心のさざなみ
大きなお風呂に浸かるミレイと、自分の体を洗うキララ。
心地よい環境に、リラックスする二人であったが。
ミレイはあることを思い出す。
「……そう言えば。戻ってきてから、フェンリルを見てないんだけど」
「あ〜。ミレイちゃんを探しに、かなり遠くまで行っちゃったのかも」
主が居なくなれば、探そうとするのは当然と。
フェンリルは真っ先に探索に向かっていた。
「なら、呼び戻さないとね」
主が戻ってきたことは、魔力の繋がりから認識しているだろうが。
もしかしたら、一日二日では帰れない距離まで行っているのかも知れない。
ゆえに、ミレイはフェンリルを呼び戻すことに。
「おいで」
目の前に手をかざして、戻ってくるよう念を込める。
すると、
彼女の呼び声に応じて、その場にフェンリルが召喚される。
当然、その巨体は健在であり。
出現の余波で、お風呂のお湯が一気に溢れ出した。
「ぎゃ〜」
お湯に飲み込まれながらも、ミレイはフェンリルとの再会を喜ぶ。
キララも、それを微笑ましく見つめるものの。
そこに、アリサが扉を蹴破りながら入ってきた。
「ッ」
ミレイとフェンリルは、ただ単に戯れているだけ。
しかし、関係性を知らないアリサには、どう考えても”捕食現場”にしか見えず。
――剣による、渾身の一撃を振るった。
目にも留まらぬ速さで、剣はフェンリルの胴体を斬り裂き。
それにより、鮮血が風呂場に散る。
「ぎゃー!!」
楽しいお風呂が、まるで地獄のように変わってしまい。
ミレイは本気の悲鳴を上げた。
「な、なんで!?」
「……なんで?」
ミレイの言葉に、アリサは首を傾げつつ。
こちらを見つめる、ミレイとキララの視線を受け。
瞬時に、”自らの失態”を悟った。
「……」
「あ、あはは」
凄惨な事件現場に、キララも思わず苦笑い。
「えっとね、アリサちゃん。そのオオカミさんなんだけど――」
ゆっくりと諭すように、アリサに事情を説明した。
◇
ホテルの部屋にて。
ミレイはソファに座りながら、小さくなったフェンリルを抱きしめる。
フェンリルには高い治癒能力が備わっているため、すでに斬られた傷は完治していた。
その少し離れた場所で、アリサは椅子に座っている。
「ごめんね。出す前に言っとけばよかった」
「いいえ、悪いのはわたしよ。咄嗟に剣を振るうなんて、完全に頭に血が上ってた」
出現したフェンリルを、遊園地の化け物だと思ってしまい。アリサは刃を振るってしまった。
(……らしくないわね)
なぜ、考えるより前に動いてしまったのか。
アリサがあれ程の”焦り”を覚えたのは、生まれて初めての経験だった。
「大丈夫だから、あんまり気にしないでね。きっとこの子も許してくれるから」
「わふ」
ミレイはそう言うものの、アリサは簡単には納得できない。
もしも相手が別の存在だったら、”致命的な傷”になっていたかも知れない。
ミレイとアリサが、そのような話をしていると。
お風呂場の方から、キララが戻ってくる。
「わたしの魔法で、お風呂はピッカピカだよ〜。もう一回入ろう!」
キララは元気だった。
「そうだね。フェンリルも一緒に入ろっか」
「わふ!」
まだリラックス度合いが足りないので、ミレイたちはもう一度お風呂に入ることに。
「アリサも入ろうよ」
「……わたしは、いいわ」
自分は馴染めないと、アリサは提案を拒絶する。
すると、
「そんなぁ……」
ミレイが、とても悲しそうな顔で見つめてくる。
演技の入ったリアクションなのは、どう見ても明白だが。
「ッ」
今のアリサには、効果抜群であった。
「……分かったわ」
自分に落ち度があるため、アリサも一緒に入ることに。
◇
「いえーい」
三人でお風呂に入る。
しかも、小さいフェンリルも一緒にいる。
仲間が多ければ多いほど、ミレイのテンションも上がっていた。
ミレイとキララは、いつも通りの自然体。
しかしアリサは恥ずかしいのか、タオルで身体を隠しながら。
「……」
何故か、じーっとミレイの身体を見つめていた。
「ん? どうかした?」
「……いえ」
何でもないと、さっと視線をそらす。
「すごく、幼児体型だと思っただけ」
「言ったな!」
ミレイは吠えた。
三人揃ってお風呂に浸かる。
アリサは、変わらずタオルを巻いたまま。
熱いお湯が苦手なのか、フェンリルはすでに部屋に戻っていた。
「あっ、そうだ。さっきも思ったけど、キララちょっと痩せた?」
「えへへ、ちょっとだけね」
ミレイが消えてしまったショックで、キララは数日間飲まず食わずで生活していた。
それによる僅かな体型の変化を、ミレイは見逃さない。
「ここって、朝食バイキングとかあるのかなぁ」
ミレイは、そんな事を口にする。
今の彼女を悩ませるのは、”それくらい”のことしかない。
そんなミレイに対し、アリサは何とも言えない視線を送っていた。
「……あなた達は、どうしてそんなにのんきなの?」
「ふぇ?」
アリサの一言に、ミレイは気の抜けた声を返す。
ミレイもキララも、その言葉の意味を理解していない。
「この遊園地は異常なのよ? それを理解しながら、どうして?」
それが、アリサには分からない。
向こうの世界に居た時には、ミレイもこれほどのんきではなかった。少なくとも、理性的で危機感を持っていたはず。
しかし、ここに来てからはずっとはしゃいでいる。まるで人が変わってしまったかのように。
これが、ミレイの素だというのか。
初めて見る彼女の一面に、アリサはペースを乱されていた。
「なんというか、うん。正直、ここがそんなに危険だとも思えないし。……あと、部屋も豪華だし」
友達と一緒、特にキララと一緒だと、著しく知能指数が下がる。
ミレイは、100%浮かれていた。
しょうがない、楽しいんだもの。
「人が消えるのは、恐ろしくないの?」
「あー、うーん」
遊園地を楽しむのは、百歩譲って理解できる。浮かれてしまうのも、仕方がないのかも知れない。
しかし、ここは”明らかに異常な場所”だというのに、なぜ楽しさが勝ってしまうのか。
アリサは、不思議でたまらない。
そんな彼女の疑問に、ミレイはほんの少し考え。
「――”キララがいつも通り”だから、平気かなぁ」
自分の考えを、嘘偽りなく答えた。
「?」
なぜそれが、理由になるのか。アリサには理解出来ず。
「ん?」
キララも、同じく首を傾げていた。
「ほら、キララって、すっごく勘がいいでしょ? 誰かが嘘ついてたり、何か悪いことが起こると、誰よりも早く気づくというか」
思えば、初めて会ったあの日から、ずっとキララに助けられてきた。
カードの力のおかげで、確かにやれることは増えてきた。
だがそれでも、自分に”どうしても足りない部分”を、補ってくれるのがキララだった。
「ここに来てからずっと、キララは楽しそうにしてるから。だから、大丈夫だと思って」
キララが警戒せず、普通に過ごしている。
だからミレイも、無意識に警戒心を解いていた。
二人一緒なら大丈夫、という安心感もある。
「だからここは、多分悪い所じゃないと思う。人が行方不明になるのも、きっとなにか事情があるのかも」
「……そう」
ミレイの語った理由。
それを理解することは出来ても、納得はできない。
人を信頼するという感覚が、アリサには分からなかった。
特に、ミレイとキララのような関係には、戸惑いすら覚えてしまう。
真神アリサは、人間嫌い。
人を好きになる気持ちは、まだ分からない。
それでも、この日。
アリサは不思議と、とても安心して眠ることが出来た。
◆◇
β−Earth
■■■の手帳
20XX年4月15日
情報によると、黒の帝国が妙な動きをしてるらしい。
場合によっては、牧場への襲撃を早めないといけないかも。
20XX年4月22日
作戦成功! 200人以上の人たちを救出できた。
シェルターもいっぱいになってきたから、新しい拠点を探さないと。
20XX年5月1日
怪人への対抗手段を探すため、クロノス社の研究施設に行くことに。
なにか見つかればいいけど。
◇
放棄された研究施設。
電気も通わないホコリまみれの通路を、特殊なパワードスーツを着た少女が歩いていく。
少女の前を歩くのは、角の折れた怪人。
「ボロボロだね〜」
「ああ。とはいえ、怪人が荒らした形跡はない。なにか見つかるといいが……」
そこは、人類が敗北した世界。
しかしそれでも。
諦めきれず、戦い続ける者たちが居た。
二人はやがて、研究室のような場所へ辿り着き。
部屋の中を物色し始める。
「見たところ、武器を作る拠点じゃなさそうだな」
「ざんねん。もっとスーツがあれば、戦える人も増えるのに」
彼らは、戦う力を求めてやって来た。
しかし、ここにそれらしき物は存在しない。
「あっ、写真が倒れちゃってる」
少女は写真立てを手に取ると、付いていたホコリを手で払った。
「それが、何かの役に立つのか?」
「も〜、誰かの思い出かも知れないんだよ? こういうのは、ちゃんと綺麗にしてあげないと」
少女は、写真立てを元の位置に戻す。
「行くぞ、”キララ”。向こうの部屋も見てみたい」
「おっけ〜」
ここに用はないと、二人は別の部屋へと向かった。
部屋に残されたのは、綺麗になった一枚の写真。
ここで働いていたメンバーだろうか、白衣を着た研究者らしき人々が写っている。
一番真ん中にいるのは、子供にも見える童顔の女性。
プロジェクト・プロメテウス。
主任、”星奈ミレイ”。
何もかもが違う、二つの世界。
それが再び、交わろうとしていた。




