モノリス
地面に突き刺さった、巨大な黒いプレート。モノリスを、モニター越しに眺めて。
ミレイは言葉を失っていた。
魔法やアビリティカード、魔獣など。
異世界らしい存在とは、ひとしきり遭遇したつもりではあったが。
これは、そのどれよりも強烈な存在感を放っていた。
「――今回のクエストは、あれの周辺調査だ。」
ミレイの驚きようは放っておいて。
イリスはクエストについての説明を行う。
「オレはこのまま船に残って、”障壁”の外側から観測を行う。お前と残る2人には、実際に地上に降りて、モノリス周辺がどうなっているのかを調査してもらう。」
「は、はぁ。」
あまりの巨大さ、あまりの異物感。
なにせ森のど真ん中に、真っ黒い巨大プレートが突き刺さっているのである。
ミレイは、まるで理解が追いつかない。
「調査して欲しい案件は”2つ”ある。」
だが、ミレイの思考停止などお構いなしに、イリスの説明は続く。
「1つ目は、”生態系”だ。どういう種類の生物が生息し、どんな生態系を築いているのかが知りたい。」
「はぁ。」
「2つ目は、”異界の門の発生頻度だ”。知ってるとは思うが、モノリス周辺における異界の門の発生率は他とは段違いだ。確実に何度かは遭遇するはずだから、録画を頼む。専用の魔水晶は、後でまとめて渡しとく。」
「なるほど。」
ミレイはもう、笑うしか無かった。
「まっ、とりあえずはそんなところだな。何か質問はあるか?」
「……あの。最初から最後まで、全部理解が出来なかったんですけど。」
ミレイは己の無知さを打ち明けた。
だが、イリスは若干の勘違いをする。
「あぁ、悪いな。まだ”10やそこら”のガキには、ちょっと難しい話だったか。」
イリスは完全に、ミレイを見た目通りの子供だと思っていた。
「えぇっと、そうじゃなくて。わたし、異世界の出身なんで。”モノリス”が何なのか、そもそも知らなくて。」
「はぁ!? マジでか?」
予想外の事実に、イリスも驚く。
「まだガキなのに、大変だなぁ。」
「えぇ、まぁ。」
もはやミレイには、訂正する気力も無い。
「にしてもモノリスが無いたぁ、変わった世界だな。」
「……いやむしろ、在るほうがおかしいような。」
ミレイは自分の常識を疑った。
雲がかかるほどの巨大なモノリス。明らかに”全高1000m”は超えているであろうそれは、もはや”巨大な異物”にしか思えない。
「あれって、人工物なんですか?」
「いいや、知らね。」
「えっ。」
「あれが、”一体何なのか”。それを理解している人間は、この世界にも居ねぇよ。」
在って当たり前でも。その全てを、理解できるわけではない。
「世界中合わせて、全”13箇所”に点在する、謎の巨大物体。この世界の始まりから存在し。いわく、”神の忘れ物”だとか。」
”神”という単語に。
ミレイはほんの少し、目を見開いた。
「まぁ、そんな事はどうでもいいか。どのみち、神なんて居ねぇしな。」
「ですね。」
この世界に来て、様々な非常識と触れてきたミレイであったが。
流石に、神様との遭遇経験はなかった。
「モノリス自体には、特に言うべきことはねぇ。別に、あれが動くわけでもねぇしな。」
「はぁ。」
「だが、”その周辺”に関しては別だ。」
「……周辺、ですか?」
「ああ。モノリスの周辺は、”空間の歪み”が酷くてな。しょっちゅう開くんだよ、”異界の門”が。」
「えっ。」
異界の門が、しょっちゅう開く。
その言葉に、ミレイは唖然とする。
「まぁ当然、わけの分かんねぇ異世界の”外来種”が、うじゃうじゃとやって来やがる。」
「……それ、めっちゃ危険じゃないですか!」
この世界に来た初日、森で出くわした”トリニンゲンモドキ”や。
ジータンの街を襲った、あの怪人たちの集団を思い出す。
「――いや。”考えよう”によっては、そうでもねぇよ。」
「え?」
ミレイには、その言葉の意味が理解できず。
「まぁ見てろ。」
イリスはミレイに、外に注目するよう促すと。
「――撃て。」
イリスが一言命じると。
巨大戦艦の砲身が、モノリスへと向けられ。
高出力のビーム射撃を、一斉に行った。
フェンリルやパンダを消滅させ。
ミレイを恐怖に陥れたその攻撃であったが。
ビームは1つたりとも、モノリスに命中すること無く。
その遙か手前で。
”見えないバリア”のようなものに阻まれていた。
(……えぇ。)
あれほど恐ろしかったビームが、いとも容易く無力化されて。
ミレイはもう、言葉もなかった。
「モノリスの半径1kmには、あらゆるものを遮断する、”最強のエネルギー障壁”が展開されてる。見ての通り、この船の最大火力でも突破できねぇ。」
人類最強クラスの力を以ってしても。
モノリスという神秘を、脅かすことは叶わない。
「だが逆に、この障壁が存在するおかげで。外来魔獣たちも、モノリスの周辺から出ることが出来ねぇってことだ。」
「へぇ。」
(……わたしも、そんなバリア欲しいな。)
また1つ、この世界の知識を得て。
ミレイは少し賢くなった。
「あれ? でも、最強の障壁なんですよね? だったら、わたしたちも中に入れないんじゃ。」
「まっ、そこは色々と抜け道があんだよ。」
イリスが説明をする。
「あの障壁は最強だが、完璧じゃねぇ。極稀にだが、出力か何かが原因で、”障壁に歪み”のようなものが生まれる。そこをちょちょいと突いてやれば、ちっさな”穴”ができるんだよ。まぁ、短時間だけどな。」
「……なるほど。」
よく理解は出来なかったが。
いざとなれば、キララとソルティアも居るため、大丈夫とたかをくくる。
「じゃあ、出る時もそうすれば?」
「あぁ。――ほらよっ。」
イリスが何かを放り投げ。
「わわ。」
ミレイは落としそうになりつつも、なんとかそれをキャッチする。
それはいわゆる、トランシーバーのような形をしていた。
「この通信機があれば、アマルガムと連絡ができる。出入りのタイミングは、こっちで指示してやるよ。」
「なるほど。」
通信機という、わかりやすいアイテムに。
ミレイは不思議と安心した。
「えっと。イリスさんは、一緒に来ないんですか?」
「ああ。”面倒くせぇ”。」
そもそも、そんな理由でもなければ、ミレイたちをクエストに誘ったりしなかったであろう。
「それに何より、アマルガムを中には運べないからな。」
イリスにとって、それが最も大きな理由に当たる。
「え? 中は、半径1kmもあるんですよね? だったら、一度カードに戻して。中に入ってから、また実体化すれば。」
「いや、そういう問題じゃなくてな。」
イリスはバツの悪そうに顔を背ける。
「”消せねぇん”だよ、この船は。」
「えっ?」
アビリティカードなのに、消せない。
その言葉に、ミレイは首を傾げる。
「正確に言えば、消すことは可能なんだが。消したらその場合、オレの”家財道具”が全滅する。」
「んん?」
言っている意味が、よく分からなかった。
「オレはこのアマルガムを、家みてぇに扱ってるからな。家具やら食料やら、他にも諸々財産を積んである。つまり実体化を解いたら、”全部散乱”しちまうんだよ。」
アビリティカードの特徴として。能力の実体化と、その解除が可能である。
その切り替えは基本的に自由で、制限も存在しない。
だが、あくまでも実体化できるのはカードの能力だけであり、後から付随させたものは一切含まれない。
例えば、フェンリルに可愛らしい首輪をつけたとしても。
実体化を解いたら、その首輪だけが現実に残されてしまう。
そしてそれは、この船に積まれた、大量の荷物も例外ではない。
「……なるほど。だからこの船、そこら中”ホコリまみれ”なんですね。」
「ああ。かれこれ、”10年”は実体化させてるからな。」
10年間、一度も実体化を解かずに。
空中戦艦アマルガムは、イリスの移動式住居として運用されてきた。
そのため、ホイホイ消したり出したりは出来ないのである。
物理的にではなく、精神的に。
「というわけで。オレは中には入らず、ここでお前たちをサポートする。」
「……へい。」
ミレイに、反論はできなかった。
「まぁ、お前らなら大丈夫だろ。他の2人は動けそうだし。お前にも、あの”強力な召喚獣”が居るだろ?」
フェンリルや、パンダファイターを頭数に入れて。
イリスはミレイの戦闘力を考えていた。
「……どうでしょう。」
気の進まない様子で、ミレイは魔導書を開き。
手持ちのカードの、”現状”を確認する。
「あぁ、やっぱり。」
アマルガムの砲撃によって、ミレイのカードは何枚か木っ端微塵にされた。
パンダファイターは、ほぼ白紙状態に近く。
再生能力がありそうなフェンリルでさえ、未だに色が半分程度しか戻っていない。
つまりは”死亡中”。
再び召喚するには、インターバルが必要であった。
「――あん? ちょっと見せてみろ。」
ミレイがカードの確認をしていると。
イリスに魔導書を取り上げられてしまう。
「あわわ。」
30cm以上の身長差があるため、ミレイに抗う術は無い。
イリスはミレイの魔導書に目を通す。
「これ。まさか全部、アビリティカードか?」
「……えっと、まぁ、はい。色々と、事情がありまして。」
経験はないが。
ミレイはカツアゲにでも遭った気分だった。
「ふぅーん。」
だがイリスは、そこまで深く踏み込もうとはしない。
「あの狼の魔獣は、4つ星か。まぁ妥当だな。」
淡々と、ミレイのカードに目を通していく。
「黒い鎌も4つ星。」
「あはは。でも、この船に敵うようなカードは無いですけど。」
「まぁ。あったら、負けるはずがねぇからな。」
ひとしきりページを捲り、満足したのか。
イリスはミレイに魔導書を返す。
「……この船って、もしかして”5つ星”ですか?」
アビリティカードの最高峰。ミレイもまだ、見たことすら無い。
だが、これほど絶対的な力を持っているのだから。ミレイはこの戦艦が5つ星であると予想する。
けれども、イリスはそれを否定する。
「いや、4つ星だよ。」
「4つ星!? でも、うちのと比べて、かなり性能が段違いなような。」
「まぁ、同じ4つ星でも、性能はピンキリだからな。あの狼だって、4つ星の中だと”中の下”くらいだろ。」
中の下。イリスは、フェンリルをそう評した。
「……じゃあ、この船は?」
ミレイが問いかけると。
「――もちろん、”上の上”だよ。」
イリスは自信ありげに答えた。
◆
地上。モノリスから1kmほど離れた地点。
エネルギー障壁の目の前に、ミレイたち3人は立っていた。
周囲は深い森になっており。見た限り、障壁内も同様の環境に見える。
遙か上空では、イリスの乗った戦艦アマルガムが待機していた。
「モノリスと言えば、ある種伝説のようなものですからね。まさか実際に、足を踏み入れる日が来るとは。」
その力を、試したくて仕方がないかのように。
ソルティアは、ただ前を見つめていた。
「だよねぇ〜。わたしも緊張するなぁ。」
キララも同様に。
その新しい弓の力を、試してみたいという感情で立っていた。
このように、2人は非常にやる気に満ちていたが。
「……はぁ。」
いざ現実を前にして。
ミレイは真っ青な顔で、今にも死にそうになっていた。
仲間の1人が、そんな状態とあって。
「大丈夫ですか? やはり危険ですし、そこまで無理をする必要は。」
流石のソルティアも、心配になってしまう。
「……ううん、大丈夫だよ。」
けれどもミレイは、このクエストから逃げようとは思わなかった。
「イリスさんも、わたしの能力なら、十分通用するって言ってたから。」
「その割には、顔色が優れませんが。」
ソルティアの瞳は、誤魔化せない。
「……いくら能力が強くても。使うのが、”わたし”じゃ。」
イリスとの腕試しを行って。
ミレイはどうしようもない、自分自身の弱さを自覚していた。
「だって、デコピン一発でノックアウトだよ? いざという時に、足手まといにはなりたくないし。」
「……ミレイちゃん。」
「確かに。今から筋トレした所で、間に合いませんしね。」
「そりゃそうだ。」
キララと同様に、魔力を扱う訓練をして。
何度か戦いを経験して。
それでもミレイは、2人との絶対的な差を感じていた。
20年もの間。平和な日本で、ゲームばかりして暮らしていたミレイである。
根本的な、”戦士としての才能”が、欠落していてもおかしくはない。
そうして、悩むミレイであったが。
「――そう言えば、ユリカさんが言っていました。」
ソルティアは1つ、アドバイスをすることにする。
「ユリカさんが?」
ミレイは気を失っていたため、別れを言えなかったが。
連絡を取った仲間と合流するために、ユリカとはアセアンでお別れをした。
ミレイの頭に巻かれた包帯が、彼女の最後の繋がりである。
「武蔵ノ国では、侍や陰陽師が互いに役割を分担して、敵と戦うようです。そしてそれは、冒険者だって同じです。剣士や魔法使い、やれることは限られていて、それぞれに補い合う必要があると。」
それを踏まえて。
ソルティアはミレイに言葉を送る。
「――”わたしが貴女を守ります”。なので貴女は、わたしでは倒せないような敵を、その力で倒してください。」
「……ソルティア。」
「もちろん、わたしも居るよ!!」
「うん、分かってる。」
デコピンと、ビーム射撃の雨で、若干心が折れかけていたものの。
(わたしたちなら、大丈夫。)
ミレイは大切な仲間の存在を思い出し。
もう一度、真っ直ぐと前を見つめた。
――もう何も怖くない。
◇
『――おい、お前ら! 障壁に歪みができてる。何か攻撃してみろ!』
手に持った通信機から、イリスの声が聞こえてくる。
目の前の障壁を見てみても、特に異常は見えないが。
ミレイたちはそれに従う。
「了解です。」
ミレイはその手に”聖女殺し”を出現させると。
しっかりと狙いを定めて。漆黒の斬撃を繰り出した。
鋭い切れ味の斬撃だが。
最強の障壁には、当然のように刃が立たず。
容易く弾かれてしまう。
だが、それにより。
障壁部分に、目に見えて歪みが生じ。それが激しくうねると。
人間がギリギリくぐれるかどうかという、小さな穴が発生する。
「……思ったよりも、小さいですね。」
「だね〜」
とは言え、なんとか入れそうな大きさのため。
ソルティアたちは安堵する。
だがミレイは冷静に、その小さな穴を見つめていた。
『じゃあ、健闘を祈るぜ!』
「了解です。」
「行ってきま〜す。」
順番に、ソルティアとキララが穴に入っていく。
その2人をして、本当にギリギリの幅であった。
それを見て、ミレイは確信する。
(こりゃ、どのみちイリスさん入れねーじゃん。)
キララとソルティアでもギリギリなのである。
ならば、”大きな爆弾”を抱えたイリスでは、確実に引っかかってしまう。
ちなみにミレイは、非常にスムーズにくぐれた。
3人揃って、障壁内部への侵入に成功。
障壁内の様子は、それほど外との違いは感じられず。
鬱蒼とした森が、モノリスの方向まで続いていた。
「中に入りました。」
ミレイが通信機に話しかける。
『何か、変わったことはないか?』
「普通に森が広がってます。外から見たまんまです。」
ミレイの目から見て。
別段、報告するようなことはなかった。
「……モノリスの周辺とは言え、わりかし平和そうですね。」
「うん。変な魔力とかも感じないし。」
ソルティアとキララにも、特に異常は感じられなかった。
地上に降り立った3人から、そんな報告を受けて。
「……そうか。」
アマルガムの艦橋内で、イリスは安堵の声を漏らす。
「とりあえず、こっちからも異常は確認できない。だが、森には何が潜んでいるか分からないし、気を抜くなよ。」
『――了解です。』
ほっと一息を吐き。イリスは機内から外の様子を眺める。
目に見える範囲に、脅威になりそうな存在は確認できない。
「まぁ、モノリスの周辺とはいえ、絶対に危険とは限らねぇ――」
だが、しかし。
ふと、モノリス本体へと目を向けた時。
その衝撃から、イリスは呼吸を止めた。
それはモノリスと同様に、”真っ黒な体色”をして。
巨大な体と、一対の翼を持ち。
恐ろしい瞳で、アマルガムを見つめている。
(――なんで、今まで気づかなかった。)
イリスの見つめる先。
”モノリスの頂上部”に、それは鎮座していた。
明らかに”脅威”でしかない、謎の”黒いドラゴン”が。
障壁によって、阻まれているにもかかわらず。
モニター越しにも伝わる、異様なまでの圧迫感に。
イリスは圧倒される。
「おい! お前たち。モノリスの――」
今すぐに引き返すよう、ミレイ達に伝えようとするも。
『――モノリスの、』
イリスからの通信は、そこで途切れてしまった。
「……物凄い剣幕でしたが、切れてしまいましたね。」
「何なんだろうねぇ。」
ソルティアとキララは、そこまで事態を重要視していない様子だったが。
ただ1人、ミレイは現実に気づき。
静かに冷や汗を流す。
(……”あの穴”が塞がった瞬間、通信が途切れた。)
障壁に目を向けてみれば。
すでに、ミレイ達が通った穴は塞がっていた。
「イリスさん、聞こえますか?」
通信機に声をかけてみるも。
全くもって、応答はなく。
(通信が繋がらないんじゃ、外に出れるタイミングも分からないし。)
障壁内部に侵入して、早々に。
ミレイは静かに悟る。
――自分たちが、詰んでいることを。
そして、そんな彼女たちの様子を。
何者かが、茂みの中から見つめていた。




