その神の名は
「この隠れ家とも、これでお別れか。」
ライザースーツを身に纏い。
出発の準備を終えたエドワードが、隠れ家へと別れを告げる。
この1年、彼の生活を支えてきたガラクタたちだが。
これからの道には不要なため、彼の荷物は身に纏うスーツのみだった。
「……そう言えば。あの子は20歳とか言っていたな。」
ミレイの実年齢を思い出し。
エドワードは、冷蔵庫へと向かうと。
中から酒瓶を取り出した。
「気に入ってくれると嬉しいが。」
酒瓶の中身を、水筒へと移し替え。
ミレイと共に、酒を飲むことを思い描いて。
彼は静かに微笑んだ。
◇
強固な障壁を前にして。
ミレイ達一行とエドワード、全員が揃う。
障壁の外、そのすぐ上空には、戦艦アマルガムが待機していた。
「それで、障壁が弱まるタイミングというのは、一体いつだ?」
『あー、ちょっと待ってろよ。』
エドワードが通信機を持ち。
その先から、イリスの声が聞こえてくる。
通信機の向こうからは、ガシャガシャと電子機器を弄る音が聞こえてくる。
『クソッ、さっきまで動いてただろ。』
機器の操作に、イリスは苦戦している様子だった。
だが、何かを思いっきりぶん殴るような音が鳴り。
『おお、動いた! タイミングが来たら合図するから、攻撃の準備をしとけよ!』
「了解です。」
障壁の歪みを突くために。
ミレイは”聖女殺し”を起動する。
「……でも、この前と同じくらいの穴だと。エドワードが通れないような。」
ミレイが、そう懸念していると。
SCAR DRIVE、起動。
アーマーを漆黒に染めて。
ミレイの隣に、エドワードが並び立つ。
「わたしも手を貸そう。」
漆黒のライザースーツと。
ミレイの聖女殺し。
共に”黒い力”を纏っていた。
その2人の様子を見ながら。
またもや、キララは不服そうに頬をふくらませる。
「む〜。お揃いみたいで、なんかずるい!」
「……まぁ、あの力は。双方とも、出自がかなりの”闇”なので。」
キララの気持ちは、ソルティアには理解が出来なかった。
それから、少し経ち。
『――よし来た! 障壁を攻撃しろ!!』
「はい!」
イリスからの合図を受け。
ミレイは聖女殺しに力を込め。
エドワードは、黒いビームソードを形成する。
「合わせるぞ。」
2人は同時に力を構え、振りかざし。
障壁に向かって、黒い斬撃を放った。
2つの斬撃は、互いに交差し。
障壁へと衝突。
そこから歪みが生じると。
障壁が波のようにうねり、決壊し。
人間1人が歩いて潜れるほどの、大きな穴が貫通する。
「おお、貫通貫通。」
穴の出来栄えに感心しつつ、ミレイは聖女殺しの実体化を解いた。
キララとソルティアが、障壁の外へと脱出し。
それに、ミレイも続く。
だが、穴を通り抜けながら、ふと後ろを見ると。
エドワードがこちらに背を向けて、モノリスの方向を見つめていた。
何を見つめているのか。
何を思っているのか。
それは定かではないが。
漆黒のアーマーを纏う、その後姿からは。深い哀愁が感じられた。
彼と同じ風景を見ようと。
ミレイが、エドワードの隣に立つ。
背丈が違えば、年齢も性別も違う。
生まれた世界すらも違う、赤の他人だとしても。
不思議とミレイには、彼の悲しみが感じられた。
「エドワード、行こう。」
「……ああ。そうだな。」
後悔が無いわけではない。
元居た世界に戻りたい気持ちや、ブラックヘッドを終わらせたいという気持ちもある。
だが、それを成す手段も、力も持ち得ないが故に。
エドワードは頭を切り替えて、モノリスに背を向けると。
新しい世界への、第一歩を踏み出した。
だが、しかし。
背筋の凍るような、圧倒的な”死の予感”を感じ取り。
「――逃げろッ!!」
咄嗟に、エドワードはミレイを突き飛ばした。
突き飛ばされたミレイには、何が起こったのか理解が出来ず。
呆然と宙を舞い。
空から飛来した、黒い何かに。
エドワードが押し潰されるのを、ただ見ていることしか出来なかった。
凄まじい衝撃が、地面に轟き。
土煙が舞い上がる。
(一体、何が。)
その一瞬の出来事に、ミレイはただ目を見開き。
土煙の中で蠢く、黒い巨大な影を見つめる。
「ミレイちゃん!」
事態を察知し、キララが障壁内へと戻ろうとするも。
『――バカ野郎!! 戻んなッ!!』
外部スピーカーだろうか。
アマルガムから、イリスの怒号が発せられ、キララは足を止める。
そして、上を見上げると。
アマルガムが、全ての砲門を地上へと向けており。
すでに、ビームの発射準備に入っていた。
「”黒いドラゴン”。このタイミングで来やがったか。」
アマルガムのブリッジから。
イリスは、地上に降り立った敵を睨んだ。
翼を広げて。
土煙を吹き飛ばす。
たったそれだけの動作。
だが、それをどうこう出来る者は、ここには存在しなかった。
黒きドラゴン。
ブラックヘッドが、ゆっくりと歩を進める。
その足元には、踏み潰されたエドワードが横たわっていた。
「マチ、ガイタ。」
足元のエドワードを見て。
ブラックヘッドはそう呟くと。
ぐるりと首を動かして、ミレイの顔を凝視する。
「――オマエ、”コロス”。」
真っ黒な瞳は。
ミレイに対して、明確な敵意を持っていた。
(……やばい。)
目の前に現れた、絶対的恐怖の象徴。
まるで、蛇に睨まれた蛙のように。
ミレイの足は、その場から動かない。
だが、それでも。
恐ろしい敵と対峙するのは、これが初めてではない。
「――キララ、ソルティア! 絶対に近づかないで!!」
ミレイは、己の持つ最大火力、”RYNO”を具現化し。
装着した右腕を、ブラックヘッドに向けると。
そのまま魔力を込め始める。
『……オイ、マスター。まさか、”コイツ”とやり合うつもりか?』
これまでのハイテンションは、一体どこへ置いてきたのか。
RYNOの声は静かで。
それだけ、敵が規格外な存在である事を物語っていた。
それでもミレイは、逃げるも防ぐも不可能と判断し。
真っ直ぐな瞳で、その手に力を込める。
『まぁ、逃げろと言っても遅いか。だったら、渾身の一撃でいくぜッ!!』
ガントレットに、魔力が収束し。
「――くらえッ!!」
竜の姿を模した、巨大な爆炎が放たれる。
それは、今までに放ったものよりも、より強き一撃であり。
正真正銘の、ミレイとRYNOの全力であった。
その爆炎を、ブラックヘッドは避けようともせず。
身体へと直撃する。
周辺全てに、衝撃が伝わるほどの。
とてつもない威力の一撃であったが。
それを正面から浴びながら、ゆっくりと一歩ずつ。
ブラックヘッドが、ミレイの元へと近づいてくる。
まるで、障害など無いかのように。
「くっ。」
全身の力を持って、右手を支え。
RYNOの力を放ち続ける。
それでも。
ブラックヘッドは、ミレイへと近づいていき。
――ガブリ、と。
RYNOを装着した、ミレイの右腕に噛み付いた。
「ッ!?」
一瞬で、ミレイは血の気が引き。
そんな彼女の腕を、ブラックヘッドは噛み千切ろうとする。
だが、それよりも速く。
『――チッ、あばよマスター!!』
RYNOの意志か。
アーマーをパージするように、ミレイがガントレットから弾かれ。
そのまま後ろに吹き飛ばされた。
それにより、ミレイの右腕は無傷で解放されたものの。
「ライノ!!」
その叫びは、届かずに。
ガリガリ、ボリボリと。
音を立てながら。
RYNOは噛み砕かれ、ブラックヘッドに捕食された。
すると、同じ”竜の力”を持つが故か。
ブラックヘッドの身体に、炎のような真っ赤なラインが浮かび上がり。
それと同時に、口から”真っ黒な炎”が漏れ始める。
RYNOの持つ力を、その身に吸収したのか。
天に向かって咆哮を放つ、その黒き竜は。
最悪の、”更にその先”へと進化した。
そして。
その敵意の矛先は、依然としてミレイへと向けられており。
ブラックヘッドが口を開くと。
そこに、膨大な魔力が集まっていく。
それはまるで、RYNOのようであり。
ミレイの瞳には、破滅の光が映っていた。
「――くっ。」
ミレイを守るために。
キララが魔法の矢を形成し、敵を狙い撃とうとするも。
そのタイミングで、障壁に空いた穴が塞がってしまい。
完全に、干渉する手立てを失ってしまう。
「……そんな。」
最悪を目の前にして。
キララは、ただ呆然と立ち尽くす。
漆黒の爆炎が、ブラックヘッドの口から放たれる。
無論、狙いはミレイ唯一人であり。
それに抗う術を、ミレイは持ち合わせていなかった。
だが、それを阻むように。
”漆黒のアーマーを身に纏った男”が、射線上に割って入る。
「フンッ。」
エドワードが、両腕を交差させると。
黒いバリアのようなものが形成され。
その身を挺して、ブラックヘッドの放つ黒炎を受け止める。
「――うぉおおおおッ!!」
ブラックヘッドと、エドワードのSCAR DRIVE。
元を辿れば、全く同種の力ではあるものの。
その力の差は、歴然であり。
黒炎の力を受け止めきれず、スーツが悲鳴を上げる。
だが、それでも。
エドワードは一歩も引かずに。
黒炎の放射を、最後まで耐えきった。
煙を放ちながら。スーツの色が、元の銀色へと戻る。
たった一撃を受け止めただけで、スーツはその機能を停止した。
(なんて威力だ。)
スーツを邪魔と判断し。
エドワードはヘルメットを外すと。
その素顔で、ブラックヘッドと対峙する。
戦う力は、もう残っていないが。
せめて、後ろにいるミレイだけでも、守れるように。
”あの時”とは違い。
エドワードは、倒れなかった。
そうして、睨み合う両者であったが。
「――”オトウ、サン”。」
「ッ!?」
ブラックヘッドの口から出た、その一言に。
エドワードは言葉を失う。
(……冗談、だろ。)
モンスターが喋った。それだけでも、十分驚くべき出来事だが。
ブラックヘッドは、エドワードに対して”お父さん”と口にした。
あの黒き竜が、娘を捕食したのは確かだが。
だからといって、記憶が引き継がれるとも思えない。
ただひたすらに、理解が出来なかった。
「……”ミレイ”、なのか?」
娘の名を呼んでみるも。
それに対して、ブラックヘッドは反応しない。
肯定も、否定もしない。
「ワタシ、イチバン。」
壊れた人間のように、言葉をつぶやく。
「スゴイ、ホメテ。」
エドワードを、お父さんと呼ぶその生き物は。
その言葉の内容だけを見れば、まるで小さな子供のようだった。
そんな様子に。
まさか理性があるのかと。エドワードは、淡い希望を抱くも。
ひしひしと、嫌な感覚は拭えない。
「ああ、大したものだ。流石は、”僕の自慢の娘”だ。」
実の娘に話しかけるように。エドワードは言葉を告げる。
それに対し。
ブラックヘッドは反応しない。
人間の知性があるとは思えず。
酷く不気味に、沈黙をしている。
そんな敵を、前にして。
エドワードは、覚悟を決めた。
「もう終わりにしよう。これ以上苛めたら、”この子”が可哀想だろう?」
この黒き竜の中に、まだ娘が生きているのか。
それとも、ただ影響を受けているだけなのか。
どのような事実だったとしても。
今も必死に生きている、”もう一人のミレイ”だけは。
絶対に失うものかと。
エドワードは、その身一つで立ち向かう。
「……ソノコ。ワタシヨリ、ダイジ?」
(これは、下手に刺激するのは不味いな。)
黒き竜の問いに、エドワードは冷や汗をかく。
「いや、もちろん。”君のほうが大事”だ。この世界の何よりも、娘である君を愛してる。」
(……これで、どう反応する?)
エドワードの言葉を受けて。
ブラックヘッドは、僅かに沈黙すると。
「ナラ、イイヤ。」
完全に興味を失ったように。
ミレイへの敵意を消した。
そして、そのまま。障壁の方へと向かっていく。
「モット、スゴイ。」
その黒き瞳は、より大きな世界へと向けられていた。
「――”セカイ、コワス”。」
それが、”その生命体の出した答え”であった。
なぜ、そうなるのか。
そんな感情と共に。
この黒き竜が、娘と同一存在であるという可能性を、エドワードは完全に消し去る。
言動は関係ない。
あれはもはや、娘ではない。
彼が見つめる中。
ブラックヘッドは、その口に魔力を凝縮させる。
全てを焼き尽くす黒炎ではなく。
破壊を目的とした、純粋なエネルギーへと。
ブラックヘッドが、漆黒のビームを放射し。
それが、障壁へとぶつかると。
またたく間にヒビが入り。
”世界最強の障壁”が、いとも容易く砕かれた。
そして、広がった世界へと向けて。
黒き竜が、ゆっくりと歩を進める。
広げた翼は、圧倒的な存在感を放ち。
世界に、破滅が降臨した。
◆
「……冗談だろッ、あのバケモン。」
アマルガムのブリッジから、地上の様子を見つめながら。
イリスは戦慄する。
これまでのように、歪みを突くことによって、障壁に穴を開けたわけではない。
正真正銘の力技、持っている”素の力”で、障壁の強度を凌駕したのである。
「テメェら、バケモンから離れろ! 砲撃を叩き込む!」
アマルガムの全砲門が、ブラックヘッドへと向けられ。
一斉に発射。
たった一撃でも、強大な魔獣を貫くほどのビームが。
1つの束のように放射される。
もはや、地形すらも変えてしまう威力であるが。
それでも、ブラックヘッドには傷一つ付けられず。
お返しとばかりに、口から黒いビームが放たれる。
その黒いビームは、アマルガムのビームを容易く掻き消し。
船体へと直撃した。
「――チッ、なんて威力だ。」
船が大きく揺れ。
明確な損傷を受ける。
「アマルガムが、押し負ける?」
過去最大の危機に、イリスは直面しようとしていた。
アマルガムを撃ち落とすべく。
翼を広げて、ブラックヘッドが飛び立っていく。
それを、見つめながら。
エドワードはまだ、闘志を失ってはいなかった。
だがそれでも、スーツはすでに限界に達しており。
随所から火花が散る。
「チッ、焼き切れたか。」
エドワードは、その場で膝をついた。
「エドワード!」
ミレイが側に近寄り、スーツに触れるも。
「熱ッ。」
素手で触れられないほどに、凄まじい熱を帯びていた。
「……あぁ、生きているのが奇跡だな。」
装着者は無事であったが。
スーツは完全に、その機能を失っていた。
「――あっ、そうだ。とりあえず水飲んで!」
ミレイは、地面に落ちていた”水筒”を拾い。エドワードに手渡した。
だが、彼はそれを受け取らず。
「まだやれるさ。SCAR DRIVEさえ、起動できれば。」
なおも、戦いを続けようとする。
「水は君が飲んでくれ。」
「でも。」
「いいから。」
エドワードは譲らず。
「その後は、”援護”を頼む。」
けれども、1人で戦おうとはしなかった。
そんな彼の意志を尊重し。
「……わかりました。」
ミレイは、遙か上空の戦いを見つめる。
巨大空中戦艦と、黒きドラゴン。
手の届きようのない、次元の違う戦いではあるものの。
それでも、なにか手立てはあるはずと。
「よしっ、やるぞ。」
ミレイはそう意気込むと。
水筒に入った液体を、喉に流し込んだ。
完全に、”水だと思い込み”。
その瞬間。
世界が、反転した。
◇
「何だ、何が起こった!?」
突如として、得体の知れない悪寒を感じて。
エドワードが後ろに振り返ると。
そこには、淡い光の粒子を帯びた、1人の”白髪の女”が立っていた。
白い髪の毛に、輝ける真紅の瞳。
そして、学生服など。
ミレイと、同様の特徴を有する女性であったが。
何よりも、姿かたちがまるで異なり。
10歳程度の身長しかなかったミレイと違い。
その女性は、20歳相当の成熟した体付きをしていた。
しかしながら、さっきまで居たはずのミレイの姿が存在せず。
その代わりとして、”彼女が現れた”という事実は明らかであった。
その出現は、キララとソルティアにも感じ取れた。
「……誰ですか、あれは。」
ソルティアにとっては、まるで意味の分からない現象であったが。
キララだけは。
それが誰なのかを、明確に理解していた。
「……ミレイちゃん。もしかして、”お酒”を飲んだの?」
「お酒? どういうことですか?」
「なんて、言えばいいんだろう。ミレイちゃんって、お酒を飲むと、”人が変わっちゃう”んだよね。」
「……人が変わる、とは。人格の話ではなく?」
「――ううん。”全部”、変わっちゃう。」
単に、彼女が大人になった。という話ではない。
何故ならミレイは、20歳になっても低身長のままであり。
何なら10歳くらいの頃から、”ほとんど”身長が変わらなかった。
故にこれは。
本来なら、”有り得るはずのない成長”である。
大きくなったミレイは、深く溜息を吐く。
そして、自らを見つめる、エドワードと視線を交わすと。
何かが癇に障ったのか。
その瞳に”怒り”を滲ませ。
「――何を見ている。この”ロリコン”がッ!!」
その、たった一言で。
凄まじい衝撃波が、彼女から放たれ。
モノリス周辺を包み込む、”障壁の全て”が。
粉々に、砕け散る。
その身に纏うは。
”神とも見紛う”、圧倒的な魔力。
それは、世界を守護する救世主か。
あるいは――




