究極の敵
16の春。それはまだ、彼女の心が人間だった頃。
人と人。複雑な関係を構築する、学校という環境の中で、少女は孤立していた。
他者との関係を築こうとはせず、一人”小さな画面”と向かい合う。
流行りの携帯ゲーム機。学校のクラスメイトの中にも、それを所有する者はいるだろう。
しかし少女は、いつも一人だった。ただうつむいて、無言で、カチカチとボタンを押すだけ。
それが少女の世界、たった一人で完結する世界だった。
――うわ、あの子。また一人でピコピコやってる。
周囲の環境か、それとも元々少女の精神が歪だったのか。
完結しているはずの彼女の世界は、やがて周囲の世界を敵視するようになっていた。
「ッ」
他者からの視線、他者からの言葉を受けるたびに、その心は黒く染まり、ボタンを押す力が強くなっていく。
少女は、”善人”では無かった。自分こそが正しいと疑わない性格であり、自分以外の世界が間違っているとさえ思っていた。
わたし以外、みんな馬鹿。
ゲームのNPCと何も変わらない。ただ自分を苛立たせる、なんの価値もないオブジェクトに過ぎない。
16の春、少女の心は悪に染まった。
繰り返される毎日。
一日の始まりを告げる、駅のホームで。
――ほんと、あいつマジうざいよね〜
少女は、クラスメイト達の背中を見つめていた。
いつもいつも、こうやって自分が後ろにいるのに気づいていない。愚か者が、愚か者を蔑む。そんな吐き気を催す会話を、毎朝のように聞かされる。
死ねばいいのに。
駅のホームから飛び降りて、ぐちゃぐちゃになって死ねばいい。そうしたら、学校に行くのが遅くなる。邪魔なクラスメイトも減ってくれる。これほどまでに嬉しいことはない。
わたしを楽しませるために、その命を散らせてほしい。
しかしながら、彼女たちが飛び降りることはないだろう。
後ろから押す勇気もない。そんな事をしたら、自分が悪者になってしまう。
落ちろ、落ちろ。
落ちて死んでしまえばいい。
心の底から、少女は呪詛を吐き続けた。
もしも彼女が普通の人間だったのなら、きっと何の問題にもならなかっただろう。世界は何も変わらずに、秩序が乱されることもない。
しかし、少女は違った。
吐き続ける呪詛を体現するかのように、彼女の瞳は”輝き”を宿し。
――あ。
何かに突き動かされるかのように、クラスメイトは前へと歩き出し。
少女が最も望むであろうタイミングで、駅のホームから飛び降りた。
その瞬間のことを、少女は一生忘れることはないだろう。
コメディのように、人体が列車に巻き込まれ。この世の快楽を凝縮したような、美しい音色が耳に響く。
ほんの僅かな余韻の末、世界は混沌に包まれた。何が起こったのか、なぜこうなったのか。何も知らないNPCが騒ぐ。
少女は笑っていた。歓喜していた。
この世界は、自分を中心に出来ている。望めば願いは叶うのだと。
自分に宿る力を自覚し。
やがて少女は、”怪物”となった。
◆◇
それは一瞬の出来事だった。
追い詰めたはずの女が、虹色のカードを起動し。ミレイたちのいた地下通路は、猛烈な力によって崩壊した。
「う、くっ」
憑依融合を使っていたことが、ミレイにとってが何よりも幸運であった。もしも彼女が生身であったのなら、それはもう無惨な死を迎えていだであろう。
自分に覆いかぶさる瓦礫をかき分けて、ミレイは地上へと這い上がった。
何とか、地上に手が届き。ミレイが見たのは、崩壊した周囲の様子だった。
アトラクションは瓦礫と化し、土煙が視界を塞ぐ。遊園地の全てが滅んだわけはないが、少なくともミレイの周囲は跡形もなく吹き飛んでいた。
一体、どんな能力を使ったのか、ミレイが呆然としていると。
「……ミレイちゃん?」
「キララ?」
どこからか、キララの声が聞こえてくる。
声が聞こえた方へと、ミレイは足を動かし。
「ッ」
そこで見た光景に、言葉を失った。
「……ミレイちゃん。無事だったんだね」
人の体は、そこまで赤く染まるのか。
キララの体は、服は、おびただしい量の血に塗れていた。どう見ても、出していい量の血液ではない。
「あっ、大丈夫だよ、ミレイちゃん。これは、”わたしの血じゃないから”」
「……え?」
冷静に見てみれば、キララの側にはフェンリルの巨体が横たわっている。
生きているのか、一時的に死んでいるのか。かなり損傷が激しかった。
あの女がカードを起動した瞬間、フェンリルはキララの元へと駆けていた。
主ではなく、キララを選んだのは、きっとそうするべきだと分かっていたのだろう。憑依融合をしたミレイよりも、キララのほうがずっと脆いと。
故に、キララはこうして助かった。
「まぁ、足が潰れちゃったけどね」
とはいえ、彼女も無傷とはいかず。瓦礫の重さによって、左足が押し潰されてしまった。治療はもちろん可能であろうが、すぐさま動くのは不可能である。
「ちょっとまって、すぐに薬を出すから」
キララの傷を癒やすために、ミレイは2つ星の”即効性キズ薬”を具現化。その手にスプレータイプのキズ薬を握り締める。
それをすぐさま、キララの足に使おうとするも。
「――あーらら? おチビちゃん達、そんな所にいたのね」
怪物に、その存在を気取られてしまった。
ふぅ、と。軽く吐息を吹くようにして、周囲にあった土煙が散らされる。
急な突風に、ミレイは困惑しつつ。
大きな声がした、空へと顔を向け。
まるで蛇に睨まれた蛙のように、その場から動けなくなってしまう。
そこには、”神”がいた。
太陽の光を背に、神々しく宙に浮かぶ。
視界に収まらないほど、長く巨大な体。
いわゆる龍のようにも見えるが、体には無数の翼も生えている。
ドラゴン、魔獣。そのような生物の領域には当てはまらない。
自然の摂理を超越した、”絶対的なる龍神”。
それが、上空からミレイたちを見つめていた。
「……」
ただ見ただけで、ミレイは理解してしまう。
聖女殺しと融合し、魔力の扱いに長けた今だからこそ、分かってしまう。
自分と相手との、絶対的な力の差に。
そんな彼女を嘲笑うかのように、龍神は優雅に空に佇む。
「驚いたかしら。これが、わたしに与えられたアビリティカード。”主人公”に相応しい、絶対的な破壊の力よ!」
その龍神は、カードによって召喚されたものではない。
カードの能力によって、女が”変異”したもの。
何か、明確な攻撃をしたわけではない。ただその巨体が出現したことにより、地下通路が吹き飛び、ミレイたちは被害を受けたに過ぎない。
アリとゾウのように、その差は遥か。
「ふふっ、驚いて声も出ないって感じね。いたぶりがいがあるわぁ」
龍神と化した事により、その表情は分かりにくいものの。もしも彼女が人のままであったなら、これ以上無い笑みを浮かべていたであろう。
「どっこいしょ!」
何気ない感じで、龍神は口から”衝撃波”を放ち。
その圧倒的な威力によって、遊園地の半分ほどの面積が吹き飛んだ。
「ッ」
もしも、今のがこちらに向けて放たれていたら。そう考え、ミレイは戦慄する。
神の如き見た目は伊達ではない。その龍神は、紛れもない超越者だった。
「わたし、遊園地って嫌いなのよねぇ。馬鹿な連中が、馬鹿みたいな乗り物に乗って、馬鹿騒ぎしてる。……あーあ、事故って死ねばいいのにって。よく思ってたし、”現実にした”こともあるんだけど」
龍神は思い出を語る。
「この世界の人間って、馬鹿というよりも”無知”よねぇ。ふふっ、遊園地が何なのか知らないから、セキュリティシステムに捕まって。相手はただの遊園地なのに、化物だ!、って大騒ぎ」
彼女にとって、人間は単なるおもちゃに過ぎなかった。
「それを眺めるのが楽しかったのに。ほんと、あなた達って空気が読めないわよね〜」
ぎょろりと、龍神はミレイとキララを見下ろす。
「まぁ、いいわ! ”今回のゲーム”は、あなた達の勝ちって事にしてあげる。どのみち単なる暇つぶしだし。たまたま、いい感じの遊園地を見つけたから、暴走させただけだし」
けらけらと、龍神は笑う。
大事となった今回の事件だが、彼女自身それほどの労力を使ったわけではなかった。
たまたま偶然、どこかの異世界から漂着した”遊園地の残骸”を見つけ、その高度なシステムを再起動したに過ぎない。
「……」
軽々と、現状を楽しむ龍神に対し、ミレイは反応に困る。
こういうタイプの相手とは、今まで対峙したことがなかった。
「ちょっと、なんか反応薄くない?」
「えっ、いや……」
「そんな勝手なことをさせるか!、とか。わたしが相手になってやる!、とか。そういう反応を期待してたんだけど」
だんまりを決め込むミレイたちに対し、龍神は文句を口にする。
”こんなに楽しいのに”、なぜなのかと。
「あなた達って、ゲームとかやったことある? 遊園地を知ってるってことは、この世界の人間じゃないのよね」
「あー、えっと。わたしはそこそこ!」
仕方がないので、ミレイは正直に答えた。
「やっぱり! なら分かるでしょう? 強者に一方的に叩き潰される、いわゆる”負けイベント”ってやつ。今のわたしはそういう存在なのよ。ムカつくでしょうけど、我慢してね♪」
龍神は得意げに、自らの立ち位置を説明する。
だがしかし、
「――わたし、”みんなでやるゲーム”が好きだから! 別にそれはどうでもいいや!」
なんてことはない、ミレイのそんな一言を受けて。
「……はぁ?」
雰囲気が、ガラリと変わる。
一体何が気に食わなかったのか。
嬉々とした雰囲気が消え去り、気配が静まり返った。
「あなた、もしかして。友達と一緒になって、わいわいやるのが好きなタイプ?」
「もちろん! 一人でやっても面白くないし!」
後になって思えば、これは絶対的な運命だったのかも知れない。
お互いに、決して相容れない主張。
溢れるような善意を、小さな胸に抱く者。
溢れるような悪意を、周囲に垂れ流す者。
すなわち、”究極の敵”と。
「今回は遊びで終わらせよっかなって、思ったけど。やっぱり気が変わったわ」
龍神の女は、ミレイを明確な敵と認識。
「あなた達全員、”ゲームオーバー”よ」
跡形もなく吹き飛ばすために、その口から衝撃波を解き放った。




