絶望の劇毒
「ソルティアさん、これを使ってください。」
怪人との決戦を前に。
キララは懐から取り出した”瓶”をソルティアに渡す。
「……これは、毒か何かですか?」
瓶の中身は、黒くてドロッとした液体だった。
「はい。人間や動物相手なら、ほぼイチコロだと思うんですけど。」
「まぁ、”アレ”に効くかどうかは微妙だな。」
怪人、ザイードとクォーク。
双方ともに、凄まじい”魔力”を纏っている。
魔力とは、魔法の原動力となるだけではなく。
それそのものが、”万能物質”と呼べるほどの力を持っている。
持ち主の願いを叶えるだけでなく。
無意識下でもその性質は機能し。
高い魔力の持ち主ともなれば。
身体能力や、免疫力の向上。果てには”不老”などの効果も発揮する。
それ故に。
高位の魔獣等には、致死性の超猛毒すらも意味を成さない。
「それでも、無いよりはマシでしょう。」
気休め程度になればいいと。
ソルティアは瓶の中身を刀身にぶっかけた。
「向こうも、律儀に待ってくれてるからな。そろそろ行くか。」
持てる力は、全てその手に揃っている。
ソルティアは刀を。
キララは弓を。
カミーラは、魔法で生み出した”光の槍”を構え。
怪人との決戦に臨む。
◇
各々の武器を構え、対峙する3人の戦士を前にして。
ザイードは腕を組んだまま、その表情を歓喜に染める。
「何とも貴重な体験だ。向こうの世界では、怪人と戦おうとする女は皆無だった。」
記憶の残っているのは、”絶望”に染まった女たちの表情のみ。
「どうやらこの世界には、強い女が多いらしい。」
彼らに立ち向かおうとする、3人の女戦士たち。
手にする得物も、種族すらもバラバラだが。
抗おうとする視線だけは、真っ直ぐ同じものだった。
「……お前たちならば、あるいは”あの方”の。」
ザイードは静かに呟く。
「アガガガッ!」
門を守る怪人。
クォークも同様に戦闘態勢に入る。
だが。
「クォーク! お前程度の知能では、”殺さずに手加減”するなど不可能だろう。黙って、扉を守っていろ。」
「……グギギ。」
ザイードの指示を受け。
クォークは大人しく、その力を鎮めた。
ゆっくりと、ザイードが前へと歩き出し。
単独の身で、キララたちを迎え撃つ。
「――来るがいい、女ども。」
カミーラは翼で。
ソルティアはその脚で。
同時に、左右からザイードを狙う。
出し惜しみ無しの全力。
それぞれの最高速度を持って。
正面からは、キララが魔法の弓で狙い撃つ。
隙の無い布陣であったが。
左右からの攻撃は、その両腕で軽々と受け止められ。
渾身の魔力を込めたキララの矢も。
容易く蹴り落とされてしまう。
「フッ。」
ザイードが、両腕を横に振ると。
たったそれだけで、カミーラとソルティアは吹き飛ばされた。
「馬鹿力め。」
砕かれた光の槍を再構築し。
今度はそれを、思いっきり投擲する。
だが、ザイードはそれを見ることなく掴み取り。
その手で容易く握り潰す。
「フフフフ。まともな戦いをするのは久しぶりだ。」
再び、ソルティアが刀で斬りかかるも。
「なっ。」
僅か1本の指で、それを受け止められる。
「もっと俺を、楽しませろ!」
無数の魔法の矢が、ザイードの胴体に命中し。
空気すら凍てつかせる、強烈な冷気が襲いかかる。
だが。
「――ウォオオォォッッ!!」
ただ、気合を込めるだけで。
燃えるようなエネルギーが、ザイードの身体を包み込み。
魔法の冷気だけでなく。
周囲にある全てを、吹き飛ばした。
「チッ、額面通りの化け物か。」
衝撃から顔を守りながら。
カミーラは吹き飛ばされないようにこらえる。
「まるで、刃が立たない。」
ソルティアも、打つ手なしであった。
キララも2人と同様に、苦い表情で立ち尽くし。
(……ん?)
それでも、彼女だけが。
この場へと向かってくる、”もう1人”の存在に気づいていた。
悟られないように。
その手に、静かに魔力を蓄える。
怪人相手に、一方的に遊ばれる。
その最中にも、異界の門は開いたままであり。
次々と、雑魚怪人たちが街へと流れて行く。
その様子を見ながら、カミーラは悔しさに顔を歪ませる。
(あっちの化け物を先に倒したいが、流石に無理があるか。)
本心では、門を守る方を優先して狙いたい。
だが、そんな真似をすれば、ザイードも黙ってはいないだろう。
真っ赤で鋭い瞳は、常にこっちの動きを把握している。
だが、そんな彼の頭部に。
彼方から放たれた、”高威力の弾丸”が直撃する。
「――なに?」
弾丸は、角へと命中し。
ザイードの首を、僅かばかり傾けた。
彼がゆっくりと振り向くと。
その視線の先では、ライフルを構えた1人の少女、”ミレイ”が立っており。
次々と、弾を連射していく。
だが、命中精度は”さほど無く”。
たとえ当たったとしても、少々痒くなる程度なため。
ザイードは回避行動を取らない。
「銃、だと? どういうことだ。」
剣と魔法の世界に似つかわしくない、そのスナイパーライフルを目にして。
ザイードの意識は、その好奇心へと向けられ。
油断した彼のもとに。
屋根から降り立つ、”最強の魔獣”が強襲する。
「なにっ!?」
殺意を込めて、フェンリルは大きな顎を開き。
ザイードを吹き飛ばしながら、その身体に喰らい付いた。
「――今だ、門番を狙え!」
彼女たちの行動は素早く。
カミーラは光の槍を、ソルティアは刀を構え。
門を守る怪人、クォークへと奇襲を仕掛ける。
だが。
「グゲガガアアッ!!」
彼は強力なエネルギーバリアを展開し。
2人の奇襲を、完璧に塞ぎ切る。
「チッ。」
彼も、紛れもなく怪人の1人であり。
生半可な魔力や、剣撃では打ち勝てない。
だがしかし、それでも。
このチャンスが来ると信じて。
魔力を蓄える者がいた。
輝かしいほどの魔力を、たった1本の矢に込めて。
キララは冷静に、狙い撃つ。
「――これでっ!」
解き放たれた魔法の矢は、美しい螺旋を描きながら進んでいき。
強固なバリアを、いとも容易く貫通すると。
「アガ。」
クォークの心臓を、一点突破で撃ち抜いた。
死した怪人が、地面に崩れ落ちる。
「――やった。」
指を震わせながら。
ようやく届いた一発に、キララは歓喜の声を漏らした。
「クソッ。」
ザイードは、激しく身体をよじらせ。
食らいついたフェンリルを、やっとのことで振りほどく。
僅かに呼吸を荒らげながら。
彼が顔を上げると。
フェンリルを従えるミレイに、弓を構えるキララ。
カミーラとソルティアも、同様に五体満足に立っており。
門を守っていたはずのクォークのみが、仰向けでその亡骸を晒していた。
「……あのクズめ。こうも容易くやられるとは。」
仲間を失った悲しみなど、彼の中にはなく。
ただ苛立ちのみが積み重なる。
「ふっ。」
カミーラが魔法陣を展開すると。
無数の光の槍が発生し。
門を塞ぐような形で、その槍を固定させた。
「とりあえず、これで大丈夫だろう。」
雑魚怪人がいくら集まっても、束になった光の槍を突破することは出来ない。
壊すことの出来る存在は、目の前にいるザイードのみ。
そして、彼を倒すべく。
この場には、ほぼ全ての戦力が集結していた。
「ミレイ、こいつは手強い。フェンリルのそばを離れるなよ。」
「……りょ、了解です。」
ミレイとフェンリルも、油断なく対峙する。
だが、そのような状況にあってなお。
ザイードは焦りの1つも見せない。
「……まさか。これで形勢逆転だと、そう思っているのか?」
どれだけ格下が集まった所で。
”絶対的な強者”には、抗いようが無いのだから。
「――図に乗るなよ人間ども。俺がいつ、”本気”を見せた!」
”戯れ”はこれにて終わり。
この日初めて、ザイードは明確な敵意を抱き。
その力を、覚醒させた。
花の都の外。
少女たちとの修行を行った草原で。
「……街に居る方も。まさか、これ程の力を持つとは。」
パーシヴァルは、街から流れる不穏な空気を感じ取る。
「ザイードだな。アイツも”隊長クラス”の中だと、結構やる方だから。」
彼女と対峙する形で。
怪人、ダースが呟く。
「まぁでも、俺の方が強いけど。」
「……隊長クラス? 貴方の世界には、それがもっと居るのですか?」
「あぁ? そりゃそうだよ。俺らクラスの怪人なんて、普通にゴロゴロしてる。」
何気ないことのように、ダースは言う。
それが、向こうの世界の常識のように。
「幹部より上ともなると、更に”別格”だぜ? 俺なんて簡単に消されちまう。」
彼の話を聞いて。
パーシヴァルは戦慄した。
(この強さの化け物が、他にも大勢? もっと強いのも?)
その口から出る言葉が、全て真実であるとは限らない。
だが、もしも本当だとたら。
――”そんな世界と、決して戦ってはならない”。
「……完全に、判断を間違えたか。」
”声色”が変わり。
パーシヴァルは、覚悟を決める。
「たとえ街を犠牲にしてでも、真っ先に門を壊すべきだった。」
その身を包んでいる、”邪魔な魔法”を脱ぎ去って。
パーシヴァルは真の姿をさらけ出す。
「へぇ、そっちも全力ってことか。」
彼女に対抗するように。
ダースもその全身を輝かせ。
持ちうる力の全てを開放する。
大地が、空が。
揺れていた。
◆
角に、輝きが宿り。
全身から溢れる魔力、その質が変わる。
それだけの変化だというのに。
ミレイたちの目には、微かに”恐怖”がチラついた。
「――くっ、フェンリルッ!!」
それでも、負けるはずがない。
そう言い聞かせながら。
最強の魔獣をけしかける。
その鋭い爪と牙なら。
どんな敵をも倒せると信じて。
だが、それを見つめるザイードの瞳は。
相も変わらず、赤く冷たいままで。
その右手に、ドス黒いエネルギーを収束させる。
「……あ。」
歴戦の勇士であるカミーラが、思わず言葉を失うほど。
”圧倒的な力”を宿したソレを。
「――”デッドボール”。」
迫りくるフェンリルの顔へと、ぶち当てた。
その、インパクトの瞬間。
視界を埋め尽くすほどの光と、耳を壊さんとする爆音が弾け。
ミレイたちはただ、その威力に堪えることしか出来なかった。
衝撃が収まり。
「……何なんだ、今の一撃は。」
彼女たちはゆっくりと目を開くと。
「――え?」
信じられない光景を目撃する。
力の爆心地は、全てが崩壊しかけており。
手をかざした状態で、ザイードは立っていた。
その目の前では、フェンリルが4本の足で立っているものの。
――あるべきはずの”頭部”が、無惨にも吹き飛んでいた。
体を制御する機能、命はとうに失っており。
ゆっくりと、重い身体が地面に倒れる。
それを、目の当たりにして。
「……あ。」
ミレイは思考が追いつかず、その場で立ち尽くす。
だが、敵は目の前にまで迫っていた。
「おいっ、逃げろっ!!」
カミーラが声を荒げるも。
彼女がそれを認識する頃には、すでに遅く。
ザイードの右手が、ミレイの首を掴み。
そのまま持ち上げる。
「うぐっ。」
ミレイは必死に抵抗するも。
力の差は歴然であり。
「フフッ。」
ザイードは愉快そうに笑う。
「……この世界では、”それなり”に強い獣だったのだろうが。俺の敵ではなかったな。」
ミレイが、敵の手に捕らえられた。
その事実に、キララの脳は一瞬にして煮えくり返る。
「――ミレイちゃんを、離せッ!!」
先程の一撃を遥かに超える、”破壊的な魔法の矢”を生成する。
だが、それを放つ前に。
「おっと、これでも撃てるのか?」
ザイードが、ミレイの身体を盾にすることで。
その攻撃を、根本的に無力化する。
「くっ。」
そうなってしまっては。
キララにはもう、どうしようもなかった。
「そうだ。それで良い。」
愚かな人間を諭すように、ザイードは微笑む。
「中々に、愉快な余興だった。怪人に立ち向かおうとする人間は、向こうの世界では皆無だったからな。」
彼の脳裏に浮かぶのは、破壊し尽くされた世界の姿。
「殆どの人間が、悲鳴を上げ、泣き叫び。生き残るためなら、他者をも犠牲にし。意地汚く這いつくばる。」
怪人である彼には、それが酷く醜く思えていた。
「だが最後には、みな”絶望”する。その表情が、何とも美味なることか。」
自身を睨む、ミレイの顔を見て。
それが歪むのを想像する。
「それと比べたら、お前たちにはまだ余裕がありそうだ。何をすれば、その心を挫ける?」
怪人からの問いに。
彼女たちは答えない。
「”この娘の首でも折れば”、少しは変わるだろうか。」
ザイードは、小さく呟いた。
◇
その一言だけは、決して許容し切れず。
「……そんな事をっ。」
酷く憎しみのこもった瞳で、キララはザイードを睨みつける。
「フッフッ、冗談だ。それでは大して面白くならない。」
彼は嘲笑う。
「そもそも俺たち怪人に、”人を殺すことは許可されていない”からな。」
そう言いながら。
彼はミレイを掴んだまま、広場の中央へと歩いていく。
「……っ。」
その手に、命を握られているため。
誰も、手出しをすることは出来ない。
ザイードは、異界の門の側まで行くと。
心臓を貫かれ死亡した、もう1体の怪人の亡骸をまさぐった。
「おお、無事だったか。」
目当ての物を発見し。ザイードは喜びの声を上げる。
手に取ったのは、細長いペン型の注射器。
中には、”真っ白な液体”が入っていた。
「フッフッフッ。」
その液体のもたらす”結末”を想像して。
ザイードは笑いを堪えきれない。
「”最も残酷な方法”で、その心を折ってやろう。」
そう言って。
ザイードは手に持った注射器を、ミレイの首に突き刺した。
「――あっ。」
異なる世界の劇毒が、その身体に流れ込み。
全てを白く、染め上げた。




