まだ見ぬ世界
ミレイとキララ。そして、大勢の人々が暮らす大地、ボルケーノ帝国。
広大な領土を誇るその国の、遙か上空。雲の上の世界に。
その大陸は存在した。
地上とは違い、その大陸に人間は居ない。
そこに生きるのは、全てが強大な力を宿した”魔獣”たち。
地上のそれとは比べ物にならないほどの魔獣たちが群雄割拠し。
いかなる強者をも退ける、人類未開の地。
かつて、国1つを焼き滅ぼしたとされる、邪悪なる竜の伝説など。
人類にとって、脅威でしか無いその土地から。
激しく燃え盛る、1つの”火球”が降ってくる。
遙か先にある地上。帝国の大地へと向かって。
それは意思持つモノ。
そして人とは、決して相容れることは無い。
新たなる災いの兆しが、人知れず迫っていた。
◇
「うわっ、すっごーい!」
花の都ジータン、その市場通りにて。
「人がいっぱいだ。」
活気づく人々の様子を見て。
ミレイとキララは共に興奮の声を上げた。
ジータンの街では、古くより露店文化が根付いている。
飲食店や商店なども、実店舗を構えている店は少なく。
他の行商人などと共に、通りで店を開くことが多い。
それ故、特に露店の多い通りは、市場通りと呼ばれており。
この街の中心となっていた。
「この街、こんなに人が居たんだね。」
「うん! なんだかお祭りみたい。」
見慣れない街の様子に驚きつつも。
「いこっか。」
「うん。」
2人はそれを楽しむべく、活気の中へと足を踏み入れる。
見たことのない品物。不思議な商品が大量に存在し。
どれもこれも、つい目移りしてしまう。
店や商人がいっぱい居て。平常時よりも、住民の数が多いだけ。
ただ、それだけのことではあるが。
まるで、日本のお祭りみたいだと、ミレイは思った。
(あんまり、人が多いのは慣れてないからなぁ。ちょっとドキドキする。)
僅かばかり、不安は存在するものの。
隣にはキララも居るために、心配は無い。
だが。
「……わたし、こういうの初めてだから。ちょっと怖いと言うか。むしろ、気持ち悪いと言うか。」
キララの顔色は、先程よりも明らかに悪くなっていた。
(あぁ。キララは田舎出身だからなぁ。)
慣れない状況に、辟易しているキララを見て。
「えっ。」
ミレイは何も言わずに、そっと手を握ってあげる。
「ほら。はぐれないように気をつけよう。」
年上らしく。
ミレイは優しく微笑んだ。
「……うん。ありがとう、ミレイちゃん。」
気持ちが溢れてしまいそうで。
キララは小さく呟いた。
そうして、2人が色々な店を物色していると。
「あれ?」
見知った顔を見かけて、ミレイは歩みを止める。
昼間にランチを共にした、受付嬢のソルティアである。
植物を扱う、他の土地から来た行商人の店であろうか。
その店先で、食い入るように商品を見つめている。
「ソルティア。仕事に戻ったんじゃないの?」
そう声をかけられて。
ソルティアは2人の存在に気づく。
「おや、お二人とも。相変わらず仲が良いですね。」
その言葉に、キララはご満悦であった。
「てっきり、ソニーと一緒にギルドに戻ったのかと。」
常識的に考えて、そうなるはずであった。
「いえ、まぁ。せっかくの賑わいですから。仕事に関しては、頼りになる後輩も居るので。」
「……お前、人の心は無いのか。」
「大丈夫ですよ。そもそも、ソニーちゃんは人混みが苦手ですし。わたしが知る限り、物欲もほとんど有りませんから。」
「へぇ。なるほど。」
果たして、それを理由にして、自分がサボるのは有りなのだろうかと。
ミレイは思ったが、思うだけに留めておいた。
「ソルティアさん、何か欲しいものでもあるんですか?」
そう、キララに尋ねられて。
ソルティアは僅かに笑みを浮かべる。
「ええ。少々、珍しい植物に関心がありまして。何か良いものがあれば、部屋にでも飾ろうかと。」
「珍しい植物、ですか?」
「そんなの、この街ならいくらでも手に入るんじゃ。」
なんと言っても、この街は花の都である。
他の土地では手に入らない、希少な花々の宝庫である。
「あぁ、わたし、綺麗な花とかが、”大の苦手”なんですよ。」
「「えっ?」」
その言葉に、2人は驚きをあらわにする。
「生まれた時から、ずっとこの街で暮らして。もう散々見慣れてますからね。正直、勘弁してくれ、というのが本音です。」
「な、なるほど。」
そんな気持ちを抱えたまま、この街で生活しているのかと。ミレイは中々に衝撃を受ける。
「”魔獣大陸”辺りから来た、希少な植物でもあれば良いんですが。」
「……それって、ギルドが飼育禁止にしてるやつなんじゃ。」
ミレイにはさっぱりだが。
キララには知識があるようだった。
「ふふっ、冗談ですよ。」
抑揚のない声で、そう言いながら。
ソルティアは2人の前を後にし、人混みの中へと消えていく。
愉快そうに歪んだ、その最後の口元を見て。
(怖いなー)
ミレイはちょっと、ホラーな気持ちになった。
そんなこんなで、知人との遭遇もありながら。
2人は気を取り直して、市場通りを物色していく。
知らない物、珍しい物が次々と目に入り。
ついつい目移りしてしまう。
「可愛い服とかも、結構あるね。」
「うん。どれもミレイちゃんに似合いそう。」
服に対する視点が、二人して異なるものの。
ミレイは気にしないことにした。
「この前のやつよりも、だいぶお手頃価格だよね。」
ミレイが引き合いに出すのは、キララに買ってもらった”フリフリのワンピース”。
「まぁ、あれは帝都の高級ブランドだからね。」
プレゼントしたキララにとって、値段は関係無い様子だった。
「そんな服を着たまま、カミーラさんの依頼を受けるんじゃなかった。」
「……大丈夫だよ。臭いだけなら、洗濯でなんとか。」
危うく、お気に入りの服が台無しになるところであった。
「――”カシウスのカラクリ人形”だよ〜、安いから見てって〜」
人形、というよりも、ぬいぐるみらしき物を売っている店が目に入る。
「ねぇ、カシウスってなに?」
「ずぅ〜と、北の方にある街だよ。分厚い雲に覆われて、一年中日光が届かないから。通称、”常闇の都”って呼ばれてる。」
「へぇ。なんかカッコいい。」
見知らぬ土地の情報に、ミレイは心を躍らせる。
そのすぐ近く。
他の店の前では、地元の主婦たちが集っていた。
「これ見てちょうだい。”ヴァルトベルク産の竜皮”ですって。」
「本物なのかしら。」
ゴツゴツとした、革製の財布を見つめている。
「これを身につけてると、野生の魔獣に襲われなくなるらしいわよ。」
「あらやだ。この街じゃ意味ないじゃない。」
耳に入る全ての情報が、ミレイにとっては真新しく感じられる。
「ヴァルトベルクっていうのは、ここから西に行った所にある町だよ。」
気になっているだろうミレイに対し、キララが言葉の意味を教えてあげる。
「この国で一番危険な土地って言われてるけど。それ以上に、凄腕の冒険者が山ほどいるんだって。」
「へぇ。」
知れば知るほど。
自分がまだ、この世界のほんの一部しか体験していないことに気づく。
「ホントに、色んな場所があるんだね。いつか行ってみたいや。」
「うん、わたしも。ミレイちゃんと一緒に行きたいな。」
手を繋いだまま。
2人は同じ道を歩んでいた。
◆
様々な土地の特産品に目を通して。
多くの情報を見聞きするほど、まだ見ぬ世界への興味が溢れてくる。
(これ、ずっと見てられそうだな。)
そうして、市場通りを歩いていると。
「――さぁ、良かったら見ていって。この国じゃお目にかかれない、驚きの商品がずらり。」
どこか、聞き覚えのある声に。
ミレイは振り返る。
「浮遊大陸だけじゃなく、異世界から来た珍品もあるよ。」
そこで店を構えていたのは、ミレイがこの世界に来たばかりの時に、お世話になった恩人。
馬車の青年であった。
「……あの人は。」
思わぬ再会に、ミレイの足は動き出す。
「これは驚いたな。まさかまた会えるなんて。」
「はい。先日はどうも、お世話になりました。」
ミレイは、礼儀正しくお辞儀をする。
目の前の彼が居なかったら。
もしかしたら、この街に辿り着くことすら無かったかも知れないのだから。
「そう言えば、名乗ってなかったね。俺は”カイラ”。世界を股にかける大商人、……まぁ、その卵ってところかな。」
出会った時と何ら変わらず。
青年は優しそうに笑みを浮かべていた。
「わたしはミレイです。こっちは友達のキララ。わたしたち2人で、一緒に冒険者をやってるんです。」
そう紹介されるも。
キララは、小さなミレイの体を盾にしたまま。
カイラの方を、じっと睨んでいた。
警戒心、というよりも、敵意が剥き出しである。
「いやでも、やっぱり凄いね。君のようなレディが、まさか見知らぬ土地で冒険者になる道を選ぶとは。」
彼にとっても、それは完全に予想外の事実であった。
「俺が思っていたよりも、ずっと肝が据わってるらしい。」
「あはは。まぁ、単に考え無しなだけかも、ですけど。」
そんな、思いがけない再会を果たし。
「さぁ、どうぞ見てくれ。うちの自慢の商品だ。」
自分の店の商品に、余程の自信があるのだろう。
その謳い文句に、興味を持って目を通す2人であったが。
「……うーん。」
(これは、なんと言えば良いんだろう。)
商品のラインナップに、ミレイは言葉が詰まる。
カイラの広げている商品は、他の店のそれとは明らかに毛色が違っていた。
よく分からない昆虫のホルマリン漬けらしき物に、やたらと古臭い電子部品らしき物。
その隣にはシマウマのような毛皮が置かれ。
挙句の果てに、柱にはサーフボードが掛けられている。
(なんだろう。地元のリサイクルショップ感がエグい。)
ミレイは妙な懐かしさを覚えた。
「――何ていうか、”ガラクタ”ばっかですね。」
「ちょっ、」
臆すること無く言い放ったキララに、ミレイはドキッとする。
キララは、一見いつも通りに見えるものの。
その”笑顔”は、完全に凍りついていた。
「手厳しいなぁ。どれもこれも、ちゃんと使い道があるんだけど。」
「……まぁ、それはそうでしょうけど。やっぱり、ラインナップがちょっと。」
他の店の商品は、みな興味を惹かれる不思議な品ばかりであったが。
この店の商品は、ミレイにとっては夢も欠片もない代物ばかりであった。
だが、そんな中から。
「あっ、これ。ファミコンのソフトじゃん。」
ミレイは馴染み深い物品を手に取る。
「何のゲームか分かんないけど。ちょっと感動かも。」
まさか、この世界でゲームに出会えるとは思わず。
ミレイは感慨にふける。
すると。
「えっ、ゲーム?」
ゲームという単語に、キララが強く反応する。
「そうだけど。興味ある?」
そう言って、手渡されたゲームソフトを。
キララは食い入るように見つめる。
「……これがゲーム? こんな物が、ミレイちゃんの大好き?」
この謎の物体に、一体どれほどの魅力が詰まっているというのか。
キララには理解が出来ず、ひたすらにソフトを睨みつける。
そんな様子を見て。
店主であるカイラは苦笑い。
「なんだか、変わった子だね。」
可愛い見た目とは裏腹に。
何にでも敵意を向ける、番犬のような少女だと思った。
「あぁ、普段は良い子なんですよ? どうも、初対面の男の人には、ちょっと緊張しちゃうみたいで。」
ミレイには、”そういう認識”であった。
だが、目ざといカイラには、そうは思えず。
「そういう反応じゃ、なさそうだけどね。」
そう呟くも。
「?」
ミレイには理解が出来ず、首を傾げた。
「あっ、この人形。」
ミレイは、ボサボサ髪の”トロール人形”を見つけ、手に取る。
(たしか、髪を撫でると幸運が訪れるんだよな。)
その人形の存在は、前の世界の時から知っていた。
だが、実際に巡り合うことはなく。
まさか異世界に来てからお目にかかれるとは、と。
ミレイは運命を感じずにはいられない。
「カイラさん、この人形っておいくらですか?」
「……あぁ。その人形は、ケッタマンに暮らす異世界人から手に入れた代物でね。」
カイラは、諸々の計算を頭で行う。
「ざっと、”800G”ってところかな。」
「はっぴゃく!?」
その想定外の価格に、ミレイは声を荒げる。
「なんと言ったって、この世界じゃ手に入らない貴重品だからね。それくらいの値は必要なのさ。」
世界が変われば、色々と事情も変わるのだと。
ミレイはしみじみ実感する。
「……800Gかぁ。」
前の世界で、買っておけば良かったと。
ミレイは深く、後悔した。
時は流れ、その日の夜。
カミーラ家では、昨日と同様に3人揃っての夕食が行われようとしていた。
唯一の違いは、酒が一滴も存在しないこと。
だがそれだけで、何よりも平和な食卓へと変わっていた。
すっかり料理担当となったキララが、鼻歌交じりに調理を行い。
その出来上がった料理を、何故かミレイのカードである”パンダファイター”が配膳している。
その様子に、当のミレイ本人が一番驚いていた。
「……なんでアイツ、”勝手”に出てきて、勝手に飯を運んでるんだ?」
そう。パンダファイターはミレイの意思とは関係なしに実体化し。
しれっと配膳係と化していたのだ。
同じく、食卓につくカミーラは、何とも言えない表情で見つめている。
「……あまり気にするな。アビリティカードにだって、所有者に尽くしたい時があるんだろう。」
カミーラに言えるのは、ただそれだけだった。
「まぁ、お前が”何枚”カードを持っているのかは知らんが。優しく扱ってやれよ?」
「あっ、はい。了解です。」
昨日の夜、あれだけの惨劇を生み出したのだから。
カミーラには、ミレイの特殊な事情がお見通しなのだろう。
(家に住まわせてもらってるんだし。変に誤魔化さなくていいか。)
ミレイも気にしないことにし。
「あっ、そうだ。」
思い出したように、ミレイは1枚のカードを実体化させる。
3つ星カード、”ドリロイド”。
色の薄くなったカードである。
「朝起きたら、実体化したこいつが”バラバラ”にぶっ壊れてて。これって、直るんですか?」
ミレイが手に持ったカードを見て。
カミーラは思わず、ギョッとする。
「……”ぶっ壊した”の間違いだろうに。」
「はい?」
「いや、何でも無い。」
思わず漏れてしまった本音を、カミーラは誤魔化す。
「まぁ、それに関しては心配するな。カードには自己修復機能があるからな。」
カードの持つ機能を、ミレイに説明する。
「完全に白紙化してしまったらどうしようもないが。色の薄くなった程度なら、1週間もすれば直るだろう。」
「なるほど。そういう仕組みなんだ。」
どういう原理なのかは不明だが。
よく出来たアイテムだと、ミレイは感心する。
「さぁ、いっぱい食べてね。ミレイちゃんは大盛りだよ!」
「ありがとう、キララ。」
3人揃って、食事を行う。
「パンダもありがと。」
ミレイに感謝の言葉を伝えられ。
パンダファイターは、とても礼儀正しくお辞儀をする。
「お前、そんなキャラだったのか。」
「あはは。」
他愛のないことで笑い。
美味しい料理に、温かさを感じる。
何でも無い幸せを、当たり前のように享受できる。
まだこの世界の、”ほんの1%程度”しか知り得ていないが。
それでも、とても楽しかった。
◇
深夜。
ミレイとキララの2人は、同じ部屋で眠りにつく。
当然、布団は別々である。
明日は普通にクエストを受けるため。
しっかりと寝ようと心がけるミレイであったが。
「……ねぇ、ミレイちゃん。」
キララに声をかけられ、目を開く。
「なぁに?」
眠気混じりに声を出す。
朝もそうではあるが、基本的にミレイの身体は眠気に抗うのが苦手であった。
「ミレイちゃんって、元の世界に帰りたいって思ってる?」
「……どうして、そんな事を聞くの?」
ミレイは、優しく問いかける。
「あのカイラって人と、異世界の話で盛り上がってたから。」
きっとその時から、キララはずっと気になっていたのだろう。
気になって気になって。
どうしても眠れそうにないから、ミレイに直接聞くことにしたのだ。
「――多分、だけど。元の世界に、もう未練は無いかな。」
ミレイは眠たい頭を働かして、自分の考えを答える。
「今の生活は、すっごく楽しいし。それに何より、”キララが居る”から。」
それは、単純な理由であった。
普段は表立って態度には出さず。
どちらかと言うと、キララに対しては受け身になる事が多かったが。
ミレイという人間は、何よりも”友達”を必要としていた。
他の誰が思うよりも、ずっと強く。
むしろ深刻なまでに。
「……そっか。なら、嬉しいなぁ。」
僅かに漏らしてくれた本音に。
キララは胸のつかえが下り、ポカポカと温かくなる。
「――それにしても、やっぱりあの人形は高すぎるよ。」
カイラの名前が出たせいで。
ミレイは、その存在を思い出してしまう。
「精々、2〜30Gが関の山だろうに。」
今度はそれが気になって、眠気が散ってしまった。
「あの人形、欲しかったんだね、ミレイちゃん。」
「……まぁ、そこまでじゃないけど。」
「ふふっ、素直じゃないなぁ。」
小さくて意地っ張りで。
本当に見てくれだけなら、キララの方が年上のようだった。
「そう言えばミレイちゃん、今日はまだカードを出してないんでしょ? もしかしたら、何か良い物が出てくるかも。」
「あっ、確かにそうだ。」
今日が終わる前にと。
ミレイは黒のカードを取り出す。
(パンダすら出てくるんだから。可能性はゼロじゃない。)
一握りの希望を掛けて。
ミレイは、就寝前のガチャへと興じる。
黒のカードから、光の輪が生じ。
中から1枚のカードが出現する。
現れたカードのランクは、”星2つ”。
その名も、『太っちょピエロ人形』であった。
「おおっ。」
本当に人形が出てきたことに、もはや驚くしか無い。
「見せて見せて。」
「うん。」
キララにも急かされて。
ミレイはカードを実体化させる。
すると文字通り。
肥満体型のピエロを模した人形が出現する。
何かのカラクリが働いているのか。
その人形は勝手に動き出すと。
奇妙なダンスを踊り始めた。
太っている割には、中々に軽快なダンスであり。
2人は目を合わせると。
「「ぷっ」」
揃って、吹き出してしまう。
(――あぁ。こういうのも、悪くない。)
愉快な道化師が、2人に笑顔をもたらした。




