たった1人の女の手によって撃墜されたのである。
もはや笑うしかない。
「そう言えば、アンタ1人か? ミレイの奴が見当たらないのはともかくとして、キララとソルティアは?」
「2人なら一足先に街に戻ったよ、走ってね。生身であれだけのスピードが出せるとは、魔法とは末恐ろしい。」
「ミレイを探してか?」
「ああ。キララ曰く、あの大きくなった状態は、そう長続きしないらしい。元に戻ったら、知っての通り彼女は無防備だからな。早く見つけなければ。」
「……そうか。」
とりあえずの、事の顛末を聞いて。
イリスは深くため息を吐きながら、頭の中を整理する。
「とは言え、ミレイには救われたな。正直、アイツの乱入がなかったら、あの黒いドラゴンは倒せなかった。」
ボッコボコにされたのは納得いかないが。
それでも、最悪というほどの気分ではない。
「アンタは、これからどうするんだ? 一応、異世界からの来訪者は、ギルドが保護してくれるらしいが。」
「……そう、だな。」
青い空を見つめながら、エドワードは考える。
ブラックヘッドと、娘の犯した罪。
その全てのしがらみから解放されて。本当の意味で、エドワードは新しい世界へと踏み出した。
元の世界では、最強の兵器を生み出した天才科学者でも。
この世界では通用しない。
それを踏まえた上で、新しい生き方を考える。
「とりあえず、ゆっくりと考えるさ。」
「……そっか。」
道はまだ長く、ずっと続いていく。
空だって晴れているのだから。
難しい事を考えるのには、少々もったいなかった。
◆◇
「――あれ?」
気づけばミレイは、ベッドの上で横になっていた。
しかも、ただのベッドではない。
慣れ親しんだような、柔らかいベッドであり。
咄嗟に起き上がると。
そこは、かつてミレイが暮らしていた、実家の自室であった。
「はぇ。」
驚くように、懐かしむように。ミレイは部屋の様子に目を向ける。
そこは記憶にある通りの、彼女の自室そのものだった。
こじんまりとした広さに、部屋の半分ほどのベッド。
小さなテーブルと、テレビ。
テレビの周辺には、ゲーム機やソフトが散乱している。
その散乱具合も、ため息が出るほどに懐かしい。
しかし、何故ここに居るのか。ミレイには理解が出来なかった。
まだ一月足らずだが、確かに異世界で暮らしていたはずである。
「……もしかして、死んだ?」
ここは死後の世界で、この部屋は自ら生み出した妄想の風景。
それとも、異世界で冒険していたのが、リアルな夢だったのか。
ミレイがそんな事を考えていると。
「――案外、”おバカ”なのね、貴女。」
突如、後ろから声が聞こえて。
ミレイが振り返ると。
「”わたし”?」
そこには、”自分と瓜二つな黒髪の少女”が立っていた。
冷静に考えれば、ミレイも元々は黒髪なのだが。
「なんで、わたしがもう一人?」
ミレイが疑問に思っていると。
そんな彼女を無視して、黒髪の少女は部屋の様子に目を向ける。
「……これが、貴女の”潜在意識”。何とも、慎ましい世界ね。」
見た目はミレイにそっくりだが。
話し方や雰囲気は、ミレイのそれとは違っていた。
「”あれだけの力”を持っておきながら。本当におかしな子。」
その、自分とよく似た少女を見て。
ミレイは何となく、正体を推測する。
「あー、えっと。君ってもしかして、”エドワードの娘さん”?」
ミレイが問いかけると。
黒髪の少女はゆっくりと振り返り。
嬉しそうに、口元を歪ませる。
「正解よ。わたしは”ミレイ・チャペル”。初めまして、かしらね。」
「そう、かな。」
自分と同じ顔、同じ名前を持つ少女に。
ミレイは不思議な感覚を抱く。
「でもなんで君が、わたしの部屋に?」
「さぁ? どうしてかしら。」
もう一人のミレイ、黒髪の少女は。ちょっと楽しそうに、ミレイの部屋を物色する。
ベッドの座り心地や、テーブルの軽さ。
沢山のゲームなどを、興味深そうに手にとって。
「わたしと貴女が”同一人物”だから、ってところじゃない?」
「え?」
黒髪の少女の言う意味が、ミレイには分からない。
「ただ生まれた世界が違うだけ。育った環境が違うだけ。貴女だって、切っ掛けや巡り合わせが悪ければ、”わたしと同じように”なっていたはずよ。」
「いや、それはどうだろう。君みたいに頭良くないし。いくらなんでも、世界を滅ぼしたりはしないような。」
そんな自分は、ミレイには想像ができなかった。
「――”そういう問題じゃないの”。」
黒髪の少女が、ぐっとミレイに近づく。
間近で見る自分の顔は、何とも不気味に思えた。
「わたしと貴女は”似た者同士”。その本質は何も変わらない。英雄が、どの世界でも英雄として生まれてくるように。”わたしたちのような存在”も、また同じように生まれてくる。」
「……どういう、意味?」
黒髪の少女は、意味深なことを口にするものの。
ミレイには、あまり響いていなかった。
そんな様子を見て、黒髪の少女は深くため息を吐く。
「わたし、こんなのに負けたの? 本当に信じられない。」
いじけたように。
部屋の隅で丸くなってしまう。
「えぇっと。」
何故こうなったのか、ミレイには皆目見当がつかず。
悩んだ末。
「……一緒に、ゲームでもやる?」
ミレイはゲームのコントローラーを手渡し。
黒髪の少女は、呆れて物も言えなかった。
とはいえ、同じ顔の人間同士が黙っていても、気分が悪いため。
2人のミレイは、共にゲームに興じることにした。
「くっ、この!」
「ふふっ。」
大人から子供まで楽しめる、人気のレースゲームをプレイする。
ミレイはもちろん経験者であり、これまで1人で地道に経験を積んできた猛者(自称)である。
だがしかし。
それでも、ミレイが勝てたのは最初の1レース目だけ。
その次からは、黒髪のミレイがずっと勝ち続けていた。
「……次、別のやろう。」
「ええ。構わないわ。」
その後、いくつかのゲームをプレイするものの。
黒髪のミレイは凄まじいセンスで操作や攻略法を覚え。
ミレイは、圧倒的なスペックの差を思い知らされた。
「……君、強いね。」
「貴女が弱いの間違いじゃない?」
「うぐ。」
ミレイは、何も言い返せなかった。
「でも、ちょっと羨ましいわ。」
「不器用なのが?」
「いいえ。頭が悪いのが。」
「……さいですか。」
他人とゲームをして、ここまでボロクソに言われたのは初めてである。
「ほら、世界の大多数が、貴女程度の知能しか無いわけでしょ? つまりは多数派。わたしみたいのは”いつも少数派”で、間違っているのもわたしになる。」
それが、彼女の内に秘めた”コンプレックス”であった。
「だから友達なんて居なかったし、必要なかった。わたしには、お父さんが居たから。」
「……そっか。じゃあ、わたしと――」
「――それは遠慮しとくわ。」
ミレイの提案を、黒髪のミレイは聞く前に断った。
「だって、貴女はわたしそのものじゃない。そんなのと友達なんて、鏡遊びみたいで気持ちが悪いわ。」
「……そっか。」
たとえ夢の世界、自分と同じ顔の相手とは言え。
友だちになるのを断られるのは、中々にショックであった。
「それにしても。ゲームって、案外楽しいのね。お父さんともやればよかった。」
「エドワードのこと、大好きだったんだ。」
「当然じゃない。だってお父さんよ? わたしの事を理解してくれる、たった1人のお父さん。ずっと部屋にこもりっぱなしで、構ってくれないのが玉にキズだけど。」
「だから、”恐ろしいモンスター”を生み出したの?」
「うん。何かすっごいのを造ったら、絶対に褒めてくれるって思って。」
そんな事を口にする、黒髪のミレイは。
本当に年相応の少女に見えた。
「でも、流石に化け物を造るのはアレじゃない? もっと可愛かったり、平和なものを造ればよかったのに。」
「平和なもの?」
黒髪のミレイはクスリと笑う。
「人がいっぱい死ねば、すっごく”話題”になるのに?」
「……おぅ。」
(そりゃ化け物を造るわけだわ。)
ナチュラルサイコな発言に、ミレイはドン引きである。
「まぁ、手順を間違えて、”うっかり”食べられちゃったのは、流石に失敗だったけど。」
そのうっかりこそが、世界崩壊の真実であった。
「……ちょっと、疲れたわ。」
散々、ゲームでミレイを負かし終え。
満足気に、黒髪のミレイはベッドに横になる。
その姿は、徐々に”薄く”なっていた。
「――ちょっと、大丈夫なの!?」
「ええ。所詮は”残留思念”のようなものだから、あまり気にしないで。」
「……残留思念?」
「はぁ。貴女って、本当に”残念”ね。何もかも、察しも悪すぎ。」
黒髪のミレイは、消えかかった身体をゆっくりと起こす。
「”それだけの力”を持っておきながら、1%も制御できてない。ずっと、魔力のない普通の世界で生きてきた弊害ね。」
「どういう意味?」
「貴女、魔法が上手く使えないのよね。それはつまり、身体が対応できていない証拠よ。20年もの間、力に蓋をして。”そのせいで”、身体だってろくに成長してない。」
「……?」
ミレイは、首を傾げ。
黒髪のミレイは、もう説明を諦めた。
「貴女、本当におバカさんね。それでも年上なの?」
「一応、戸籍上は。」
その戸籍が意味を成さなくなった今、ミレイの年齢を証明するものは1つもないが。
「貴女はとっても強いけど。それでも、慢心はしないことね。力だけで解決できるほど、世界は甘くないのよ?」
「……君、本当に10歳?」
「ええ。戸籍上はね。」
消えかかった状態ながら。
もう一人のミレイは、柔らかな笑みを浮かべた。
「じゃあ、そろそろお別れね。」
姿が、完全に消えていく。
「わたしの代わりに、お父さんに謝っておいて。」
「なんて、言ったらいいの?」
「……そうね。もしも貴女が憶えていたら、こう伝えて――」
それが、彼女との最初で最後の邂逅であった。
平行世界の同一人物、パラレルツイン。
普通に生きていれば、きっと出会うことのなかったであろう2人。
意識の間で相まみえた、夢のような体験で。
それ故に、ミレイの記憶には定着しない。
全てが曖昧で、泡沫のように思い浮かぶ。
それでも、ただ一言。
”ごめんなさい”、という言葉が。
魂の底に、刻まれたような気がした。
◇
ガタガタと揺れる、そんな感覚の中で。
妙な心地よさを感じつつ、ミレイは覚醒する。
(……ん?)
ゆっくりと目を開き、身体を起こす。
すると、3人か、4人ほどだろうか。何人かの人々の姿が目に入る。
その他に、断続的に続く揺れや、音。周囲の環境から判断して。
ミレイは、自分が馬車に乗っていることに気づいた。
そう、冷静に判断しつつ。それ以上、頭が回らない。
まるで、前日に激しい運動をしたかのような、心地よい睡眠の余韻に襲われる。
そうやって、ミレイがぼぉーっとしていると。
「あっ。君、ようやく目が覚めたんだね。」
馬車に乗っていた他の人物。
ミレイの目の前に座っていた女性が、彼女に話しかけてくる。
ミレイは、未だにスッキリしない頭のまま。話しかけてきた女性の顔を見る。
当然のように、知らない女性であり。
なおかつ、黒髪の美人顔である。
(うぅん?)
目を覚ますと、知らない馬車に乗っていて。知らない人に話しかけられる。
そんな状況に置かれて。
まるで、超大作RPGのオープニングのような。
まるで、これから大きな冒険が始まるような。
そんな気がしてならない。
(大きな、冒険。)
目の前の女性に目を向ける。
まだ寝ぼけているのか、妙な違和感がある。
(大きな。)
女性の”体の一部”に、どうしても目が行ってしまう。
(――いや、”デカい”なっ!?)
それが何なのか理解した瞬間、ミレイは一気に目が覚めた。
ミレイに声をかけた女性の胸は、とにかく非常に大きかった。
優しそうな顔をして、とんだ凶器をぶら下げている。
先日、お風呂で見たユリカの胸も凄かったが、目の前の女性のものはそれ以上であった。
(てか、この人なんで、”こんな格好”してるんだ?)
女性の服装を見て、ミレイは思わず頬を赤らめる。
例えるなら、スパイが身につけているピチピチのボディスーツであろうか。
体のラインが丸見えで。セクシーさが全面に出ている。
まるで、”健全ではないゲーム”に出てくる、エロ系コスチュームのように。
「……えぇっと。」
あまりにもセクシー過ぎて、ミレイは女性を正面から直視できない。
「お姉さんって、その。”忍者”だったりします?」
ミレイが問いかけると。
「――えぇ!? なんで分かったの?」
”巨乳セクシー忍者のお姉さん”は、非常に驚いたような表情をした。




